第127話 『優しさ』が武器

「メロディーはテンポの中で歌うこと!」


 部活の時間が始まって、部長の貝島優かいじまゆうが部員たちへとそう叫んだ。

 小さい身体に、それに見合わぬ大きな声。

 ちびっこ鬼軍曹の異名を持つ彼女は、合奏用の大きなメトロノームの隣で、部員たちに向かってさらに声を張り上げる。


「長い音を伸ばしすぎたり、帳尻あわせで短くしたりしないこと! 変にこぶしを回したり、むやみに息継ぎブレスを取らないこと!

 あくまで楽譜に忠実に、基本を守って吹くこと! よろしいですか!?」

『……はーい』

「返事はもっと元気にーッ!!」

『ハーイッ!?』


 訓練さながらのあまりの剣幕に、部員たちが恐れおののきな返事がらをした。

 去年までのこの部には、なかった光景である。



###



「あー、つかれた……」


 そんな練習が終わって、湊鍵太郎みなとけんたろうは大きく伸びをした。

 なんだか、身体がガチガチに固まっているような気がしたのだ。

 実際その通りで、肩を回すとパキパキと音がした。見れば周りの部員も似たような状態らしい。

 やっぱりみんなも窮屈さを感じてたんだな、とその光景に鍵太郎は思った。今までもメトロノームに合わせる練習をしたことはあるが、今日のそれは今までより段違いに厳しいものだったのだ。

 なにしろ誰か合わないと、「もう一回!」と優が叫んでくるのである。

 誰だって怒られるのは嫌なので、必死になってみんなメトロノームに合わせようとしていた。

 結果的に音は合って、今日はそれで終了となったのだが――あまりの必死さに身体に変な力が入ってしまい、部員のほとんどがこんな状態である。

 では、それ以外の部員はというと――


「ふん。これくらいで根を上げてるようじゃ、まだまだね」


 鍵太郎の横で、同い年の千渡光莉せんどひかりがそう言った。

 彼女は中学のときの経験もあって、こういった練習にも慣れているようだ。

 表情からも余裕がうかがえる。彼女は身体をほぐす鍵太郎を見ながら、得意げに言ってきた。


「テンポキープは基本でしょ、基本。窮屈で疲れるかもしれないけど、それを乗り越えれば本当にいい音楽が作れるんだから」

「うんまあ、それはわかるんだけどな……」


 光莉の言葉に、鍵太郎は渋々うなずいた。

 彼女の言うことも正しいということも、今の鍵太郎にはわかるのだ。

 これが優が前に言っていた『矯正』だ。

 バラバラだったみなの音に、テンポという共通ルールを全員に課して、ひとつにまとめる。

 そういったことがある程度必要なのは、わかってはいた。

 わかってはいたのだが――しかし。


「だからって、怒鳴らなくてもいいと思うんだよな……」


 先ほどの練習の雰囲気を思い出し、鍵太郎はぽつりとつぶやいた。

 音が合わなくて優の怒号が飛ぶたび、部の雰囲気が濁っていくような気がしたからだ。

 それが焦りと不安を呼び、どんどん音が萎縮していって。

 合わなくて、怒られて、またその繰り返しで。

 そのうち、みんなメトロノームの針しか目に入らなくなっていくのだ。


「周りの音なんて全然聞いてる余裕がなくなってさ。こんなに人がいるのに、ひとりで吹いてる気になるんだ」


 つながる感じなんて、まるでなかった。

 必死にテンポに合わせているから、確かに他の人と合うには合うのだ。

 しかしそれはメトロノームに個人個人が合わせてるから、そう聞こえるだけだった。

 隣の人間と合っているかと言われたら、合っている感じはしなかった。

 ひとつにまとめようとして、かえってバラバラになっていく。

 それはとても皮肉なことで――そしてとても悲しいことなんじゃないかと、鍵太郎は思った。

 こんなやり方で、本当に大丈夫なのだろうか。そう言うと、光莉が憮然として言ってくる。


「あのねえ。できなかったら怒られるのは当然でしょ。怒られるからこそ、二度と間違いをしないって思えるんじゃない。むしろそういうのに怯えないで、はね返すくらいの根性がないととダメなんじゃないの」

「まあ、それはそうかもしれないけどさ。根性がないとダメって切り捨てるのも、なんか違くないか?」

「だーかーらー! そういうもんなのよ! そのくらい厳しくないと、金賞なんて取れないでしょ!

 先輩とか先生とかに怒られながら、悔しい思いをしつつ一生懸命やる。そしてコンクールで金賞を取ってうれし涙を流す! それが『吹奏楽部』でしょ!」

「改めてそう言われると、それってなんかスッゲーうさんくさく聞こえるんだよな」

「なんなのよ、あんたは!?」


 ものすごく正直に言ってしまったら、ものすごく光莉に怒られた。

 こいつの前では、二度と同じ間違いをしない。正座させられて説教を受けながら、鍵太郎はそう決意した。



###



「ああ、なるほど。だから足がしびれてたんだ、あのときの湊くん」


 数日後、鍵太郎は宝木咲耶たからぎさくやに笑ってそう言われた。

 ここは彼女の家の練習場だ。

 今度行われる県の選抜バンドでは、鍵太郎と咲耶の二人が出ることになっている。ちょっとした事情で音楽室では選抜の練習できないため、今日はここを借りていた。


「まいったよ。なんであいつ、あんなに怒るんだろうなあ……」


 きまり悪くほおをかきながら、鍵太郎はそう言った。家が寺である咲耶は、正座には慣れているのだろうが。

 少しの間の正座で立てなくなったことが、ちょっと恥ずかしかった。どうしてあんなことになったのかを訊かれたから答えたのだが、なんだか言わない方がよかったなとも思う。


「たぶん光莉ちゃんは、湊くんにも自分と同じ考えで楽器を吹いてもらいたいんだよ」

「って言っても、あいつも貝島先輩と同じじゃねえか。言われれば言われるほどなんか違う、なんか違うって思って、かえって賛成したくなくなるんだよ」

「うーん、ままならないねえ」


 諸行無常だねえ。咲耶はそう言って、今度はなんだか生暖かい笑みを浮かべた。


「今日のこの練習だってさ。あいつも来たがってたんだけど、選抜にはおまえ出ないだろって言ったんだ。そしたら『宝木さんと、へ、変な風にならないように、ちゃんと真面目に練習しなさいよね!』って怒鳴ってきてさ。そんなこと言われなくったって、ちゃんとやるのにな。ねえ?」

「うん。私は今ここにいないはずの人に、ものすごい釘を刺された気分だよ」

「だよなあ。あいつは選抜に出ないはずなのに。なんであんなに、人の言うことにいっつもつっかかってくるんだろうな」

「……うーん。言い方の問題かなあ……」


 まあ、貝島先輩もそうだよね。そう咲耶が言って、鍵太郎もそうかも知れないと思った。

 言っていることは正しい。

 ただ、やり方が厳しすぎる。

 言い方の問題――。


「強い思いがあるからこそ、言い方もきつくなる……のかな。あの二人を見ると、そう思うときがあるよ」

「そういうもんなのかな」


 鍵太郎は首をかしげた。それはそうかもしれないが。

 しかしひとつになろうと押さえつければ押さえつけるほど、その分反発は激しくなると思うのだ。

 自分だって強い思いを持っているが、ああいうやり方はしたくない。

 そう言うと、咲耶は再びくすりと笑った。


「湊くんは優しいからね。あんまりそういうやり方、好きじゃないんでしょ。

 否定される痛みを知ってるからこそ、他の人のことを否定したくない。それは別に、悪いことじゃないと私は思うよ」

「……けど、それが俺の弱点だって、貝島先輩には言われたんだ」


 甘いことを言ってるんじゃない、と。

 今の部長にはそう言われたのだ。


「……ああ、でも」


 思い出した。そういえば同じようなことは、もっと前から言われていた。

 去年のコンクール。バスクラリネットの先輩から。

 湊っちは優しすぎるね。

 あの人と一緒――と。

 優しさが欠点と言われたあの人と一緒なのは、果たして今の状況でいいのか悪いのか。

 弱点を裏返して『武器』にした、あのひとつ上のトランペットの先輩のようにはなれないのか。

 そう思った鍵太郎は、咲耶に訊いてみることにした。


「ねえ、宝木さん。優しさって武器になるのかな」


 あのトランペットの地味な先輩は、去年とはまるで違って見えた。

 自分でも、ああなりたいと思うのに。

 あの人のようになれる要素が、今の自分には見当たらないのだ。

 優しい人とは言われるが、それを裏返してどうなるか分からない。

 逆に欠点だったらいくらでも思いつく。

 失敗しないと学べない。人の言葉に左右されすぎる。

 高校から初心者で始めたヘタクソ。

 そして、吹奏楽部では超マイノリティーの男子部員――

 それらは、裏返せば武器になるのだろうか。

 そして、もうひとつ。

 先輩から言われた、自分が持つ、この大きな楽器の特性が――


「『信仰』。それがチューバ奏者が持ってるものなんだって、平ヶ崎ひらがさき先輩には言われたんだ。それは俺がこれから行動するとき、武器になるのかな……?」


 『武器』と『信仰』。

 普通だったら、相反する言葉の組み合わせだ。

 自分では想像もつかないけれども。寺で生まれ育った彼女ならば、この単語になにか感じるものがあるのではないか。

 そう思って言ってみたのだが――

 咲耶は「うーん」と考えて、やはりはっきりとした『答え』は持っていないようだった。


「……非暴力、不服従。ガンジーだね。あの人はヒンズー教だけど」

「戦わないことが武器、って、そういうこと?」

「いや、それともちょっと違う感じで……ああ」


 あれかな。なにかを思い出した様子で、咲耶は続けた。


「クリスマスのときにさ。私、『信じるものは飛び越える』って言ったじゃない。『信仰』っていうのは、あれに近いものがあるんじゃないかな」

「あれに近い?」


 そう言われて、鍵太郎は記憶を探った。

 クリスマスコンサートのとき、やはり自信を失っていた自分に、咲耶が言ったくれた言葉がある。

 信じるものは救われる、ではなく。

 信じて自分で、飛び越えるのだと。


「『信じる』っていうのは論理的な矛盾を越えて、誰かと同じ側に立とうとすることだって、あのとき私言ったよね。理屈は通ってなくてもあなたを信じますとか、その方がいい気がするとか、人と人の間にある意見の相違――溝を飛び越えちゃうような、そういうことだって。

 それと似たような感じで――『信仰』っていうのは、なにか信じるものがあって、そのために自分とは違う誰かとの溝を、越えようっていうことなんじゃないかなと、私は思うんだ」

「信じるもののため……?」

「うん」


 それがなにかは、人によって違うと思うけど。

 そう首をかしげて、咲耶は少し考えながら話を続ける。


「信じることが、飛び越えることなら――チューバ奏者の持ってるのが『信仰』っていうのは、伴奏楽器だからなんじゃないかと思ってさ。伴奏は、常にメロディー楽器とか、全然違うことを考えてる楽器と一緒に吹くでしょう。そういう、自分の信じる『なにか』のために、自分と違う人との溝を飛び越えるというか――『つながろうとする』楽器なんじゃないかと思って」

「『つながる楽器』……」


 その単語を、鍵太郎ははっとしてと繰り返した。

 つながる楽器。

 それは二年生になる直前、この楽器を紹介するのに鍵太郎自身が思ったことでもあったのだ。

 そしてその反応を見て、咲耶もこの方向性で正しいと悟ったのだろう。

 彼女はひとつうなずいて、言う。


「実際に湊くんは、そういうやり方を探してるんでしょ?」


 優しいから。

 みんながバラバラにならないで行ける道を、探してるんでしょう?

 そう言われて、鍵太郎は即座にうなずいた。

 誰かかの影に隠れて、誰かの言葉を借りているわけではない。

 ただ純粋に、ひとりで吹いているのはさみしかった。

 きっとみんなそうだと思う。

 だからこの間は、みながバラバラに聞こえたのが、とても悲しかったのだ。


「だったらこの状況だと、湊くんの持ってるものは十分武器になるんじゃないかと思う。

 なにを信じて、なにを飛び越えるのか。どうやったらバラバラにならず、みんなが『つながる』のか――それが見つかれば、湊くんは楽器の面でも精神的にも、だいぶ落ち着くんじゃないかな」

「それは……」



 ――きみは、どうしたい?



 鍵太郎の脳裏に、指揮者の先生から言われた言葉がよぎる。

 最近はずっとみんなが正しく感じて、でもだからこそ誰もが間違っているように聞こえた。

 そんな中で、なにを信じるのか。

 なにを『正解』とするのか。

 どうやったら、その溝を飛び越えられるのか――


「……うん、それをこれから見つけようって思ってたんだ」


 そこまで考えて、鍵太郎は顔を上げた。もうすぐ選抜バンドだ。今日はそのために、二人で練習していたのだった。

 自分の悩みに付き合ってくれた咲耶に礼を言う。なんだかこういうとき、彼女にはいつも頼りっぱなしだ。


「いいんだよ。こないだ選抜は二人でがんばろうって言ったもんね」

「うーん、いつかこの借りを返さないといけないなあ……」


 あの、地味なトランペットの先輩みたいに。

 かっこよく、返したいものだ――そう言うと、咲耶は少し困ったように笑った。


「うん、まあ、なにか返してくれたら、嬉しいけどさ。

 ……。

 光莉ちゃん、このくらいならいいよね……?」

「そこでなんで千渡が出てくるんだ?」

「ううん! なんでもない! なんでもないよ!」


 今はまだ、ね――というその言い回しは、なんだかこの間も聞いた気がするのだが。

 選抜はもう、すぐそこだ。

 せっかく彼女に手伝ってもらったのだ、しっかりとこの先に繋がるものを探してこなければ。

 そう言うと、咲耶はまた困ったように笑った。


第9幕 先輩になると勝手が違う〜了

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