第144話 後輩たちの思い
「ああもう。なんなんだよその、他の有効な手段って」
副部長と話した翌日。
そうぶつぶつと言いつつ
「おーい湊、おれレギュラー取ったぞー」
「え、マジか。すげえな」
顔を上げて鍵太郎は友人にそう言った。祐太は吹奏楽部ではなく、野球部の部員だ。
その中で二年生ながらもレギュラーを取ったらしい。鍵太郎も小・中学校と野球部にいたので、レギュラーを取る大変さはよくわかっている。
彼とは去年少しギクシャクしたときもあったが、がんばったんだなあ、と素直に賞賛することができた。順調そうでなによりだ。
振り返って自分は、とどうしても比べてしまって、鍵太郎はため息をついた。
「いいなあ祐太は。野球部楽しそうで」
「なんだよ。おれから見れば吹奏楽部で女子に囲まれてるおまえのが、よっぽど楽しそうだよ」
「ふふふ、今はちっとも楽しくなんてないぞ……」
逆にそんなことを言われて、思わず半眼になる。そりゃ周りから見れば女の子ばかりで華やかかもしれないが、実際の扱いは名実共に最底辺である。
そう思ってなるべく表立って反抗はせず、穏便にいこうとしていたのだが――ついにこの前、副部長相手にキレてしまった。
うまくいかないものだ。そう言う鍵太郎を見て、祐太は怪訝な顔をした。
「ふーん? なんかいつもと様子が違うな。なにがあったんだ?」
「あー、うん。実は――」
部外の人間に話せば、少しは客観的な意見を聞けるかもしれない。
そう思って鍵太郎は、最近自分の周りであったことを話し始めた。
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「はー、なるほどねえ。先輩たちが強硬で、後輩の言うことを聞いてくれないと。なんかひと昔前の体育会系みてえだな。吹奏楽部も大変だ」
「だろ? そう思うよなあ」
ひと通り説明を終えて友人から出てきた言葉に、鍵太郎は少し安心した。外から見るとこの部活、やっぱりちょっとヘンなのだ。
あまりに先輩たちが厳しすぎて、後輩たちが萎縮してしまっている。
やる気を出せと怒鳴るようなやり方でどうにかなるならとっくにそうなっているはずなのに、先輩たちにそう言ってもきかないのだ。
時代遅れにも感じるあれは、いったいなんなのだろうか。
体育会系文化部とも呼ばれる部活に所属する鍵太郎は、元野球部として思っていることを口にした。
「最近は結果が全てのプロ野球の世界だって、選手のメンタルはもう少し理論立てて科学的に管理してるはずだろ? ど根性だけで通用していた時代なんて、もうとっくに終わってると思うんだけどなあ」
「まあ、おれは音楽のことに関しては門外漢だからなんとも言えねえけど……でも確かに話聞いてると、チームとしてはもうちょいやり方はあるような気はするな」
「そうなんだよ。けどそれを言ったらあいつら、『やる気ないのか!』って怒るんだ」
やる気はあるから建設的にどうにかしようとして、話し合いをしようとしているはずなのだが。
みなそれぞれにこだわりがありすぎるせいなのか、まるで自分のやり方を変えようとしない。こんなに体育会系なのに、そういうところだけ芸術家気質を発揮しないでほしかった。
そんな風に相談というより、いつの間にか愚痴になってきている自覚はあるのだが――今は言わないとイライラが治まりそうもなかった。ひょっとしたら吹奏楽部に入ってこれまでで、今が一番ストレスを溜めているかもしれない。
本来ストレスを解消する場所のはずの部活で、なんで俺はこんなことをしてるんだろう――そんなことを頭の片隅で疑問に思いつつ、鍵太郎は教室で部外の人間に愚痴を言い続けた。
しばらくすると、ふと気付いた調子で祐太が言う。
「……あれ? そういえばおまえ、なんでひとりで悩んでんの?
「は? なんであいつの名前が出るんだ?」
同じ吹奏楽部の女子部員の名前が出てきて、鍵太郎はきょとんとした。
彼女と祐太もクラスメイトではある。だから名前を出したのかもしれないが――
いつもこちらへ顔を真っ赤にして怒鳴ってくる彼女の顔を思い浮かべて、鍵太郎は祐太に言った。
「あいつなら、どっちかっていうと先輩寄りの立場だけど」
「はああああああー? マジかよー」
「いやこっちこそ、マジでなんなんだよ」
祐太が不満そうにそう言うのを見て、鍵太郎はそう言い返した。しかし友人にちゃんと答えてくれる気はないらしく、「せっかく頼んだのに、全然支えてとかねえじゃねえか。後でテコ入れだな、テコ入れ」などとわけのわからないことを言っている。
こちらもなんなのだ、いったい。
そう思って鍵太郎はさらに追求しようとしたが、それより先に祐太が「いや、いいんだ。こっちのこと」と手で制してきた。
「あ、そうそう、そうだ。今のおまえの話を聞いてたら、ちょっと前に
「話をそらすな……って、変な話?」
彼女のことは気になったが、それ以上にその吹奏楽部の変な話とやらの方が気になった。
とりあえずそちらいったん置いておいて、そちらを聞くことにする。友人の言い回しからして、あまりいい話ではなさそうだが――
鍵太郎が少し身構えると、裕太はその内容を告げてきた。
それはある意味、既に予想していたことで。
そしてもっとも恐れていた――最悪の形だった。
「ああ。なんか吹奏楽部の一年生、部活辞めたがってる子が結構いるみたいだぞ」
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だから言ったんだ、と思う。
「それは逃げるための言い訳だなんて、もうそんなこと言ってる場合じゃないんですよ、先輩……!」
放課後になって音楽室へと足早で歩きつつ、鍵太郎は歯をぎりぎりと軋ませた。
部外の友人が言っていたことは、そんなことあるわけない、と一笑に付してしまえる噂話などではなかった。
吹奏楽部の一年生が何人も、部活を辞めたいと教室で言っていた――。
それは自分自身の先ほどの状態からでも、十分に信憑性のある話だった。
二年生の自分でさえこうなのだ。一年生、まして初心者で入ってきた子なら、あの雰囲気に耐えてまで楽器をやる意味が見出せなければ辞めてしまう人間もいるだろう。
言い訳は許さないなんていうのは、それこそ部内にいるからこそ言える言葉だ。
自分たちの基準を絶対にして高をくくっているから、結局あんたらの周りには誰もいなくなるんじゃないか――そう、引き続き副部長に向かって毒づいていると。
鍵太郎の視界に後輩の姿が入ってきた。
「……宮本さん?」
バリトンサックスの一年生――
両サイドにぶっとい三つ編みを下げた彼女は。
鍵太郎と初めて会った場所で――ぼんやりと、音楽室の方を眺めていた。
「……あ。湊先輩ですか」
「どうしたの? 大丈夫?」
友人の話を聞いていただけに、嫌な想像が頭をよぎる。
そういえば、選抜から帰ってきてから朝実の様子は少しおかしかったのだ。
振り返った後輩は笑っていたが、その表情にはどこか陰があるように見えた。
「あはは。大丈夫ですよ。……でも」
「……でも?」
「ちょっとだけ……ちょっとだけ。部活に行きたくないなーって、考えてました。あはは……」
「……っ」
困ったように笑う後輩に、自分の顔が歪むのを鍵太郎は感じていた。
もっと早くに、この子の話を聞いてあげるべきだった――そんな強烈な後悔に襲われる。
それでも念のために先ほどの話の真偽を確かめるため、鍵太郎は口を開いた。
「……ねえ、宮本さん。一年生の何人かがうちの部を辞めたがってるって聞いたんだけど……あれは、本当?」
「……何人かは、そう言ってます」
「……そうか」
友人の話は本当だったのだ。
できるなら否定してほしかった。しかし、それはもう認めるしかないことだった。
ならば――
朝実の返答を心の中に重く落とし込んで、鍵太郎はもうひとつ訊くことにした。
「……あのさ。宮本さんも、辞めたい?」
こちらの方が訊くのがつらくて――喉になにかが詰まったかのように、息苦しいものだった。
まるで最近の合奏のように、重い雰囲気。
「わたしは」
そんな中で吹奏楽部に入って、初めてできた後輩は――
いつものように正直に、思ったままを口に出した。
「わたしは先輩がいるから、そうは思いません」
「……」
「湊先輩も、高久先輩もいるから。わたしはそこまではまだ、考えてません。変態さんで、おかしな先輩だとは思いますが――それでも私は、先輩たちのことが大好きですから」
「……宮本さん」
「コンクールがどういうものかは知らないし、金賞っていってもよくわかんないですけど……わたしにとっては、それだけは確かなので」
そう言って、こちらを真っ直ぐに見てくる朝実を、鍵太郎は見返した。
自分たちの演奏を聞いて入ってきてくれた後輩は、まだここを見捨ててはいなかった。
それは救いだった。
救いだったけれど――ただ、それに安心してもいられないようだった。
朝実の頭と三つ編みがしゅんとして、「でも、他の楽器の子はちょっと違うみたいです」と言った。
「まあ確かに一部の三年生は怖いので……だから部活に行くの、ちょっと気が重かったりは、します」
「そっか……そうだよね」
やはりこのままでは、事態が悪化していくことだけは間違いないようだった。
どうにかしないと、と改めて思う。
だがこの場はとりあえず、朝実は先輩に話したおかげで少しは気が軽くなったらしい。いつもの調子で言ってくる。
「けどだからって、こうしてないで早く行かないとですね! また貝島先輩に怒られちゃいますもんね!」
「……うん」
朝実が三階への階段を上り始めたので、後を追って鍵太郎も音楽室へと向かった。
そんな彼女の背中を見て、思う。
「……どうする」
もうなるべく穏便になんて、言ってる場合じゃなくなった。
このままでは金賞を取るどころの話ではない。
下手をすれば部活自体が崩壊する。
早く、なんとかしないといけない――その焦りのままに、次の手を模索した。
そこで引っかかってくるのは、やはりきのう言われた言葉だった。
「……他の有効な手段」
部長も副部長も他の部員も、全員が納得できるような。
そんな、魔法のような選択肢を探せと言われた。
こんな状況でそんなものがあるのか。
そう思っていたが――
「……あ」
ひとつだけ心当たりがあって、鍵太郎は目を見開いた。
思わず足が止まって、それに気付いた後輩が振り返ってくる。
「先輩? どうしました?」
「いや……なんでもない」
あのとき使うのをためらったような、そんな選択肢のはずだった。
選抜バンドに行ったときにそう思った。それをやったら結局、同じ穴の狢というか――間違いだと思った相手のことを、肯定してしまうような気がした。
そう思って、あいつみたいには使ってこなかったのだが――
「……先輩?」
今はもう、そんな場合ではないのかもしれなかった。
首を傾げる、なにも知らない後輩を守るためなら――もしかしたら。
「……ねえ、宮本さん。一年生たちに伝えておいて」
最悪の場合の覚悟を密かに決めて、鍵太郎は後輩に言った。
「いざとなったら――俺が、なんとかするって」
おまえに必要なのはそれだという――あいつの声が聞こえた気がした。
###
同時刻、二年生の教室で。
「ちょっとちょっと。千渡さん」
「?」
こいつが話しかけてくるということは、あの馬鹿の話だろうか。
光莉がそう予想したとおりに、彼は言ってくる。
「困るよー。せっかく言ったのに、全然あいつのこと支えてやってないじゃん」
「……そのことなら」
ため息をついてそれに応じる。去年こいつに彼のことを頼むと言われたが、そもそも前提からしておかしかったのだ。
なぜなら。
「あいつ、私がやらなくても先輩に支えられてるんだから。いいじゃない別に」
そうなのだ。あの野郎、こっちの気も知らず、まだ卒業した先輩のことを引きずっていやがるのだ。
言ってることがあの先輩と変わらないことからも、それは明らかだ。
そんなヤツといくら話したところでしょうがない。まったく、あいつなにをやってるんだか――そう眉をしかめて、光莉は言う。
「また誰かに取られるとか、そういう話? あんな調子じゃそんな心配ないわ。あの馬鹿――」
「いやあ。そうじゃなくてさ」
「……?」
そうじゃないなら、なんだというのか。首を傾げる光莉に向かって、野球部の彼は言った。
外から見ているからこそ客観的に――二人の状況を。
「このままツンツンしてたら、そのうちあいつ自身が千渡さんの手の届かないところに行っちまうんじゃないかって――おれはそう思うんだけどなあ」
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