第11幕 レジスタンス
第140話 連鎖の始まり
「湊先輩、おかえりなさい!」
「選抜バンドおつかれさまでした! 演奏、すっごかったです!」
「ああ、ありがとう……!」
目をキラキラさせてそう言ってくる後輩がありがたすぎて、鍵太郎は目頭を押さえてそう応えた。
本番の後もなんだかんだで色々あったりもしたのだが、そう言ってもらえればやった甲斐があったというものだ。
県の高校の吹奏楽部員たちを集めて行われた、選抜バンド。
鍵太郎はきのうまで、それに参加していた。自分の学校にいるだけでは決して聞くことができなかっただろう話、聞けなかった音が聞けてとても楽しかった。
今度は自分の学校でも、あんな演奏をしたい。
そう思って帰ってきて――こうして、朝実も喜んでいるのだ。選抜とは条件もメンバーも違いすぎるけれど、同じように考えてくれた人も多いはずだ。
そう思って鍵太郎は、無邪気にはしゃぐ後輩に言う。
「宮本さん、今度はうちの学校でもあんな演奏をしようね」
「え……」
「ん?」
そこで朝実が驚いたように言葉を止めたので、鍵太郎は戸惑った。
いつも元気な言動が印象に残っているだけに、後輩のこんな反応は予想外だった。
どうしたのだろうか。首をかしげると、朝実は早口で訊いてくる。
「ほんとですか? わたしたちにもあんな演奏が、できるんですか?」
「あ……うん。できると思うよ」
「……そうなんですか?」
「宮本さん?」
なにやら、後輩の様子が少しおかしい。
そう思って、鍵太郎が詳しく話を聞こうとすると――
「あなたたちーッ!! しゃべってないで、早く楽器出して練習始めなさい!!」
「は、はいーっ!?」
「すみませんでしたーっ!?」
音楽室の一番奥から、ちびっこ鬼軍曹の喝が飛んできた。
変わらぬその迫力に、二人は恐れおののいてその場を逃げ出す。それで結局、後輩の話は聞きそびれてしまった。
###
「みなさん、きのうの選抜の音は聞きましたか!? あんな演奏をしたいのなら、なおさら練習しないとだめです!!」
部活が始まってそのちびっこ鬼軍曹、
「『海の男たちの歌』……! 鎖じゃらじゃら……! やりたかった、私もやりたかった……!」
「あー……。錨の音ですね」
鍵太郎は拳を握り締める優を、生暖かいまなざしで見守る。打楽器担当の血が騒ぐのか、優はやはりそのあたりを中心に見ていたようだ。
船の錨の音を模して、舞台の床に叩きつけるように振り下ろしていた鎖。
最初見たときはなんじゃありゃと思ったが、あれも大事な曲の一部だった。
なんだかんだ言いつつも、この人もやりたいことはやりたいのだ。そう思って鍵太郎は、部長に言う。
「あの先輩、やっぱりみんなやりたいことやったほうが、いい演奏に……」
「選抜は総じてレベルが高かったから、そんなことが言えるんです! ウチであんなことをやりたいのなら、今より厳しい練習は必須です!」
「いや、そりゃそうですけど、そのためには……」
「問答無用ーッ!!」
完全にエキサイトしている部長は鍵太郎のセリフをさえぎって、でっかい合奏用メトロノームをダン! と指揮台の上に置いた。
「一ヶ月半後のコンクールでは、私たちもあんな演奏をするんです! そのためには練習です! ロングトーンにリズム練習! 徹底して基礎練です!」
「合奏は……」
「そういうことはちゃんと吹けるようになってから言いなさい!」
「ぐう……!」
正論といえば当然の正論に、鍵太郎はなにも言えなくなってしまった。
あんな演奏をしたいという思いは伝わったようだが、やはり部長は相変わらずだった。
変わったものと変わらないものがあったとすれば、この部活はまだ、変わっていないのだろう。
そんな簡単なものではないのだ。
それを教えてくれたあの他校の三年生には、感謝すべきか、そうでないのか――
「……まあ、それでもなんにも変わらなかったわけじゃ、ないもんな」
それも含めて苦い思いを噛みしめつつ、鍵太郎はつぶやいた。
大事なのはここからだ。一気には変わらない。
この先、変わるようにやり続けていくことが重要ということだ。
ため息をついて苦笑し、鍵太郎も部員たちに混じって音を出す。
「……え?」
そして、自分でちょっとびっくりした。
選抜で吹いた効果がまだ続いているのか、出した音が予想以上に音楽室に広がっていくのだ。
変わったものがあるのなら、それはまず自分だということなのだろうか。
というか、他の部員たちの音が小さく感じた。選抜のメンバーと比べるのもどうかと思うが、必死な顔をして吹いているわりには、うまく音になっていない。
それは鍵太郎に、本番当日に音が変わったあの気弱なチューバ吹きを思い出させていた。
「……」
誰かの言葉で誰かが変わり。
音が変わるなのら――
「……よし」
つぶやいた鍵太郎は、大きく息を吸って、吐いた。
音楽室全部を埋めるように、音が行き渡っていく。
すると、それに反応するように後ろのトロンボーンの音が大きくなった。
振り向くことはできないが、この音は涼子だ。
「……!」
あのアホめ、と鍵太郎はひどく愉快な気持ちになった。
わかってやってるのか無意識になのかは知らないが、それでもなにかが変わったということ自体が嬉しい。
これがもっと広がればいいと思ったのだが――やはり、そこまでうまくはいかないようだ。
音量の連鎖はもう少しだけ広がったものの、その先にはいかず止まってしまった。
しかし、できないわけではないのだ。それがわかっただけでも気力が湧いてくる。
これ以上に音を変えるにはどうすればいいだろうか。
そう考えながら、鍵太郎は練習を続けた。
###
そして――変わったものと変わらなかったものがあるとしたら、
「なに考えてんの!? あんた選抜行く前と、言ってることがぜんっぜん変わってないじゃない!?」
「……おまえも相変わらずで安心したよ」
練習が終わってから光莉がいつも通り顔を真っ赤にして怒鳴ってくるのを、鍵太郎は苦笑いで見返した。
確かに音は変わったが、先ほど自分が部長に対して主張したことは、彼女の言う通り選抜前とほとんど変わっていない。
それがこの同い年には信じられなかったらしい。まあこいつはきのうの演奏聞いてないだろうし、余計そう感じるよなと思いつつ、一応確認のために訊いてみる。
「おまえさ、きのうの本番、聞きに来たか?」
「……行ってないわよ」
「やっぱり」
「な、なによ」
「いや、聞きにくればよかったのにって」
「あんた、なに言ってんのよ……!?」
こちらの言葉に、光莉はおびえたように後ずさった。やはり中学での失敗は、未だに彼女の中でトラウマになって残っているらしい。
同じ中学の面子に会いたくないと選抜の本番を聞きに来なかった光莉は、『彼』に会えなかった。
口を引き結んでたじろぐ彼女に、どうやって言ったらいいものかと思案して。
鍵太郎はとりあえず、思ったままを口にした。
光莉とは中学で同じ部にいたという――あいつのことを。
「……なあ、池上って覚えてるか? おまえが宮園中で同い年だった」
「え……?」
そう訊かれて、光莉は戸惑ったように口ごもった。
しばらく考えていたが、やがて首を振る。
「……ごめん、覚えてない」
「そっか……まあ、うん」
あいつ自身も「覚えてないだろうな」とは言っていたけど。
それでも少し、やりきれないな――そう思いつつ、鍵太郎は表情を曇らせた光莉に告げる。
「そいつさ、おまえのこと怒ってなかったぞ」
「……ほんとに?」
「ほんとに」
正確には、怒っていなかったというか――なんだろう。
それでも「
だからこれから言うのは嘘ではない。
きっと。そう思いながら、鍵太郎は光莉に言った。
「おまえのこと心配してた。だから俺にいろいろ教えてくれたよ」
「……そう」
「そうだよ。だから来ても大丈夫だったんだ」
「そう……かなあ」
まだ信じられないといった風に、光莉は少しうつむく。そんな様子を見ているとそれ以上言うのは、はばかられた。
彼が言った「千渡光莉は間違いを犯した」というのは、一体なにを意味していたのか。
それがなにかは、おそらく彼女自身もわかっていないのだろう。
わかっていれば、とっくに自分でどうにかしている。
ならば折を見てそれも探っていこう。なにか心当たりがあれば、言ってやろう。
それがなんだったのかを知ることは、おそらく彼女のトラウマを克服する――『変わる』第一歩になるのだろうから。
「……ああ。そういうのが重なって、段々変わっていくのかな」
先ほどの練習を思い出して、鍵太郎はそうつぶやいた。
誰かが変われば誰かが変わり。
そして、音が変わる。
そう思った鍵太郎は、ぐるりと音楽室を見渡した。
「この広さなら……できないことじゃない、よな?」
ならばその連鎖は、全部を変える日が来るのではないか――そんな気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます