第161話 廻り出す歯車
「――と、いうわけで、みなさんどうすればいいと思いますか。意見を聞かせてください」
様々な波乱があった吹奏楽コンクール、県予選会の翌日。
部長の
予選は突破したものの、その内容はよくなかった。
それを踏まえて、本選に向けてどうするかを決めるための、これは重要な会議となるはずだったのだが――優の問いに部員たちは、戸惑ったように押し黙るだけだった。
三十人近い沈黙を前に、ちっちゃい部長は目に涙をため、こちらを見る。
「ううー……湊くんの、うそつき……」
「ちょ、先輩! 先輩!? 言い方! 言い方!!」
そんな小さな部長に、
確かに鍵太郎はきのうのこの先輩に、「楽しささえ見失わなければ、もう部活はバラバラにはならない」と言いはしたのだが。
しかし今までの経緯が経緯だけに、そうすんなりと部員たちが部長の呼びかけに応えるとも思えなかった。ここ三ヶ月ほどの彼女の厳しい態度は、主に後輩たちとの間に非常に深い溝を生み出している。
それを解決しないと会議で意見なんて、とてもとても出てこない。
意見なんて言った途端に叩き潰されるのがオチ、という雰囲気すら、今は漂っているのだ。
まずは、優の信頼を取り戻すのが先だ。
しかしその部長があまりにも単刀直入すぎて、鍵太郎は頭を抱えた。真面目で職人肌なのはいいが、できればもうちょっとこう、ストレートだけじゃなくて変化球も覚えたほうがいいんじゃないか、と思う。
すると、そんなやり取りの横から声があがる。
すらすらと述べてくるのは、副部長の関堀まやかだ。
「順当に考えるなら、まずは予選の結果から対応策を練るのがいいんじゃないかしら。審査員の講評用紙に書かれていたことを元に、どうすればいいか考えればいいでしょう」
「そうですね。ではそれを参考に――」
「ちょっと待てい、あんたらっ!?」
部長と副部長だけで話が進みそうになって、鍵太郎は思わず二人に突っ込んだ。
それでは全く解決になっていない。
「ち・が・う・でしょう二人とも!? そこはみんなで話し合うんでしょう!? なんでそういうことになっちゃうんですか!?」
「いや、だって他の意見は出てきませんし、まやかの言うことはもっともですし」
「他の意見が出てこないのは、あんたらがそういう態度だからじゃーッ!?」
きょとんとする優とまやかに、鍵太郎は心の底からの叫び声をあげた。なるほど今までこの部活、こんな調子で回ったのか。そりゃあこんな事態にもなるわけだ。
敗北を経てこの二人も多少変わったかと思ったが、やはりまだそう簡単にはいかないらしい。
息を切らしている鍵太郎に、バスクラリネットの三年生、高久広美が言う。
「まあ、ナニよね。この二人、大抵のことは自分たちでなんとかしてきちゃったから、他の人に頼るって選択肢がそもそも浮かんでこないのよね」
「上手いがゆえの弊害ってことですか……」
いつものように冷静に現状を分析する広美に、鍵太郎は半眼でそう答えた。確かに優とまやかは、この部で一、二を争うほどの腕の持ち主だ。考え方にムダがなく、技術面では突出している。
だが、そんな彼女たちだからこそ――いつの間にかできない人間を置き去りにして、それに気づかない、という面があるのもまた事実だった。
きのうバリトンサックスの後輩が、「部長は上手いから、できない人の気持ちがわからない」とも言っていたが。それもまた、見方を変えれば正しい意見ではあったのだ。
ただどちらも正しいと言っても、バラバラのままでは意味がない。
ただでさえ予選の講評用紙には『音がそろってない』と書かれた自分たちなのだ。
音は心、心は人――自分たちの歩んできた道が、そのまま本番の演奏に出るというのなら。
まずはこの状況を変えていかなければならないはずだ。鍵太郎がそう言うと、演奏と絡めたことが効いたのだろう。
優が「ふむ」とあごに手を当てる。
「なるほど。それならもう少し、時間を取ってみんなで考えてみましょう」
「わ、わかってくれたようでよかったです……」
「では、端から順番に、全員ひとりひとつずつ意見を言っていってください」
「ぜんっぜんわかってなかったよ!? むしろさらにひどくなったぞこのちびっこ鬼軍曹め!?」
先輩がこちらが出したサインを勘違いして暴投してくるので、鍵太郎は再び頭を抱えた。まあ、聞く耳を持ってくれるだけまだマシになったのかもしれないが、群衆の中にいきなり剛速球を投げ込むのはやめてほしい。
バットもグラブも持っていない人間に、いきなりボールを投げたところでパニックになるだけである。
なので鍵太郎は必死になって部長の投げた球を追いかけ、投げ返す。
「そうじゃないでしょぉぉぉ! もうちょっと、考える時間をくださいよ!? みんながみんな、先輩みたいに考えられてるわけじゃないんですよ!?」
「はあ。そうなんですか」
「そうなんですよっ!? 自分の基準と他人の基準を混同して考えるなああああ!?」
いまいちピンときていない様子の優に、そう叫ぶ。いろんな楽器があって、いろんな人間がいる。鍵太郎にはそれが、この半年でよくわかっていた。
わかっていたが故に、こうしてとっ散らかる球をダッシュで拾いにいく羽目になっているとも言えるのだが――まあ、そうしないと会議が成立しないのでしょうがない。
すると、さすがにこの状況を見かねたのだろう。
広美が苦笑いしながら、自分の意見を述べてくる。
「まあ、講評用紙見るのもそうだけどさ。その前に、まずは自分たちの予選の演奏を聞いてみたいなーって、あたしは思うんだよね」
「む……」
「実際の演奏を聞けば、ただこれからについて漠然と考えるより、具体的にどうするかが考えやすいしっしょ。だからとりあえずは反省会ってことで、聞いてみればいいんじゃないかな」
「む、むむむ……っ!?」
「ちょ、先輩、先輩っ!? 今回は別に、先輩を騙そうとかそういうんじゃないですから!? ね!? ね!?」
一週間前に自分を罠にはめた人間からの提案に、優がうなり声をあげて警戒し始める。無理もないことだとは思うが、しかしこの師匠もこの師匠で、人間的に問題があるからこうなるんじゃないかとも鍵太郎は密かに思った。
元々仲がいいとは言えなかった二人ではあるが、今回の件を経てさらにこじれた感がある。
しかしまあ、こうやって身内同士の争いを超えてきた以上――もう協力するしか道はないわけで。
「貝島先輩、貝島先輩!? 俺も予選の演奏聞きたいなあ!? その方がきっと、実になる意見を言えるんじゃないかなーって、すごく思うなあ!?」
「……わかりました。聞いてみましょう」
状況を悟ったのか、広美越しに全力で合図を送ったのが伝わったのか――部長は不承不承といった様子ながらも、一応納得はしてくれたようだった。とりあえずそのことに、ほっと一息つく。
会議冒頭から既にボロボロではあるが、ひとまずこれで、なんとか滑り出しである。
###
そして、本番の演奏の再生が終わって――
「……全体的に、ちょっと焦り気味のテンポですねえ」
打楽器担当の部長は、そうぽつりとつぶやいた。低音楽器担当の鍵太郎も、テンポに関しては同意見だ。
吹いているときも思ったが、全部が根付かないまま演奏が流れていってしまっているように聞こえる。
安定していない心情が、如実に出ているのだ――鍵太郎がそう思っていると、優は腕組みをして続けてきた。
「打楽器の分離に関しては、録音ではよくわかりませんが……。でも、予選は通っているだけあって、そこまで吹けていないわけではないようにも思えます。これでそろっていないというのは、いったいどういうことなんでしょうか……?」
「……心がひとつになってないからじゃないですか」
そんな部長に向かって、鍵太郎はボソリと言った。わりと本気で言ったのだが、優はそうは思わなかったらしい。
「いえ、もっと物理的で、技術的な問題があるはずです」とあっさりと言ってくる。
「精神論も結構ですが、それだけでうまくいくならこんなに苦労はしません。心うんぬんではなく、もっとわかりやすい形の、なにか。それが分かれば、だいぶ違うのでしょうが――」
うーん、とそこで部長はいったん言葉を切り、考え込んだ。
そして、おもむろに顔を上げ、彼女は近くにいた部員に問う。
「あなたは、どう思いますか?」
『……ッ!?』
その部員――一年生の
部長が話を持ちかけたことで、恵那自身はもちろん、周りの人間も息を呑んだ。
一週間前に優が恵那を怒鳴ったことは、部員全員が目撃している。
あれがまさに、今の部活の構造を端的に表した事件だったのだ。
それだけにまたあんなことにならないかと、鍵太郎は注意深く二人を交互に見やった。どれだけ真っ直ぐなんだこの部長、と冷や汗をかきつつ思う。
恵那は、やはり怯えていた。
しかし優はいつものように真剣な眼差しで、後輩に言ってくる。
「どうでしょう。あなたも今の演奏を聞いたなら、流石になにか思ったことがあるはずです」
「……っ。……!?」
「考える時間はありました。全体のことでなくても構いません。自分の楽器のことだけでも――」
「……っ!?」
「……ふむ」
そこで、このままでは会話にならないことに気づいたのだろう。
優がそこで言葉を切って、怯え続ける恵那に対して小さく首を傾げた。
ここで以前のように、話にならないと切って捨てるつもりなのか――と全員が思ったとき。
部長はため息をついて、「……なるほど。そういうことですか」とつぶやいた。
「自分の基準と他人の基準を混同しない、ということは――そうですね、私は肝心なことを忘れていました」
「あ、あの……先輩?」
なにを――と鍵太郎が言いいかけると。
部長は、後輩の前で頭を下げた。
「あそこまでやってしまったのは、本当に申し訳なかったです」
「……」
恵那はあっけにとられた表情で、目の前の先輩を見ている。
そんな彼女に向かって、優は続けた。
「金賞を取るためとはいえ、さすがに私は焦りすぎました。きついことを言ってしまったと思います。それは、謝ります」
「……え、あの……」
「曲を演奏するのは、私だけではない。今回の結果でそれは、骨身にしみてわかりました。それならば――やはり私は、こうするしかないんです」
『……』
固唾を呑んで見守る部員たちの前で。
それでも部長は、真っ直ぐにストレートを投げる。
「どうか、お願いします。あなたの力を、私に貸してください」
『……』
今までの優だったら、絶対出てこない言動に。
目の前にいる恵那は目を白黒させ、鍵太郎以下ほぼ全員も、頭を下げ続ける部長を呆然と見つめていた。
そしてそのままの体勢で、部長は言う。
「金賞を取るには、どうしてもみなさんの協力が必要なのです。ですからなにか――思ったことがあれば言ってください。お願いします」
「え、あの……」
「――なにかありますか?」
「ひっ……!?」
そこで急に優が顔を上げてきて、恵那はびくりと身体をすくませた。
ある意味、一週間前と同じ光景がそこにある。
逃げ場など、もうどこにもなく。
目の前にはただ、こちらをじっと見つめる部長がいるだけ。
そんな状況と――さらに周囲が手を出せずに沈黙していることに、なにかしゃべらなければと思ったのだろう。
恵那は自分でもなにを言っているのかわかっていないような調子で、「あ、あの……っ!?」と口を開いた。
「ぶ、
「『
「
「……」
「おいおい……」
追い詰められて思ったことをそのまま言ってみた――そんな雰囲気だったが。
後輩のことを、鍵太郎は驚きをもって見つめていた。彼女が言った内容は、少し前に鍵太郎たち二年生が、数人がかりで話し合って出した結論でもあったのだ。
単なる偶然だったとしても、それでもこの局面で彼女がひとりでそれを言ってのけたことは、素直に賞賛に値する。
曲のイメージを語ったときもそうだったが――この後輩は気が弱いだけで、考えていること自体は決して間違っていない。
そして、それがわかったのだろう。
部長は得心がいった顔で、後輩の返答に「
「音を出す前に、その準備である呼吸をそろえる――確かに打楽器奏者としては、意外に見落としやすい技術的な部分です。他の楽器の視点から多角的に考えることが、演奏全体の向上につながる。なるほど、なるほど――」
「せ、先輩、あの……?」
なにやら真面目な部長がぶつぶつとこれからのことを考え初めたので、鍵太郎は若干引きつつそう声をかけた。真剣なのはいいのだが、なにしろ独り言なので傍から見ると少し怖い。
あれ、大丈夫だろうかこれ――と、心配していると。
優はがばりと顔を上げ、部員全員に向けて言ってくる。
「では、他に意見はありませんか!? ここからなにを直していけばいいか、全部私に言ってください。なんでも結構です!!」
「う、うおお?」
またもや部長が力いっぱい球を放り投げてきたので、鍵太郎は慌てて周囲を見回した。今のはたまたまうまくいったが、なにしろこれまでの雰囲気が雰囲気なのだ。
いったいどうなることかと思ったが――
今度は、会議が始まったときのような敵対心含みの緊張感は、少し薄らいでいるように感じられた。
部員たちは顔を見合わせて、けれどわずかながらもさざめき合うようにして、意見を交わしている。
部長が、後輩の意見を素直に取り入れたということ。
そしてなにより彼女が謝罪という形で、その真っ直ぐな姿勢を示したことが――今まで両者の間にあった溝を、ほんの少しではあるが埋める結果になったのだ。
なにかが、変わりだしている。
その手応えに、鍵太郎が思わず笑顔で部長を振り返ると――
「うう……結局なんの返答もないです……。うそつき、湊くんのうそつき……!?」
「ちょっ……ちょっと待って、ちょっと待ってください先輩!?」
ちっちゃい部長は少し前に見たのと同じ表情で、目に涙をためてこちらを見ていた。
これはまだガンガンに意見が交わされるとかそんな状況ではなくて、それに至るための準備段階なのだ――そう鍵太郎が言おうとしたとき。
さらに横合いから、広美のニヤニヤ声が飛んでくる。
「まあ、いきなり個別に意見言えって言っても難しいからさー。ここはパート別に話し合って、パートリーダーが発表ってことでいいんじゃないの?」
「む、むむむむ……っ!?」
「貝島先輩、もう大丈夫ですから!? 高久先輩も、わざと煽るような言い方しないの!?」
またしても先輩同士の言い合いが始まって、そこに鍵太郎は必死に割って入った。
そんな風に、やはりまだ――あっちこっちに飛んでいくボールを、ダッシュで追いかける日々は続きそうではあるが。
「ああもう――こうなりゃとことん付き合ってやるぞ、こんちくしょうめ!?」
だがやはり、もう協力し合うしか道は残されていない。
吹奏楽コンクール、県大会本選まであと三週間弱。
間に合うかどうかは、かなり微妙な時間ではあるが――かみ合わなかった歯車は、ここにようやく動き始めていた。
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