二年生~へっぽこ聖騎士の巡礼

第109話 吹奏楽部ここにあり

 また四月が来て、湊鍵太郎みなとけんたろうは高校二年生になった。



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 重い自分の楽器と譜面台などの装備を携えて、鍵太郎は昇降口の外に向かっていた。

 これから新入生勧誘のために、吹奏楽部はそこで演奏を行うのだ。一年前そこで演奏を聞いて、部活に興味を持ったことを思い出す。

 不思議なもんだなあと鍵太郎は思った。あのときと今ではだいぶ自分も変わり、今度は勧誘する立場だ。

 一年生たちはこれからの高校生活に、期待と不安が入り混じっているのだろう。それに先輩たちも影響を受けて、学校全体が浮足立っている気がした。

 校舎内にはどこか、落ち着かない雰囲気が漂っている。

 そして、それは吹奏楽部も例外ではない。


「……おい千渡せんど。大丈夫か?」

「だだだだだ大丈夫よ」


 近くを歩く千渡光莉せんどひかりを見て、鍵太郎は声をかけた。トランペットを持っている彼女は、右手と右足が一緒に出ている。

 全然大丈夫そうではなかった。相変わらずこいつ緊張しいなんだなあ、と声には出さずに鍵太郎は思う。その姿は一年前とあまり変わっていない。

 もっとも、今回は彼女がそれほど緊張するだけの理由があるのだ。これから演奏する『エレクトリカルパレード』で、光莉はトランペットの一番を受け持っているのである。

 一番。首席奏者だ。

 花形楽器のトランペットの中でも、それは最高に目立つポジションである。

 本来なら三年生の先輩がやるところであるが、その先輩が「地味なわたしに、ディズニートランペットのキラキラした音は出せない……」と言って、光莉に一番の譜面を渡してきたのだ。

 音質としては確かに、その先輩より光莉のほうがこの曲に向いているのかもしれない。ただし彼女には克服しきれていない弱点があって――非常に、プレッシャーに弱いのである。

 新入生勧誘演奏は、入部希望者の数に直結する大事なものだ。

 そして曲は、みんなが知ってる有名なもの。

 となれば、外すわけにはいかない。光莉はそんな風に考えているのだろう。本番が近付くにつれ命中率が下がってきた高音ハイトーンは、彼女のそんな心情を表しているように鍵太郎には思えた。

 高音を外したときの「あー……」という声なき声は、かくもトランペット奏者を追い込むものなのか。

 苦笑しつつ、鍵太郎は光莉を励ますことにした。出さなきゃ出さなきゃと気が焦ると、余計音は出なくなるものなのだ。


「なあ千渡。大丈夫だから。周りの目なんて気にしないでとにかくやっちまえよ。もしミスったとしても周りがカバーしてくれるから」

「無責任なこと言うんじゃないわよ……! なにがなんでも当てるのよ、トランペットにはねえ、外しちゃいけないときがあるのよ!」

「なんだその『女には、やらねばならぬときがある』みたいな言い方は」


 確かに、高音を出すのはトランペットの矜持なのかもしれないが。低音楽器のチューバ担当である鍵太郎には、その辺の心情はぼんやりとしか察することができなかった。

 それは先日、チューバの楽しさをこの同い年に話しても、よくわかってくれなかったのと似たようなものかもしれない。

 すると光莉は追い詰められた者特有の不敵な笑みを浮かべ、言う。


「今がまさにそのときよ……! ふ、ふふ、あんたにはわかんないでしょうね、この、トランペットの楽しさというものがががが」

「ガタガタ震えながら言われても、こっちとしては心配になるだけなんだが……」

「うっさいわ。て……低音楽器はおとなしく、私のことを支えてなさい!」

「へいへい」


 びしりと指を突き付けられ、鍵太郎はそう返事をした。なんだかんだで彼女のやる気は十分のようだ。今のやり取りで多少は緊張もやわらいだろうか、真っ青だった顔に血の気が戻ってきている。

 これならなんとか大丈夫だろう。

 外そうが当てようが、鍵太郎としては光莉を責めるつもりは毛頭なかった。一年前は楽器を吹くことすらあきらめかけていた光莉は、ここまで来たのだ。

 今はまだそのトラウマを克服しきれてはいないようだが、彼女をここに引っ張り込んだ身としては、その再生への道のりを支えていきたいと思う。

 なにも気にしないで、光莉が楽器を吹けるように。

 そんな具合に彼女にとってはいいことを考えていたはずなのだが、光莉は「へいへいって……そんな気のない返事してるんじゃないわよー!」と怒鳴ってきた。


「だっ、だいたい、あんたはズルいのよ。低音楽器って目立たないじゃない。ミスってもバレないじゃない。だからそんなこと言えるのよ! 真面目にやりなさいよ!」

「ふざけんな! 俺がいつもどんだけ死にそうな思いしてこの楽器吹いてると思ってんだ! 腹回りが痙攣するようなこの負担、おまえ代わりに味わってみろよ!」

「いやよ! 誰がそんな楽器好き好んで吹くのよ! 意味わかんない! 低音のくせに。伴奏のくせに。いっつも主旋律の影に隠れて、こっちの気も知らないで好き勝手言ってるんじゃないわよ!」

「うぐ……っ。ひ、他人の気も知らないでぎゃあぎゃあ言ってるのはそっちだろうが!」

「私の気持ちも知らないで、よくそんなこと言えるわよね!?」

「はいはい止めて止めてー」


 期せずしてヒートアップしてしまった会話にストップをかけたのは、クラリネットの宝木咲耶たからぎさくやだった。

 争いとは無縁そうな柔和な笑みを浮かべて、咲耶は二人に言う。


「トランペット、高音大変だよねー」

「う、うん……」

「チューバ、いつも苦しくてきついよねー」

「ま、まあな」


 彼女はねぎらいの言葉を双方にかけてきた。その優しさがささくれた心にしみる。

 さすが宝木さんだ、いつも気遣いの心を忘れない。鍵太郎がそう思っていると、咲耶は改めて笑った。

 にっこり、と。


「でもクラリネットもね。細かい音階スケールに指が回らなくて、大変なんだよ?」

『すみませんでした!』


 その笑顔に一瞬阿修羅が見えた気がして、鍵太郎と光莉は声をそろえて謝った。



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 どの楽器もどの楽器で、大変なものは大変なのである。

 体格や性格によって、向き不向きがあるのだ。そんな楽器というものを、どんな後輩たちが吹いてくれるだろうか。

 そろそろぼちぼちと新一年生が出てきた昇降口の外の広場で、鍵太郎はそう思っていた。

 新入生たちが物珍しそうにこちらを見ている。初めて間近で楽器を見た人も多いだろう。自分も去年はあんな感じだったのだろうか。

 ちょっと着られている感のある真新しい制服が、初々しく思える。そんな後輩たちを見ていたら、ちょっとかっこつけたくなってきた。ちょうど打楽器の準備が終わり、指揮をするために顧問の先生が前に出てくる。

 あの子たちがびっくりして、その場に釘付けになるくらいのものを吹いてやりたい。

 先生は一年生たちに向かって小さく手を振ると、こちらを振り返る。全員でさっと楽器を構えると、一瞬だけ息を呑んだような沈黙が落ちた。

 その隙間を縫って、指揮が振られる。

 低音の絨毯を敷くと、その上に金管部隊のファンファーレが響き渡る。光り輝く勇壮な始まりの音。その中に光莉の音が聞こえる。今のところは大丈夫だろうか?

 そう思ったら、パッパパフスーッっという音が聞こえて、あ。と鍵太郎は思った。最後の高音だけ、息の音しか聞こえなかった。

 まあ、今のはそんなに目立つ失敗じゃなかった。大丈夫大丈夫。そんな細かいところまでわからない。たぶん。

 後でフォローしてやろう。殴られるかもしれないが。そんな風に心中で苦笑しつつ、鍵太郎は曲を進めた。

 まずは最初にクラリネットが理解不能なほどの指使いで、主旋律を吹き始める。これはあの咲耶ですら怒りたくもなるかもしれない。そう思わせるくらいの細かい動きだ。

 木管楽器の人たちはよくあんな細かいの吹けるよなあ、と今回もほぼ四分音符の打ち込みばかりの鍵太郎は思う。あんなに忙しそうなのに、なにが楽しいのだろうか。今度咲耶に訊いてみよう。

 それを聞いて理解できるかどうかは、トランペットの楽しさがよくわからなかったのと同じで、わからないかもしれないが。

 しかし一緒に吹いているこっちは、十分楽しいのだ。

 これは、そういう楽器だ。他人の歌を聞きながら吹いていく。

 それがズルいと、さきほど言われたのだが。実はこっそりと傷ついていたりもして、じゃあどうすればいいんだよとも思ったりもする。そういう楽器なのだ。それをズルいと言われても困る。

 こうしてたまにメロディーもあることだし――と、鍵太郎は『お誕生日じゃない日のうた』の珍しい低音のメロディーを吹いた。

 確かに、目立つのは怖い。そして聞かせるためにはパワーがいる。

 単純な身体的な力ではなく、もっと大きな『力』だ。それを常にやっている旋律楽器の連中は、やっぱりすごい。

 メロディーが終わるとわずかな休みがあり、そこで伴奏への意識の切り替えと、ほんの少しの休憩を取る。

 慣れないことをすると変な汗をかく。常に目立つメロディー楽器をやるやつらは、やはり精神的に強いのだろう。

 だが、と鍵太郎は再び楽器を構えた。吹き始めるのは四分音符のベースラインだ。いつものように腹部に鈍い重圧がかかって、筋肉が軋む。

 そう、自分だってメロディーとはまた違う意味で力を使う楽器だ。使う力の種類が違うだけで、低音だってなくてはならない楽器のひとつなのだ。

 やはり向き不向きはあるのだろう。その中で見つけた楽しさを、それぞれの楽器が自分のが一番楽しいと言っているだけの話だ。

 メドレーなのでどんどん曲が変わっていく。弾む楽しい雰囲気はそのままに、メインを務める楽器たちが入れ替わっていく。

 フルートの先輩が、おどけたようなメロディーを相変わらず非の打ちどころのないほどに完璧に吹き上げた。この旋律は遊び心に溢れているはずなのに、そんな風に吹いたら感心してしまう。

 続いてトランペットと低音がふざけて競争するようにリズムを合わせて走っていき、何事もなかったようにクラリネットが元の形に戻した。そこからサックスが先導するように、次の曲につなげていく。

 みなの音が主張し合って、それがひとつの塊になって新入生の方へ向かっていった。その音の中のどれか一部でも気になったら、ぜひ見学に来てほしい。サッカー部もバスケ部も、もちろん野球部もあるが、吹奏楽部だってここにいる。

 男子生徒だって来てほしい。ええもうそれは切実に来てほしい。文化部だって恥ずかしいもんじゃない。一年前は自分だって文化部はなあと渋っていたが、蓋を開けてみればここは下手な運動部よりよっぽど体育会系だった。現に俺は今いろんな意味でつらい。ひとりはさみしい。誰か助けてください。こんなこと考えてるからズルいと言われるのかもしれないけれど。

 ジャズ調にしたミッキーマウスマーチを吹いた後にもう一度メインテーマが流れ、そして最初のファンファーレに戻る。

 さんざん吹いてきた後に一番きつい場面に帰ってきた感があるが、これが最後と鍵太郎は、この曲で使う一番低い音を伸ばした。

 フィナーレを飾るためにテンポが遅くなり、そしてそれぞれの楽器がそれぞれの音を、高らかに吹き上げる。

 吹奏楽部ここにあり。それを示した形だ。

 新入生たちから拍手が上がった。やはり知名度の高い曲は反応がいいのだろう。まあ、拍手をしているのは大体女子で、この曲だとやはり男子は来ないんじゃないかと不安になったりもするのだが。

 そんな風にキラキラした目で見られると、なんだか照れくさい。今までの本番ではそんなことなかったのに、見ているのが新入生だからかもしれない。

 俺はあんなんだったかなあ、いや、あそこまでじゃなかったよなあと思いつつ、鍵太郎は照れ笑いで口元が緩むのを感じた。

 それを隠すように、タオルで口を拭う。これなら明日から、そこそこの数の見学者は期待できそうだった。

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