第169話 終わりよければ全てよし
「実際、上手かったと思うけどなー」
と、楽器の片づけを終え、後は閉会式まで自由時間となったコンクールの会場で。
「袖で聞いてて、なんつーの? 集中力がすごかったというか。すげーな、って思った。ちょっと前におまえと電話したときは、大丈夫かなって思ったけど――全然、平気だったな。心配して損したよ」
「は、ははははは……」
平気どころか、その頃は部活が崩壊するんじゃないかというくらいの大変な状況だったのが――
まあ、こうして無事に本番を終えられたということは、いいことなのだろう。そう考えて、鍵太郎は冷や汗をダラダラ流しつつも先輩の言葉にうなずいた。
若干笑いが引きつっていたが、聡司は見逃してくれたらしい。
あるいは、こちらと同じことを考えていたのか。
終わりよければ全てよし、と。
なんだかんだあったが、あとはもう結果を待つだけだ。
鍵太郎自身も聡司の言うとおり、本番の演奏はそこまで悪くはない出来だったと思っている。まあ近くにいるバリトンサックスの後輩などは、そのぶっとい三つ編みをしょんぼりと垂らして落ち込んでいるようだが――なにしろ初心者で始めて、初めてのコンクールなのだ。その中であれだけ吹ければ、大したものだろう。
自分だって、去年はなんだかわからないまま、本番が終わってしまったのだから。
鍵太郎がそう思ったところで、天井にある会場のスピーカーからアナウンスが流れてくる。
『――高校生の部、B部門の閉会式並びに表彰式の準備を行います。部の代表者の方は、舞台袖に集合してください。繰り返します。高校生の部、B部門の――』
そろそろ、閉会式が始まるらしい。
部長と副部長でなくとも、こちらも客席に行かなければならない。天井から視線を戻すと、周りにいた人たちが、段々と動き始めていた。
そんな人の流れの中で、鍵太郎は聡司に訊く。
「先輩は、もう帰るんですか?」
「いや、ここまでいたらもう、最後まで付き合うわ」
よいしょ、とイスから立ち上がり、先輩は答える。
その返事に鍵太郎も笑って立ち上がって――ふと、そこで動きを止める。
「どうした?」
「あ、先輩は先に行っていてください」
こちらを不思議そうに見てくる聡司に、鍵太郎は手を振った。
最後まで、というのなら――
もう一人、いなくてはならない人がいることに気づいたからだ。
「俺、迎えに行かなきゃいけない人がいるんで」
今回の流れの裏側から、ずっと事態を見守ってきたあの人。
彼女はきっと――いつものように、あそこにいるだろうから。
###
鍵太郎がそこに辿り着くと、やはり一人で――
その先輩は、舞台を映したテレビの前に座っていた。
「やっぱり、ここにいた」
「――!?」
そう言うと、彼女は。
高久広美は。
意外なことに、とても驚いたように振り返ってきた。
「湊っち……なんで、ここに」
「なんでもなにもないですよ。先輩こそ、閉会式までこんなところで見るつもりだったんですか」
まるで予言者のように未来を読む彼女でも、さすがに自分がここに来ることまでは予想外だったらしい。
目を見開く広美に、そう言い返す。この先輩のこんな顔は初めて見たが――
しかしすぐに、彼女はいつもの少し皮肉げな、苦笑いのような表情を取り戻していた。
「座っていいですか」
「どうぞ」
閉会式まで、まだもう少し時間がある。
なので鍵太郎は、この第二の師匠ともいえる低音楽器の先輩と、話をしてみることにした。
まず、一番最初に訊きたかったのは――
「先輩は――いったいいつから、こうなるってわかってたんですか」
思い返してみれば、広美はいつも、全てを見透かしたような態度を取ってきた。
一度だけ大きく表舞台に顔を出したことはあったものの、それ以外は暴走する部長を諌めることもなく、ほとんど影の中からこちらに助言を出すだけだった。
でもそれは――こうなることが最初から、わかっていたからではないだろうか。
そう考える鍵太郎に、先輩は軽く答えてくる。
「んー。いつからっていったら、去年の学校祭が終わった後くらいからかなあ」
「ほとんど最初っからじゃないですか!?」
「何パターンか考えてたけど、そのうちのひとつになった、って感じかな。まあ、正直なことを言えば、もう二、三手先まで読んでるけどね」
「う、うわあ……」
聡司たちが引退した去年の秋には、既にここまでのことが予想できていたというのか。
今の部長が暴走し、それを見かねた自分がいろんな人に意見を聞いて。
周囲を巻き込んで反乱を起こし、争いを終結させてここに至るまで――
全部の流れを。鍵太郎が信じられない気持ちで広美を見ていると、先輩はダルそうな声で、少し解説してくる。
「優やまやかの性格に、そこから導き出されるであろう、後輩たちの反応。そういうのを頭に入れて、状況を複合的に考えていけば――そう難しい未来予測でもないでしょ」
「え、ええと……そうですかね?」
わかってはいたが、並外れてスペックが高い。
そういえば今の部長とも張り合えるくらい、技術的にも精神的にも卓越している彼女だ。
というか、一つ何かが違えば広美が部長になっていた可能性すらあるわけで――
全部が終わった今だからこそ、その、『
そんな世界線がありえたのなら、今ごろどうなっていただろうか。そう言うと、先輩は嫌そうに顔をしかめて言ってくる。
「馬鹿言うんじゃないよ。あたしが部長になっても、ロクなことにはならなかったさ。そういう意味では、やっぱり部長は優でよかったんだよ」
「……そうなんですか?」
てっきり、自分ならああした、こうした、と言うのかと思っていたので、鍵太郎は首を傾げた。
広美くらい先のことが見通せる人が部長になれば、きっとこの半年は、まるで違うものになっていたはずだ。
なのになぜ、彼女はこれまでそうしようとしなかったのか。
今までそんなことを訊く余裕もなかったので、尋ねることはしなかったが――ここに来て、ようやくその理由を知ることができる。
広美の返答を待っていると――彼女は周りに対してというより、自分に言い聞かせるような調子でもって、鍵太郎の問いに答えてきた。
「あたしはね、湊っち――こうして一歩引くことでしか、力を発揮できないんだよ」
それは、どういうことなのか――
鍵太郎が目で訴えると、先輩はため息をついて、目の前にあるテレビを指差す。
「ドラマを見ているのと一緒でさ。ある程度の情報が入ると、それから後の現実の筋書きが、なんとなく読めちゃうんだよね。昔っから、そうなんだけど」
言われて鍵太郎も、その画面を見れば――そこには今も、会場の中の様子が映し出されている。
それを無感動に眺めながら、彼女は言った。
「自分はその場にいない。いつも状況を冷静に客観的に見て、場の流れを読んでる。蚊帳の外にいるからこそ、全てが見えるんだ」
全部を見るのなら、物事の中心にはいられない。
いつもいつも、コンクールの様子をここで見ていた先輩は――
「場の流れを一時的に、意図した方向に持っていくことはできるよ。番組宛の読者投稿のメールなり、つぶやきなんかを送るような形でさ――でも、あたしには『中心』に居続けるだけの力はないんだ。
その力を持っていたのは、やっぱり優。そういう意味では、あたしはあいつを尊敬してると言ってもいい」
全てが見えるのと引き換えに、その未来に関わり続けることができなくなっていた。
考えてみれば、『未来視』を『武器』とした彼女の弱点は、反転させてみればありありとわかる。
彼女は関わらなかったのではない。
『関われなかった』のだ。
物事を正確に見続けるためには、決して画面の中に入ってはならなかった。
例えどんなに先が見えて歯がゆくても、どんな手段を取ればいいかがわかっていても――行ってしまえばその途端に、全部が見えなくなるのを知っていたから。
だから、こちらにヒントを送り続けるような形でしか、今回の件に関与することができなかった。
だから――最後まで、ここから動くこともできなかった。
舞台の外で、ここに来た弟子を送り出すための言葉を、彼女は紡ぐ。
「いいかい湊っち。あたしみたいになれとは言わない。けど、先を考えておくことは、これから絶対に必要だよ。そのときは前にも言ったように――バンドの中では一番クールになりなさい。それだけは覚えておきな」
未来を読むのなら。
どこかで、それを頭に入れておきなさい――そう言う師匠を、鍵太郎は見返した。
「……先輩」
だが、そんな彼女の助言に、初めて違和感を覚えて。
鍵太郎は先輩に――ひとつ、言い返すことにした。
「未来は、読むものじゃないと思います」
高久広美は、自分が『そこ』にいる未来を見られなかった。
けれど――そんなものは、自分が変えてしまえばいいと思ったのだ。
本番の演奏で一瞬だけ垣間見えた、あの『女神』の姿を思い出しながら――
鍵太郎は先輩に、笑って言う。
「未来は――作るものだと思います」
限りあるものを奪い合うのではなく。
自分たちはみなで、新しいものを作り出せるのだと。
そこに至るための道程は、この人に教えてもらったのだから。
そんな自分を、広美はあっけに取られた顔で見つめていたが――
やがて、これ以上愉快なこともない、といった調子で大笑いし始めた。
「――こりゃ、まいったね。バカ弟子よ、おまえに教えることは、もうなにもないよ」
「読みの迅さに頼り過ぎなんですよ、お師匠は」
「それは使い方が逆でしょうが。まったく」
なってないねえ――とニヤリと笑う師匠に向かって、鍵太郎は言う。
「さあ、そろそろ閉会式の時間ですよ先輩。中に入りましょう」
「はいはい。やーれやれ、もう少し、しんどい時間は続きそうだ」
「まったくです」
結果がどう転んでも、彼女との楽しい時間は、まだもう少しだけ続いていく。
そう思って鍵太郎が会場への扉を開けようとすると――後ろから、広美の声が聞こえてきた。
「ありがとう、湊っち」
あたしを迎えに来てくれて、ありがとう――
そう言う彼女の声は、わずかに震えていたような気がしたが。
鍵太郎は少しだけうなずいて――振り向かずに、扉を開けることにした。
###
閉会式前の客席は、相も変わらず賞の結果を待ちわびる声で騒がしい。
当然だ。自分たちがこれまで努力してきたことが、合っていたか間違っていたかを言い渡されるところなのだから。
不安と緊張、自信と高揚。
それらが高密度に入り混じっていて――
しかしそんな中で大会の主催である、県の吹奏楽連盟の理事長の挨拶が始まる。
『――私たちは、吹奏楽を通した人格形成を目的に――』
舞台の上でそんな言葉を発する初老の男性を、鍵太郎は複雑な気持ちで見つめた。
人格形成、とは言うが――その言葉とは裏腹に、今はほとんどの人間が、その挨拶を聞き流しているように感じられたからだ。
雰囲気としては校長先生の朝礼の挨拶に近い。
それよりも、これから言い渡される結果が気になって仕方ない、大半がそういった調子だ。
ただ――それでもその人は、ここにいる人間に向かって、言葉を発し続ける。
『――あなたたちがこれまでがんばってきたことの全てが、今日のこの演奏に出たのだと思います。これから結果は言われますが、それがよかったことでもよくなかったことでも、それぞれ心の中に受け止めて――また明日からの部活を、がんばってください。
では、結果発表に移ります』
その言葉と同時に――わあっと、会場中から声があがった。
待ちわびた、といったところか。まあ、結果を早く知りたいのは、こちらだって一緒だ。それを責めるつもりは毛頭ない。
ただ――偉い人の中にもああいうことを言ってくれる人がいるんだな、ということが、鍵太郎の印象に強く残った。
ありがとう、と挨拶を終えて戻るその人に心中で言う。あなたの言葉は、俺が聞いていました。
これからどうすればいいのかはよくわからないけど、これでまた少し、がんばれそうです。
そう思っていると――受賞学校のためのトロフィーが準備されるのが、目に入ってくる。いよいよ表彰式だ。
用意されたトロフィーの大きさは三種類あり、それぞれ金賞、銀賞、銅賞となっている。
もちろん金賞のものの数は、圧倒的に少ない。賞状の内容とともに結果が言い渡されるのを、鍵太郎は、固唾を呑んで見守っていた。
金賞と銀賞は聞き取りづらいので、金賞の場合は頭に『ゴールド』と付けられるのが慣例になっている。
そのルール通りに演奏順に結果が言い渡され、爆発するような歓声や、凍りついたような沈黙が流れていた。
その間にも小さい部長と静かな面持ちの副部長の姿が、どんどんトロフィーの置かれた台に近づいていく。
自分の心臓が本番の時以上にバクバクいっているのを、鍵太郎は渋面で聞いていた。声も音も出せないだけに余計に、その鼓動は強くなっていく。
そして――
その緊張は、その名前が告げられたときに、頂点に達した。
『――十四番、川連第二高校吹奏楽部』
来た。
マイクの前に部長と副部長が立つのを、鍵太郎は息を凝らして見つめていた。
校名が告げられてから賞が言い渡されるまで、そこまで間もないはずなのだが――
自分の学校になると、やたらとその瞬間が長く感じられる。
そして――
『――ゴールド、金賞』
その結果が告げられた瞬間――
鍵太郎の周りで、感情の爆発が起こっていた。
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