第103話 燃えろ! バレンタイン・デー
バレンタインデー。
それは吹奏楽部では、ちょっとしたカオスである。
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「いいよなー。湊はスッゲーいっぱいチョコもらえるんだろ?」
その呪われた祝い日の当日、
鍵太郎は吹奏楽部の部員だ。どこの学校でもありがちだが、この部活は女子部員の占める割合がとても高い。
なのでチョコ自体は高確率でもらえるはずだった。それが義理だろうがおこぼれだろうが、『もらえる』ということ自体が野球部の祐太にとってはいいことのようだ。
しかし、鍵太郎にとってはそうではない。
「確かにもらえるかもしれないけどさあ……」
本当に好きな人からは、チョコがもらえないのがもう確定しまっているのだ。三年生の教室ががらんどうだったときの虚脱感を思い出して、鍵太郎は渋い顔になった。
受験生の先輩はもう学校に来ていない。なんだよ自由登校って。一年生だもん、そんなの知らないよ。
ため息をつく。祐太があんまりにもニヤニヤしているので、そんないいものではないんだぞと言ってやりたかった。
「俺に回ってくるのは義理とか女子同士で贈りあったものの余りとか、そういうもんだと思うぞ。まあそれでも嬉しくないわけじゃないけど、本命とかそういうのは絶対ないから、あんまりそういうこと言わないでくれ……」
長い付き合いの友人だからこそ言える本音である。これが高校から友人になったクラスメイトとかだとリンチにあうこと請け合いなので、絶対言えない。
しかし祐太ならまあ、大丈夫だろう。そう判断しての発言だったのだが――
果たして彼は「本命……ねえ」とつぶやいて、ちらりと少し離れた席を見た。
つられてそちらを見れば、そこには同じく吹奏楽部の女子部員である
彼女はなにやらチラチラとこちらを伺っていたものの、目が合った瞬間さっと視線を逸らしてきた。
不審な動きだった。
そんな光莉を見て、鍵太郎は言う。
「なんなんだろうなあいつ。言いたいことあるなら、いつもみたいにはっきり言えばいいのに」
「うん。今のおまえは、金属バットで殴られても文句は言えないと思うぞ」
「祐太までそういうこと言うのか!?」
信じてたのに。親友だと思っていた人間に裏切られて、鍵太郎はひどくショックを受けた。さてはこの間のバッティングセンターの件をまだ根に持っているのか。
壮絶な勘違いをしている鍵太郎へ、祐太は生ぬるい笑みを浮かべて言う。
「うん。なんていうか……がんばれ」
それは目の前の友人だけではなく、少し離れたところにいる、クラスメイトにも向けた言葉だったのだが。
当の本人たちは、色々とその意味を取り違えていた。
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≪ケース1
「湊くん湊くん。ちょっとちょっと」
手招きされて、鍵太郎は教室の入り口に向かった。
そこにいるのは同じ吹奏楽部の部員である、宝木咲耶だ。
彼女はなにやら和風の小包を持っていて、もう片方の手にお茶のペットボトルを持っている。
チョコを渡す、という感じではない。鍵太郎がなんだろうと思っていると、咲耶はその包みとお茶を差し出してきた。
「はいこれ。バレンタインデーの塩豆大福」
「塩豆大福ッ!?」
目を見開いて叫ぶ。驚いたものの、確かにそれは鍵太郎の好物ではあった。
咲耶はいつも通りにこにこと笑いながら、言う。
「湊くんは今日いっぱいチョコもらうだろうし、だったら他のものがいいかなと思ってさ。前にうち来たときにも、おまんじゅうおいしそうに食べてたし。
はいこれ、お茶。大福食べるならこれもいるでしょ?」
「いるいる! 超いる!」
鍵太郎はその言葉にぶんぶんとうなずいた。さすが咲耶だ。気遣いと親切さが半端ない。
甘いものは好きなので、やはりなんだかんだ言ってもらえるだけでありがたかった。ただ彼女の場合は本当に、もらう方の立場を考えて品物を選んでくれたのだ。
その心配りがまた嬉しい。目を輝かせる鍵太郎に、咲耶もまた嬉しそうに笑う。
「よかった、喜んでくれて。お昼休みにでも食べてね」
「わかった! ありがとう宝木さん!」
「うん」
その言葉を聞いて、咲耶は自分の教室に戻っていく。
鍵太郎もホクホク顔で自分の席に戻った。すると光莉が「……よかったわね。食べたかったものもらえて」とジト目で言ってくる。
「そうよね。いくら甘いもの好きなあんただって、チョコばっかり食べてられないもんね。よかったわね。ええほんと。よかったわね」
「……食べるか? よかったら」
「いらないわよバーカ」
大福は何個かあったので気を利かせて言ったつもりだったが、光莉には即座に却下された。
彼女はいつもそんな感じなので、鍵太郎は「そっか」と言って大福をカバンにしまう。
そして咲耶は――廊下で首を傾げながら、今の件についてぶつぶつとつぶやいていた。
「……やっぱりチョコのほうがよかったのかな? 確かに喜んではくれたけど……あれって、なんか違うよね?」
バレンタインのドキドキとかじゃなくて普通に嬉しいプレゼント、むしろ差し入れになってしまったような気がするのだが。
なにがいけなかったのだろうか。気遣いをしすぎて空回りする少女・宝木咲耶は、自らのその欠点に気づかぬまま自分の教室へと戻っていった。
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≪ケース2 浅沼涼子の場合≫
「みーなと! あげる!」
昼休みに弁当と塩豆大福を食べていると、鍵太郎のところに吹奏楽部の同い年である、浅沼涼子がやってきた。
彼女はポニーテールをぽんぽん揺らし、楽しそうに手に持った箱を差し出してくる。
それはどこかで見たことのある、きれいに包装されたチョコの包みだ。
「コンビニにあったやつ、おいしそうだったから買ってきたよ!」
「コンビニ……」
鍵太郎はその単語を、なんとなく釈然としない気持ちで繰り返した。どうりでどこかで見たことがあると思ったわけだ。
義理でももうちょっと違うところで買ってほしいと思うのは、贅沢なのだろうか。まあ、もらえるだけありがたいというのは先ほど実感したばかりだ。
涼子からチョコを受け取り、包みを開ける。中にはきれいで高級そうなトリュフが入っていた。
こういう商品はコンビニという場所にあっても買いたくなるくらい、おいしそうに作られているのものだ。さすがに買ったことはないけれども、残って値下げ販売しているときは食べてみようかなと鍵太郎も思ったことがある。
こいつのことだから、おいしそうだからという理由であまり場所も考えずに買ってきたのだろう。そう思って涼子にも一応、「ありがとう」と言っておく。
それに涼子は「うん」と言って、そのトリュフをじーっと見てきた。
「……なに?」
「うん」
「……もしかして、おまえさあ」
視線を外さないでうなずいてくる涼子の狙いがわかって、鍵太郎は半眼になる。
「自分が食べたいから、これ買ってきたわけ?」
「うん!」
「うん、じゃねーよ! なにそれ!? バレンタインってこういう日だったっけ!?」
「こういう日だよ! 食べたいなー。食べたいなー。あたしもトリュフ食べたいなー」
「わかった! わかったから! ホレ」
身を乗り出してくる涼子に箱を差し出す。彼女はきゅぴんと目を輝かせ、光の速さでトリュフをつまんで口の中に入れた。
「おいしー。あ、湊も食べる?」
「なんで俺がもらったはずなのに、所有権がおまえにあるような言い方になるんだ……」
まあ、女性なんてみんなそんなものなのかもしれないが。実姉のことを思い出して、鍵太郎はうすら寒いものを感じた。父や自分に送られたチョコは、いつの間にか母と姉の胃袋に収まっているのがお決まりのコースなのだ。
そうなる前に、せめて一つは食べたい。そう思って涼子に「食べる」とうなずく。
すると彼女はトリュフをひとつつまんで、目の前に差し出してきた。
「はい、あーん」
「ちょ、おまえ、それは……」
学校祭のときのリベンジじゃねえか。
しかもスプーンじゃなくて直接というのは、微妙にレベルが上がっている気がする。
戸惑っていると、涼子が少し困ったように言ってくる。
「湊はやくー。チョコ溶けるー」
「うっ……」
食うべきか、食わざるべきか、それが問題だ――雰囲気に押されて鍵太郎の頭には、そんな二択しか浮かばなくなっていた。
しかしそんな彼に、第三の選択肢が提示される。
「あーもう!? さっきから見てればイチャイチャイチャイチャと!」
「これのどこがイチャイチャだ!?」
光莉が突然割り込んできたので、鍵太郎は反射的にそう突っ込んだ。というかさっきって、いつから見ていたのだ。かなり恥ずかしいではないか。
動揺している鍵太郎に、光莉は真っ赤な顔で、ビシッと指を突き付ける。
「く……口で直接食べないで、フツーに手でもらって食べればいいじゃない! あんたそんなこともわかんないの!?」
「なんでそこまで怒られるのかわからないけど、言ってることは確かに正論だなあ!?」
混乱して視野狭窄に陥っていた自分に、救いの手が差し伸べられた気分だった。そんなわけで涼子に手を差し出すと、彼女はちょっと迷ったものの、チョコを手のひらに置いてくる。
やはり少し溶けていたので、急いで食べた。それは期待通り甘くておいしくて、涼子が食べたがったのもまあ、わからなくはないと鍵太郎は思う。
見れば彼女も、指についたチョコを舐め取っている。拭けよ、一応女の子なんだからさ――と言いたくなるが、まあ浅沼だし、しょうがないか。
鍵太郎は苦笑して、カバンに入れっぱなしだったティッシュを涼子に放った。彼女は一瞬きょとんとしたものの、すぐに笑って「ありがとう」と言う。
「じゃ、ホワイトデーよろしくね湊」
「意外とちゃっかりしてんな、おまえ……」
「また一緒に食べようねー」
鍵太郎のセリフなど耳に入っていないのか、涼子は来たときと同じようにぽんぽん跳ねて自分の教室に戻っていった。あいつは相変わらずマイペースだなあ、とその後ろ姿を見て思う。
そして鍵太郎は、同じく無言でその姿を見送っている光莉に問いかけた。
「……で、なんか用か千渡。さっきから見てたって言ってたけど」
「あ、な……なんでもないわよ!」
光莉は涼子のくれたトリュフを見ると、なぜかひどく動揺した様子で自分の席に戻ってしまった。
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≪ケース3
「……はい」
「……どうも」
差し出された本を、鍵太郎は戸惑いつつ受け取った。
放課後になり、音楽室。トランペット担当の図書委員みたいな先輩は、自分に会うなりリボンに包まれた本を出してきたのだ。
チョコじゃないのか。まあ先輩らしいといえば、らしいけども。
そう思って鍵太郎が本のタイトルを見ると、そこには『奏者が楽器を選ぶのか、楽器が奏者を選ぶのか』というタイトルが記されていた。なにこれ。確かにちょっと読みたい。
「……きみはもう少し、視野を広く持った方がいい」
「う……」
昼休みの涼子とのやり取りを思い出し、鍵太郎は言葉に詰まった。確かにそう言われてみれば、自分には少し頭が固いところがあるのだ。
そういえばこの先輩、視野に関してはすごく広いんだった。そう思って弓枝を見れば、それを生かして楽器を吹いている先輩は「それ、読んでみて」と言う。
「本はいい。見識が広がる。人の気持ちになって、新たな角度で物事を見られる」
「まあ、そうですね」
「それを読んだら、もう少し視野を広げて。今まで気づかなかったことに気づくから。具体的には、周囲の人の気持ち」
「はあ」
よくわからなくて、曖昧にうなずいた。今まで気づかなかったこととはなんだろう。まあそれがわからないからこそ『気づかないこと』なのだろうけど。
「いい音楽を作るには、部員同士の積極的な交流が必要なのだよ。うん」
「なんですか、それ」
「きみの周りの人が考えていること」
「ああ、それはいいことですね」
「……」
鍵太郎はありがとうございますと言って、本をカバンにしまった。弓枝はその様子を、ひどくじっとりした目で見つめてくる。
「……なんですか?」
「うちの後輩たちは、めんどくさいなって思った」
「はあ……」
それって誰のことなのか。
まあ、まず目の前にいる自分のことだろうが。他は誰なんだと思って、この本を読んだらわかるのかなと鍵太郎は首を傾げた。
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≪ケース4 高久広美の場合≫
「湊っちー。チョコだぜチョコー」
「うわ苦あっ!?」
口に放り込まれたチョコの予想外の苦さに、鍵太郎は思わず悲鳴をあげた。
それは正確には普通のチョコレートではなかった。コーヒー豆をチョコで包んだ、甘さより苦さのが先に立つコーヒーチョコレートだ。
なんで、チョコをコーヒー豆にかけた。どうして、ピーナッツとかにしてくれなかったんだ。
心の準備なしの苦味に涙さえ滲ませていると、広美はそんな鍵太郎をを見て言ってくる。
「はっはっはー。まだまだ子どもだな湊っち。そんなんじゃあたしが用意した、真のバレンタインチョコはあげられないぞー」
「真のバレンタインチョコ?」
その単語に、鍵太郎は眉をひそめた。今のが先輩からのバレンタインチョコじゃなかったのか。
確かに思い返すと本日、品物・渡し方の両面で普通のバレンタインチョコをくれた人は皆無だった。しかし真の、とはどういうことなのか。
首を傾げると、広美は「まあ、聞きなさいな」と言う。
「春日先輩からチョコもらえなーい、って嘆いてるであろう湊っちに、あたしが特別に用意したのよ。まずは目をつぶって」
「はあ」
サプライズ的ななにかなのだろうか。言われた通り目をつぶると、広美は続けてきた。
「溶かしたチョコレートを思い浮かべて。ミルクでもホワイトでも可。そしてそれを、リボンを巻きつけた、ちょっと口では言えない恰好をしている春日先輩にかけてみれば――」
「どこが真のバレンタインチョコレートだ、このセクハラ魔人がああああッ!?」
『その画像』がまぶたの裏に浮かんできた瞬間、鍵太郎はカッと目を開いた。それは本日、最もマトモではないであろうバレンタインチョコだった。
「おいしくいただけるでしょ?」
「おいしくいただけるの意味違うわ! なにこの最低なプレゼント発想!? 目に焼き付いて離れないんですけど!? ヨダレが止まらないんですけど!?」
「気に入っていただけたみたいでなによりだわー」
「違うし!? 気に入ってなんかないし!? 動悸が止まらないのはさっきのコーヒーチョコのカフェインのせいだし!?」
「うんまあ、そういうことにしといてあげようね、うんうん」
「なんかもう、ひどいよみんな……」
今日これまでの仕打ちに精神的にボロボロになって、鍵太郎はその場にがっくりと膝をついた。
なんでみんな、変化球ばっかり投げてくるんだ。最後なんかほぼデッドボールだし。打ち返せるわけがないだろうあんなの。
「誰か俺に、普通のチョコをください……」
嘆いた。望んだ。
普通の、なんの変哲もないチョコレートを。
ギブミーチョコレート。打ちひしがれた鍵太郎は、ただそれだけを願った。
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≪ケースファイナル 千渡光莉の場合≫
話は、数週間前にさかのぼる。
「……ね、ねえ、それって本当に大丈夫なの?」
黒羽祐太から話を聞いた千渡光莉は、確認のためにそう尋ねた。
「その……手作りチョコって」
「大丈夫だ」
普段の態度とは打って変わって不安な様子の光莉に、しかし祐太は力強くうなずいた。
光莉が「ちょ……ちょっと、確認なんだけどさ」と祐太に話しかけたため、二人は教室の隅でコソコソと『鍵太郎はなにを贈れば喜ぶのか』を話し合っているのである。
「手作りとかそういうの……重くない?」
「あいつに限って言えば大丈夫だ。というかむしろ、あいつ重い方が好きだろうし」
なによりあいつが重いし。親友に対して散々な物言いではあるが、それだけ彼は鍵太郎のことを知っているということだろう。
そう判断し、光莉は祐太の意見を取り入れることにした。どういうものにしようかな、と想像を巡らせる。
「そ、そう。わかったわ。お菓子作りは得意じゃないけど……作ってみる」
「よし、その意気だ千渡さん。本気を見せてやれ!」
「ほ、本気とか、別にそういうんじゃないし。あいつとは同じ部活だから、義理で贈るだけだし」
「まーだ言ってるよ……。じゃあなんで、あいつの喜ぶものがいいなって思ったわけ?」
「ど、どうせ贈るんなら、喜ぶものがいいって思っただけの話よ。別に、ほ……ほん、本命とか、そんなんじゃないんだからね!」
それは光莉としては渾身の返事だったのだが、祐太は「わあ。吹奏楽部おもしれー」と意に介していない様子だった。
それからもラッピングがどうだ、どう渡せばいいのかなど、この会議は数回に渡って行われ――
それを鍵太郎が不思議そうに見ていたこともあったのだが、秘密だったので二人で隠し通した。
そして、バレンタインデー当日。
「私も、トリュフとかにすればよかったかな……」
光莉は自分の作ったチョコレートを見て、ため息をついていた。
涼子が買ってきたトリュフを見て、自分のチョコがとてもみすぼらしく思えてしまったのだ。
咲耶のように、あいつの喜ぶものも想像できなかったし。
「ま……ただの型抜きチョコなんて、もらってももらわなくても同じよね」
そう思い、チョコをカバンにしまう。トリュフなんて作れなかった。ただ溶かして固めただけの、普通のチョコレート。
そんなもの、別にもらっても嬉しくないだろう。
今日一日チャンスを伺ってたけど、渡すタイミングがどうしても掴めなかった。部活も終わったし、あいつもう帰っちゃったかな――
そう考えながら昇降口に行けば、そこには、靴を取り出して今にも学校を出ようとする湊鍵太郎の姿があった。
「わあああああああああっ!?」
「な、なんだっ!? 千渡!?」
慌てて叫んだら、彼はびくりと反応してこちらを振り返ってきた。
よし。とりあえず引き留めは成功だ。周囲を見渡し誰もいないのを確認し、光莉はずんずんと歩みを進める。
カバンの中のチョコを取り出して――
「……はい」
「え、あ、なに……? チョコ?」
「そうよ。ぎ、義理だけど。ありがたく受け取りなさいよ」
「あ、そう。ありがとう」
透明フィルムの袋に入れたチョコを、彼に手渡す。それを見て、鍵太郎はなぜか目を見開いた。
「ふ、普通のチョコだ……! よかった……よかった……!」
「え、な、なに!? なんで泣きそうなの、ねえ!?」
そんなに嬉しかったのか。こんなありふれた普通のチョコが。
涙を流さんばかりの鍵太郎に、光莉は気がつけば微笑んで、自分の本音を口にしていた。
「まあ、なんにせよ喜んでもらえたら……よかったわ」
これは彼の友人に、訊いた甲斐があったというものだ。恥ずかしいのを堪えて何度も会議を重ねたのは、決して無駄ではなかった。
改めて周りを見る。
誰も、いない。
そして、今日はバレンタイン。
女の子の告白しやすさが、上方修正される日……!
「あ、あのさ」
そう思ったらそんな言葉が、口をついて出てきた。
チョコを渡せて、そして喜んでもらえた。それが光莉の気持ちを後押ししていた。
こちらがなにかを言いたいのだと、向こうも気がついたらしい。彼は「どうした?」と訊いてくる。
「私……さ。その。好きな人が、いてさ」
「あー。そういやおまえ、初詣で縁結びのお守りとか買ってたもんな」
その縁結びのお守りは、カバンにぶら下がっている。
今こそ、これの効果を示すとき――!
「その。告白、しようと思って、て」
いろんなものに後押しされてさえ、光莉の声はつっかえつっかえだった。
しかしそれを聞いて、鍵太郎はゆっくりうなずいている。
ちゃんと聞いてくれてる。これなら――と、そう思ったとき。
彼の口から信じられない言葉が飛び出した。
「祐太か?」
――。
「――は?」
数瞬の思考停止の後、光莉はようやく、その一音だけを発した。
「いや。最近なんか、仲いいなと思ってさ。縁結びのお守り買ってからすぐだったし……そうなのかな、って思って」
「……」
こいつは、なにを言っているのだ。
固まる光莉へと、鍵太郎は慌てたように続ける。
「あの、ほら、あれだぞ。祐太と俺は昔からの付き合いだから、俺でよかったら、協力するぞ?」
「……こ」
その言いように、びしり、と頬が引きつるのを感じた。
こいつはなにを言っているのだ。今日がなんの日かわかっているのか?
さっきあんなに、自分が渡したチョコで喜んでくれたではないか。それを――
「そうだ、チョコ渡したのか? 俺に義理チョコなんて渡してる場合じゃなくて、もっと――」
そのセリフに、光莉の怒りゲージが一気にマックスに達した。
「……この」
「……この?」
鍵太郎が気遣うように一歩近づいてきた。
そんな彼に――光莉は、怒りの拳を叩き込む。
「この、鈍感男がああああああっ!?」
チョコなど溶かさんばかりに燃えるその拳は、鍵太郎を直撃し――
その手に持ったチョコ共々、彼の身体を場外ホームランのごとく吹き飛ばしていた。
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