第110話 新入生が来た!
「あの、吹奏楽部の人ですよね!?」
「え、あ、はい」
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学校の廊下。放課後になって鍵太郎は部活のため、音楽室に向かっていた。
そこできょろきょろと周りを見渡す、真新しい制服の女の子を見つけたのだ。
両サイドに太い三つ編みを下げ、メガネをかけた女の子。
あの感じだと新入生か。迷子かなと思って近づいてみたら、話しかける前に逆に女の子の方からコンタクトを取られたのだった。
その子の勢いに押されるがまま、鍵太郎はうなずく。
「う、うん。俺は吹奏楽部の部員だけど」
「やっぱり! すみません、わたし見学に行きたいんですけど、音楽室の場所がわからなくて」
「あ、そうなんだ」
警戒が一気に関心に変わる。きのうの新入生勧誘の演奏を聞いて来てくれたのだろうか。だったら嬉しいなと思う。
現在吹奏楽部で唯一の男子部員である自分は、やはり外から見れば相当目立つのだろう。
突然おまえは吹奏楽部の人間かと訊かれたのも、この子が演奏している姿を見たからだと思えば納得がいく。
知らないうちにいろんな人に見られているもんだなあと思いつつ、鍵太郎は後輩となるその女の子に同行を申し出た。
「じゃあ一緒に行こうか。俺もこれから音楽室行くところだったから」
「わーい! ありがとうございます!」
彼女は無邪気に喜んでいた。元気で明るい。
こういう子にはぜひ入部してほしい。そう切に願いつつ再び歩き出す。
「わたし楽器ってリコーダーと鍵盤ハーモニカしかやったことないんですけど、それでも大丈夫ですか?」
新入生が話しかけてきた。目がキラキラしていて、口調と身体の動かし方から大きな期待と僅かな不安が伝わってくる。
素直な子だなあと思いつつ、鍵太郎は「大丈夫だよ」と応対した。
「俺もそんな感じだったから。初心者でも、一年やればそれなりに吹けるようになるよ」
「そうなんですか!? やったー! がんばりまーす!」
「もう入部する気満々だね、きみ」
この時点でここまで決めているのも珍しい。そう言うと、彼女はなんの曇りもない笑顔で言ってきた。
「演奏を聞いて、わたしもやりたいなって思ったんです!」
「なんてありがたい入部理由なんだ……!」
その笑顔が輝いて見えて、鍵太郎は涙が出そうだった。
一名確保! そう部員たちに言いたくなる。この感じなら、すぐに部活の一員として受け入れてもらえるだろう。
そういえば、楽器はなにをやりたいのだろうか。どの楽器も空きはあるので、希望者が殺到しない限りはおおむねやりたい楽器をやれるはずだ。
しかし、彼女は初心者だった。楽器の名前もまだわからないようで「えーと、あれです、あの、金色で細かい部品がいっぱいついてるやつ」と言ってくる。
「サックスかな?」
その説明を聞いて、鍵太郎はそう言った。
サックス。見た目も音も華やかな、吹奏楽部における人気楽器のひとつである。
そうだよね。やっぱりああいうカッコイイ楽器やってみたいよね、と――低音楽器担当の鍵太郎は、少し残念に感じつつもそう思った。
やっぱり低音より、目立つ旋律楽器の方に希望者がいくものなのだ。
しょうがない。初心者の子はどうしても、見た目やイメージに憧れて楽器を始める。
素直な子は楽器の上達が早い。鍵太郎は去年先輩にそう言われた。
この子なら、なにをやってもすぐに上手くなるだろう。どの楽器でも応援してあげよう。そう思ったところで、音楽室に到着した。
中からは、既に音が聞こえてきている。今日から見学の新入生が来るということで、気の早い部員たちが準備を始めているのだ。
音楽室に入り、女の子にイスを用意して鍵太郎は言う。
「見学の子は、準備ができるまで座って待っててもらう感じになるから。いろんな楽器があるから、見て待っててね」
「はい!」
「いい返事だー……」
最近は虐げられてばかりだったので、軽く感動すら覚える。
さて、楽器を出すかと鍵太郎がその場を去りかけたとき、気がついたように女の子が言った。
「あ! お名前聞いていいですか? わたし、
そういえば、まだ名前を聞いていなかった。
これから後輩になるその子に、鍵太郎はあいさつする。
「湊鍵太郎だよ。よろしくね、宮本さん」
「はい! よろしくお願いします、
「みなと、先輩……!」
衝撃を受けた。
いや、先輩になるのはわかっていたが、実際にそう呼ばれて強烈にそれを実感したのだ。
どうしよう。嬉しい。
言葉もなく固まっていると、朝実は首をかしげる。
「どうしたんですか?」
「い、いや、まだ先輩って呼ばれ慣れてなくて」
「ああ。そうですよね、わたしもまだほんとに高校生になったのか、なんか変な感じです!」
「だよね。でも、大丈夫だよ」
自分だってそうだったのだ。でもここの人たちと話していたら、いつの間にか高校生としての自分に馴染んでいた。
この子にもそうなってもらいたい。そう思ってもう一度「よろしくね」と言って、鍵太郎は自分の楽器を出しに向かった。
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しばらくすると、音楽室には驚くほど多くの見学者がやって来た。
「うんうん。大漁ですねえ」
部長の
夢の国関係の曲は、かくも人を集めるのか。それを思い知らされる人数である。
「……まあやっぱり、男子の見学者はいないみたいですけどねー……」
新入生たちを見渡して、悲しい目で鍵太郎は言った。予想はしていたが曲の効果は、やはり女性限定だったようだ。
まあね、いい後輩も来てくれたことだしね、とちらりと朝実を見る。人見知りしない性格なのだろう。彼女は隣の子と楽しそうにおしゃべりをしていた。
「今年こそ、打楽器を! 打楽器を六人体制にしたいのですが、いかがですか先生!?」
「まあそれなりの人数が入ったら、必然的に大きい曲をやることにもなるからな。そのくらい打楽器はいないときついだろ」
「やほーう! 六人いれば大抵の曲はなんとかなります!」
「低音を……」
打楽器担当の部長と、顧問の先生の間で鍵太郎は力なくつぶやく。
まあ確かに、現在三人しかいな打楽器パートは一人で色々な楽器をやっていて、大変なのは知っているが。
低音だってほしいのだ。特に卒業した先輩がやっていた、バリトンサックス。サックス属の低音楽器である。
宮本さんやってくれないかな。でもきっとやりたいのはアルトサックスなんだろうな――と心の中で鍵太郎は思った。アルトサックスはサックス類の中でも、一番ソロの多い花形楽器だ。
よくメディアに取り上げられていて、目にする機会が多いのはこの楽器である。
まあ、あれだけいれば誰かがバリトンをやってくれるだろう。
例えアルトからあぶれてきたとしても、それはそれで楽しい楽器なんだよと伝えていけばいい。
今日はこれから新入生を前に、もう一度昨日と同じ曲を合奏することになっている。同じ曲とはいえ、間近で聞けばまた印象が違うはずだ。
さらに新入生が固まって座っているのは、低音楽器に近い端っこだった。少しでも低音楽器を印象付けよう。そう決意して、鍵太郎は楽器を構える。
そして先生が指揮を振ったとたん、音楽室に轟音がこだました。
朝実が驚いた顔をして、食い入るように演奏に聞き入り始める。
その様子を見て――鍵太郎はなぜか違和感を覚えた。
この顔を、前にどこかで見たことがある気がする。
きのうの新入生歓迎演奏ではない。もっと前――彼女をいつだったか、見かけたことがあるような。
頭を巡らせるが、思い出せない。ただぼんやりとした感触だけが、鍵太郎の曖昧な記憶の中にあった。
いつだったろうか。しかし今は演奏に集中しなければならない。
小さな謎はとりあえずさて置いて――鍵太郎はまず目の前の楽譜を見ることにした。
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「あの子を見たことあるかって?」
「はい」
演奏が終わって、鍵太郎は同じ低音楽器であるバスクラリネットの高久広美にそのことを訊いてみた。
朝実のことを鍵太郎が見ているのなら、他の部員だってそのはずだ。そう思って訊いたのだが、先輩は首を振った。彼女にも心当たりはないようだ。
「湊っちが見たことあるっていうんじゃ、去年の学校祭か、クリスマスコンサートじゃないの?」
「まあ、そのくらいですよね」
去年、不特定多数に向けて演奏したのはその二回だけだ。ならそのどちらかで、彼女を見かけたことがあるのかもしれない。
後で訊いてみよう。彼女は既に入部を決めている。これから訊く機会はいくらでもあった。
新入生たちが別室に案内されていく。これから違う部屋で、各楽器ごとの紹介を行うのだ。
「ねえ湊っち。ほんとにトルネコやるの?」
「こ、ここまで来たらやるしかないでしょう」
呆れ顔の広美に訊かれ、鍵太郎は顔を引きつらせてそう答えた。楽器紹介で、鍵太郎はあの有名なRPGの曲をやることにしていたのだ。
元々は、男子生徒が見学に来たら、そのハートをがっちり掴もうと思ってやることにしたゲーム音楽である。
しかし女子しか見学に来ていない以上、ここは曲を変えた方がいいのではないか――年長者の経験から、広美はそう言っているのだ。
だがそうは言っても、ほとんどこの曲しか練習してないので今さら他に変えてもうまくできる自信はない。
貫き通せば俺の勝ち、である。何食わぬ顔をして自信たっぷりに吹いてしまえば、曲を知らなくても聞いてくれるはずだ。
たぶん。どこか不安ではあったが、それを押し殺して鍵太郎は楽器紹介に向かった。順番が来て、新入生がいる部屋に入る。
楽器が大きいので扉にぶつからないよう、守りながら後ろ歩きで入室する。
そして、振り返ってみれば――
そこでは目をキラキラさせた新入生たちが、次はなんの曲をやるんですか!? と言わんばかりに、こちらを見つめてきていた。
「う……っ!?」
戦慄した。
やばい。これはトルネコとかやっていい雰囲気ではない。
もっと彼女たちが知っていて、さらにメジャーな曲をやらなければ、たちまちここはアウェーになるだろう。
どうすればいいと考えて、鍵太郎はほぼ反射的に、去年卒業した同じ楽器の先輩と全く同じ選択をしていた。
すなわち。
「ミ……ミッキーマウスマーチ、やります!」
歓声が上がる。それはいい、いいのだけど――
音を出した瞬間に、後輩たちがスーッと引いていくのがわかった。
重低音の、メタボなミッキー。
そんなのイメージと違う……! そんな声が聞こえてきそうだった。
ああ――先輩。あなたはあのとき、こんな気持ちだったんですね。
すみませんでした。去年のこのときは、俺も引いてました。すみませんでした……!
心の中で自分の過去の行いを先輩に謝り、泣きそうになりながらも鍵太郎はその曲を最後まで吹ききる。
「あのときの湊先輩は、一生懸命なのが逆にかわいそうでした」――というのは、後の宮本朝実の言である。
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「……」
「だから言ったのに」
ほうほうの体で逃げ帰ってきた鍵太郎に、広美は先ほどと同じ調子でそう言った。
「直前で曲を変えたのはいい判断だったかもしれないけどさー。だったらもう少し練習しとけって話だよねー」
「明日はもうちょっと、練習してから行きます……」
ひよった。でもあれはしょうがなかった。
まあ、まだ明日もある。そこで男子生徒が見学に来ればよし。
来なかったら――もう少し心の準備と練習をしてから、楽器紹介に行こう。
そんなこんなで見学の時間が終わり、新入生たちが帰っていった。
しかしその中を逆走する姿がある。
朝実だ。
「すみません! わたし、入部したいんですけど!」
「お」
「マジで?」
部員から声が上がる。その場にいた顧問の先生が言った。
「おう、そうか。なんかやりたい楽器はあるか?」
「はい。さっき名前わかりました。えーと、おっきい――おっきいサックスを!」
そのセリフに、鍵太郎と広美は顔を見合わせた。
「おっきい……」
「サックス……?」
それは、アルトサックスではないだろう。
それは、アルトサックスより大きい――
「バリトンサックス……?」
「あ、そうそう! それです!」
『なんだってええええええっ!?』
低音楽器の二人はそろって声を上げた。ありえないと思った。どうしてこんな、大きくて肺活量のいる、きついくせに目立たない楽器を、とひたすら自虐的なことを考え始める。
「た、確かにジャズではある意味、アルトよりおいしいことをしてるのがバリトンだけどさ。けど、あの子は楽器の名前も知らない初心者なんだよね……?」
「あ、わたし前にこれ見て、やるって決めてたんです!」
広美の言葉を聞いて、朝実が言った。
前。それがきっと、鍵太郎の記憶にある――
「去年ここの学校祭で、バリトンサックスがマイク使って吹いてるのを見て、わたしすっごい感動したんです! あとクリスマスコンサートも偶然聞いてて、すっごいかっこよくて、わたしも絶対やりたい! って思って――」
『ありがとう!!』
「わひゃっ!?」
部員全員からお礼を言われて、朝実はそのままひっくり返った。
そして鍵太郎は思い出す。
そうだ。クリスマスコンサートの最初の曲で、大音量に驚いていた最前列の女の子。
あの子だ――。
記憶がはっきりしたことで、彼女の言葉が本心だということもよくわかった。お礼なんて、いくら言っても言い足りない。
お客さんが自分たちの演奏を聞いて、わたしもやりたいと言って入ってきてくれたのだ。
それは自分たちの演奏がこの子に届いたことの、なによりの証に他ならない。
ひっくり返った宮本朝実を助け起こし、はじめての後輩に鍵太郎は宣言する。
「ようこそ、吹奏楽部へ。俺は――俺たちは、宮本さんを歓迎するよ」
それは一年前に、鍵太郎自身が言われたのとほぼ同じセリフでもあった。
楽器が違っても、この子のことは大切にしよう。あのときあの先輩が、そう思ったかどうかまではわからないけれど――
少なくとも今、自分はそう思った。そして朝実はそんな鍵太郎の胸の内など知らず、やはり元気よく答えてくる。
「はい! よろしくお願いします!」
『よろしくねー!』
こうして部活見学の初日、吹奏楽部に新しい部員が誕生した。
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「あ、春日先輩」
「ん、メール?」
朝実の感動的な入部を経て帰り際、鍵太郎は携帯に卒業した同じ楽器の先輩からのメールが来ているのに気づいた。
好きな人からのメールに顔がにやける。それを見て広美が先ほど以上に呆れた眼差しを向けてきたが、かまわない。今は幸せで忙しい。
卒業した先輩は、新しい部員は入ったのかと元部長らしいことを訊いてきていた。なので今日まずひとり入りましたよと返信する。その当の朝実は、不思議そうに鍵太郎の緩んだ顔を見ていた。
そして出会ったときと同じように、唐突に言ってくる。
「湊先輩は、気持ち悪いですね!」
「は?」
「ほえ?」
いきなりの罵倒に、鍵太郎と広美はびっくりして朝実を見た。
しかし彼女は悪びれる様子もなく、笑顔で続ける。
「いい人だなーと思ってましたけど、今のでちょっと引きました! 男の人ってやっぱり気持ち悪いですね!」
「えー……っと」
朗らかに言い切られるので、鍵太郎は呆然とすることしかできなかった。
彼女は、初めての後輩だ。
素直で、元気で、自分たちの演奏に感動してきてくれた、かわいい後輩――
「ああ、あんまり気にしないでください。わたし、思ったことがすぐ口に出ちゃうんです。友達にはよく『朝実は失言大王だね』って言われます!」
「えーと。それって、友達かなあ……」
それだけ突っ込むのが精いっぱいだった。なんだか言うべきポイントがずれている気もするが。
どうにも対処に困って、鍵太郎は助けを求めるように広美を見た。彼女も目が点になっていて――やがて、その顔のままで何度かうなずく。まるで、自分を納得させているかのように。
「うん、まあ、いいんじゃない。素直な子は楽器の上達も早いし」
「これ、素直って言うんですか……?」
ただ単に心の声がダダ漏れなだけな気もするのだが。
しかし本人にまったく悪気がないだけに、正面きって怒ることもできない。
吹奏楽部は個性の巣窟――そんな言葉が鍵太郎の脳裏をよぎる。この部に突撃してくる人間に、普通を期待してはいけないのだ。
先輩たちから多くの感謝と期待と、そして少しの不安を持たれながら。
新入生・宮本朝実はただ素直に、心のままを宣言する。
「改めまして、バリトンサックス担当、宮本朝実です! ふつつかものではございますが、よろしくお願いします!」
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