第12幕 セントエルモの火

第160話 全ての始まり、全ての根底

「……これからどうしたいと言われても、自分でもよくわかりません」


 湊鍵太郎みなとけんたろうの問いに、部長の貝島優かいじまゆうはそう答えた。

 吹奏楽コンクール、県大会予選での波乱を経たその直後。

 予選は通過したものの、講評の内容はよくなかった。それを踏まえて、鍵太郎は部長にこれからどうしたいかを尋ねたのだが――

 生真面目な先輩は、戸惑った様子でそう答えることしかできないようだった。


「今までずっと、金賞を取ることしか考えてきませんでした。部長になってからは、なおさらです……」

「うーん。まあ、先輩らしいっちゃ先輩らしい答えですよねえ」


 肩を落としてうつむくちっちゃい部長に、鍵太郎はだよなあと思いつつそう応えた。確かにここでスッとそれが言えるようなら、最初からこんなことにはなってないのだ。

 今まで自覚していなかった部分を指摘されて、すぐにそれをどうにかできる人間の方が少ない。

 ならばせめてその手助けになるようにと、鍵太郎は今度は違う角度から再び、優に質問してみる。


「じゃあ先輩は、なんで金賞取りたいって思ったんですか?」

「なんで、って」


 少し前なら「金賞を取りたいと思うのは当たり前だろ!」などと、あのトランペットの同い年のようなことを言われるところではあったが。

 だが傷心中の部長に、そこまでの威勢のよさはない。

 なので彼女は少し考えて、首を傾げながら答えてくる。


「……目指さなきゃいけないところだからです」

「なんで、目指さなきゃいけないと思ったんですか?」

「それは……奏者として上手くなろうと思うのは当然だと思うので」

「うーん。じゃあ、どうして上手くなりたいと思ったんですか?」

「……えー、と」


 自分がなんのために吹くのか考えたほうがいいと言ったのは、選抜バンドで出会った、あの気弱なチューバ吹きだったが。

 根本的といえば根本的な問いではある。だが部長は意外なことに、困ったように考え込んだ。

 鍵太郎としても別に、彼女の思いを否定したくてこんなことを訊いているわけではない。今よりよくなりたいという志はもちろん、歓迎されるべきものだと思っている。

 だからこの問いはむしろ、そんな優の思いを補強するためのもので――しかし考えた末に部長は、「……わかりません」と答えるだけだった。


「でも、やらなきゃって思ったんです。私が目指す方向はそっちで、それ以外はありえない。私は部長ですし、部としても成功するには金賞を取るしかないと――」

「あー、はい。えーと。わかりました」


 その先は嫌と言うほど思い知っているので、鍵太郎はそこで先輩にストップをかけた。ここ一週間の彼女のスパルタ教育は、部の雰囲気をこれでもかというくらいに澱ませている。

 そこまでして部長が上達を望む理由がわかれば、少しは違うと思ったのだが――真面目で責任感が強いが故に立場と向上心にがんじがらめになっている今の彼女は、その部分が素直に出せないようだった。


「うーん、どうしたもんかなあ……」


 うなりつつ、首を傾げる。

 例えばクリスマス前のあのとき、買ってもらったチャイムを前に子どものように遊んでいた優は、とても素直な感じだった。

 あのときの気持ちをもう一度、彼女自身にも思い出してもらいたいのだが――


「――あ」

「え?」

「お?」


 と、考えたときに。

 優と同じ打楽器パートの双子の姉妹が目に入ってきて、鍵太郎はこの二人ともある約束をしたことを思い出していた。

 そう、それはやはり半年以上前。

 クリスマスコンサートの練習で、この部長とも交わした約束――


「先輩、デートしましょう」

「はあ!?」

「間違えました。四人でデートしましょう」

「どっちにしろおかしいでしょう!?」


 ああしまった、ついあのときと同じことを口走ってしまった。

 ドン引きしている小動物っぽい先輩に向かって、怖くないよーと手を動かす。そんなやり取りでさえあのときと同じで、ある意味自分たちは、あれからずっと変わっていないのかもしれない。

 けれど、そこが全ての始まりで――

 全ての根幹なのだとしたら。


「ええと。違うんです。先輩」


 むしろそれでいいんじゃないかと、思ったりもするのだ。


「とりあえず、予選は通過した打ち上げということで――みんなで、太鼓の達人をやりにいきませんか?」



###



「……はあ。『太鼓の達人』ですか」


 学校に戻って楽器をしまって、それから随分と遅くなってしまったものの。

 鍵太郎と優、そして優と同じく打楽器担当である越戸ゆかりとみのりの双子姉妹は、学校近くのゲームセンターに遊びに来ていた。

 目の前にあるのは今ほど優も口にしたあの音楽ゲーム、『太鼓の達人』だ。

 画面に表示される指示に従って、備え付けのバチで太鼓を叩くおなじみのゲーム。

 かつて卒業した打楽器の先輩と一緒にこれで遊んだことのある鍵太郎は、懐かしい気持ちでそのときのことを思い出していた。

 越戸姉妹は、さすが打楽器担当だけあって何度もやっているらしい。慣れた手つきで筐体を操作しにかかる。

 だが優は、当惑した様子でその場に立ち尽くしていた。


「ええと……実はこれ、やったことがありません」

『えええぇぇっ!?』


 衝撃の返答に鍵太郎と、ゆかりとみのりが一斉に声をあげた。

 そんな後輩たちのリアクションに、部長は「だ、だって」と後ずさる。


「こんなとこで遊んでるくらいなら、練習したほうがいいって思いますもん……。ゲーセン自体もあんまり来たことないですし、落ち着かないです……」

「……っはー。真面目だねー。人生の半分を損してるよ」

「遊びが人生を豊かにするんだよ」

「……おまえらはもうちょっと、真面目にやったほうがいいと思うんだけどな。俺は」


 途端に先輩相手に上から目線になった二人に、小声で鍵太郎は突っ込んだ。しかしまあ、今回は彼女たちの得意フィールドなのだ。任せたほうがいいだろう。

 そう思ってゆかりとみのりが優を引っ張っていく様を、後ろから見守る。

 いつも使うものより太いバチを不思議そうに見ている先輩に、二人がルールの説明をした。


「……ふむふむ。面やフチを叩くんですね。わかりました」

「とりあえずまあ、やってみればいいと思いますよー」

「難易度設定はどうしましょっか」

「『むずかしい』でいいです」

「え、大丈夫ですか?」


 即座に言い切った部長に、鍵太郎は声をあげた。優の腕は重々承知しているが、なにしろ初めてやるものなのだ。

 順当にいけば『かんたん』、それかまあ『ふつう』から始めた方がいいのではないか。

 そんな風に、こちらとしては心配して言ったつもりだったのだが――部長はむしろ挑発と取ったらしい。

 沈んだ調子だった彼女の瞳に、再び闘志の炎が宿る。


「大丈夫です。テンポキープと正確性には自信があります」

「いや、そうは言いますけど」


 これ、演奏とはちょっと勝手が違うらしくて――と、鍵太郎が言おうとしたとき。

 ゆかりとみのりが画面を指差した。


「あ、先輩先輩! 始まっちゃいますよ!」

「画面見て画面!」

「よし。どっからでもかかってきなさい!」

「だ、大丈夫かなあ……」


 自信満々の部長の後ろ姿と、はやし立てる双子の姉妹を見守りながらも。

 鍵太郎は頰をかき、一筋の汗を流していた。



###



 結論から言うと――


「ちょ、今のはジャストタイミングだったではないですか! なんで『可』なんですか!」


 とか。


「え、ちょ……っ。こんな叩き方をする譜面ないですよっ!! なんですかこれ、なんですかこれーっ!!」


 とか。


「連打でしか点数稼げないっ、連打でしか点数稼げないっ! もう一回っ! もう一回ですーっ!!」


 ……とか。


 そんな風に部長が叫びまくることになったのだが、それはそれで楽しそうだったので、まあよしとした。


「……つ、つかれました。ちょっと休憩……」

「は、ははは……」


 ほうほうの体で戻ってきた優を、鍵太郎は引きつり笑いで出迎える。負けず嫌いなのは知っていたが、まさかここまでエキサイトするとは思わなかった。

 なので一応、フォローのために言っておく。


「前に滝田先輩が言ってましたよ。『打楽器やってるからって、このゲームできるとは限らない』って」

「……そうですか。あの人が」


 卒業した先輩の言葉に、部長は複雑な顔をした。

 あの人たちの真似はできないと、あえてその先輩たちとは違うやり方を選択した優だ。

 そのやり方が上手くいかなかった以上、やはり思うところはあるだろう。

 近くの自動販売機でオレンジジュースを買い、二人並んで飲む。よほど喉が渇いていたらしい。中身を一気に飲み干し、一息ついてから――

 優はうつむき気味に、ぽつりとつぶやいた。


「……私は、間違っていたのでしょうか」

「うーん……。どうでしょうかねえ」


 合ってるか間違っているかで訊かれれば、結果的には間違いだった、と言えるのかもしれない。

 ただ、この場面で彼女をそう一刀両断するのも、気が引けるなと鍵太郎は思っていた。今回はこういうことになったものの、あの厳しさが一概に悪いとは言い切れないことも、この半年でわかっていたからだ。


「宮園とか、富士見が丘とか……大きいところはまあ、それでもよかったのかもしれません」


 それ目当てに学校に入るような経験者が大勢いる強豪校なら、まだできる余地もあっただろう。

 ただ自分たちの周りは、そうではなかった。

 なにを犠牲にしても手に入れたいものがある、と言い切った、あの人の学校のようにはなれなかった。

 けれど――それでも、なにかを犠牲に金賞を取る気には、どうしてもなれなかったのだ。


「俺は別に楽しくやれればそれでいいとか、そういうことを言いたいわけじゃないんです。やるからには上手くやりたいし、できるなら金賞を取りたいと思ってます。それでいいんだろうし、そこは先輩は正しいんだと思います。

 けど――そのために絞めつけたのは、『俺たちには合ってなかった』。どっちがいいとか悪いとかじゃなくて……そういうことなんだと思います」

「……そうですか」


 鍵太郎の返答に優は、それだけ言って再び沈黙した。

 しばらくの間、ゲームセンターの騒々しい音だけが鳴り響く。

 だが、その時間で考えをまとめていたのだろう。

 ややあって優は口を開いた。


「……楽しかった。こんなに楽しいのは久しぶりでした。ずいぶん――長いこと、そうだった気がします」

「……先輩」

「……私は少し、余裕をなくしてたのかもしれません。それは、なんとなくわかりました。最近は演奏をなんとかしなきゃなんとかしなきゃって、ずっと焦ってたものですから……他の人のことが目に入ってなかったんでしょう。それは、申し訳ないと思います」

「……はい」

「……でも、これからどうすればいいのでしょう」


 ため息とともに、彼女はそんな本音をちらりと覗かせた。

 少し落ち着きはしたものの、部長として強い責任感を持っている優だ。

 予選の内容についてはショックだったろうし、この結果を受けて、これから本選までどうやっていくかについては不安もあるだろう。

 楽しくやりたい。

 それはわかるのだが――それだけではどうにもならないことは、彼女自身もよく知っている。


「好き勝手にやるのと、楽しくやるのは違います。ここで私が握ってたものを、全部放り投げてしまったら――それはそれでしっちゃかめっちゃかになってしまうと思うんです。でもそうしたら、それ以外にどうすればいいのか――」

「先輩。先輩」


 ぶつぶつと悩み始めた優に、鍵太郎は声をかけた。例の『作戦』のことを話してもいいかと思ったのだが、今はそれよりも目の前に、見せたいものがあったからだ。


「ほらアレ見てください。アレ」

「……?」


 怪訝な顔で、部長は鍵太郎の指差した方向を見た。

 そこにはゆかりとみのりが、一緒に太鼓の達人で遊んでいる光景がある。


「あの子たち……」


 しかしそれを見て、優は言葉を失った。

 二人の動きが、信じられないくらいきれいに揃っているのだ。


「前から二人でやってるって、話には聞いてたんですけどね。慣れてるのもあるんでしょうけど……それ以上に、やっぱり見てて、楽しそうですよね。つーか本当に、ちょっとキモいくらい揃ってんな、あいつらの動き」

「あれは……すごいですね」


 部長も認めるくらいのそれは、本当に『息がぴったり』で――

 お互いがお互いを動かして、それ以上のものになっているような、そんな感じだった。

 普段から二人セットで騒々しく絡んでくる、あの双子姉妹の様子を思い出し、鍵太郎は苦笑いする。


「あいつらは、一人一人だとたぶんそんなに上手くないんです。けど、ああなったときはもう、誰も手がつけられないんですよ」


 事実、今もかなり調子がいいようだった。

 今日の本番で疲れているだろうに、そんなことは微塵も感じさせない軽やかなバチ捌きだ。

 だが、決して適当に叩いているわけではなく――それこそ、あの先輩が言っていたように『リズムに乗って』叩いている。

 正確で淀みなく、なにより楽しそうに。

 気がつけば見入ってしまうくらい、その動きは魅力に溢れていた。

 どん! と最後の音符を二人で叩くと、曲が終わって。

 その次に出た結果は――


「はい、クリアー!」

「フルコンボだどーん!」

「あーあー。やっぱすげえなおまえら」


 これに関しては、逆立ちしても彼女たちには敵わない。

 得意げにこちらを振り返って手を振る二人に、鍵太郎は笑って応える。隣を見れば、優はぽかんと口を開けていた。


「す、すごい……。あんなに難しかったのに」

「ま、あれも先輩が教えてきたからっていうのも、あるでしょうし」


 自分にできなかったことを後輩があっさりとやってのけたので、優は素直に驚いているようだ。

 そんな彼女に対して、鍵太郎は言う。


「まあ、そんな感じで――ひとりで悩まないほうがいいんじゃないですかね、先輩。これからのことは、俺たちのこれからのことですから。みんなで決めたほうがたぶん、うまくいきます」


 今まで散々ひとりで悩んできた、自分がなにを言ってるんだという話だが。

 それでも、今の二人を見ると、どうしてもそう思ってしまうのだ。


「『楽しい』っていうのはきっと全部の始まりで、全部の根底なんだと思います。それだけわかってればもう、みんなバラバラにはならないですよ。たぶん」

「……きっととか、たぶんとか、仮定の多い話ですねえ」

「なにぶんまだ、経験が浅いもので」


 無責任なことを言うんじゃない、と言わんばかりに部長に軽くにらまれたが――苦笑いしながらそう返すしかなかった。こちとらまだそれで成功経験がないのだ。上手くいくのかいかないのか、はっきりとは言えない。

 でも、たぶん――これが自分のやりたいことで。

 『どうしたいか』なのだから、それに従うしかないのだ。


「……さっき、湊くんは私に、これからどうしたいかを訊きましたね」


 するとそんな自分に、部長はどこか調子を取り戻した様子で、言ってきた。


「……やっぱり、私は金賞は取りたいです。部長だとかそういうのを抜きで、でもやっぱりそうしたいと思うんです。……理由はまだ、わからないけど。でも、今もそれは変わりませんから」

「うん。そうですよね」


 それでこそ、貝島優は貝島優なのだろう。

 ひたすら真面目で上昇志向。

 それが今の彼女を作ってきたのだ。これまでは、それが他の部員を苦しめる原因になってきたけれど――

 裏返せば、彼女の気質とその腕は、金賞を取るのに欠かせない『武器』となる。


「この先は、私にもどうなるのかわかりませんが――それでも、本選に行ける以上は、できうる限りのことをします。

 けどこれからのことは、明日の部活会議で決めましょう。今ここで悩んでるより、その方がずっと建設的ですからね」

「おっ、いいですね」


 今までと同じように――しかしそれ以上にその眼に光を取り戻した優を見て、鍵太郎は声をあげた。

 彼女が味方になってくれれば、こんなに心強いことはない。

 ちっちゃい部長はその身体に、ゆらりと闘志を立ち上らせて――

 そして心の底から自分の思いを、宣言する。



「では、今この場は遊んでいくことにしましょう!!」



「え?」

「後輩に負けたとあっては、打楽器パートリーダーの名折れ! なにがフルコンボだドンですか、こっちこそその太鼓面、ボッコボコにしてやりますからね!!」

「ちょ、先輩、もう結構夜遅いですから――」

「問答無用ーッ!! 私をここまで怒らせた罰です。湊くん、『むずかしい』を二人プレイでつきあってもらいますからね!!」

「ええええええええっ!?」


 今までと同じように。

 そしてそれ以上に――負けん気を燃え上がらせた部長に引っ張られる形で。

 鍵太郎は打楽器の三人と、ひたすら太鼓の達人を目指して、バチを振り回す羽目になった。



###



 ちなみにそこから夜の八時になって、店員さんに。

「お嬢ちゃん、ちっちゃい子はもう帰る時間だよ」と部長が声をかけられるまで――鍵太郎のその修行は続いたという。

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