第99話 禍福はあざなえる縄の如し

 一月二日のお昼過ぎ。

 湊鍵太郎みなとけんたろうは、同じ吹奏楽部の部員たちと初詣に来ていた。

 元日を過ぎてもそれなりに神社は込み合っている。冬の寒さと人の熱気を感じながら、鍵太郎たちは参拝の列を進んでいた。


「なんでこれって、こんな風にぐるぐるよじよじしてるんだろうね」


 鈴を鳴らすための綱を手に取って、鍵太郎の隣で言ったのは、浅沼涼子だ。

 重たげで古びた綱は、風格が漂っている。しかし涼子はそんな雰囲気などまるで意に介していないようで、とんでもなく罰当たりなことを言ってくる。


「ゴムひもとかでいいのに」

「ありがたみねえなあ」


 賽銭箱に十円を放り込んで、鍵太郎は言った。

 ゴムひもは確かに扱いやすいだろうが、こういうのは見た目の問題だ。二重螺旋の重々しい綱のほうが、はるかにそれっぽくてありがたみを感じるものである。


「あとは、二つ組み合わさってたほうが丈夫だからだろ。こんな風にみんなに触られるんだから、丈夫じゃねえと大変だろ」

「そっか、湊あったまいいー!」

「年が明けてもおまえは変わらずアホだなあ……」


 涼子の言いように、思わず頭を押さえる。ものすごく適当に言ったのだが、そう目を輝かされると思いつきだとも言いづらい。

 年が明けても相変わらず心配なアホの子だった。今年もこいつの世話を焼かねばならないのだろうなと、この瞬間確信する。まあもう、別にいいのだが。

 こいつは自分とは違うものを持っていて、それは素直に尊敬できるものだ。だからこうして一緒にいる。それは今年も変わらない。

 その涼子が、今年も元気に鈴をガランガランと鳴らした。全員が手を合わせて、それぞれの願いを心の中でつぶやく。

 楽器がうまくなりたいと願ったり、あるいは今年こそコンクールで金賞を取りたいと考えたり。

 あるいは単純に好きな人のことを思ったり、全員がそれぞれの願い事をした。

 鍵太郎もそれは同じで、いろいろ願った先にふっと引退した先輩の姿を思い浮かべる。そろそろ受験シーズンだが、先輩は元気だろうか。

 凍った路面につるっといって、「い、いたい……そして、すべって、転びました……」とか言ってひとりで落ち込んでいないだろか。うん。あり得る。冷や汗が出てきた。自分で想像しておきながら妙にリアルで、普通に心配になってくる。

 学業成就のお守りでも買っていって、それを口実に久しぶりに会おうかな、とちらりと考える。自分はあのときより立ち直って入るし、楽器の腕も上がったはずだ。

 引退してすぐのときは、自分で自分が情けなくて絶対会う気になんてなれなかった。しかし今なら少しはまともに、あの人と相対できそうな気もする。

 年が明けて少しは気持ちも前向きになったようだ。いいことだと思いつつ、鍵太郎は目を開けた。


「さーて、お守り買おうか」

「どれにするー?」


 越戸ゆかりとみのりを先頭に、授与所に向かう。お守りも見てみればかなりの種類があって、単なる開運のお守りでも色が違っていたり形が違うものがたくさんある。

 どれにしようかなあと迷っていると、越戸姉妹が迷わず芸事上達のお守りを手に取った。それが少々意外で、思わず目をぱちくりとさせてしまう。

 この二人は、あまり真面目に練習するタイプではないと思っていたのだ。そんな顔を見て、二人とも不満げに言う。


「あ、馬鹿にしてるなー」

「わたしたちだって、がんばってるんだぞー」

「そ、そうなのか……?」


 あまりそうは見えないのだが。どちらかと言うとサボることに命をかけてそうなイメージなのだが。そんなことを考えていたので、次に二人が言ったセリフは衝撃的だった。


「クリスマスプレゼントとお年玉のダブルで、電子ドラム買ったんだからね!」

「本当はタブレットもほしかったんだけど、断腸の思いであきらめたんだから!」

「うえええええっ!? マジで!?」


 ものすごいやる気ではないか。どんな心境の変化があったのだろう。年が変わって今年こそはがんばるぞと思う、あれなのだろうか。

 しかしそれにしては、クリスマスのときから考えていたという話と合わない。理由を聞くと、二人は少し照れたように言ってくる。


「ん……まあね。滝田先輩がいなくなって、やっぱりちょっとがんばろうかなって思ったんだよ」

「打楽器は持ち帰って練習とかできないからさー。家での練習用に」

「そっか……」


 先輩がいなくなって、これじゃだめだと思った。その辺りは自分と同じということか。

 一緒に歩こうと彼女たちに言ったあのときを思い出す。なら、負けてられない。芸事上達は自分も買おう。

 色々あったのでどれがいいかなと選ぶ。ストラップ型のお守りがあったので、それにした。楽器ケースにつければよさそうだ。

 他の面子も芸事上達のお守りを買うようだった。形は違えど、それぞれ手に取っていく。やる気があっていいことだと思った。これなら新部長の言っていた、次のコンクールで金賞という望みもきっと叶うだろう。

 そうですね先輩、次こそは。そう思って学業成就のお守りを選んでいると、涼子が感心したように言ってきた。


「うわー。湊はえらいなあ」

「これが必要なのは、むしろおまえだろう」


 完全に他人事として扱う涼子に、鍵太郎は即座に突っ込んだ。今選んでいるのは自分のものではないが、それはそれとしてこのアホの子には、勉強系のお守りが必要だと思った。

 お守りひとつでどうにかなるものではないだろうが、なんかこう、意識の問題として。


「やだぞ俺。成績不振でおまえがコンクール出られないとか」

「うー。そういえばあんまり成績悪いと出させてもらえないんだっけ……」


 川連第二高校は進学校である。いくら感性が鋭くて楽器を吹くのがうまくても、成績が悪ければ部活に出させてもらえないのだ。

 まさに感性だけで生きているある意味天才の涼子でも、そこだけはクリアできない。鍵太郎のセリフに涼子は渋々、学業成就のお守りを手に取った。

 その顔があまりに渋いものだったので、鍵太郎は苦笑する。まったくこいつは、今年もしょうがねえなあと笑ってしまう。


「ま、がんばろうぜ浅沼。去年みたいにみんなで勉強会やれば、少しは違うだろ」

「うん! 今年もよろしくね湊!」

「ああ、今年もよろしくな」


 しゅんとしていた涼子に笑顔が戻った。それに、ま、いいかと思う。

 涼子にはないものを自分は持っていて、自分にはないものを涼子が持っている。

 彼女の底抜けの明るさには、去年は何度か救われたのだ。だったら、彼女の苦手分野には自分が手を貸せばいい。

 互いに補い合うそれは二重螺旋のようで、だからこそ丈夫な綱になるのだろう。先ほど適当に言ったそれだが、案外的を射ていたのかもしれない。

 やれやれと肩をすくめて、また先輩用のお守りを選ぶ作業に戻る。自分のじゃないからなあ。でもピンクはさすがになあ、とあれこれ悩んでいると、ふと千渡光莉せんどひかりがなにやら真剣な顔でお守りを選んでいるのが目に入った。


「……縁結び?」

「ひゃあぅッ!?」


 横から声をかけると、光莉がビクリとして変な声を上げた。

 彼女が見ていたのは、かわいらしいデザインの縁結びのお守りだ。白とかピンクとかハートとか、明らかに女性向けのデザインのお守りが光莉の前にある。

 そっか、こいつもこういうの興味あるんだなあ、と妙に感心した。口を開けばやれ練習しろだ、ヘタクソだと言ってくる彼女も、やはり色恋沙汰と無縁ではいられないらしい。


「な、なに……!?」


 ひどく動揺した様子で、光莉が言ってきた。そんなに恥ずかしがることじゃない。この年なら誰だって、好きな人のひとりくらいはいるはずだ。

 自分だってそうなのだから。追い詰められた顔をしている彼女を、なだめるように鍵太郎は言う。


「いや、すごい真剣な顔してるから、なに選んでるんだろうなと思ってさ」

「べ、別にいいじゃない、私がなんのお守り見てたって」

「うん、そうだよな。ごめんな、なんか邪魔しちゃって」

「邪魔ってわけじゃ、ない、けど……」


 光莉の声が小さくなる。その様子からは、これ以上話すのははばかられた。ここはあまり触れてはいけない部分だ。そっとしておいた方がいいだろう。

 そう思った鍵太郎は、彼女を元気づけて立ち去ることにした。


「なんかあったら相談に乗るから。まあ、がんばれ千渡」

「~~~っ!」

「ひ、光莉ちゃん、ここ神社! 一応神社だから! 暴力はダメ! ね!?」


 そんな自分になぜか殴りかかろうとした光莉を、宝木咲耶たからぎさくやが必死で止めていた。さすが家は寺の彼女である。神様仏様の居場所で暴力沙汰を起こすなど、もってのほかなのだろう。

 そう、暴力反対。神社でなくても音楽室でだって、自分を殴るのはやめてもらいたい。去年の後半になって口だけでなく手まで出るようになって、彼女のコミュニケーション能力が心配になってきたのだ。今年はぜひ、もう少し丸くなってもらいたい。

 鍵太郎はまたお守りを選ぶ作業に入り、迷った末に白地に金色の縁取りがしてあるものを購入した。これなら男女どちらでも違和感はない。

 各々が希望のお守りを購入して、最後におみくじを引こうということになった。みなが箱の中に手を入れるのを、後ろから見守る。


「なにが出るかなー」

「どれにするかなー」


 全員がおみくじを引き終わって、鍵太郎も箱の中に手を入れた。今年は自分も彼女たちにもいい変化があるといいなあと思いつつ、手に触れたそれを掴む。

 引いたそれを開いて、そして鍵太郎は固まった。


「うーん、中吉かあ」

「大吉!」


 結果を知らせる声が周りから聞こえる中、鍵太郎はひとり、その場から動けないでいた。なぜなら――


「湊はどうだった? ……あれ、これって」

「……凶」


 おみくじを覗き込んできた涼子に対し、やっとの思いでそれだけ答えた。そして、がくがくと震え始める。


「は!? 凶!?」

「初めて聞いた!」

「ほんとに!?」


 周りにいた女性陣たちも、それを聞いておみくじを覗き込んできた。そこにその通りの文字が記されていて、全員が『うわあ……』という雰囲気になる。

 そこから真っ先に立ち直ったのは、やはりというか、咲耶だ。彼女は震えている鍵太郎を落ち着かせるように、ゆっくりと告げてくる。


「えーと。落ち着いて中身を見てみようか。吉凶は確かにこれでも、中身は意外といいことが書いてあったりするから」

「そ、そうだよな、そうだよな……」


 すがる思いで鍵太郎は内容に目を通した。そしてそこに書かれていた言葉を読み上げる。


「『禍福はあざなえる縄の如し』……」

「なにそれ?」

「災いと幸福は表裏一体で、より合わせた縄みたいなものだ、ってことだよ、涼子ちゃん」


 案の定首をかしげる涼子に、咲耶が解説を入れてくれた。正直あまりそちらをフォローする余裕がないので、とてもありがたい。

 災いと幸福は表裏一体。それはつまり、いいことも悪いことも両方起こるということで――そう思えば確かに、あながち悪いだけとも言い切れない。

 でも凶って。凶ってさあ。今年は結構やる気だっただけに、鍵太郎の受けたショックは大きかった。

 いいことってなんだろう。悪いことってなんだろう。そんな思いがぐるぐると巡る。まあ、こんな紙切れ一枚でどうということはないだろうけど、それにしたってこれは――


「じゃあ、いいことなんだね!」

「あ?」


 唐突に涼子が言って、鍵太郎はおみくじから顔をあげた。なんだこのアホの子。さっきの解説を聞いていたのか?

 そう言う前に、涼子は鈴を鳴らす綱を指差した。ふたつ合わさると丈夫になる――そんな、鍵太郎が適当に言ったさきほどの綱を。


「ふたつ合わさった縄みたいなんでしょ? それっていいことじゃん。いいことと悪いことが合わさったら、すごい丈夫なものができるよ!」

「いや、浅沼よ、それ俺の単なる思い付きだから……」


 色々と間違えている涼子に、鍵太郎は力なく突っ込んだ。だめだこのアホの子。今年も相変わらず、いや、さらにひどくなっていやがる。

 まあね、考え方によっては、そうなのかもしれないけれど。光と闇が合わさって最強に見えるのかもしれないけれど。

 幸と不幸の二重螺旋。不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりする。

 禍福はあざなえる縄の如しとはそういう意味だ。確かにそれは、失敗から学んできた自分に相応しいのかもしれない。

 間違えから立ち直り、そしてまた挫折して――今までだって、ずっとそうだった。

 確かにそれで、だんだんと丈夫にはなってきたが――

 まだ立ち直りきれていない鍵太郎に、涼子はいつものように元気に声をかける。


「大丈夫だよ! あたし大吉! 凶と合わさったら、すごい丈夫になれるよ!」

「ああもう、おまえのその持ってる感じ、すっげーうらやましいなあ……!」


 あの人とはまた違った明るい笑顔を見て、羨望とともに、ほんとにしょうがねえなあ、と鍵太郎は心の底から思った。

 そうだ。このアホの子と去年は欠陥を補い合ってきたのだ。

 考えすぎる自分と、なんにも考えていない涼子。それは確かに綱や縄のようで、お互いが合わされば丈夫になるかもしれない。

 互いを補い合う永久の連鎖。禍福はあざなえる縄の如し。

 けどそんなことは全然考えてないだろう涼子は、いつもと同じようにアホなことを自分に言ってくるのだ。


「すごいねなあ湊! さっそく勉強になったよ!」

「うん……お守り買ってよかったな、浅沼……」


 でもおまえはもうちょっと、勉強したほうがいいと思うんだ……。心の中でそうつぶやいて、鍵太郎はおみくじをたたんだ。

 細く、長く。それは縄を作るための紐だ。おみくじを結ぶあの縄に、手の中のこれも結んで帰ろう。


第7幕 残されて、託されて〜了

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