第121話 ソーラン・ファンク
プログラム最後の曲が終わって、
富士見ヶ丘高校、吹奏楽部の演奏会。
去年と同じくそれは、鍵太郎の予想の数段上をいくものだった。参考にしようとかそういう思いはもはやとっくに消えて、すげえやとしか感じられなくなっているくらいだ。
千人以上の観客から拍手を受ける白ジャケット姿の富士見ヶ丘高校の部員たちは堂々としていて、本当に同じ高校生なのかと疑いたくなる。
開演前はその自信ありげな様子が癪に障ったのだが、今はもう実力の差を思い知らされていたので、ため息をつくことしかできない。
どうすればこんなが演奏できるようになるんだろうな、と拍手の中で思う。
練習はやはり、厳しいのだろうか。部長の言うとおり自分の考えは、甘いのだろうか。
そんなことを考えていたら、舞台上から奏者の何人かが袖に引っ込んでいくのが見えた。
アンコールの準備だ。去年も部員が客席まで来て踊ったり、仕掛けをしてきたこの演奏会だ。
今年はなにが――と思ったところで、鍵太郎の脇の通路をはっぴ姿の人影が走っていった。
「へ……?」
はっぴに、ねじりはちまき。
そんな人間が何人も客席の通路を埋め尽くしていって、それを呆然と見送っていたら笛の音が聞こえてくる。
ピッコロの音だ。甲高いその音はいつもと違って祭りで流れるような、お囃子の揺らぎを持っていた。
昔どこかで聞いたことがある。きれいなだけではなくて、もっと土着の、民謡のような――
そこにドラムが加わってきた。遠くからこちらに近づいてくるように、賑やかに騒がしく、今までの雰囲気を塗り替えていく。
そして。
『ほらやっさぁ!!』
「うわあ!?」
はっぴ姿の全員が上げた掛け声に、鍵太郎は思わずびくりとした。それに合わせて演奏が盛り上がり、全員が踊り出す。
ピッコロが吹いていたメロディーがジャズなのだろうか、より現代的になって流れ出した。それに踊り手たちの唄が加わる。「ヤーレンソーラン、ソーランソーラン」という掛け声からしてソーラン節だ。演奏の音量に負けないほどの大音声で、彼ら彼女らは唄いながら踊っている。
飛んだり跳ねたり、網を引く動作。相当練習したのだろう、全員の動きに迷いがない。歌詞もよくは聞こえないがちゃんとあって、それにも恥ずかしがる様子なんて微塵も見えなかった。
客席のどこからか、演奏に合わせての手拍子があがる。それは周囲に伝播して、やがて会場全体に広がっていった。
それが踊り手たちの表情に磨きをかける。掛け声とともに踊り子たちの手に持ったなにかが振られ、カラカラと硬い音がした。よく見ればガチャガチャのカプセルの中になにかが入っているようだ。
自作の鳴り物だろう。中身はなんだろうか。そんな風に思っていたら、いつの間にか舞台の前に出てきたトロンボーンの人物がソロを吹き始めた。
音が高い。そしてそれまでの演奏会でやった真面目な曲の雰囲気からは一変して、自由にスライドを動かしている。
その姿を見ていたら、こんな風に演奏して踊るのをやりたいとか言っていた、同い年のトロンボーンのアホの子のことを思い出した。
そう、あいつはクリスマスのときからこういうのをやりたいと言ってたんだった。ふしぎなおどりを踊りながら、お客さんもみんな喜んでくれると。
それは、こういうことなのだろうか。
トロンボーンの裏でエレキベースとチューバが低音を刻んでいる。自由に行きつつも方向性だけは指し示して。
それに、もし自分たちがこの曲をやったらというのを想像した。
このひどく難しげで、でも楽しそうなソロを、最近びっくりするほど腕を上げているあの馬鹿が吹いて。
その前でお祭りのようにたくさんの人が踊って、お客さんがそれを見て笑って、自然と乗ってきてくれて。
盛り上がっているその光景を、あんな風に後ろから吹きながら見ることができたら。
それは、とても幸せなことではないだろうか?
「それは……」
この本番の後に、誰かがいなくなることがあっても。
この瞬間誰かに笑ってもらえれば、それは『いいこと』なのではないか――?
そう、思ってしまった。だって自分も、そう望んでいたのだ。春休みにみんなでイルカショーを見て、こんなことをやりたいと思っていた。
漠然としか考えていなかった理想の形が、今目の前にある。
去年のここの演奏会で陰の部分を見てさえいなければ、迷いなく呑み込めただろうそれ。
あの人の涙と、踊り手の笑顔が交互に見えて、目がちかちかする。
そんな鍵太郎をよそに、曲は続いていった。
トロンボーンのソロが終わって客席から拍手が起こる。そしてさらにサックス、トランペットと次々と他の楽器のソロが続いて、舞台はさらに盛り上がっていった。
踊っていた人たちが持っていた鳴り物を客席に配り始め、それを後輩の
それでよかった。悲劇なんて知らなくてよかった。
ただ笑っててもらえればよかった。
みんなそれを望んでいた。
鳴り物を全部配り終えた踊り子たちは客席の通路で二手に分かれ、掛け声を交互にかけながら網を引く動作を始める。
ソーラン節は漁場の唄だ。寒い北の海で唄われた、作業のつらさも痛みも、そんなものは全部吹き飛ばすための唄。
片側が声をかければもう片方が応じ、叫びあうその間隔は短くなって、やがてひとつの唄になった。そこに演奏が加わってメインのテーマをもう一度繰り返す。
今日最後の演奏が会場中に響き渡る。踊る姿に途切れない手拍子。その間を唄が伸びていく。
隙間がないくらいに全部が詰まっていて、でもそれ以上盛ろうと掛け声が上がっていった。踊りが早くなって演奏と掛け声を交互に繰り返し――折り重なったものはひとつの叫びになって、なにもかもを吹き飛ばした。
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その先に見えたのは、笑顔だった。
「すごかったですすごかったです! 先輩の言った通りでした!」
演奏会が終わってホールを出て、鍵太郎が見たのは朝実がもらった鳴り物片手に、大はしゃぎしている様子だった。
手に持ったそれをぶんぶんと上下に振っているおかげで、先ほどの本番と同じように音がしている。結局なんだったのかと思って見せてもらえば、それはガチャガチャのカプセルにおはじきを数個入れたものだった。
「……おもちゃか」
ただそれは、去年の自分と同じように彼女にとって単なるおもちゃではないはずだ。
特別な思い出と輝きでもって、後輩はそれを大切にするだろう。その輝きを消すつもりは毛頭なかったし、それは彼女のたからものになるのだと思った。
最果ての城を垣間見て、手に入れたのはガラス玉のおもちゃだった。
しかしそれはなにより価値のあるもので、馬鹿にすることなんて誰にもできないのだ。
だからそんななにも知らない後輩に、鍵太郎はひとつ尋ねてみる。
「……ねえ、宮本さん」
「はい?」
彼女は去年の出来事を知らないからこそ、自分のように色眼鏡をかけないで、今日の演奏を公平に判断できるはずだった。
朝実はまだ興奮冷めやらぬ様子で、頬を上気させてこちらを見上げてくる。
そんな後輩をじっと見つめて、鍵太郎は訊く。
「ああいうの、やってみたい?」
この演奏会の前に、先輩たちに言われた。
なにが正しいのか。
なにを貫くのか。
『正解』は自分で考えろと――
「はい! やりたいです!」
「そうか……そうだよね」
迷いなく答えてきた、後輩のその笑顔の輝きに敗北を悟り。
鍵太郎もまた、同じく素直に自分の思いを口にする。
「俺も、やりたいな」
彼女のように笑ったつもりだが、どうしてかうまくいかない。
まだどこか引っかかっていて、でもあれは――ひとつの『正解』の形なのだと、認めざるを得なかった。
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