第151話 音は何色、光はいずこ
自分を囲む女性陣から真顔で一斉に見られて、
「えーと、じゃあ俺は聞いてるので。よろしくお願いします」
別に悪いことをしているわけではないのに、恐ろしいほどの圧迫感を覚える。パート練習というのは、こんな雰囲気でやるものだったろうか。
それでも鍵太郎は、束になって襲ってくる視線たちを低姿勢で受け流していた。
女子ばかりの吹奏楽部で少数派の男子部員が生き残るには、「女子には逆らわないこと」だと卒業した男の先輩は言っていたが。
この状況は、それに近いのかもしれない。そろそろ自分も、あの先輩レベルの境地に達しつつあるのかなあ、と鍵太郎が悲しい悟りを開いていると。
ひとつ上の先輩である高久広美が、部員たちへ声をかける。
「じゃ、ちょっと変則的だけどパート練習始めようか。転調してユーフォのソロになったところの、伴奏ね。では湊っち、よろしくどうぞ」
「はい、わかりました」
ありがとうございます――と内心付け加えつつ、鍵太郎は広美にうなずいた。
そう、いくら数の暴力が恐ろしかろうと、まだやりようはあるのだ。
広美の協力もまた、そのひとつだった。今回のこのパート練習は自分の発案ではあるが、表向きには彼女がやろうと言ったことになっている。
今ここに集まっているのは、クラリネットとサックスという木管楽器組だ。
本来ならば金管楽器担当である鍵太郎は、あまり一緒に練習はしない。
その不自然さに加えて、いくら発案者とはいえども二年生の鍵太郎が主導権を握ったら、他の楽器の三年生は言葉には出さずとも反発することになる。
それではやりにくいことこの上ない。
しかしその点、バスクラリネット担当で、一応は部長候補にもなった三年生の広美ならば問題なかった。
事前に事情を話し、今回は彼女に仕切ってもらうことになっている。ただでさえ水面下で進めている反乱計画なのだ。いきなり反発されることは避けたかった。
多少の面倒くささは残るが――平和とは、つまりまったくそれでいいのだろう。
「はじめまーす」
こちらをニヤニヤと見てくる広美には、なんだかんだで感謝をしつつ。
鍵太郎は半円状に座ってこちらを見つめる部員たちに合図を出した。
『きたかぜとたいよう作戦』――これが戦いの始まり。
場所が音楽室ではなく、そこから少し離れた通常教室というのもまたゲリラ戦じみているが――それがまた、少し楽しかったりもする。
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奏者側でなく聞く側に回るのは、なんだか不思議な気分だった。
部員たちが演奏しているのを聞きながら、鍵太郎はそう感じていた。
改めて客観的に聞くと吹けているつもりでも、全然吹けていないのがわかる。
それは楽譜通りできていないとか、そういう意味ではない。
吹けている。
特に三年生は吹けている。
ただどうにも、バラバラに聞こえるのだ。うまくそろって聞こえない。
それがなぜかといえば、やはり吹いている人間の心から来ているような気がした。
それぞれの考えていることが微妙に違う。
学年で違うのもあるし、楽器で違うのもある。
苦しそうに吹いている人もいるし、考えて吹いている人もいるし、あるいはなんにも考えておらず、ただ棒吹きしている部員もいた。
いろんな人間がいて、いろんな音があった。
それはここ最近でよくわかっていて――それが入り混じって、演奏は結果的に、なんだかよくわからないものになっていた。
いくらみんな違ってみんないいといっても、これでは困る。
最近ではそう思えるようになった。このままではユーフォのソロも、さぞかし吹きにくいはずだ。まあ、それは自分も偉そうに言えたクチではないのだけれど。
その辺は後で自分でもチェックするとして。
とりあえず今は、そのソロ――女神のテーマを浮き立たせるための、伴奏を作るのが先決だった。
なので区切りのいいところで止まった演奏の感想を、鍵太郎はみなに言った。
「ええと……そろってないですね」
「どこが? 縦がそろってない?」
「ああいや、なんというか」
クラリネットの一番を吹いている三年の先輩に間髪空けずそう訊かれて、鍵太郎は少したじろいだ。
そろっていないのは縦――音の出だしとか、そういうことでは根本的には、ない。
集まっている部員たちを見る。
最後のコンクールだと息巻くその三年生のすぐ近くに、その剣幕におびえている
結局、そういうことなんじゃないかと思う。
身を乗り出したその先輩は、きっと恵那のことが見えていない。
でもこの先輩は真剣に曲を作ろうとしているから、こういうきつい言い方をするのだ。それはわかっていた。
正確には、そう教えられたからわかっていた。
だから自分は、まだこの当たりのきつさに耐えられる。
そう思った鍵太郎は、なるべく丁寧にその先輩に思ったことを告げた。
「色が、違うというか」
「色?」
「はい。イメージがズレてるとゆーか、やろうとしてることが違うとゆーか、なんにも考えてない人もいるとゆーか。だからバラバラに聞こえるんじゃないかと、そう思いました」
「はあ……?」
若干、なに言ってんだコイツ、というニュアンスも感じないではなかったが。
それは自分が高校から初心者で楽器を始めた、引け目もあるからだと思う。『色』に関しては、教えに来てくれている指揮者の先生も言っていたことなのだ。この考え方も間違いではない。
それになにより、この辺はいつも伴奏ばかり吹いている、自分の得意フィールドだった。
吹いていて楽しいと思うことは、曲のイメージが湧いてくること。
すべては、楽しいことをするために。
まだ見ぬ『民衆を導く自由の女神』を呼び起こすために――
鍵太郎はそこでもう一歩、踏み込むことにした。
「前に、城山先生が言ってたんですよね。『どうしたい?』って。
自分の吹く音が何色で、どこに向かうのか考えてみなさいって。だからそれをそろえれば、音もそろってくるんじゃないかなーって、そう思いました」
「そ……そう」
この部である意味絶大な人気を誇る、あの残念イケメンの名前を出したのは正解だったらしい。
クラリネットの先輩の表情が変わる。鍵太郎の言葉が『高校から初心者で始めた後輩の的外れな意見』という扱いから、『プロの先生が言っていた、演奏上必ず考えるべき事項』に替わる。
先ほどの広美の協力といい、なんだか虎の威を狩る狐といった風情だが――なりふり構ってもいられない。
これが立場が弱い者の戦い方というものだ。
思い返せば自分は、昔からこういうこすっからい手段で戦ってきた身の上だった。
久しぶりに自分の戦い方を思い出してしまった。
そう思って鍵太郎は、小さくため息をついた。
そういえば俺、こういうやつだった。
あんなに後悔したはずのこれが、今になって役に立っているというのはなんとも複雑な気分だったが――ま、いいか、と同時に思ったのも事実だった。
進む先さえ間違えなければ、これもまあまあ使えないこともないのだろう。
『信仰』を貫くためのもうひとつの刃。
現実と戦うためのもうひとつの『武器』。
ふた振りのそれを持って、鍵太郎はざわついている周囲とクラリネットの先輩に、さらなる押しの一手を放つことにした。
「そんなわけで、みんなでここはどういう感じなのか、考えてみたらいいんじゃないでしょうか。それをそろえることは、演奏をよくすることにもつながると思います」
「そーね。明るさと質感くらいは、ちょっと統一しようかねえ」
そこで思わぬ援護射撃をうけて、鍵太郎は驚いて発言の主を見た。
今ので戦局が、一気にこちらに傾いたのがわかる。そんなことができる人物といえば、この場ではあの人しかいない。
並んだイスの一番端。
バスクラリネット。
高久広美は、こちらを見てニヤリと笑ってきた。
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「背景だよ、背景。ユーフォのソロを引き立たせる背景。それをどうするかを考えようって話でしょ、湊っち?」
「あ、はい。そうです」
広美の呼びかけに、反射的にそう返事をする。
なんなのだろうか。今まで結構ヒントはくれても、実際にここまで表立って助け舟は出してくれなかった広美だ。
どうして急に助けてくれる気になったのだろうか。そう疑問に思うところではあったが、ここからどう角が立たないように話を進めるべきか、正直考えていたところなので助かった。
なので素直に、鍵太郎は広美にこの先の流れを譲ることにする。今はその疑問を解消するより、練習を進めるほうが先だ。
すると、部員のうちのひとりが言った。
「あの、背景ってなんですか? 先輩……」
そう言ったその部員は、広美がなにを言いたいのかがわからなくて戸惑っている様子だった。
他の部員たちも同じような感じでざわめいている。自分の持っているフレーズを、どう吹いたらいいかわからない――大多数の部員がそういった感じのようだった。
それはそうだ。
今まで考えてもいなかったことを言われて、いきなりこうだと言えるわけがない。
どうしてこうなったかといえば、今年は特に『間違わないこと』に特化した練習ばかりをやってきたからだった。
間違ったら怒られる。笑われる。
そんな雰囲気の中でやってきた。
だから自分のイメージなんて特にない。そんなこと考えるより、先輩に言われた通りにやる方が先だったから。そうすればとりあえず文句は言われないから。
自分の意見なんて、どうせ否定されるだけだから。
だったら意見なんて、特になくてもいい。
形だけそろえればいい。そんな部員たちがほとんどだ。そんな中で、広美はどうやって状況を動かしていくのか――
鍵太郎が固唾を呑んで状況を見守っていると、先輩はいつものように笑って言ってきた。
「この曲にふさわしい、そんな情景のことだよ。でも、そうだねえ。なんにもないんじゃアレだから――じゃ、アサミン。なにか一個だけでも、ここでイメージすることはある?」
「ふえー。一個ですか」
広美に訊かれて首をかしげたのは、バリトンサックスの一年生、
楽器を始めて三ヶ月程度の彼女には、かなり難しいことを訊いている。それこそ彼女は、一生懸命吹くことだけを要求される初心者である。
けれど、彼女にはひとつの『武器』があることに鍵太郎は気づいていた。
「えーと。そうですねえ……」
朝実が腕を組んで宙を見上げる。そう。彼女はただひたすらに素直に正直に、思ったことを言ってくるのだ。
これは間違っているとか、言うのをやめようとか。
そういう邪魔なブレーキをかけることがない。それには手を焼かされることもあるが、彼女のそういうところは、この閉塞的な状況を打ち崩すための力になるはずだった。
だから広美は最初に朝実に振ったのだろう。だがそうはいっても、彼女はまだ一年生でもある。
こちらとしては心配もあった。鍵太郎が冷や汗をかいると、広美はゆっくりと、落ち着かせるように言う。
「別になんでもいいよ。人から馬鹿にされるような、突飛なイメージでも構わない。わからないなら、わからないって言ってくれればいいさ。
それでも、なにか感じるものがあれば――それを形にしてみようか」
「うーん、そう言われても……あ、そうだ!」
なにを言うんだ。
全員がそう思ったであろう緊迫した雰囲気の中で、朝実は自分でもよくわからないものを伝えようとするように、身振り手振りを交えて答えてきた。
「なんていうか、こう……やわらかい気がします」
「やわらかい?」
「はい、えーと、ほわほわっと」
雲みたいというか。
もふもふっというか。
そんな感じで、ええと――と。
たどたどしく答える朝実に、「よくできました」と広美は後輩の頭を撫でた。
それに鍵太郎はほっと胸を撫で下ろした。同じように他の部員たちも、止めていた息を大きく吐き出している。
そんな風に、張り詰めていたものが弛緩したからだろう。
少しおしゃべりが出てきた。最初のひとつが出たことと、イメージといっても朝実が言ったような非常に漠然としたものでもいいとわかったおかげで、考える余裕が生まれ始めたのだ。
流れが変わった。
鍵太郎がそう思ったところで、広美はやはり他の部員たちにも尋ねてきた。
「やわらかい、ね。他になにかある?」
『…………』
しかし、再び場は凍りつく。
これでもまだ足りないのだ。だが部員たちがそろって下を向くのを見ても、広美はさらに続けた。
「じゃあ、明るいか暗いかで言ったら、どっち?」
『…………』
とても気まずい沈黙が落ちた。
ここでまた朝実に答えさせるのも少し偏っている気がする。では自分が言うべきなのだろうか。でもそれはそれで、なにか違うような――
そう思って鍵太郎が躊躇していると。
誰のものかもわからない、かすかな声が聞こえた。
「……あかるい」
「……ん?」
その声に聞き覚えがある気がして、鍵太郎は思わずそうつぶやいていた。
今のは、さっき練習が始まる前に聞いたような。
出所がわからない、どこかに隠れながら言ったような、その声。
あれは――
鍵太郎が目を向けると、野中恵那は、やはりサッと視線を逸らした。
決してこちらを見ようとはしない。しかしそれがかえって、彼女が言ったということを雄弁に物語っているように思える。
「……はは」
そんな恵那を見ていたら、なんだか笑いがこみ上げてきた。
自分の心に『答え』を持ち続けた者は、ここにもいた。そう思うと、とても愉快な気分だった。
あの雰囲気の中で声を出すとは、なかなかやる。
やはり彼女も、ただのおびえているだけの後輩ではないのだ。非常に心配な後輩であったが、彼女も立派なこの部活の一員であるようだった。
後でまた、朝実と一緒に声をかけてみたら楽しいだろう。
また目を合わせてくれないかもしれないけど。鍵太郎が笑いをこらえながらそう思ったとき、広美が言った。
「そうね、明るいね。調からしても、ここはそうだと思うよ。
やわらかいのも、
十分――いや、十五分かな。十五分後にどんなイメージになったか、パート別に発表ということで。じゃ、いったん解散!」
はーい、という返事をして、部員がパート別に散っていく。
隣の部員と話しながら移動しているその様子は、この練習を始めたときとは少し変わっているように見える。曲を作るにあたって、とても大事であろうユーモアが芽を出し始めているのだ。
それは朝実のおかげでもあり、恵那のおかげでもあった。
『きたかぜとたいよう作戦』――後輩を巻き込んでいく話は、ひとまず成功だ。
これなら前より楽しいパート練習になることは間違いない。当初の目的は達成できた。
だが――
「……できんじゃん、先輩」
広美の手腕に、思わずそう唸ってしまうのも事実だった。
どうしてこの人、今までこれをやってくれなかったのだろう。今みたいな感じでとっととやってくれれば、自分はあんなに苦労せずに済んだのに。
文句のひとつも言いたいところなのだが――しかし先輩を見ると、彼女はやはりニヤリと笑って、こちらを手招きしてきた。
「……」
ある意味、部長より怖かった。
しかし行かなければ、おそらくそれよりもっと怖いことが待っている。光の速さでそれを悟って、鍵太郎はやはり低姿勢でその呼び出しに応じることにした。
「……なんだろう、別に俺、悪いことしてないよね?」
そう思うのだが。しかし脳裏に「女子には逆らわない、それがいい」というあの先輩のセリフがよぎって、諦めることにした。
戦い方は覚えたものの、やはりそろそろ自分もあの先輩レベルの境地に達しつつあるようだ。
去年より少しは成長したつもりでいたが、なにもここまで一緒にレベルアップしなくてもいいのにな、と鍵太郎は思った。
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