第130話 ごちゃ混ぜの中で
「チューニングは一発で合ったね。さすが選抜バンド」
各メンバーの出した音を聞いて、
県の高校の吹奏楽部員たちが集まる、選抜バンド。
これから初顔合わせの後の、練習が始まるのだ。
「たりめーだろ。このぐらいでつまづいててどうするんだよ」
噛みつくようにそう言ったのは、やはり
トップ争いのライバル同士である。なので、初めて会ってからずっとこの調子だった。
笑顔のままひくりとほおをひきつらせる清住へ、池上がさらに攻撃をしかける。
「チューニング合わねえなんて、そんなレベルの低いことやってらんねえよ。まさかそこからやろうとしてたのか? この中で最年長のリーダーさんよォ?」
「はっはっは。選抜は書類選考だったからね。レベル差があることもある程度想定してたんだよ。あらゆる事態を想定して、対応策を練っておく。それはリーダーとして、ひとりの演奏者として当然だと思うんだけど?」
「クックック」
「はっはっは」
ばちばちばちばち。
二人の間ににこやかに火花が飛び散りまくっていた。
「あのぅ、二人とも、ケンカはやめましょうよぉ……」
そんな二人に対して、
「……」
清住と池上に次ぐナンバースリー、
出身校も性格も、見事なまでにバラバラの選抜バンド。
自分以外のそんな面子を順々に見回して。
「……こいつら、本当に明日の本番大丈夫なのか」
それはある意味、全員の意見を代表したもののはずなのだが。
今はそれは、誰の耳にも入らなかったらしい。全く反応がなかったので、鍵太郎はもう一度額を押さえ、ため息をついた。
###
とりあえずいったん落ち着いて、練習を始めようということになり。
「じゃあまずは、ゼビアから合わせようか」
そう言ったのはチューバパートのリーダーである、清住だ。
明日、選抜の本番でやるのは二曲。
そのうちの一曲がこの『最果ての城のゼビア』になる。この曲は清住のいる富士見ヶ丘高校の定期演奏会でも演奏されたものだ。
鍵太郎は客席でそれを聞いていたが、あのときの演奏はすさまじいものだった。
しかし今回は、それと一緒に吹けるのだ。三年生ということは清住は、あのとき舞台に上がっていたのだろう。
彼の技術はぜひ参考にしたい。楽譜を出して、譜面台の上に置く。
「……しかし、なんでオレが、富士見ヶ丘の選んだ課題曲吹かなきゃならねーんだ」
そんな鍵太郎の隣でぶつくさ言っているのは、池上だ。
『最果ての城のゼビア』は、今年のコンクールの課題曲のひとつでもある。課題曲は、吹奏楽コンクールで必ず演奏しなければならない曲のことだ。
大会の出場校は、五曲(年によっては四曲)ある課題曲の中から、ひとつを選んで演奏することになっている。
池上の口ぶりからするに、彼の所属する宮園高校はまた別の課題曲を選んだのだろう。
清住と池上は、それぞれの曲について話し始める。
「今回の選抜バンドは
「そ。ファゴットの音量足りなくて大変だよ。あれ絶対、参考音源はミキサーで音量いじってるだろ」
「そんな話だね。それにあの曲、チューバは弦バスの役割をしなくちゃならないって調べたときに見かけたんだけど――」
――なんか、遠い世界の話をしてるな。
二人がそんな話をしているのを聞いて、鍵太郎は悔しいような、悲しいような、そんな気持ちにさせられた。
課題曲の制度は、A部門にのみ課されたものだ。
B部門の鍵太郎には関係ない。なので、聞いているだけで会話に参加できなかった。
しょうがない。彼らとは元から、吹いている環境が違いすぎる。
システム的にもどうしようもないことだとわかってはいるのだが――なんとなく、おまえは戦力外だと言われているような、そんな惨めな気分にさせられた。
だから、A部門の連中はあまり好きにはなれないのだ。
そんな鍵太郎の心境など知ってか知らずか、清住は「じゃ、改めて。やってみようか」と言った。
全員が楽器を構える。
清住が合図を出して、パート練習が始まった。
###
吹きながら、鍵太郎はリーダーの、そして全員の音を聞いていた。
やはり一番やり慣れているおかげか、清住が一番スムーズに曲を運んでいる。一歩切り替えの早い彼が全体の流れをリードし、それにみんながついていくという構図になっていた。
その中で個別に音を聞いていくと、清住は硬軟織り交ぜつつ、きれいな響きを保っているという印象だった。
品がある、と言っていい。しかし欲を言えば、若干パワーが足りないようにも感じた。
それに対して池上は、清住にはない鋭さを持っている。アクが強いというか、こちらは正直ちょっとエグい。
うるせなあコイツと思いながらも、しかし彼の音の方向性は意外と正確であるということも、鍵太郎は気づいていた。
隙あらば清住に取って変わろうという感じだ。そしてそれは、いつ起こっても不思議ではない。
とにかく、早くて正確で鋭い。演出の仕方もはっきりしていて、隣にいると引きずられて同じように吹いてしまいそうだった。
それほどまでに支配力が強い。さすがあいつの生徒だ、と思いつつ、全部を持っていかれないように注意をしながら、鍵太郎は荒町の音にも耳を傾けた。
彼は太めの体格を生かして、誰よりも厚みのある音を出している。身体全体を楽器にして、一番太い音を打ち上げている感じだ。
寡黙で動かない印象の強かった荒町だが、今はまるで重戦車のような存在感を出していた。その分小回りは利かないようだが、先の二人ともまた違う良さを出している。
やはり、この三人は別格だった。
A部門三人はそれぞれ、自分の特徴を生かしたプレイスタイルを――『武器』を持っているのだ。
熾烈な争いの中で、彼らが磨きぬいてきたそれ。
それに比べて入舟や自分の音は密度が薄くて、どこか安定しないように感じた。
やはりこいつらには敵わないのか。
同じ楽器を吹いているはずなのに、こうまで違うのは――
そう思ったそのとき。
それまで聞こえなかった音が、一瞬だけ聞こえた。
すぐにかき消されてしまったが――それはこれまでのどんな音よりも、煌めいたもののように鍵太郎には聞こえた。
A部門の三人ではない。
ならば――
そこでちょうど、曲の切れ目になる。いったん合わせが終了し、全員が吹くのをやめて楽器を下ろした。
そこで鍵太郎は、改めて彼の顔を見る。
「ああ。みんな上手いなあ」
そんなことを言う、同じB部門の。
そして一番情けない笑顔を浮かべている、入舟剛の顔を――。
###
「上手いなあ、じゃねえよこのボケナスが!!」
入舟のセリフに即座に食って掛かったのは、やはりというかなんというか、池上だった。
「てめーはなんなんだよ!? いまいちパッとしねえ音出しやがって!? やる気あるんだかねえんだかわかんねえんだよ!?」
――パッとしない?
その言葉に、鍵太郎は首をかしげた。
池上には聞こえなかったのだろうか、あの一瞬の音が。
しかし言われた当の入舟でさえ、「ああああ。すみませんすみません」と謝り倒している。
そんな彼の様子を見ていると、さっきのあれは聞き間違いだったのだろうかとも思えてきた。
いや、しかし確かに聞こえたと思ったのだが。
なにかの拍子に出た、まぐれだったのだろうか。そう鍵太郎が再び首をひねったそのとき。
「てめえもだ、なんか変わった学校のやつ!」
「ほえっ!?」
池上の矛先がこちらにも向いて、鍵太郎はびっくりして背筋を伸ばした。
「人の音を聞いてばっかりいるんじゃねえよ! 人に合わせようとするな! そんなのが隣にいたら、こっちはうっとおしいんだよ!」
「た、確かに聞いてたけど……!」
別に合わせようとしていたわけではない。そんな言い方はないのではないか。
内容よりもその剣幕に反射的にムッとしていると、さらに池上は言ってきた。
「人に頼るな、流れは自分で作り出せ! 今てめえに必要なのはそれだ!」
「俺は自分の音がわからなくなってるから、ここで他の人の音を参考にしたくて……って、え?」
言い返しかけて、そこではた、と鍵太郎は言葉を止めた。
今、こいつなんて言った?
おまえに必要なのは、それだ?
この男今、自分がこれまで必死に追い求めていた『答え』を、あっさり口にしなかったか――?
それを悟って、鍵太郎は驚きに目を見開いた。
池上はそんな鍵太郎に対して少し調子を緩めて、視線をそらして言ってくる。
「……なにをそんなに迷ってるんだか知らねえが、そんなもんとっとと振り払っちまえよ。できるのにやろうとしねえやつが、オレは一番ムカつくんだよ」
「おまえ……」
鍵太郎は池上に言われた言葉を、胸中で繰り返した。
人に頼るな、流れは自分で作り出せ――
それは人の言葉を聞きすぎると言われた鍵太郎にとって、自分だけでは絶対に見つけられなかっただろう『答え』だった。
彼の口が悪いために、すぐにはそれとわからなかったが。
隣で吹いていた池上は、即座にこちらが抱える問題に気づいたらしい。
そして、彼なりにそれを伝えた。
言った本人は、ばつが悪そうに目をそらしているけれども――
「……あ、おまえ照れてるのか?」
「ばっ、ばっか、勘違いするんなよ!? 隣でそんな音出されたら迷惑だから、言ってやっただけなんだからな!?」
「ああ……まあ。うん。ありがとう」
「ケッ」
今度こそ顔が見えなくなるほど、池上がそっぽを向いて。
その動作に苦笑するように、荒町と清住も口を開く。
「スランプ、ということか。誰しもある」
「なるほどね。そういうことなら早く言ってくれればいいのに」
「あんたら……」
思ってもみなかった反応が来て、鍵太郎は驚いて彼らを見返した。
その視線に、清住が答えてくる。
「そういうことだったら、いくらでも力になるよ。選抜はA部門もB部門もごちゃ混ぜの大編成バンドだ。明日の本番のためにも、きみのこれからのためにも、この機会にいろんな人の奏法を教わっていくといいよ」
「いい、のか?」
「レベル差があることも、ある程度想定してたって言ったろう?」
そう言って、清住は茶目っ気たっぷりに肩をすくめた。
荒町も異存なしといったように黙っている。
そして相変わらず、池上は自分とは反対方向を向いていて――
その光景に、鍵太郎はなんだか笑い出したくなった。
A部門の連中はいけ好かない、と思っていたが。
蓋を開けてみれば、そんなこともなかったのだ。
「……わかった。よろしく頼む」
鍵太郎は少し力を抜いて、その場にいた全員にそう言った。
ここでは彼らもみな、ただひとりの演奏者なのだ。
本番に向けて誠意を尽くす、ただそれだけの――
鍵太郎がそう思ったとき、清住がにっこり笑って言った。
「じゃあ、まずは池上くんが湊くんを教えてあげてね」
「はぁ!?」「え、こいつに?」
池上と鍵太郎が同時に声をあげた。
しかし清住はまったく動じず、むしろさらに笑みを深めて、二人に宣告する。
「そう。僕は入舟くんを教えるから。どうも彼と池上くんは、合わないみたいだしね」
「お、お気遣い痛み入ります……」
池上の視線にガタガタ震えながら、入舟がそう言った。
そんな様子からしても確かに入舟は、性格的に清住が教えた方が合うかもしれなかった。
かもしれなかったが――むしろそれは建前で、清住は本音では、なにかと突っかかってくる池上を厄介払いしたいだけなのでは、と鍵太郎は思った。
それを証明するように清住は、それまでとは段違いに上機嫌で言ってくる。
「いやー我ながらナイスな人選! リーダーの面目躍如といったところだね!」
「オレにはてめえが、ものすごい腹黒いリーダーに見えるんだが……」
「そうだよー。リーダーだよー。だからみんな、僕の言うことをきくんだ!」
『えー……』
「はいはーい。時間は限られてるよー? つべこべ言わなーい」
不満の声をあげるメンバーに、清住がぱんぱんと手を叩いた。
選抜バンドは、今日と明日の二日間。
そんな限られた時間ではあるが、全員で本番に向けて――
「……なんでオレが、おまえを教えなきゃならないんだ」
「それは、こっちのセリフだよ……」
――一丸となってがんばれるか、と訊かれれば、鍵太郎は首をかしげざるを得なかったのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます