第149話 『きたかぜとたいよう作戦』

「で、結局謎は解けたのか、二人とも」


 学校の外、同い年の家にある練習場で。

 湊鍵太郎みなとけんたろうは越戸ゆかりとみのりの双子姉妹に、改めてそう訊いていた。

 謎というのは、少し前に指揮者の先生が、部長にかけた言葉のことだ。


 『打楽器も息を吸う』。


 叩いて音を出すはずの打楽器も、呼吸をする必要があるという。

 それはいったいどういうことなのか。その意味を探るため、鍵太郎は部長と同じく打楽器担当であるこの二人に、この件を相談していた。

 それがどうなったかを訊いたわけだが。

 先ほどの様子からして、彼女たちにはもう大体の見当はついているらしい。

 二人は鍵太郎の問いに、そろって大きくうなずいてくる。


「うん。城山先生は、『いつ』息を吸うかを考えてみなさいって言ってたんだよね」

「だったら、『音を出す前』だよ。管楽器の人たちと同じだね」

「前か。なんでそう思った?」


 これは部長自身も気がついていない、彼女の無意識の弱点の話だ。

 この謎を解くことは、あの頑なな部長を説得する、強力な切り札となるはずだった。

 なので慎重に話を進めなければならないわけだが――

 双子の返事は、なんだか妙に軽いものだった。


「ほら。よく言うじゃん、『息が合う』とか『呼吸が合わない』とか」

「あれと一緒で、『息』っていうのはタイミングをそろえるのに結構大事なものだと思うんだよねー」

「そういう、言葉遊び的なものじゃないと思うけど……」


 二人の言葉に、トランペットの千渡光莉せんどひかりが反論した。

 だがそれに、ゆかりとみのりは首を振る。

 その仕草は、彼女たちを見た鍵太郎がいつも思っていた通りに――『息がぴったり』だった。


「言葉遊びじゃないよ。実際に管楽器の人たちはよく言われるでしょ。『ブレスをそろえて』って」

「だから打楽器もそのとき一緒に息を吸えば、すごく馴染むと思うんだ」

「……そう、なのかなあ」

『そうだよ、私たちがその証明!』


 まだ納得がいかない様子の光莉に向かって、双子はまるで鏡写しのような動きでハイタッチした。

 相変わらず、この二人の一心同体っぷりはちょっと異常である。


「ま、まあ確かに、二人の言うこともわからないでもないな」


 完全に引いている光莉と双子の間に入る形で、鍵太郎は会話に割って入った。身体の構造上なんとなく似たような呼吸をしているから――とか、そんな理由でもなければ、この二人のシンクロっぷりはとても納得できないわけだが。

 そんな双子の謎は置いておいても、彼女たちの主張はわからないでもないのだ。


「呼吸がそろうと音がそろう。二人の言うことは、そこまで突拍子のないことでもないだろ」


 トランペットをはじめとした管楽器は、打楽器と違って音を出すのに楽器に息を入れる必要がある。

 その前に、準備段階として息を吸うことが必要になるわけだが――この息を吸うタイミングが合うと、不思議と音が出るタイミングも合うのだ。

 なので先ほどゆかりが言ったように、楽器を吹くときに『息をそろえろ』とはよく言われることだった。

 音を出すのには必要ないが、音を『合わせる』のには呼吸が必要。

 だから打楽器も呼吸が必要――というのは、あり得る話だ。

 もし疑うのならやってみればいい。そう言うと、光莉は恐ろしいものを見る表情でぶんぶんと首を振った。

 そこまで怖がることはないと思うのだが。鍵太郎がそう思っていると、光莉の代わりに浅沼涼子がトロンボーンを持ってくる。


「やってみような〇でも実験!」


 アホの子のくせに実は理系、という恐ろしい属性を持つ涼子が、双子と一緒に証明実験を始める。



###



 ゆかりとみのりが、練習用に持ってきた手作りの台を机に置いた。

 その隣に、涼子が管楽器であるトロンボーンを持って立つ。


「じゃあ、まず呼吸をしない場合をやってみるか」


 準備ができた三人の正面に立ち、鍵太郎は言った。実験開始だ。

 全員がうなずいて、楽器を構える。「せーの」と合図を出すと、双子がスティックを持ち上げ、涼子が息を吸った。

 そのまま音を出すと、タン、と練習場に音が響く。


「……どうだ?」

「うーん、普通?」

「そろってないわけじゃないけど」


 鍵太郎が後ろを振り返ると、クラリネットの宝木咲耶たからぎさくやと、ホルンの片柳隣花かたやなぎりんかがそう答えた。鍵太郎の耳にも、そのように聞こえた。これがよくある形だ。


「じゃあ、次は息を吸って叩いてみようか」


 次に、肝心の『息を吸う』方法をやってみる。

 これをやって、どれだけ違うか。

 期待半分、不安半分で合図を出すと、三人はそろってスウッ――と息を吸った。

 そして、音が鳴る。


「……!」

「へえ……」


 音が聞こえた瞬間、その違いに鍵太郎はじめ、他のメンバーも反応していた。

 先ほどとは、そろい方の質が違う。

 みのりも言っていたがこちらの方が圧倒的に――そう、『馴染む』。


「さっきのは少しだけ、打楽器が先行していたようにも感じたけど。今のは本当に『合ってる』って感じね」


 隣花がそう言って、鍵太郎もそれにうなずいた。

 息を吸うか吸わないかで、重なり方が全然違う。

 やっている方もそれは感じたらしい。涼子が「今のはよかったねー」と言って、ゆかりとみのりと一緒にイエーイと手を合わせていた。

 この実験をしてよくわかった。楽器において『息が合う』は、単なる言葉だけの意味ではない。

 呼吸を合わせるのは、打楽器においても重要なことなのだ。


「先生は、これが言いたかったのかな……?」


 きみの音は息苦しい――そう言っていた指揮者の先生のことを思い出して、鍵太郎は首を傾げた。

 それに咲耶がうなずく。


「先生が一緒に息を吸いなさいって言いたかったのは、間違いないと思うよ」

「ここまで変わるんなら、そりゃ確かにやった方がいいって言うよな……」


 音を出す前に、周りと呼吸を合わせなさい。

 その方がいい音がするから――と、先生はそう言いたかったのかもしれない。


「……確かに今、貝島先輩は『息をしていない』んだよな」


 部長が演奏しているときの様子を思い出しても、そして先生に言われたときに疑問符を浮かべていたことからしても。

 部長が意識的に『他と合わせるための呼吸』をしていないことは明らかだった。

 自分の楽器にそれは必要ないから。

 他の楽器に必要不可欠なそれを、今の部長はしていない。

 自分以外の楽器のことは知らない。

 他の主張は認めない。他人に息を吸わせない。

 だからきみの音は――『息苦しい』。


「じゃあ、もしそこが反転したら――?」


 『息を吸う』ようになったら。

 無理やり合わせようとしなくても今みたいに音が自然に合って、演奏がちゃんとしてくれば、部活もうまく回り出す。

 そうすれば先輩を怖がっている、一年生も戻ってくる――と、さすがにそこまでとんとん拍子にはいかないと思うが。

 それは鍵太郎が思い描いていた理想に、一歩近づくことになるはずだった。

 音が変われば人が変わる。

 人が変われば音が変わる――

 やはりこれは、この状況を変える切り札になる得るものだ。

 方向性が間違っていないことがわかって、鍵太郎は小さく拳を握った。今まで不安定に思えた道が、少し定まったようだった。



###



「でもさー。今のを貝島先輩に話したとして、あの人が素直にこっちの言うこと聞くと思う?」

「うぐっ……」


 そこでみのりがもっともなことを言ってきたので、鍵太郎は拳を握ったままずっこけた。

 さすがに一年以上あの部長と同じパートにいただけあって、この双子は先輩のことをよくわかっている。

 今のをそのまま伝えたとしても、あの鬼軍曹とまで呼ばれた部長が、すぐに納得するかどうかはわからない。逆に、なに言ってるんだそれよりちゃんと練習しろ、とすら言われそうな気配すらある。

 同じように思ったのだろう、ゆかりも言う。


「そういえば湊、関掘先輩と話した感じはどうだったの?」

「どうもこうも、貝島先輩よりあの人のが手ごわいっていうのは、みんな知ってるだろ……」


 あの静かなるタカ派と話したときのことを思い出して、鍵太郎はうんざりした気持ちでそう答えた。副部長が味方になってくれれば部長の説得にも協力してくれるかもしれないというのは、前にもこの二人と話したことだったが。

 今のところそれは、失敗に終わっていた。それどころかあのおっかない先輩は、「そんなこと言うんだったら、厳しくしなくても後輩たちが練習するような方法を探してこい」などと言ってくる始末だった。


「まあ……それでもあの人と話したからこそ、こうやってみんなと話し合いができてるっていうのは、あるんだけどな」


 ああ言った以上はあの副部長も、後輩のことさえなんとかなれば敵対はしないはずだった。

 やはり今後の鍵を握っているのは、後輩への指導だ。

 自分たちがどう動くかによって、結果は大きく変わってくる。


「なんか、話が元のところに戻ってきたな……」


 今日はいろいろ話し合ってきたが、あらかた出尽くした感がある。

 ちょうどいい区切りなので、鍵太郎はここでいったん、今までの話を整理することにした。自分だけでなく他に何人も協力者がいるので、そこだけはきちんとしておきたかった。



###



「ええと、まずは……」

「まずは後輩たちに声をかけてあげなくちゃ――ってことだったよね」


 鍵太郎が順を追って今日話したことを思い返していると、咲耶がいつものように穏やかな口調で言ってきた。

 同じ楽器の後輩に心配な子がいると言っていた彼女だ。そこは大事にしたいところだろう。その後輩には自分も声をかけてやらなきゃなと思う。

 その咲耶の言葉を引き継いで、今度は隣花が冷静な口調で言ってくる。


「それを各楽器同時にやって。コミュニケーションを取りつつ後輩たちを指導していくんでしょ」

「ただし教え方は厳しいだけじゃなく、ちゃんとできたら褒めながら! それで一年生のレベルを上げていくってことだったわよね」


 隣花のセリフに被せるように、光莉もそう言ってきた。この二人は経験者同士のプライドなのか、なにかと衝突しがちなようだった。

 それにしても光莉も、そんなに噛み付かなくてもいいのにと思う。やっぱり彼女も、まだまだよくわからないところがある。

 そんな風に鍵太郎が首をかしげていると、今度はそれ以上によくわからない、双子の姉妹が言ってきた。


「それで上達した一年生を味方につけたら、今度は先輩たちとの話し合いに持っていくんだよね」

「その前に、できれば関堀先輩も味方にすると心強いかな」

「少なくとも、高久先輩と平ヶ崎先輩は味方になってくれるだろうな」


 二人の言葉を、バスクラリネットのオヤジ女子高生と首席トランペットの地味な先輩の姿を思い浮かべて、鍵太郎は補足した。あの二人はどちらかというと、自分たちに助言してくれる立場だ。

 しかし協力ということなら、あの人だって外せない。

 ここに来るまで本当に色々あったが――結局本番に乗るのはみんな、一緒のはずなのだ。

 だからこの計画の核心部分をはっきりさせるため、鍵太郎はそこで全員に言った。


「ただしこれは、貝島先輩を追い詰めるためじゃない。最終的にはあの人も全部巻き込んで、コンクールで金賞を取るのが目標なんだ」


 これは決して、私怨による反乱ではない。

 『民衆を導く自由の女神』――それを呼び起こすための蜂起だ。

 曲を演奏するのは全員だ。そのためにはこれまでいくら対立していようが、部長とは手を組む必要がある。

 そのことは、これまで虐げられてきた一年生にも理解してもらわないとならかった。

 ああ、そこも具体的にどうするか考えないとな――と、まだ抜けていた部分を鍵太郎が考えていると。

 それまで話を聞いているだけだった涼子が、こちらに向かって言ってくる。


「『北風と太陽』だね」

「ん?」


 このアホの子は、一体なんの話だ?

 鍵太郎はじめ他のメンバーがそんな顔をすると、涼子はそのまま、話の続きを述べてきた。


「ほら、あるじゃん。昔話で旅人の服を脱がすのに、北風と太陽が勝負したってやつ」

「……ああ、あったなそんな話」


 涼子が話しているのが有名な童話のことだとわかって、鍵太郎はうなずいた。

 『北風と太陽』。

 あれは確か、このふたつの力比べの話だったはずだ。

 そう言うと、涼子は「そうそう」とうなずいてきた。


「北風はさ。旅人の服を脱がそうとして、めいっぱい風を起こすんだよね。でも旅人は寒いから、よけい着込んじゃうの」


 これが貝島先輩だよね、と涼子は言った。確かに厳しい口調で後輩をバシバシ指導していくあの様子は、北風のようなものだった。

 では、それに対して――


「褒めて伸ばすって言った湊は、太陽だよね。あったかくして、旅人が自分から服を脱ぐようにしちゃうみたいな――なんか今日の話を聞いてたら、それ思い出した」

「まあ、言われてみればそれに近いかもしれないな」


 太陽というと大げさだが、彼女の言わんとしていることはわかる。

 北風と太陽。

 今の部長と自分との関係は、例えてみればそんなものかもしれなかった。

 そう言うと、横で越戸姉妹がボソリと言った。


「湊が、太陽で……」

「あったかくして、みんなの服を脱がす……」

「ちょっと待ておまえら!? なんか今、一瞬変なこと考えなかったか!?」


 この二人が言うとなんだか別の意味に聞こえて、鍵太郎は大慌てでそう突っ込んだ。

 これはあのオヤジ女子高生が聞いたら、即座に悪ノリしてきそうな話である。

「いいじゃん湊っち。みんなの服なんて、きみが全部脱がしちゃえばいいんだよ」――とか、なんとか。

 ニヤニヤしながら言ってくるに決まってるのだ。だから鍵太郎は止めようとしたが――

 それよりも早く、あのアホの子は高らかに宣言してしまった。


「わかった! じゃあこれは『きたかぜとたいよう作戦』だね! 決まり!!」

「わーい」

「それっぽーい」

「やめんかぁぁぁい!?」


 理不尽な強行採決に、鍵太郎は心の底から抗議した。

 しかしそれを押し戻すように、周囲から声があがる。


「別に、作戦名とかどうでもいいじゃない」

「重要なのは中身だよねー」

「……あんたにやましい心がないなら、なんだって構わないでしょ」

「え、ちょ……ええ……?」


 隣花も、咲耶も、光莉も。

 なぜかみんな、自分の味方をしてくれなかった。

 吹奏楽部の女子奥義、『数の暴力』。

 今回の計画の根本を成すそれの恐ろしさを、改めて思い知る形で――


「あれ、俺、太陽なんだよね……?」


 既に別の意味で服を脱いでいる彼女たちを、鍵太郎は呆然と見送った。


 『きたかぜとたいよう作戦』。

 部員全員を、すっぽんぽんにできるかどうかはさて置いて。

 その計画はテスト明けの――部活の再始動と共に、決行されることとなる。

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