第172話 部長、湊鍵太郎
白眼をむいて気絶するかと思った。
音楽室の黒板に書かれたその結果を見て、
圧倒的多数での、部長当選。
それは傍から見たら華々しい出来事かもしれないが――当の本人からしたら、悪夢以外の何物でもない。
しかしそんな彼を見て、大爆笑する人物がいる。
「あはははははは! やった、やったねえ、湊っち!」
「二、三手先まで読んでるって言ってたのはこのことか、このおっさん女子高生が!!」
先輩の高久広美が腹を抱えて笑っているのを見て、鍵太郎は思い切りそう叫んでいた。
きのう予言者のような彼女が言った『未来』というのは、まさにこのことだったのだ。
いや、それだけではない。
むしろ広美の本当の狙いは、これだったとすら考えられる。
彼女は自分が表舞台に立てないとわかっていたからこそ、弟子のような後輩に助言を与え、それを見守ってきたわけだが――
つまりそれは、鍵太郎を目立たせて『次のリーダー』として印象付けるための、深慮遠謀だったのではないだろうか。
こんな状況になって、人に対して疑い深くなっているのかもしれない。
だが、この人だったらやりかねない。なので鍵太郎が顔を歪めて第二の師匠を見つめていると――彼女は笑いすぎて涙を流しながら、愛弟子の視線に応えてくる。
「いやあ、もうドンピシャにはまってくれて、涙が止まらないよ。湊っちはあたしが育てた」
「やっぱりか!? やっぱりあんた、わかっててやってたのか! この腹黒師匠がぁぁぁッ!?」
ほぼ自白ともとれる宣言を受けて、鍵太郎は改めて、この先輩の手に余る偉大さを理解した。
手玉に取られた悔しさは残るが、さすがは高久広美といったところである。
自らの欠点を逆手に取って、こんなことを仕掛けてくるとは。
転んでもただでは起きない、自分の師匠を苦々しい面持ちで睨んでいると――今度は後輩側から、元気な声が飛んでくる。
「だって湊先輩は、約束を守ってくれたんですよ!」
そう言ったのは同じく低音楽器である、バリトンサックスの
自分は彼女となにか、約束をしていただろうか。鍵太郎が首を傾げていると、朝実は目を輝かせて言ってくる。
「『いざとなったら、俺がなんとかする』って! それで本当にその通り、先輩はなんとかしてくれました!」
「あああああああっ!!??」
言った。
そういえば、そんなことも言った。
ただし、あのときはまた別の手段で、どうにかするつもりだったのだが。しかしそれでも結果的になんとかしてしまった以上、それが朝実にとっての真実になってしまったのだろう。
こちらの考えはともかくとして。鍵太郎が頭を抱えていると、後輩は得意げに胸をそらして言う。
「先輩のカッコイイ武勇伝は、もちろん言われた通りわたしが一年生みんなに伝えておきました! だから一年生は全員、湊先輩に票を入れたんですよ!」
「……入れました」
「なにしてくれてんだよ!? ねえ、なにしてくれてんだよっ!?」
朝実の後ろからこっそりと、彼女と同い年の
しかしそういえばその『なんとかする』発言も、自分から朝実に広めるように頼んでおいたのだった。
後輩たちを安心させるための手段だったとはいえ、今から考えればなんて迂闊な発言をしたのだろう。
振り返ってみればあの限界ギリギリの状況で恵那を守ったことだって、広美からすれば計算のうち、朝実から見れば約束を守る行動に見えたに違いない。
しかし、だからって。だからって。
音楽室の床にがっくりと膝をついていると、同い年の
「いいじゃない。湊くんが苦しみながらやってきたことは、絶対無駄じゃなかったんだよ」
「宝木さん……」
「ブ・チョ・オ!」
「ブ・チョ・オー!」
「おまえら他人事だと思って、笑って楽しんでんじゃねーぞ!?」
双子の越戸ゆかりとみのりが囃し立てるように言ってきたので、ほぼ反射的に文句が出た。
しかし二人の部長コールは止まらず、それどころか音楽室全体に広がっていく。
「あたしも湊が部長になってくれたら、いいなーって思うなあ」
「ブツクサ言ってないで。やりなさい、とっとと」
「えええ……」
浅沼涼子と
自分が――部長?
そんなの、できるはずがない。
歴代部長の顔を思い出して、ぶんぶんと首を振る。二人とも方向性は違えど、ともに部活をまとめ引っ張ってきた、偉大な先輩たちだ。
自分に彼女たちと同じことができるとは、到底思えない。
人前で話すのは苦手だし、他人に対して強くだって出られない。
今回なんとかそれができたのは、目の前で人が苦しんでいて、このままでは絶対にまずいという思いがあったからだ。
本来はやっている楽器と同じで、一番下にいたほうが性に合ってる。
それに楽器が上手い人間だったら、自分の他にいくらでもいるはずだ。
例えば鍵太郎が投票で名前を書いた、
副部長、千渡光莉。
そう書かれているのを眺めながら、彼女は心底理解できないといった調子でつぶやく。
「なんで……私なの?」
副部長を決める票は、鍵太郎のケースとは違い何人かの部員にバラけていた。
だがその中で、一番票が多かったのが光莉だ。
その理由を、広美がニヤニヤ笑いながら分析する。
「まあ、単純に考えればバランスを取った人事、ってことなんだろうね。
部長は湊っちでほぼ決まり。じゃあ副部長はどうするか――って考えたときに、咲ちゃんだと部の方針としては少し優しすぎちゃうし、涼子ちゃんだと湊っちが振り回されすぎるからね。
その点、千ちゃんなら湊っちとは別の立場からものを考えられるし、意見もできるでしょ。来年もまた金賞を取りたいけど、今年のコンクールみたいに荒れるのは嫌だ――今回はそんな、部員の心理が表れた投票だったんだと思うよ」
隣ちゃんっていう線もあったけど、彼女はまだ未知数だから票を入れにくかったのかねえ――そう言う先輩をよそに、鍵太郎は光莉に言う。
「おまえは別に、俺と違って役職に就いていい人間だと思うぞ」
「だって私……途中入部だし」
「は!? おまえ、そんなこと気にしてたのか!?」
「だ、だって……そうじゃないの?」
確かに振り返ってみれば、彼女は他の部員よりほんの少し遅く、一年生の四月末に正式入部していた。
だが遅れて入ったといっても、たった一ヶ月だ。
その前からも手伝い要員として演奏には参加しているし、二年の半ばまできた今となっては、もう今更という感じではある。
だから――
「そんなこと、みんなもう全然気にしてないぞ。おまえは最初っからとっくに、吹奏楽部の一員だったんだよ」
鍵太郎は光莉に、改めてそう言った。
彼女をここに連れてきたのは、まぎれもなく自分だったからだ。
ならばこの同い年のことは、最後まで責任を持たなければなるまい。困惑の表情を浮かべる光莉に、鍵太郎は笑って続ける。
「最初だけ少し遅れてきたのなんて、この一年半で全部吹き飛んでるよ。それだけのことを、おまえはしてきたんだから」
「う、うーん、でも……」
「だから千渡、俺と部長替わってくれないか。副部長だったらまあなんとか、やってもいいかなと――」
「な、なんでよ!? なんで替わってあげなきゃいけないのよ!?」
結局、それが本音なんじゃない!? と新副部長はあっさり見破ってきた。
さすがは自分と違う立場から意見ができるだろうと他から認められた存在である。光莉は顔を真っ赤にして、いつもの調子で食って掛かってくる。
「なんかいい感じの雰囲気で、ふわっときれいごと言ってんじゃないわよ!? あんたこそ多数決で選ばれたんだから、責任はちゃんと果たしなさいよね!?」
「そ、そんなこと言って、おまえだって結局やりたくないだけだろ!?」
「だっ、誰もそんなこと言ってないでしょ!? けど部長はやらないわよ!? でも副部長ならやっていいとか、べ、別にそういうことじゃないんだからね!?」
「おまえそれ、自分で墓穴掘ってんじゃ――」
「つべこべ言ってないで、決まったことを二人ともとっとと引き受けなさいッ!!」
『はい……ッ!?』
現部長・貝島優からの一喝に、二人は揃って震え上がってそう返事した。
なんだかんだあったものの、さすが一年間部長をやってきた先輩は貫禄が違う。
とはいえ、自分が果たしてあんな風にやれるのだろうか。そう不安に思っていると――優はため息をついて教壇から降り、言ってくる。
「私だって、そりゃあ最初はとっても不安でしたよ。でも、それだけじゃないと言ってくれたのは湊くん、あなたじゃないですか」
「で、でも……」
「ああ、もう、まどろっこしいッ!?」
そう言って部長は鍵太郎の腕を掴み、強制的に黒板の前へと押し上げた。
急に視界が変わって戸惑う鍵太郎に、ちっちゃい部長はこちらを見上げ、ビシッと指を突きつけてくる。
「習うより慣れろ、論より証拠です! というわけで湊くん、これから早速、学校祭の曲決めをやってもらいますからね! いいですね!?」
「い、いや、あの……」
「い・い・で・す・ね!?」
「は、はいぃ……」
迫力に押されて返事をしてしまった。そのことに優は「わかればよろしいのです」とうなずき、あっさりと回れ右をしてしまう。
「え、えーと……」
そして恐る恐る、音楽室を見渡してみれば。
そこには自分のことを、キラキラした目で見つめる部員たちの姿がある。
「ううっ……!?」
それは奇しくも、鍵太郎が初めてこの部活に来たときと同じ光景だった。
期待と不安、信頼と笑顔。
その重圧を知ってしまった今――ひょっとしたら、あのときより緊張していたかもしれない。
けれど――
「え、ええと……湊鍵太郎です」
あのときと同じというのなら。
そう思って鍵太郎はもう一度、ここで名乗りをあげることにした。
「ええと。部長とか、どうやればいいのかよくわからないんですけど……あの、なんていうか、その――。
……よろしく、お願いします」
『よろしくねー!!』
「う、は、ははは……」
そこで爆発するように返ってきた手荒い歓迎も、あのときとまた一緒で――
「――はい、じゃあこれから、学校祭の曲決めをやりますね」
なんだかちょっとだけ、なんとかなりそうな気がしてくるのだ。
それでもまだ嫌なものは嫌だが、しかしここに立たされてしまった以上はしょうがない。
そう考えて震える指でチョークを持ち――鍵太郎は黒板に『
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