第10幕 思惑だらけの選抜バンド

第128話 誰かと違うもの

 選抜バンド当日の朝。


「おいみなと。楽器持ってくならこっちのケースにしとけ」


 湊鍵太郎みなとけんたろうは顧問の本町瑞枝ほんまちみずえにそう言われた。

 先生が指差したのは、鍵太郎が本町に以前買ってもらったソフトケースだ。

 いつも楽器をしまっている、ごっついハードケースではない。布と綿で作られた、持ち運びに便利なケース。

 これから鍵太郎は、楽器と荷物を持って選抜バンドの集合場所まで移動するのだ。

 だったら確かにそちらのケースの方が楽かもしれない。そう思って、鍵太郎は本町の言葉にうなずいた。


「わかりました。そっちにします」

「おう。そうしとけそうしとけ」


 ニヤリ。

 先生がなんだか不穏な笑い方をした。

 自分の言うことを生徒が素直に聞いてくれて、それで喜んでいるという感じの笑いでは、なかった。


「……なんなんですか、先生」

「いや? べっつにー?」

「わざとらしい……」


 口笛を吹いて視線をそらす先生を、鍵太郎はうろんな目で見た。

 まあ、なんだかんだ言っても、教え子にマイナスになることは言わない先生である。

 一応は信用してもいいはずだ。鍵太郎はそのまま、楽器をソフトケースに入れた。

 そのままケースについているヒモを肩にひっかけて、音楽準備室を出る。



###



 県の選抜バンド。

 それはこの県の高校の吹奏楽部員たちを選出し、一回限りのバンドを作って演奏会をやろうというものだ。


「お泊りなんだねー」


 本町に会場まで送ってもらう車の中で、鍵太郎と同じく、選抜のメンバーになっている宝木咲耶たからぎさくやがそう言った。

 選抜バンドは土日の二日間の日程だ。

 土曜日に練習して、日曜日の午後に本番をやる。

 なので一泊二日の合宿のような日程になっていた。選抜バンドは学校を越えて演奏する交流の場でもある。他の学校の生徒たちと親睦を深める、というのも目的のひとつなのだ。

 技術・考え方の両方で、鍵太郎は他の学校の吹奏楽部が、どんな感じの練習しているのかを聞きたいと思っていた。

 なのでこれはいい機会だ。いろいろ見たり聞いたりして、今後の部活に生かしたい。

 どんな連中と一緒に吹くことになるのだろうか。期待半分、不安半分で鍵太郎は窓の外を眺めていた。


「ま、いろんなやつらがいるだろうよ。どっちかっつーと受け身タイプのおまえらには、いい刺激になるだろうな……っと」


 本町がそう言ったところで、会場に到着した。

 鍵太郎は初めて来るところだ。本番の舞台になるホールと、宿泊施設が併設された建物。選抜バンドのしおりによればそういったものらしい。

 既に他校の生徒たちの姿もちらほら見えた。鍵太郎と咲耶も、受付に向かうため車を降りる。


「じゃ、先生。行ってきます」

「おう。行ってこい」


 そう言って、本町は再びニヤリと笑った。

 これは一体なんの笑いなのか。問い詰める時間を先生はくれなかった。やたら目立つ、赤い車が去っていく。

 それを見送って、鍵太郎と咲耶は会場に向かった。

 学校名と担当楽器を受付で言い、名札のついた首掛けネックストラップをもらう。八十人の大編成バンドだ。名前を覚えるのに必要なのだろう。

 それをつけて、鍵太郎は首をかしげた。


「なんか受付の人、ちょっと驚いてなかったか?」

「そうだね。なんか、私たちを見て最初ちょっと目をぱちくりさせてたような……」

「たち、っていうか……むしろ俺を見てたような気がするんだよな」


 自意識過剰だろうか。そんな会話をしつつ、二人は最初の集合場所に行ったのだが――


 ざわっ


「へ……?」


 そこについた途端、他の学校の生徒が明らかに鍵太郎を見てざわつき始めた。

 ひそひそ、ひそひそ、と言葉が交わされている。だが別に、笑われているという感じではない。

 むしろ、戸惑っているという雰囲気だ。あとは少しの好奇の目。そんな顔をちらちらと向けられている。

 まったく知らない人たちから一斉にそんな風に見られて、二人は顔を引きつらせた。


「た、宝木さん、俺、なにかしたかな……!?」

「わ、わかんない。とりあえず楽器と荷物を置きに行こう……!?」


 逃げるように荷物置き場に向かう。部屋の隅のそこは参加メンバーの荷物と、楽器が整然と置かれていた。

 なんとなくそれを乱さないように、きれいに置いていく。

 あとはこの部屋でオリエンテーションが始まるのを待つだけだ。

 オリエンテーションは、担当楽器別に並んで待つようにということだった。なので、鍵太郎はここで咲耶といったん別れることになる。


「……なんだか、よくわからない状況になってるけど。湊くん、がんばろうね」

「うん。宝木さんもがんばって」

「うん、がんばる。じゃあ、また」


 小さく手を振った咲耶は鍵太郎から離れ、クラリネットの大所帯の中に入っていった。クラリネットは楽器の特性上、バンドの中でも最も人数が多いパートになる。

 咲耶が輪の中に入っていったのを見届けて、鍵太郎もチューバパートの列に並んだ。

 選抜でチューバを吹く人間は、鍵太郎を入れて五人だ。そのうちの三人が既に列に並んでいる。

 四人目のイスに鍵太郎が座ると、前に座っていた他校の男子生徒が話しかけてくる。


「よう。最初っからパンチ効かせてきたな、おまえ」

「なんでこうなってるのか、自分でもよくわかってないんだが……」


 ニヤニヤ笑っているそのメガネをかけた男子生徒に、鍵太郎はそう返すしかなかった。

 むしろ、理由がわかるなら教えてもらいたいくらいなのだ。

 すると鍵太郎のその返事は、男子生徒にとって予想外のものだったらしい。「は? わざとじゃねーのかよ?」と彼はきょとんとした顔をする。


「だってオマエ、チューバでソフトケース使ってる高校生なんて、普通は他にいねーぞ? 社会人バンドの大人ならともかく、高校で使ってるのは、正直見たことねえよ」

「だからあのときニヤニヤしてたのか、あの顧問は……っ!?」


 先生の顔を思い出して、鍵太郎は頭を抱えた。そう言われて見てみれば確かに、チューバでソフトケースを使っているのは自分だけだ。

 普通とは違う恰好をして、悪目立ちしてしまっている。

 戸惑いと好奇の目を向けられた意味が、ようやくわかった。話すきっかけを作りたかったのかなんなのか、あの先生はわかってて自分に指示を出したのだ。

 ちくしょう帰ったら文句言ってやる、と決意した鍵太郎に、男子生徒は「なんだ、おまえの学校、なんか変なトコだなー」と言ってきた。


「ま、いいや。これから二日間、一緒に吹くことになるんだ。よろしくな」

「ああ、よろしく……。ええと」

「ああ、まだ名乗ってなかったな」


 男子生徒は自分の首にかかっていた名札をつまみ上げ、鍵太郎に見せてきた。

 そこにはこう書いてあった。

 『宮園みやぞの高校』、と――。



「オレは宮園高校二年の、池上俊正いけがみとしまさっていうんだ。

 選抜はいろんな学校の寄せ集めだけどよ。オレは他のやつらとは別格だぜ。ま、そういうことだから――覚悟しとけよな」



 なんかすごいのに目をつけられた。

 県下トップの強豪校の部員を前に、鍵太郎は素直にそう思った。

 これが吉と出るのか凶と出るのか。

 選抜バンドはまだ、始まったばかりである。

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