第131話 なんの因果か、因縁か

 県内の高校の吹奏楽部員が集まる、選抜バンドのただ中で。

 湊鍵太郎みなとけんたろうは、きのうまでは思いもしなかった状況に、どうしたものかと頭を悩ませていた。

 そのままちらりと、隣を見る。

 そこには同じ楽器のメンバーである、池上俊正いけがみとしまさがいる。

 彼は県内屈指の強豪校、宮園みやぞの高校の生徒だ。

 先ほどの練習でもつくづく思ったのだが、池上はある意味、自分と対極にいる人間だった。

 彼の学校の考え方には共感できなかったし、だからそこ今、自分はこんなに悩んでいるとも言える。

 池上自身の性格も、いいとは言えない。

 しかしそんな人物から、なんの因果か教えてもらうことになったのだ。

 これまでのことを振り返ると、それは因果というよりは因縁に近い気もしたが。そのくらい彼の学校とは、これまで色々ありすぎた。

 それをすっきりさっぱり忘れて話すことなど、できそうもない。

 しかし、しゃべらないことには始まらないというのもまた、事実だった。なので未だに距離感が掴めないながらも、意を決して池上に話しかけてみる。


「……えーと。なんだ。よ、よろしく……?」

「勘違いするなよ」


 それに対して、池上は面倒くさげに言い返してきた。


「別に仲良くやりましょーとか、そんなつもりはさらさらねえ。てめえがヘタレな吹き方をしやがるのがウザいから、多少教えてやるだけだ。懇切丁寧に教えてやるつもりはねえから、てめえで勝手に盗んでけ」

「いいだろ、別にそれで」


 相変わらずの彼の物言いに、鍵太郎は口をとがらせた。

 元より、彼とはそこまで親しくするつもりはないのだ。

 選抜の明日の本番までに、先ほど池上から言われた注意点について、可能な限り聞いておければいい。

 あとはそれを元に、自分で勝手にどうにかする。そう言うと池上は片眉を吊り上げて、少しだけ笑った。


「……ふぅん。さっきはどうなることかと思ったが、てめえちっとは骨があるみてえだな」

「罵倒はされ慣れてるんだ」

「……オイ、それって自慢になってなくねえか……?」


 まあ、根性があるのはいいことだけどよ、と言って、池上は肩をすくめた。


「技術も必要だが、吹奏楽部でそれ以前に重要なのはまずその根性だからな。それがないやつは、なにをやってもうまくいかねえ」

「まあ、そうかもしれないけど……って、ん?」


 池上のそのセリフを聞いて、鍵太郎はなにか、ひっかかるものがあった。

 根性がないとダメ。

 最近似たようなことを、誰かから言われた気がする。

 誰だっけと記憶を探る。すると、その人物の顔はすぐに浮かんできた。


「――あ。千渡せんど……」


 そう、千渡光莉せんどひかり

 なぜか自分に対していつも顔を真っ赤にして怒鳴ってくる、同い年の女子部員だ。

 今回の選抜には来ていないが、彼女は宮園の中学出身だ。

 中学と高校の違いがあるとはいえ、この二校のつながりが深いということは聞いている。

 ひょっとして池上は、彼女のことを知っているのではないか――そう思って池上を見れば、彼はやはり光莉のことを知っているらしい。

 ひどく驚いた様子で、そのまま鍵太郎に訊いてくる。


「……千渡? オイ、まさかひょっとして、千渡光莉か!?」

「そ、そうだけど……。おまえも、あいつを馬鹿にしてるクチかよ」


 池上に、鍵太郎は顔をしかめて問い返した。

 宮園とは色々ありすぎた。そのうちのひとつが、この光莉のことだった。

 光莉は中学のとき、大会の本番でとても大きな失敗をしている。

 そしてそのことを、当時のメンバーにはひどく中傷されているのだ。

 それが原因で、楽器を吹くのを辞めようとしたこともあるぐらいだった。この選抜を辞退したのも、そのせいなのだ。

 こいつもあいつを嗤う、そんなやつなのか。

 鍵太郎は池上をにらみ返したが、彼はそんなことはお構いなしだった。掴みかからんばかりの勢いで、こちらに詰問してくる。


「教えろ、今あいつどうしてる!?」

「こっちの質問に――」

「答えろ!!」


 あまりの剣幕に、鍵太郎は言いかけたセリフを飲み込んだ。

 それは池上の今日一番の、そしてもっとも必死な口調だった。

 先に彼の質問に答えなければ、話が進まない。

 それがわかったので、鍵太郎は渋々口を開いた。


「……あいつはうちの学校で、トランペット吹いてるよ」

「……そう、か」

「なあ、もうあいつを責めるの、やめてやってくれよ。あいつ、未だに――」

「……そうか。あいつまだ、続けてたんだな……」

「……え?」


 ぽつりとつぶやいた池上の調子に、侮蔑ではない感情を見た気がして、鍵太郎は言葉を止めた。

 彼はむしろ、どこかほっとした様子で――そのまま少し、考えるように顔を伏せた。

 その反応は明らかに、今までの宮園の連中とは違う。

 こいつ、ひょっとして――と鍵太郎が思ったとき。

 池上はがばりと顔を上げた。


「――気が変わった」

「は?」


 このわずかの間に、いったいなんの気が変わったのか。

 鍵太郎が戸惑っていると、池上はそれまでと変わらない、憎たらしい口調で言ってくる。


「方針変更だ。てめーにオレのやり方を、全面的に教えてやるよ」

「は!? どういうことだ!?」

「どういうもこういうもねえよ。教えてやるって言ってんだろ。ありがたがれよ」

「その言い方でありがたがるやつが、何人いるんだよ!?」


 まあ実際、ありがたいのは確かなのだが。

 それにしても、この急な変化にはちょっとついていけなかった。この流れからして、どうも光莉が関係しているようだが。

 彼女の話の、いったいなにが池上を動かしたのか。

 それがわからなかった。そういえば先ほどの質問には、まだ答えてもらっていない。

 池上俊正は、千渡光莉を馬鹿にしているのか。

 いや、あの様子では、むしろ逆のような――


「ほら、なにボーっとしてやがる。時間がねえんだ。とっとと始めるぞ」

「あ、ああ」


 思索の途中でそう言われて、鍵太郎はそこでいったん考えを打ち切った。

 ただなんとなく、感覚で思う。


「……なに見てんだよ」

「いや、ひょっとして……まあ、いいや。後で話す」

「はぁ!? 先生に対してどういう口の利き方してんだてめえ!?」

「……宮園って、こんなのしかいないのかなあ」


 顔を真っ赤にして怒鳴ってくる池上に、光莉のことが重なった。

 ここにいない、そんな彼女。

 それはなんの因果か因縁か、こうして自分に絡んでくるのだ。

 今だって目の前の池上は、やる気十分で、それに。


「さあ、おまえがどこまでモノにできるかはわからねえが――手加減はしねえぞ。覚悟しとけ」

「の――望むところだ」


 ひょっとして実はもう、おまえはとっくに許されてるんじゃないか――そんなことを鍵太郎は思うのだ。

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