第104話 贈る言葉

「県の選抜メンバーへの推薦、ですか?」


 顧問の先生の言葉に、湊鍵太郎みなとけんたろうは首をかしげた。

 それに、吹奏楽部の顧問である本町瑞枝ほんまちみずえは「そうだ」とうなずく。


「県の吹奏楽連盟の主導でな。県内の学校で何人かを選抜して、一回限りの合同バンドを作ろうってことになったんだよ。A部門もB部門も関係ない。有名校でも無名校でも、実力の差も関係なしに一律書類選考でメンバー選出するんだそうだ」

「へー……」


 鍵太郎は本町の説明を聞いて、感嘆の声をあげた。部門が関係ないというのが、意外に思われたからだ。

 去年思い知らされたのだが、吹奏楽コンクールには主に二つの部門が存在する。それがA部門とB部門だ。

 A部門は大編成の部とも呼ばれている、演奏人数55人以内の部だ。よくテレビなどで取り上げられている全国大会金賞を目指しているような、いわゆる『強豪校』はこれにあたる。

 対して鍵太郎たち川連第二高校が参加しているのは、B部門。小・中編成の部ともいう、演奏人数30人以内の部門だ。

 両者の違いは色々あるが、最も大きな違いは、B部門には全国大会がないということだった。

 だがそれでも、できるところまでやろうというのは変わらないわけで――去年、鍵太郎たちは自分たちなりに一生懸命練習をして、コンクールの会場に向かった。

 そこで、A部門の偉い先生に馬鹿にされた。

 いや、相手には馬鹿にしているという意識もなかっただろう。それほどまでにナチュラルに見下されているのがわかった。

 B部門の連中は努力していないからA部門に上がってこられないんだ、という言い方をされた。そこで言い返そうとしたら、強豪校の先生だから反論するなと周りに止められた。

 どんな理不尽なことを言われようとも結局、強いやつに文句をつければ周りからは負け惜しみとしか取られないのだ。

 そうして実力主義という名の下に、なにを言っても許される。それが普通なのだと思っていた。

 だから鍵太郎には部門が関係ないというのが、とても意外に感じられたのだ。しかし。


「これはなかなかない、貴重な機会だと思うぞ。どうだ? 応募してみないか?」

「そう……ですね」


 先生にそう訊かれ、鍵太郎は先輩から先日、「視野を広く持て」と言われたことを思い出していた。

 色々な学校の人間が集まるこの選抜バンドは、参加すればその分だけ、様々な話を聞くことができるだろう。

 それは自分の視野を広げることにもつながる。どんなメンバーが集まるのかは見当もつかないが、どちらにしてもこの学校にいるだけでは、知ることができないものがありそうだった。

 そう思い、鍵太郎は首を縦に振る。


「お願いします。参加してみたいです」

「よーし、そうこなくちゃな。任せとけ。おもいっきり美化したことを書類に書いて、メンバーにねじ込んでやるから」

「一体なにを書くつもりなんだ、この教師……」


 ニヤリと笑う先生に、引きつり笑いは出るものの。

 それでも鍵太郎は少しの不安と、そしてそれ以上に楽しみに思う気持ちがわき出てくるのを感じていた。

 どんなやつらが集まるのか。

 なんの曲をやるのか。

 それまで全く話したこともないメンバーで、どんな本番をやるのか――楽しみだ。

 そんな風に思っていると、推薦メンバーのリストだろう、本町が何人かの名前を記した紙を片手にぶつぶつと言う。


「現一年生中心にリストアップ……湊はOK。宝木に……片柳。浅沼は……演奏面はともかく、書類審査で通るかなあ……」

「先生。千渡せんどは?」


 名前を読み上げる顧問に、鍵太郎は訊いた。

 千渡光莉せんどひかり

 おそらく自分たちの代で、一番の実力者は彼女だ。

 あの同い年は向上心もあることだし、こういう機会には喜んで参加しそうな気もする。

 しかしひとつ、懸念があるとすれば――


「千渡は不参加だ。こういう機会だと絶対、宮園の連中と鉢合せするから嫌だって言ってたが……なんだ、あいつ。中学のときなにか嫌なことでもあったのか?」

「いや……まあ」


 鍵太郎はあいまいにうなずいた。光莉が中学のときに犯したミスは、一年以上経った今でも、彼女の行動を縛っている。

 あの怯えようなら無理もないかもしれないが――それでも、もったいないなと思った。


「千渡のいた中学は強豪校だから……なんか、色々あったみたいですよ」

「そうか」


 鍵太郎の答えに、先生はそれだけ口にした。話してもいいかなと思ったが、あまり広めていい話でもないなとも思う。


「……そっか。関係ないって言っても、宮園の誰かひとりは絶対、選抜バンドに来ますよね」


 どのくらいの人数かは分からないが、少なくとも来ないということはないだろう。

 宮園高校はA部門、その中でも県下トップの強豪校だ。光莉のいた宮園中学の卒業生は、何人もそこへ行っているらしい。

 だったらもし、選抜メンバーに宮園のやつがいたら。

 もういい加減、あいつを許してやってくれないだろうか。そう言ってみようと鍵太郎は考えていた。



###



 卒業式はすぐ間近に迫っていた。

 だからもうそろそろ、三年生たちに贈る色紙にメッセージを書かないといけないのだ。


「あーもう。うまい言葉が思いつかないよなあ……」


 同じ楽器だったあの先輩へ贈る色紙を前に、鍵太郎は頭をぐしゃぐしゃとかいた。

 既に大半の部員たちが、その色紙への書き込みを終えている。いろいろ理由をつけて、鍵太郎は今まで書き込みを後回し後回しにしていたのだが――ついに、その順番がやってきてしまったのだ。

 部長も務めていたこの人へのメッセージは、やはり感謝の言葉が多い。

『お世話になりました』とか。

『これからもがんばってください』とか。


「でもそういうんじゃ、ないんだよな……」


 そういうありきたりなものは、書きたくなかった。そんな言葉で片づけたくなくて、もっと自分にしか書けないことを書きたかった。

 その他大勢に埋もれて忘れられてしまうのは、どうしても嫌だった。

 やっぱりあの人にとって、自分は特別でありたいのだ。だったらいっそのこと全部言ってしまおうか。二年生の先輩が書いた『大好きです! きゃー言っちゃったー!』という書き込みを見て、ふとそんなことを思う。

 そうすれば相当印象に残るだろう。というか卒業式のことなんか吹き飛ぶくらい驚かれるだろう。

 そしてその返事がプラスになるかマイナスになるかで、今後のお互いの人生が左右されるのだ。

 大事件だ。色紙で告白大事件だ。そんな出来もしないことを妄想して、鍵太郎は深々とため息をついた。


「なんで俺はあと二年早く生まれなかったんだ……」


 そうすれば、こんなこと考えもしないで済んだのに。しかしそうなったらそうなったで、今とは別の関係性になっていたのかもしれないが――

 と、鍵太郎が現実逃避にそんなことを考えていると、後ろからいつものちょっとツンとした声がした。


「なーに、辛気臭いため息ついてんのよ」

「千渡……」


 振り返れば、光莉が少し不機嫌そうな顔でこちらを見ている。というか彼女はいつもそうだ。

 だから鍵太郎は特に気にせず、口を開く。


「いや、春日先輩への色紙、なんて書こうと思ってさ」

「……ふーん」

「千渡は、豊浦先輩になんて書いた? 同じ楽器の先輩ってさ、やっぱりなんか……特別だろ」

「まあ、ね」


 特別の意味は少し違うが、光莉は素直にうなずいた。あのトランペットの三年生の先輩も、いろんな意味で印象的な人であることには変わりないからだ。

 光莉はつかつかと歩き、鍵太郎の隣にやってきた。色紙を見つめながら言う。


「豊浦先輩の音は、やっぱりなんか……聞いてて、楽しそうだったわよね。私がこの部に入ったのも、それがきっかけのひとつではあるし。だから――そうね。特別」

「色紙にはなんて書いた?」

「『短い間でしたが、今まで本当にありがとうございました。先輩と一緒にできて、楽しかったです』……みたいな」

「……そんなもんか」


 意外に淡泊だった。そんなものかと鍵太郎が再び長考に入ると、光莉がさらに不機嫌そうに言ってくる。


「ああ、もう! 別に今生の別れじゃないんだから、そんなに考えなくたっていいじゃない!? 卒業したってメールでもなんでもできるでしょ!?」

「そりゃあまあ、そうなんだが」

「だったら書く! さっさと書く! いつまでも悩んでたってしょうがないのよ! まったく、さっきから見てればウジウジウジウジと……!」

「うう。なんで精魂込めてメッセージ書こうとしてるだけなのに、こんなに怒られなくちゃならんのだ……」


 いつもそうだが、彼女の態度にはどうにも釈然としないものがある。だが言われていることはもっともなので、鍵太郎はようやく重い腰を上げた。

 いろいろ書きたいところを圧縮していくと、光莉のような文面になるのだろう。

 そして自分はこれで終わりではなく、これからもこの人と付き合っていきたいと思っている。

 それを書くのなら――


「……『今まで大変お世話になりました。先輩と一緒に楽器が吹けて、楽しかったです』」


 初心者だった自分が、ここまで来られたのはあの人のおかげだ。

 老人ホームへの慰問演奏、コンクール、学校祭、クリスマスコンサート――そのどれもが、鍵太郎にとって大きな転機になっている。

 あの人を追いかけて、そのたびに失敗して、上達して、またすっ転んで――気がついたら、ここまでやって来ていた。

 そして、それはこれからも――


「……『俺はもっと、上手くなってみせます』」


 選抜バンドのことを思い出して、鍵太郎は色紙にそう書き込んだ。

 まだ出られると決まったわけではないが、そうでなくてもこの気持ちに変わりはない。

 今までと、これからと。その両方を、あの人に向けての言葉にする。


「へえ、あんたにしてはなかなかいいこと書くじゃない」


 それを見て、光莉が感心したように笑った。強豪校出身のこの同い年は、やはりそういった方向を好む。

 過去になにがあろうが、吹き続けてさえいれば、これから――


「……これから」

「なに?」


 光莉をちらりと見てつぶやくと、不思議そうな顔で首を傾げられた。


「……なんでもない」


 そんな同い年から視線を逸らす。『それ』は彼女の問題であって、自分が興味本位で聞いていい話ではないのだ。

 推薦辞退という、自分で自分の可能性を潰すようなことをした光莉。

 ずっと避け続けているけれど。

 おまえはこれから、どうするんだ?

 隣にいる光莉にはそう訊けないまま――鍵太郎は先輩へと、贈る言葉を書き終えた。

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