第114話 ケンカするほど
音楽室に、トランペットの音が響き渡る。
それを聞いて
「そんな軽々しい水戸黄門があるかあーッ!?」
「なんで時代劇の曲だけそんなこだわり強いのよあんたは!?」
鍵太郎たち吹奏楽部は、今度老人ホームへの慰問演奏へ行くことになっている。
今はその練習中だ。
曲のラインナップはもちろん、客層に合わせたものになっている。水戸黄門はそのうちの曲のひとつで、去年と楽譜は違えど今回も光莉がソロをやることになっていた。
なじみのある原曲と、彼女の吹き方がどうしても合わなく聞こえる。その点について鍵太郎は激しく抗議した。
「違う! そのフレーズはそんなに軽いもんじゃない! おまえの吹き方は楽ありゃ苦もある感じがしない! 印籠の権威が薄い! 誰もひれ伏さんぞそんなもんじゃ!」
「うざいわ! 一応これでも動画とか見たんだけど!? まだ足りないって言うの!?」
「足りないんだよ! もっと血肉のレベルで日本人の魂を湧き立たせろよ!? じいちゃんばあちゃんにそれじゃ通用しないぞ!?」
「どんだけじいちゃんばあちゃんの魂は湧き立ってるのよ!? それどんな老人ホームなのよ!?」
「あのー」
ぎゃあぎゃあと演奏へのこだわりについて言い争う先輩たちの間へ、一年生の
朝実は鍵太郎と光莉を交互に見て、特に悪気なく、思ったことを言ってくる。
「湊先輩と千渡先輩は付き合っているんですか?」
『は?』
後輩からの質問に、二人は同時に声を上げた。
そして同時にぐりんと首を動かして朝実を見るのだが、当の後輩は全く気にした様子はない。
「いや、入部したときから仲がいいなあと思ってまして」
「違うよ」
「ち、違うわよ!」
反論までも同時である。確かにこれはこれで、気が合ってると言えるのかもしれない。
しかしだからといって、誤解をされるのは心外である。鍵太郎ははっきりと疑惑を否定した。
「あのね宮本さん。そんなわけないでしょ。こんななにかにつけ殴ってくるようなやつと、俺が付き合ってるわけないでしょ」
「でも、ケンカするほど仲がいいとも言いますし」
「ていうか俺、好きな人いるし」
「えっ!? 誰!? 誰!? まさか、『それは千渡……おまえだ!』っていう展開なんですか!?」
「そんなこっ恥ずかしい展開、少女マンガの中だけにしておいてくれないかなあ!?」
目を輝かせる後輩に寒気を覚えつつ突っ込む。光莉が隣でうずくまって震えていた。うっかり想像してしまってよほど恥ずかしかったのだろう。
彼女のためにも早く疑惑を払拭しなければならない。鍵太郎は強い口調で後輩を諭す。
「あのね宮本さん。ダメだよ、そんな憶測だけでものを言っちゃ――」
「ひょっとして宝木先輩ですか!? じゃなくて浅沼先輩ですか!? ま、まさか二股――」
「先輩の話を聞けやこの暴走後輩」
「ほっぺをつねるのはパワハラでふー」
ありえない話がばんばん出てきて、さすがの鍵太郎でもかわいい後輩を物理的に静止せざるを得なくなった。ひょっとしてあのオヤジ女子高生の影響を変に受けているのだろうか。だとしたら断固矯正せねばなるまい。
ため息をつく。
朝実は知らないのだ、あの人のことを。
一生懸命でたまにドジをして転ぶ、とても優しくて温かいあの人のことを。
だからこんな話ができる。
知らないのは、しょうがない。それは少しさみしいけれど、だからといって詳しいことを言う気もなく――鍵太郎は、事実だけを話すことにした。
「……俺の好きな人は、宮本さんの知らない人だよ」
「えーそうなんですか。なんかつまんないですー」
「人をダシになにを考えてるんだオイ」
まあ、女子なんて噂話をしないと生きていけないイキモノなのだろうが。
自分が裏でなにを言われてるのかは気になるところだが、聞くのは恐ろしい。好奇心は猫を殺す。なので鍵太郎は先輩らしく、真面目に事を収めることにした。
「馬鹿なこと言ってないで、ほら練習練習」
「はーい」
先輩の言うことを聞く気になったのか、それとももう収穫はないと悟ったのか。
朝実は素直に自分の席に戻っていった。こんな話をするようになったということは、彼女もだいぶこの部に慣れてきたのだろうか。
内容はともかく、それについてはとてもいいことだと鍵太郎は思う。本番の前から緊張していたら、できるものもできない。
去年の自分や光莉のことを思い出すと、あのくらいでいいんじゃないかと思えた。人を楽しませるために演奏するのだ。あのくらいいい意味で気楽にやりたい。
そしてその光莉はというと、まだうずくまっている。
さすがに、もう震えてはいないが。鍵太郎が声をかけようとすると、彼女はその姿勢のまま言ってきた。
「……あんたの好きな人って、春日先輩でしょ」
「……えーと」
「隠そうとしても、あんだけベタベタだったらわかるわよ」
「あー……うん」
鍵太郎は頬をかいた。そんなにわかりやすかっただろうか。先ほどの話ではないが、やはりかなり恥ずかしい。
苦笑しつつ、認める。もう卒業した人相手に、おまえはなにをやってるんだと言われるだろうが。自分だってそう思ってるくらいなのだから。
しかし意外なことに光莉は罵倒してこず、「……春日先輩、今なにしてるの?」と訊いてきた。
「ええと、このあいだメールしたときに言ってたんだけど」
「ていうかメール、してるんだ……」
「なんだよ。いいだろ。……ええっと。なんか先輩、社会人の吹奏楽バンド入ったんだって。大学にオーケストラ部しかなかったからって言ってたけど……吹奏楽とオーケストラってなにが違うんだ?」
「……オケは弦楽器が主役だから、ほぼ管楽器の吹奏楽とはだいぶ違うんじゃない? 私も詳しくは知らないんだけど……。ていうか人に訊いてないで、自分で調べなさいよ」
「ああ、うん」
罵倒はされないが、光莉の言葉には棘があるような気がした。
やはり賛成はしてもらえないか。バスクラリネットの先輩にも言われたのだが、他人から見れば理解しがたい行動なのだろう。
報われる余地がほとんどないのは知っている。あきらめたほうがいいと言われたときもある。
けど、なんだかんだ言って――やはり自分は、あの人のことがまだ好きなのだ。
だからあの人が、今までと同じように吹き続けると言ってくれたときは嬉しかった。
光莉はなにかを考えているようで、座り込みながら遠い目をしていた。つぶやく。
「そう……あの人まだ、続けてるんだ」
「うん。やっぱりさ。卒業した先輩がまだ続けてくれてるって、嬉しくないか」
それによって、微かではあるがつながっている気がするのだ。
形は違えど、それは光莉だって同じはずだ。
「続けたほうがいいと思ってるのは、おまえだって同じだろ?」
自分がそうであるように、光莉だって去年、楽器を吹くことを辞めようとしたときがあった。
過去の失敗に押し潰されそうになっていた彼女が、それでも吹き続けることができたのは――今度行く老人ホームで会った、一人のおばあさんの言葉のおかげなのだ。
「ありがとう」とわざわざ言いに来てくれた、それまで顔も知らなかったあの人と、あのとき確かにつながったような気がした。
自分の持っているもので、人の心が動かせた。
誰かとつながれた。それが嬉しかった。
だから、続けている。
それは自分と通じるものがあるはずだ。
吹き続けて、つながり続けること。それは――
「……結局さ」
こちらの考えを断ち切るように、ぼそり、と光莉が言った。
「あんたは、どこまでも『春日先輩が言ってたから』なんだね」
「……それだけじゃ、ないけど」
立ち上がろうとした光莉に手を貸す。しかし彼女は、それを振り払ってきた。
「……いい。いつまでも先輩先輩って頼ってる、情けないあんたの手なんか借りない」
「……千渡」
「こないだも言ったわよね。いつも伴奏で、人の陰に隠れててズルいって。あんた、それそのままよ。自分に自信がないから人の言葉を借りてるんでしょ。それがなけりゃ形にもならないくせに」
「……」
密かに気にしていたことをそのまま言われて、鍵太郎は何も言えなくなってしまった。
伴奏楽器はメロディーと一緒に曲を進めていく。逆に言えばそれがなければ、なにをやってるのかもわからない楽器でもある。
そんな楽器の性質を抱え込むかのように、最近の自分は人の言動に影響されることが、非常に多くなってしまっていた。
自分の音がなんなのか、わからなくなっていた。
だから人の言葉に従うしかなくて――でも、光莉は違うらしい。
彼女はこちらをにらみつけ、自分の言葉を突きつけてくる。
「私は違う。春日先輩とは違う。私は私のやり方で、自分の過去に勝ってみせる。見てなさいよ。今度こそやってやるんだから」
「おまえは……」
「早く練習に戻りなさいよ」
一方的にそう言うと、彼女は足早にその場を去ってしまった。
止めようにもその背中からは拒絶の意思がありありと伝わってきて、声をかけることもはばかられる。
とぼとぼと自分の席に戻った。すると前の席で練習していた朝実が、振り返って言ってくる。
「どうしました?」
ケンカするほど仲がいい、さきほど彼女にそう言われたが。
そんなことはないんじゃないかと、鍵太郎は思った。
「……千渡は、俺のこと嫌いなんじゃないかと思う」
「うん? 千渡先輩は湊先輩のこと大好きだと思いますけど?」
「そんなことはないと、思うんだけどな……」
だったらさきほどの彼女の態度は、なんなのだ。
ズルくて情けないと言われた。それは確かに、その通りで――じゃあ、どうすればいいというのだろう。
「……ごめん。今は次の本番に集中しなきゃな」
朝実が少し不安そうにこちらを見てくるのに気付いて、鍵太郎は無理やり笑った。
そうだ、自分はもう先輩になったのだ。情けない姿を見せている場合じゃない。
「ええと、『お客さんが聞いて喜んでくれる演奏』ですよね!」
「そう、だね」
今は練習に集中しよう。音を出せばなにかが変わる。
やり続ければ、またつながることができる。
それがいつかはわからないが、ただ細く伸びる糸をたどって。吹き続けよう。
「……」
ただ――どうしても気になってしまって、鍵太郎は吹いていた楽器から口を離した。
光莉のソロは、やはり自分からすればちょっと違うもののように聞こえる。でも、それを指摘することは今はもう、できなかった。
気になって集中しきれない。どうしても他人の音が聞こえてくる。
おまえは、ズルいと――そう言われたことが、どうしても頭の片隅から離れなかった。
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