第129話 てんやわんやの自己紹介

「それでは、これより選抜バンドについてのオリエンテーションを始めます」


 メンバー全員がそろったのを確認して、吹奏楽連盟の人間だろうか、スーツを着たおじさんがそう宣言した。

 おじさんは八十人の大所帯を前に、選抜のしおりを見ながら説明を始める。

 その選抜メンバーの中で、湊鍵太郎みなとけんたろうもしおりを開いていた。


「本選抜バンドは、県内の高校の吹奏楽部の発展、技術向上・及び親睦を深めるためのものです。

 学校という枠を超えて、音楽というものを共に愛する仲間として、このメンバーと一緒に二日間を過ごしてください」


 仲間。

 その単語を複雑な思いで鍵太郎は繰り返した。

 鍵太郎の前の席に座っているのは、宮園みやぞの高校の生徒だ。

 県下トップの強豪校。そして鍵太郎にとっては、あまりいい思い出のない学校でもあった。

 正直、あまり仲良くはしたくない気持ちもある。

 しかしだからといって、同じ楽器な以上、しゃべらないわけにもいかなかった。

 どう接したらいいものか。そんな思いで、鍵太郎は前の席に座る人物の後頭部を見た。

 宮園高校二年の、確か――池上俊正いけがみとしまさといったか。

 さっき少しだけ話しただけだが、ものすごい自信家だなあというのが鍵太郎の印象だった。

 さすが、あいつの学校の生徒だけはある。と、そこで鍵太郎は、去年のコンクール会場で宮園高校の顧問と口論になったことを思い出していた。

 正確に言えば口論でもなかった。相手は完全に自分が正しいと思っていて、できの悪い生徒に自分の正しさをどうわからせようか、という口調だったからだ。

 あのときは、この学校の生徒と同じ舞台に立つことになるとは思いもしなかった。

 A部門とB部門。

 同じ高校生の大会の部門でありながら、それはまるで交わらないもののような気がしていた。

 しかし今回はその池上以外にも、A部門――強豪校の生徒が数多くいる。

 そんなやつらとこの二日間、どう過ごしていくことになるのか。

 そう考えている間にも、オリエンテーションは続いていった。



###



 選抜バンドは二日間の合宿の日程で、二曲を仕上げて本番をやることになっている。

 一日目の今日はオリエンテーションの後、まず各パートでの顔合わせということになっていた。

 チューバパートは全部で五人だ。そのうちの一人がまず、口を開く。


「じゃあ、自己紹介しようか」


 人当たりのいい笑みを浮かべているその人物は、オリエンテーションのときにチューバパートの、列の先頭に座っていた男子生徒だ。

 柔らかそうな髪に、どことなくのんびりした雰囲気。

 その彼は、まずは自分から名乗りを上げた。


「僕は富士見が丘高校三年の、清住純壱きよすみじゅんいちです。今回チューバパートの、リーダーをやらせてもらうことになってます」

「オイ。なんでそういうことになるんだ」


 即座に文句をつけたのは、やはり宮園高校の池上だった。

 その池上に、清住はにっこりと笑みを向ける。

 しかし鍵太郎の目にははっきりと、その清住の笑みの隅に青筋が立っているのが見えた。

 それでもあくまで口調は穏やかに、清住は池上へと言う。


「僕がこの五人の中で一番年上だからだよ。宮園高校二年の池上くん?」

「三年だからってデカイ顔できると思ってんじゃねーぞ。吹奏楽部は実力主義だろ、実力主義。なあ、東関東で万年銀賞の富士見が丘高校サン?」

「……始まったな」


 いがみ合う二人を見て、鍵太郎の隣にいた太った男子生徒がぽつりとつぶやいた。


「始まった?」


 鍵太郎が訊くと、彼は重々しくうなずいた。腕を組んで、静かに争いが収まるのを待っている。


「……宮園と富士見が丘は、この県のナンバーワンツーだ。ことあるごとに衝突してる、ライバル校同士なんだよ」

「ああ、そうなんだ。……で、そう言う事情通のあんたは誰なんだ?」


 ここまで知っているということは、おそらく強豪校のあそこだろうが――そう鍵太郎が予想した通り、彼は所属の学校名を告げてきた。


「……久下田くげた高校二年の、荒町鷹尾あらまちたかおだ。おまえは?」

「川連第二高校。二年の湊鍵太郎だ」

「……かわづれ?」


 聞かん名前だ、と荒町は首をかしげた。

 それはそうだ。久下田高校も宮園や富士見ヶ丘と同じ、A部門の学校なのだ。

 B部門の鍵太郎たち川連第二高校は、聞いたことがなくて当然だろう。それはもうわかっていたことなので、いちいち目くじらをたてることはしない。

 むしろ、同じA部門として荒町の態度が気になった。

 宮園と富士見ヶ丘の争いに、久下田高校は加わらないのだろうか。気になった鍵太郎は、荒町に訊いてみた。


「あんたは、あの争いには加わらないのか?」

「……おれたちはナンバースリーだ。あの中に入ったところで、叩き潰されるのがオチなんだよ」

「そう、なのか」


 A部門にもいろいろあるのだな、と鍵太郎が思ったところで、荒町は唇の端を釣り上げた。


「むしろああやってお互いに潰しあってくれた方が、おれたちには有利なんだ」

「……ちょっとあんたに同情しかけた、俺が馬鹿だったよ」


 なんだかもう、ちょっとでも隙を見せたら取って食われそうな、そんな抗争の世界である。

 こいつらいつもこうなのか。まだ言い争いをしている清住と池上の二人を、鍵太郎は荒町の隣で見つめた。


「年功序列という言葉を知らないのかい? 経験というものを甘く見てはいけないよ。年上は敬わなきゃ」

「伝統でいったら宮園のほうがよっぽど歴史が古いんだよ。富士見が丘はこの十数年で出てきたばっかりの新興勢力だろうが」

「その新興勢力に去年の東関東、ギリギリで勝ったのはどこだったろうね? 宮園さん最近調子悪くない? 五十年以上の歴史を誇る古豪も、ここ数年は東関東でダメ金が最高じゃないか」

「あんだとてめェ……」

「まあまあ。まあまあ」


 一触即発になりかけた二人に、まだ自己紹介をしていない背の高い男子生徒が割って入った。

 五人の中では一番の長身だ。その人物は大きな手と、そしてそれとは正反対の印象を受ける気の小さそうな笑みを二人に向ける。


「ケンカはやめようよ。あと二日こんな調子じゃ、ぼくの身が持たないよ」

「……ケッ、わかったよ」

「しょうがないなあ」


 気の抜けた口調に、渋々、池上と清住の二人も鉾を収めたようだ。

 ただ、水面下での争いは続いている。池上は清住に言った。


「今回はおまえをリーダーにしといてやるよ。ただし、おかしいと思ったときは容赦なく突っ込むからな。覚悟しとけ」

「わー怖い。せいぜい刺されないようにがんばらなくっちゃー」

「こいつムカつく……」

「まあまあ。まあまあ」


 そこで再び長身の男子生徒が池上を押さえにかかる。「ちょ、テメエそういえば誰なんだよ!?」と池上が立ちふさがる男子生徒に詰問した。

 その迫力に腰を引かせつつも、彼は全員に向かって自己紹介する。


「あ、はい。ぼくは南高岡高校二年の、入舟剛いりふねつよしといいます。えーと、選抜は親睦の場でもあるので。無用な争いはしないでくれると助かるなあと思ったりもして……」

「あーもう、情けないツラすんじゃねーよ! チューバはバンド全体を支える大黒柱だぞ!? そんなんでおまえこの楽器吹けんのかよ!?」

「いや、そんなこと言われても……。性分なので」

「あーもう! こんなんで明日の本番大丈夫なのかよーっ!?」

「そのセリフ、そっくりそのままおまえに返したいんだが……」


 鍵太郎は天に向かって叫ぶ池上に、そうぽつりとつぶやいた。

 とりあえず誰からも突っ込みがなかったので、それはきっと、全員が思っていたことなのだろうなと思う。



###



「……なあ、『ダメ金』ってなんだ?」


 一通り自己紹介を終え、鍵太郎は入舟にそう訊いてみた。

 先ほどの雰囲気では訊こうにも訊けなかったのだ。

 彼の所属する南高岡高校は、鍵太郎と同じB部門の学校だ。規模も大体同じくらいだと、鍵太郎は顧問の先生から聞いている。

 こういった吹奏楽用語については、一番訊きやすい人物だった。他の連中だとなんか馬鹿にされそうだし、なにより入舟は一番人がよさそうな気がしたのだ。

 予想通り入舟は、親切に答えてくれた。


「『ダメ金』っていうのは、コンクールの金賞の中で、上の大会に出られる代表権のない金賞のことだよ。金賞を取っても、代表枠が受賞校より少ないから、どうしても代表になれない学校が出てくる。金賞でもそこで終わり。だから『ダメ金』」

「へー」


 そうなのか。金賞にも二種類あると鍵太郎は初めて知った。

 やっぱり、俺が知らないことっていっぱいあるんだな。そう思っていると、入舟は不思議そうに訊いてくる。


「というか、高校生なのにソフトケースなんて使ってるから、なんかすごい学校の人なのかなあと勝手に思ってたんだけど……」

「あれはうちの顧問の先生にはめられたんだよ! おかげでなんか、変な風に目立って困ってたんだ」

「ああ、そうなんだー。怖い人だったらどうしようと思ってたんだ」

「怖い人って……」


 あいつらのことか。池上たちA部門三人組を思い出しつつ、鍵太郎はそう言った。

 確かにあの三人のやりとりは、ちょっと怖いものはあった。

 彼らはいつも、あんな雰囲気の中で戦っているのだろう。

 しかし、争いの中で切磋琢磨し合っているからこその、あの実力でもあるのではないだろうか――富士見ヶ丘高校の演奏会を思い出し、鍵太郎はそうも考えた。

 だから、入舟の次のセリフには、素直に賛成できなかった。


「ねえ。同じB部門同士、平和にいこうよ。みんな怖い顔してさ。そんなんじゃ親睦も深まらないよ」

「うーん……」


 彼の言いたいことは、鍵太郎にもわかる。

 しかしだからといって、最初からこいつみたいに情けない顔するのも、なんか違うよなあ、とも思うのだ。

 選抜バンドの目的は、各学校の技術向上・及び親睦を深めること。

 オリエンテーションで言われたことが、脳裏をよぎる。

 入舟の言うようにしては、それは達成できない。なあなあで終わってしまいそうな、そんな気がするのだ。

 だから、鍵太郎は首を横に振った。


「……ごめん。俺はもうちょっとあいつらと話をしてみたい」


 仲間――という単語も、思い出された。

 別にあいつらを、仲間と思ったわけではないが。

 明日の本番をいいものにするのなら、もう少しあの三人組とも本音で話してみるべきではないか。

 そう思った。少しは言い争いになるかもしれないが。

 そのときはまた、入舟に仲裁をお願いしたい。そう言うと、彼はやはり困ったような、少し情けない笑顔を浮かべて「そっかぁ」と言った。


「選抜ってやっぱり、すごくやる気がある人多いよね。どうなるのかな、本番……」

「まあ……どうにかはなるだろ」


 どうなるかはわからないが。

 そんな風に二人で話していると、少し離れたところで楽器を出した池上が、「オーイ、なにやってんだそこのB部門二人組! さっさと練習始めるぞ!」と叫んできた。


「うるせえな、あいつ……」

「うーん、怖いなあ……」


 二人でそうつぶやく。

 本当に、これで明日の本番大丈夫なのだろうか。

 わからないが。少なくとも、今までとは違うものが見えるはずだ。

 そう思って鍵太郎は、「わかったよ、今行くよ!」と叫び返した。

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