第107話 つながる楽器
だがまれに、ひとりでメロディーをやらねばならぬときもある。
例えば、そう――
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「楽器紹介、ですか」
顧問の先生に言われて、鍵太郎は戸惑っていた。
卒業式も終わり、吹奏楽部はこれから新入生勧誘のために練習を始める。
そして見学に来た新入生に対して、各楽器別に楽器紹介を行うのだ。実際に楽器の音を聞いて、どれにするか決めてもらう。
その際、ただ音を出すだけなのも味気ないのでなにか一曲、となるわけだが。
しかし。
「俺の楽器、あんまりそういう主役の曲ってないんですけど……」
鍵太郎は右に傾けていた首を、今度は左に傾けた。鍵太郎の担当である低音楽器・チューバは、基本的にベースを刻む伴奏楽器である。
まれに主旋律などは出てくるが、それしてもフルートやトランペットなどの花形楽器とは役割が全然違う。
「誰でも知ってそうな有名な曲で、あのゴツい楽器でもできる曲?」
言ってみても、ぱっとは思いつかない。
確かに去年見学に来たとき、先輩はひとりでこの楽器を吹いていた。ミッキーマウスマーチを、やたらメタボに重々しくだ。残念な感じだった。
そんな風に、下手にメロディーを吹くとかえってマイナスな印象になることすらある楽器なのだ。困惑する鍵太郎に、顧問の
「探せば意外とあるもんだぞ。短いやつでいいから、なんか練習しとけ。一発芸としても役に立つから」
「なんか目的がズレてる気がするんですが……」
「なんだ、同じ楽器の後輩ほしくないのか?」
なかなかやる気を見せない鍵太郎に、本町は不思議そうに言った。
実のところそれは正解で――鍵太郎は後輩はほしいけれども、同じ楽器にはほしくないなと思っていたのである。
先日卒業した同じ楽器の先輩に言った。「またいつか、隣で吹かせてください」と。
そう言った手前、自分の隣は先輩の席という思いがあった。なにも知らない後輩とはいえ、隣に座られるのは抵抗がある。
そんな個人的なこだわりから鍵太郎は渋っていたのだ。まあ実際のところは毎回酸欠で死の予感を覚えながら吹いてたりして、本当は、本当のところはスッゲーつらいから誰か助けてくださいと言いたいところなのだが。
惚れた女のためならば捧げてみせます我が命、という気概があるのもまた事実だった。
男には、ひとりでやらねばならぬときがある。
武士は食わねど高楊枝。
重くてつらくて目立たないこの楽器を、それでも黙々とやり続けるのがかっこいいのだと鍵太郎は思っていた。
だが先生はそんなこと知る由もないので、あくまで一般論で生徒を説得しにかかる。
「チューバなんてな、正直ひとりで吹くもんじゃないぞ。土台として吹き続けることが至上命題の楽器なんだ。複数人で交代で息継ぎしながらやってかないと、そのうちおまえマジで死ぬんじゃねえか」
「い、いや、そうなんですけど」
「野郎が来たら優先的にチューバに回そうと思ってるしな。そのほうがおまえも精神的に楽だろう?」
「俺は先輩に操を立て――野郎?」
先生の発した単語に、鍵太郎はぴたりと動きを止めた。
野郎。男子部員。
三年生が引退して男ひとりになった鍵太郎にとって、それはぜひ、吹奏楽部に来てほしい存在だった。
そして重くてつらくて目立たないこの楽器は、負担が大きい分男子部員がやることが多くて――
「――をぅ」
鍵太郎はぽんと手を打った。
気づいたのだ。自分の隣で吹くのがもし、男子部員だったら。
先輩に対して申し訳ない思いをしなくても済むし、自分の負担もいろんな意味でだいぶ減るのではないか、と。
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探せば意外とある、と先生は言っていた。
「なんかかっこいいチューバソロ、かあ」
男子生徒が見学に来たら、やっべー超かっこいいこれやりたーいと思ってくれるような、そんな曲はないだろうか。
そうつぶやく鍵太郎に、ユーフォニアム・チューバパートのリーダー、
「こういう楽器紹介の場ってさ、ユーフォチューバって不利だよねー」
「本当にそうですね」
先輩の言葉に鍵太郎はうなずいた。チューバは一本で吹いてよさを伝えにくいし、ユーフォニアムはまず知名度が低すぎるからだ。
トランペットやサックスなんかは、希望者が殺到する。それは見た目でのかっこよさがあり、知名度も抜群にあるからだ。
なんだかよくわからないユーフォニアムや、見た目で「パス。」と言われるチューバとは雲泥の差である。
「ユーフォはいい楽器なんだけどねー。実はメロディーも結構多いし、対旋律でおいしいこともやってたりしてさ。トランペットよりも柔らかくてメロウな音が出るっていうのは、やっぱり魅力のひとつだと思うんだけどなー」
「それそのまま、楽器紹介で言ってください先輩……」
その上でなにか一曲やれば、ひとりくらいは希望者が来るだろう。
そんな同じく不遇な楽器の先輩は、一体なんの曲をやるのだろうか。そう訊くと、智恵は携帯の画面を差し出してきた。
「いいソロ楽譜を探してるなら、こういうのがあるよ。『激モテ・管楽器ソロシリーズ』!」
「なんですかその、あからさますぎる商品名は!?」
ちょっと恥ずかしくないだろうか。楽器が吹けたらモテモテだぜ! 俺かっこいい! という下心が透けて見えすぎる名前である。
楽器がうまくできる、イコールモテるかというと、決してそうではないということを鍵太郎は知っていた。例えばそう、卒業した打楽器の男の先輩がそうだ。
あれはあれでみんなから愛されていたが、本人が望んでいた愛され方ではなかったと思う。もう紹介っていうかナルシスト入ってないかその感じだと、と思いながら鍵太郎は携帯を見た。
そこにはいくつかの楽器の名前が記されている。楽器別に楽譜があるらしい。
「まあ、その名前はちょっとやりすぎじゃないかって思うかもしれないけど。でも見学に来た新入生の男子部員にとっては、モテるって重要な要素じゃない? かっこよくなりたい! って思う心を演奏でガッと掴めば――」
「……先輩」
智恵のセリフを鍵太郎はさえぎった。
そこには鍵太郎の望んでいた、それがなかったからだ。
「……チューバの楽譜、ないみたいなんですけど」
「……」
智恵の動きが、ぴたりと止まった。
そんな先輩に、鍵太郎は心のままをぶつぶつと述べる。
「……なんなんですかね。チューバはモテないと。おまえなんかソロやるんじゃねえと。一生誰かの影で伴奏やってろと。そういうことなんですかね」
「そ、そんなことないよ! ユーフォだって知名度低いから、あんまり楽譜ないもん! わたしもこれからネットで探そうと思って――」
「ちなみにこの『激モテ』、ユーフォの楽譜はあるみたいですね……」
「……」
知らぬ間に自分が裏切り者になっていたという事実を聞かされ、今度こそ智恵は完全に沈黙した。
いつものうっかりだ。学校祭のときといい今回のことといい、もうそろそろこの人には『ぽっちゃり八兵衛』というあだ名がついてもいいんじゃないかと、ちょっとひどいことを鍵太郎は思う。
まあ、悪意がないのはわかっているのだが。それにしてもこれだけ不遇にされているのを目の当たりにすると、いじけたくもなろうというものだ。
さて、どうしようか。固まったままの智恵に一応謝って携帯を返し、鍵太郎は再び首をひねった。
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「みーなと! 見て見て! おもしろいチューバの動画見つけたよ!」
「お、なんだ?」
打楽器の越戸ゆかりが携帯を片手に駆け寄ってきたので、鍵太郎は少し期待して画面を覗き込んだ。
彼女は前にも双子の妹と共に、ネットでおもしろい楽譜を拾ってきたことがある。スーパーマリオブラザーズを
こいつらそのうち、『叩いてみた』とか投稿し出すんじゃないだろうか。それはそれで楽しそうだと思いつつ再生ボタンを押すと、画面にチューバ奏者のおじさんの姿が映った。
そのおじさんは、覆面マスクを被っていた。
「変態じゃねえか!!」
心の叫びを発する鍵太郎の前で、画面の中のチューバの覆面おじさんはラジオ体操の音楽を吹き始める。
重量級楽器を軽快に吹くだけでも十分すごいことなのだが、さらにおじさんは吹きながら、自身もラジオ体操を始めた。
チューバ。重さ十キロの、長さ一メートル超えの楽器。
それを軽々と吹きながら、屈伸運動。さらに前に身体を折り曲げ、ぐっと後ろに反り返る。身体をねじらせて素早く引き戻し、だが全く音はぶれない。
とてつもなくすごいことをやっているのは、同じ楽器を吹いている者としてよくわかった。
同じことをやれと言われたら、まずできない。音が変になるか腰がやられる。とんでもない技だった。
でもやっているのは、覆面のおじさんだった。
「ね? すごいでしょ」
「すげえけど、これで新入部員が入るとは思えねえ!」
楽器紹介というより、完全に先生が言っていた一発芸の領域だ。
実はちょっとだけ、ちょっとだけやってみたいなーと鍵太郎は思ったりもしたのだが。しかしなにも知らない新入生にこれを見せたら、指をさされて大笑いされるか、ドン引きされるかのどっちかである。
新入生に湊先輩は変態だといきなり言われることになる。さすがにそれは勘弁願いたい。
これは、あれだ。真剣に馬鹿をやる大人だからこそ笑えるのだ。もうちょっとしたらこっそり練習してみようと思いつつ、鍵太郎は携帯をゆかりに返した。
「というか、本当こういうネタみたいなソロしかないのか……」
うめいた。みんなチューバをなんだと思っているのだ。楽器がデカくて重いもの、もはやネタ扱いだ。
「もっと他に、なんかないのか。男子部員が入ってくれそうな、かっこいいやつさ……」
「ゲーム音楽とかいいんじゃない?」
「お?」
ゆかりがあっさりと言ってきたので、鍵太郎は目をぱちくりさせた。
ゲーム音楽。それは確かに、男性受けしそうである。
なんかあったっけと訊くと、ゆかりはうーん、と考えて、言ってきた。
「トルネコのテーマとか?」
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トルネコ。
それはかの有名なRPGに出てくる、キャラクターの名前である。
かのテーマはかなり低い音域でのんびりと流れていくものであり、チューバで吹くのも十分可能だ。
楽譜がなければ耳コピでなんとかなる。そんなやる気十分の鍵太郎に、しかしトランペットの
「ていうか、ディズニー聞いて見学に来た子たちに、ゲーム音楽は受けないと思うんだけど……」
「ひょ、ひょっとしたら男子が見学に来るかもしれないだろ!?」
ひっそりと思っていたことを言われ、鍵太郎は自分に言い聞かせるように反論した。
確かに、今回の新入生勧誘の曲はディズニーだ。
けれど望みを捨ててはいけない。ひょっとして、万が一、自分みたいにひょろりと迷い込んでくる男子がいるかもしれないではないか。
それを絶対逃がしてはならない。激モテはしないとわかっていても、だまくらかして入部させればこっちのものだ。
あとは伴奏の楽しさを教えていけばいい。裏方には裏方のおもしろさがあるのだ。鍵太郎が悪い笑みを浮かべてそう思っていると、光莉が言ってきた。
「まあ、そこまで言うなら止めはしないけど……演奏した後、なんて言って楽器の紹介するの?」
「えっ」
完全に演奏のことしか頭になかった鍵太郎は、同い年の問いかけに虚を突かれた。
その反応に、光莉は驚いたように目を丸くする。
「えっ……って、まさかなにも考えてなかったの!?」
「えっ……と。チューバです。重いです。きついです。基本的に伴奏だから目立たないです……」
「ぜんっぜんアピールになってないじゃないの!?」
もっともな反論に、鍵太郎はひどく動揺した。だって本当のことなのだ。それが楽しいんだからしょうがないじゃないか。
「ト、トランペットにはこの気持ちはわからねえよ!」
「意味が分からないことで逆ギレされても困るんだけど!?」
「うう。結局チューバはトルネコなんだ。戦闘にも出ずにずっと馬車の中で、日の目を見ずにエンディングを迎えるキャラなんだ……」
「よくわかんないけど、登場する以上はなんか役割があるキャラなんでしょ!? ほらほら言ってみなさいよ、チューバの役割はなに? あんたなにが楽しくて楽器吹いてるの?」
「えーっと……」
言われて、鍵太郎は自分がなぜこの楽器を吹いているのかを改めて考えた。
先輩のことを抜きにしても、楽器を吹くことが楽しいのは確かだからだ。今までどんな場面で楽しかったかを思い出し、それを言葉にする。
「……基本的にやっぱり、伴奏楽器なんだよな。自分が目立つんじゃなくて、どうやったらこの曲がより魅力的に聞こえるか、それを考える。曲の全体像を把握して、それを感じながら吹いたりすると、バーッとイメージが浮かんでくるっていうか……曲の流れに乗ってリズムとかテンポを出していくのが、気持ちいいかな。メロディーを聞きながら一緒に吹くと、なんかつながってるみたいで、楽しい」
そう、チューバは伴奏楽器。
つまりは『誰かと一緒に吹く』楽器なのだ。
自分がうまく吹けたことよりも、曲中で誰かとつながることでテンションが上がる。
だからソロがどうたらという話で、こんなに詰まっているのだ。ああ、うまく言えたなあと鍵太郎はそこでのんびりと笑う。今までなんとなくそう思ってはいたけれども、言葉に出して言ったのは初めてだった。
あんまり主役ではないトルネコみたいな楽器ではあるが――それでも自分はやっぱり、この楽器が好きなのだ。
楽器紹介ではそれが伝わればいいだろう。のんきにそう考える鍵太郎の前で、光莉は首を傾げている。
「……曲の流れ、ねえ」
「え、曲の流れって見えない?」
同い年の怪訝な顔を見て、鍵太郎は逆に驚いた。
みんなに見えるのだと思っていたのだ。やはり楽器が違うと見える世界も違うのだろうか。
わりとちゃんと言えたはずなのに、どうして伝わらないんだろう。
一緒に吹くのが楽しい楽器のはずなのに、わかりあえていないこの現状に鍵太郎は少しの寂しさを感じた。
やはりメロディー楽器の連中とはすれ違いなのだろうか。そう思っていると、光莉はその先のことも言ってくる。
「なんかポイントがマニアックよね。私にもよくわからないし。一年間やってきたあんたはそうなのかもしれないけど、なんにも知らない初心者の新入生には、今の全然わからないでしょ」
「だ……っ、大丈夫だし。きっとわかってくれるし。俺は楽しいし」
「どうなのかしらね? まあ、やっぱりペットよ、トランペット。孤高で華麗な花形楽器よ。この分だとチューバにまず新入部員は来ないわね」
「い、いや、いるはずだ、きっと! どこかに、この楽器のよさをわかってくれる新入生が!」
「そう思いたいなら思ってれば。……この分なら、男子部員はともかく女子部員が入ることはなさそうね。よかったわ」
「人がつらいのがそんなに嬉しいのかよ!?」
なんてやつだ。やっぱりこいつとはわかりあえそうにない。
これはもう、超すごいトルネコを吹いて、絶対男子部員を入れてやるしかない。そう言ったら、「ああうん。まあ、せいぜい頑張りなさいよ」という投げやりな答えが返ってきた。
ただひたすらにすれ違う。そんな二人が先輩と呼ばれるまで、あと少しである。
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