第136話 果てしなき理想

 選抜バンド、二日目の朝。

 湊鍵太郎みなとけんたろうは、リハーサルのために自分の楽器を出していた。

 県の高校の吹奏楽部員たちが集まり、泊りがけの合宿形式で行われている選抜バンド。

 それはきのうの練習、今日の本番の二日間の日程になっている。

 きのうは正直どうなることかと思ったが、そこは各校より推薦されてきたメンバー。

 なんだかんだ色々あっても、やろうと思えばできるものらしい。

 きのうの濃い一日を思い出し、鍵太郎は苦笑した。

 たった一日、されど一日だった。

 いろんな人がいて、いろんな意見を聞いて――さて、これから自分はどうしようと思う。

 というかここに来た当初の目的は、それなのだ。

 人とは違う、自分の楽器ケースを見て思う。文字通り、これからが本番だった。

 なにを選んで、どこに進むのか。

 このケースの文句を言った後、顧問の先生とどんな話をしようか――

 そんなことを考えながら、鍵太郎は楽器を持って舞台に向かった。



###



「音出しはちゃんとしろ、このクソボケがあぁぁッ!」


 そんなことを考えていたら、鍵太郎の隣でウォーミングアップをしていた池上俊正いけがみとしまさがそう怒鳴ってきた。


「なんか悟った顔で、澄まして吹いてんじゃねえぞテメエ! 本番だ本番! こ・れ・か・ら・が、本番なんだぞおぉぉぉっ!?」

「わ、わかってるわかってる! だからベルこっちに向けて爆発音みたいな音出すのやめろよ!?」


 頭がすっぽり入ってしまいそうな、お化けみたいな大きさのベルからガスガス音をぶつけてくる池上に、鍵太郎はそう反論した。言っていることは正しいが、相変わらず彼の音質はエグくてきつい。

 そんな二人のそのやりとりに、パートリーダーの清住純壱きよすみじゅんいちがおかしげに笑う。


「あはは。まあ朝だからね。身体も起きてないし、思ったようには出ないと思うけど。でも湊くん、ストレッチするみたいにちゃんと音出しはした方がいいよ」

「ストレッチ、ですか」

「そう。いきなりアクセル踏み込んだって、急には加速できないからね。無理もしがちになるし。準備運動は必要だよ、準備運動は」


 首をかしげる鍵太郎に、そう言って清住はやたら高い音を出し、そしてとても低い音を出した。

 なにをやっているのか最初はよくわからなかったが、見れば彼は、楽器の運指表上の最高音と、最低音を出しているらしい。

 音のストレッチだ。元野球部の鍵太郎は、練習前にやっていた準備運動を思い出していた。


「普段使わない音域でも、出しておかないとできることの幅が狭くなるからね。あとは音の切り替えがスムーズにいくように、リップスラーの練習を――」

「その前にとりあえず、エンジンかけなきゃだろ。ノンアタックと最大音を出して、音の最大値を上げてからやんねーと。そうしなきゃ、どんな練習してもうまくいかねーぞ」

「それもそうだけど、やりすぎるのも音が汚くなる原因だよねー。池上くん、それちゃんと自分で制御できてる?」

「あんだとテメエ、ケンカ売ってんのか……!?」

「ああもう、相変わらずこの二人は……」


 自分を挟んで展開される強豪校二人のプライドの激突に、鍵太郎は額を押さえた。二人とも、言いたいことは分かったから、もう少し静かにしてもらえないだろうか。


「……」

「あ。さっそく盗んでやがる、あのハゲタカ……」


 彼らの言葉を聞いていた、県の高校ナンバースリー、荒町鷹尾あらまちたかおが無言で今のストレッチを取り入れている。

 それを見て鍵太郎は呆れつつも、思わず苦笑いをした。したたかではあるが、それはそれで見習わなければならない姿勢だと感じられた。

 強豪校の連中は、音出しの時点からもう上手いなと思う。

 ただ漫然と練習するだけでなく、ちゃんと目的があって、それに向かってやっているのだ。

 その目的というのは――


「……なんなんだろうな」


 いろいろ考えが出てきてしまって、鍵太郎は首をかしげつつ遠くを見た。

 自分がどこに向かっているのか、自分の頭で考えたほうがいいと言ったのは、そこにいる入舟剛いりふねつよしだったが。

 なんのためにこうしているのか、といったら、その理由は際限がなかった。

 自分の実力をきちんと発揮するため。

 本番を成功させるため。

 金賞を取るため。

 聞いている人に喜んでもらうため。

 あるいは――なんだろう。

 どんどん遠くに広がっていく。

 そのうちのどこに向かおうか、それを選ぼうと思ってここに来たのに。

 きのう一日で、少し考えが変わってしました。

 ひょっとしたら、自分が選ぶべきなのは――


「ホラ、ぼーっとしてんじゃねえ! 時間がねえんだぞ、じ・か・んがあっ!?」

「わかった、わかったよ!?」


 再びせかしてくる池上にそう言って、鍵太郎は音出しを再開した。

 きのうまでとは違う、今彼らに教えてもらったやり方でだ。

 ここに来たときは、こいつらの言うことを素直に受け止められなかったのに。

 気が付けば、そのやり方もいいな、と思うようになっている。

 全部わかるのだ。

 自分で引っ張る強引さが必要なのも。

 犠牲を出したくないと思いつつも、結果を切実に求める心があるのも。

 したたかに努力を続ける姿勢を見習うべきなのも。

 なんのために吹くのか、それを考えることも。

 この四人を見ていると――


「やっぱり、みんな正しい気がするんだよな……」


 全員が一緒に存在できる。

 きのうの夜、そんなこの舞台がすごく、好きだなと思った。

 ひょっとしたら、全部ひっくるめて選べるこの選択肢こそが――自分の求めてる、『正解』なんじゃないかと。


「……それこそ、ガキじみた理想だけどな」


 この音の渦の中で鍵太郎は、そんな風に思うのだ。

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