第155話 対になる覚悟

「先輩、なんで……?」


 突如、自分と部長との言い争いに違う先輩が割って入ってきたので、湊鍵太郎みなとけんたろうは困惑の声をあげた。

 バスクラリネット、高久広美。

 さっきまでこの先輩は、この騒ぎの中に入ろうとしなかったはずだ。

 なのになぜ彼女が――鍵太郎がそう思っていると、広美はいつものように口の片端を吊り上げて言ってくる。


「湊っち。殺意の波動に目覚めると、人間だいたい弱体化するもんよ」

「はあ」


 この状況でも実に彼女らしい言い回しに、毒気を抜かれるのだが。

 確かに鍵太郎はさっき、部長を止めるために激昂しようとしていたところだった。一年生の後輩がひどく叱責されるのが、あまりにもやりすぎに見えたのだ。

 正面きって反乱を起こすのはもう少し先のつもりでいたが、こうなったらもうやるしかない。

 そう思ったところに、広美が入ってきた。そしてこの言い方からして彼女は、鍵太郎がやろうとした以外の方法で話を進めようとしているらしい。

 場の流れや先を読むことにかけては、この先輩の方が何枚も上手である。

 なので鍵太郎はここは広美に任せたほうがいいと判断し、後輩をかばい後ろに下がった。ぶつかり合う以外にもこの場を鎮める方法があるなら、ぜひともそれをお願いしたかった。

 そんな後輩と、部員全員が自分を注視しているのを確認して――

 高久広美は、部長へと向き直る。


「このままここで言い争ってても、建設的じゃないよ。そこでゆう。ちょっと提案があるんだけど」

「……なんですか」


 広美と同じく三年生、部長の貝島優かいじまゆうが警戒した調子でそう返してきた。

 前にも優は、「広美はなにを考えているかわからない」と言っていたのだ。

 それを思い出して鍵太郎は冷や汗を流した。同じ学年でありながらも、この二人が仲がいいという印象はない。

 広美がなにを言うのか。

 そしてそれを、優が聞き入れるのか。

 部員たちが固唾を呑んで見ている中で、広美は不敵に笑う。


「勝負をしよう。一週間後にあるコンクールの予選会。そこで白黒つけようじゃないか」

「勝負……?」


「そう。


 予選会まで部員たちは、優のやり方に従う。それでいい結果が出たら優の勝ち。みんな優のやり方に従うということで」


「ちょっと、先輩……!?」


 思わぬ提案に鍵太郎は抗議の声をあげた。

 それではあまりに、強引すぎるではないか。

 しかしそんな後輩を、広美は目で制した。


「もうこれ以外ないんだよ湊っち。この子はもう、結果でしか止まれないのさ。

 自分で納得のいく方法で、自分で出した結果でしか止められない。他人がなにを言っても無駄だよ」

「まあ、そう、ですけど……」

「反対にいい結果が出なかったら、後輩たちの勝ちとする」


 鍵太郎が不満を抱きつつも引き下がったので、彼女は続けた。

 部長は警戒を続けながらも、その提案を聞いている。

 吟味しているのだ。そんな同い年に向かって、広美は最後のセリフを突きつけた。


「優は自分のやり方を止めて、後輩たちの言うことを聞く。どう? そんなに悪い話じゃないと思うけど」

「……まあ。みなが私の言うことを聞いて、練習するというのなら……。悪くはない話です」

「だって。聞いた? みんな」


 考えた末に部長がそう返事したので、広美は音楽室をぐるりと見渡した。

 ここにいる全員が証人という風に、彼女は部員全員に向かって言う。


「これから一週間、すこーしだけ我慢して練習につきあってちょうだいな。部活を辞める辞めないを考えるのは、その後! それからでも遅くないよ!」

「先輩……」


 どういうつもりなのか。広美の態度に不安を感じて、鍵太郎は眉を寄せた。

 これは、どう転ぶかわからない勝負だ。

 場合によってはなにも変わらない可能性がある。下手をしたら今度こそ、一年生たちが大量に辞めかねない。

 そんな危険を冒してまで、なぜこの先輩がこんな提案をしたのか。

 それが鍵太郎にはわからなかった。ただ、彼女のおかげでひとまず後輩が助かったのは確かだ。

 新たな段階ができたことでそちらに意識がいき、騒ぎが収束し始める。さらに広美が「はい解散。かいさーん!」と言ったので、集まっていた部員たちが自分の定位置へと戻り始めた。

 その中で鍵太郎は、かばっていた後輩を彼女と同い年の子に預け、広美の元へ向かう。

 これからどうするのか、確かめないといけなかった。



###



「……殺意の波動は使い手とバージョンによって、強かったり弱かったりすると思いますが」

「まずそれかい湊っち。きみもずいぶんと余裕が出てきたもんだね」


 鍵太郎が先ほど言われた単語を広美に言うと、先輩はちょっと呆れたようにそう返してきた。

 そんなに余裕があるわけでもないのだが。ただ、彼女がなんの戦略もなしにあんなことを言うとは思えない。

 そう考えるくらいの冷静さは頭の隅に残っているのだ。そう言うと、広美は「うーん、やっぱり去年より成長したねえ」と頭を撫でてきた。


「やればできるじゃないか湊っち。確かみてみた甲斐があったよ」

「冗談はともかく、どういうつもりなんですか先輩。それ聞かないと安心できないんですが」

「うん、そうだよね」


 鍵太郎が広美に半眼で抗議すると、先輩はようやく解説してくれる気になったらしい。

 手を引っ込めて、彼女は言う。


「大筋は、さっき言ったとおりだよ。優はもう他の誰が説得したところで耳を貸さない。だったら、結論は自分の手で出させるしかない」

「それはそうですけど、でも」

「優はこの部でも一、二を争うほど優秀な奏者だけどさ、組織の上に立つ人間としては、ちょっと後輩の心がわかってなさすぎるよねえ。ま、だからこそあんな提案に乗っちゃったんだと思うけど」

「……どういうことですか」


 広美の言うことはもっともで、だからこそこの状況なのだが。

 それと予選会での勝負がどう関係してくるのか。鍵太郎が怪訝に思うと、先輩はため息をついて言ってきた。


「ねえ、湊っち。今日あたしは、きみら二年生が後輩を味方につける作戦を立てたのを、いいことだって言ったよね。来年のある一、二年生には、その方がいいって」

「はい」

「それならここで、ひとつとっても簡単に決着がつく方法があるんだ」

「……?」


 なんだ、それは。

 鍵太郎が嫌な予感がして顔をしかめると、広美はさらりとその方法を言ってきた。



「優を見捨てればいい」



「――は」


 呆けたように言う、鍵太郎の前で。

 先輩は、淡々とその方法を述べてきた。


「本番まで一二年生は従う振りをして、技術だけ吸収したらあとは本番で優を見捨てればいいんだよ。それであっけなくこの茶番は終わるさ。いい成績が出ないんだから、後輩の勝ちだ」

「ちょ……ちょっと待ってくださいよ、先輩!? それってつまり――」


 彼女の言わんとするところを悟って、鍵太郎は慌てた。

 それは、つまり。


「そう。予選会の本番で、一二年生が手を抜けばいいんだ」

「……」


 広美がはっきりとそう言い切ったので、鍵太郎は絶句した。

 だが、状況から先読みをすることが得意な先輩は、その先まで見通しているようだった。

 彼女はわかりきっている棋譜を読むように続けてくる。


「そうすれば、優はもうどうしようもない。あとは後輩中心に楽しく学校祭の練習をすればいいんだよ。なにせきみらには次があるんだ。優が引退していなくなったら、そこできみらは改めて来年のコンクールに向けてがんばったらいい。自分たちがやりたいように」

「ちょ……っ。なんでそんなこと言うんですか先輩。先輩だって、三年生でしょう……!?」


 部長と同じ三年生であるはずの広美に、鍵太郎は言った。

 彼女たちにとって、今年は最後のコンクールのはずなのだ。

 そう言う三年生を、今年は何人見たことか。

 しかし広美は、それでいいというのか。混乱する鍵太郎に、先輩ははっきりと言った。


「あたしは別に、金賞とかどうでもいいんだ」

「……」

「前も言ったでしょ。あたしにとってはみんなが気持ちよく吹けることが全てだって。その結果で金賞が取れるなら嬉しいけど、今の状況で取ったとしても全然嬉しくないさね」

「とは、言いますけど、でも……」

「ねえ湊っち。優とまやかは、『切り捨てる覚悟』って言ったんだっけ?」

「……」


 部長と副部長が言っていた単語を持ち出され、鍵太郎は無言でうなずいた。

 切り捨てる覚悟。

 それは結果のためなら味方すら犠牲にする、そんな悲壮な決意の形だった。

 先ほどは、それで吹けない後輩がひどい目に合ったのだ。それをこの間、正面から自分は否定したが――

 この先輩は違うのだろうか。広美は皮肉げに笑って、言ってきた。


「そういうこと言うんだったら、『切り捨て覚悟』も持たなくちゃいけないと、あたしは思うんだよね。自分たちが散々切り捨ててきた後輩たちに、今度は切り捨てられることもあるんだって。ひどい扱いをしたなら、されることもあるんだって。

 組織の上に立つ人間として後輩の心がわかってないってさっき言ったのは、それだよ。民衆を蔑ろにした為政者は、革命によって殺されるんだ。その終わり方は自業自得で、一分の隙もなく因果応報だよ。そうでしょ?」

「……そうかも、しれませんが」

「だからこれを、きみが気に病むことなんかないんだ。きみは黙って、自分自身が突きつけた刃で優が『切り捨てられる』のを見ていればいいんだよ。それだけのことを、さっき優はしたんだから」

「……」


 激しく後輩を攻撃する、先ほどの部長の姿を思い出して鍵太郎は黙り込んだ。

 これは広美らしいといえばらしい、相手のことを上手く利用したやり方と言える。

 後輩たちの気持ちを考えずに望む結果だけをほしがった、それは部長の行動の行く末でもあるのだ。

 でも――



「……でも、先輩。それはやっぱり違いませんか?」



 どうしても引っかかるものがあって、鍵太郎は広美にそう言った。

 苦い苦い、去年の記憶がよみがえってくる。

 気づかないままコンクールに行って、失ってからそれを初めて知るというのは、それは――


「それは、去年の俺と一緒じゃないですか。俺はもうそういうの、嫌です」


 打ちひしがれたあの感覚を思い出し、それを噛みしめて鍵太郎はやはりそう思った。

 今の部長はある意味、あのときの自分と似た境遇なのだ。

 発せられるシグナルを無視して本番に臨み、気づいたときには全てが手遅れになっている。

 悔やんでも悔やんでも、悔やみきれないくらいの思いをした。

 そんな気持ちを味わうのは、自分ひとりでもう十分だった。


「あの人はきつい人ではありますが、悪い人ではないんです。そんな人を見捨てられませんよ、俺は」

「あーあ。それはお人よしすぎるよ湊っち。それがきみの欠点だって、去年も言ったじゃないか」

「でも、自分の周りで誰かが泣いてるってやっぱ、嫌じゃないですか」


 痛いところを突いてくる広美に、苦笑してそう返すしかなかった。

 結局、どこまでいっても自分は変わらないのだ。

 度し難い欠点。

 けれど、それを裏返して『武器』にする。

 今年はそうしようと思った。だからあのとき副部長に言ったのだ。

 『切り捨てる覚悟』ではなく――


「『手を取り合う覚悟』を。最後まで、俺が持っているのはそれだけですから」

「……まったく。我が弟子ながら、いっちょまえに言うようになったもんだねえ」

「師匠が師匠ですから」


 鍵太郎がそう言うと、広美は「処置なし」といった風に両手を挙げてみせた。

 説得は無駄だと悟ったらしい。それに、結局のところ彼女の言うようなことをしたところで、根本的な解決になるとは思えなかった。

 仮にそうして来年になったとしても、部員たちはどこかで「今度は自分も切り捨てられるんじゃないか」と思うようになる。

 それでいい結果が出せるとも思えない。第一、本番で手を抜くなんてふざけたこと絶対にしたくないし、後輩にもさせたくなかった。

 広美にしては珍しく、下策を出してきたものだ。

 そう思って彼女を見れば、先輩は楽しそうに思案する自分を見つめてきていた。


「……あの、先輩」


 それに、ふと思う。


「なに?」

「先輩ひょっとして、俺がこう言うことまで分かってたんじゃないですか?」

「えー。違うよお」

「やべえ。うさんくせえ」


 わざとらしく言ってくる広美に、鍵太郎は顔をひきつらせた。

 どこまで読んでるんだろうかこの先輩。絶対、一緒に囲碁とかチェスとかやりたくなかった。

 そこだけは切り捨てる覚悟を決めて、ため息をつく。


「あー。まあ、先輩が言った通り、ここから一週間が勝負ですね……」


 広美のように考える部員も、いるかもしれない。

 そこは説得しないとならなかった。結果がどう出るかはわからないが、やはり全力で事に当たるより、他に道はなさそうだった。

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