第90話 正確に狂った時計
「これって、この時期になるとずーっとイオンの二階で流れてる曲だよねー」
ウッドブロックを前に、打楽器担当の越戸みのりはそう言った。
彼女が言っているのは、今度演奏する『シンコペイテッド・クロック』という曲のことだ。みのりはマレットを持ち、カッ、コッ、カッ、コッとウッドブロックを叩いていく。
規則正しいそのリズムの中に、突然カッ……コッ、カコッと妙な間が開いた。
この曲が表しているのは、『狂った時計』なのだ。
どこかの歯車が欠けてしまったのか、たまに時を刻むのを忘れる、そんな時計。
正確性をなくしたそれはもう使えないかもしれないが、この曲でその様はどこかユーモラスだった。
印象的なリズムの曲ではあるとはいえ、
「よく覚えてるよな、店で流れてる曲なんて」
そういえば初めて会ったときも、彼女とその双子の姉は、聞いた曲がどこで流れているのかを当ててみせたのだ。
自分はさっぱりわからなかっただけに、軽々と正解した彼女たちは本当にすごいなと思った覚えがある。今だって、言われるまでそこでこの曲が流れているなんて思いもしなかったのだ。やはりこの姉妹は、自分にはないものを持っているようだった。
「こないだ、親と一緒に買い物に行ったときに聞いたんだ」
「そのとき、ゲームコーナーで二人で太鼓の達人やったんだよ」
「へー」
姉のゆかりも会話に加わってきた。最近は部員たちの希望を受けて、彼女たちは髪形をお互い違うものにしている。
顔がそっくりなので、そうでもしないと見分けがつかないからだ。姉のゆかりが髪を伸ばし、妹のみのりは短く切っていた。一応この二人も、少しずつではあるが変わってきているようだ。
太鼓の達人かあ、と鍵太郎は入部当日のことを懐かしく思い出した。打楽器の先輩と一緒にやった、あのゲーム。楽しかった出来事が、もうだいぶ昔のように感じられる。
またやりに行こうかな、と鍵太郎が思っていると、ゆかりが言う。
「ねー、湊。今度一緒にやりに行こうよ、太鼓の達人」
「部活終わった後とかにさ」
「そうだなー」
それもいいかもしれない。
打楽器担当と低音楽器担当。ともにリズムとタイミングには一家言あるパートだ。
あのときは全然だったけど、様々な経験を積んだ今なら『むずかしい』も少しはできるかもしれない。
それに、この双子がどんな二人プレイをするのかも気になった。この姉妹はシンクロ率が異常なので、怖いもの見たさでちょっと見学したいというのはある。
「じゃあ行ってみるか。今度」
「やったー」
「デートだー」
「三人でデートとか、意味わかんねえだろ……」
相変わらず思考が異常だった。そういうところは変わらないらしい。
むしろ外見より変わってほしいのはそこなのだが、それはこれからに期待したいところだ。
そういえばトランペットの同い年には「もっと他の人と積極的に交流しろ」と言われていたのだった。
なら他の部員を誘ってもいいかな、と思う。
「千渡とか浅沼とか宝木さんとかも誘ってさ。みんなで行ったほうが楽しくないか」
「ま、それもいいかな。みんなでゲーセン行こう!」
「みんなでプリクラ撮ろう!」
「それはやめてほしい」
プリクラとか撮ったことないし。それにあの筐体のあるキラキラした空間、ギャルっぽくて近寄りがたいのだ。女性専用スペースとかたまに書いてあるし。
しかしそんなことは気にしないのか、姉妹は揃ってせがんでくる。
「えー。撮ろうよー」
「ねー。デコろうよー」
「あれのなにが楽しいのか、俺にはわからないんだよ……」
「なにごとも、やってみることが大事なんだよ!」
「遊びが人生を豊かにするんだよ!」
「なんと言われようが、嫌なもんは嫌――」
「あなたたち、しゃべってないで練習しなさいッ!!」
「ぎゃーっ!?」
「うぎゃーっ!?」
「は、はーい!?」
部長の
###
そう、もっと積極的に交流しろと言われたんだった。
これまでは同じ楽器の先輩が逐一フォローしてくれていたので、他の人とそこまで積極的に話はしなかったけれども。
今はもうひとりなのだ。自分で自分を育てないといけない。
「そんなわけで貝島先輩。教えてもらいたいことがあります」
「はあ、なんですか?」
鍵太郎の言葉に、優はそう言って小首をかしげた。
貝島優。二年生。新任部長。
小柄であどけない容姿と、それに見合わぬ厳しい性格で『攻撃的な小動物』『鬼軍曹』などと部内では呼ばれている、川連二高吹奏楽部でも随一の武闘派である。
先ほどのように怒鳴っていることが多いのでそういった印象ばかりだったが――それ以外の面もあると知った今では、その小首をかしげる仕草も意外にかわいらしく感じられた。
思わず頭を撫でたくなる。あのときの幼稚園児状態だったらそれもできたかもしれない。
だが今は完全に元の鬼軍曹に戻っていた。とするとやった途端に絶対に噛みつかれるので、ちょっとうずうずしながらも我慢する。ああでも、お菓子とかあげたらさせてくれるだろうか。
「……なんかものすごい寒気を感じるのですが、もう十二月に入ったからですかね?」
「ですかね? あったかいココアとか飲みたくありませんか先輩?」
「お菓子あげるって言われても変な人についていっちゃいけないよって、おかあさんに教えられました」
「ちっ」
鍵太郎は作戦の失敗を悟った。そして会話が脱線していることにも気づいた。
「そうそう。訊きたいことがあるんでした」
「なにやら、あなたが悪い気がひしひしとするんですが……。まあ、ええ。なんでしょう。けどさすがに私も、チューバのことはわからないですよ?」
優は打楽器担当である。専門外の管楽器について訊かれても、正直教えようがないのだろう。
もとより、鍵太郎も自分の楽器のことを教えてもらおうと思って来たのではない。
訊きたいのは彼女の特徴でもある、その小柄な身体から出る音のことだ。
「いや、具体的に楽器がどうこうという話ではないんです」
「というと?」
「貝島先輩はそのちっちゃい身体から、どうやってそんなでかい音を出してるんだろうと前々から思ってまして」
「ケンカ売ってるんですか?」
「売ってません売ってません! だからシンバルで切り刻もうとするのはやめてください!」
目の前まで迫ってきた薄い円盤形の金属を、鍵太郎は必死に回避した。優の持つシンバルはなんとなく、回転ノコギリとか八つ裂き光輪を連想させた。小さい身体から出ているのは、三分タイマーの巨人みたいな威圧感だった。
それなのである。それをどうやって出しているのかを知りたいのだ。
「教えてほしいんですよ。小さいやつでも大きな音を出す方法!」
鍵太郎も男子としては小柄な方である。優がどうやって音を出しているのかがわかれば、参考になるかもしれないと思ったのだ。
そんないたって真面目な動機を、新部長はお気に召してくれたようだ。「ほほう」と言って鉾ならぬシンバルを収めてくれる。
「春日先輩がいなくなって、俺ひとりになって、今のままじゃ全然足りないんですよ。千渡にはもっと他の人の意見も聞けって言われたし、そういえばと思って先輩に訊いてみることにしたんです」
「ほほほほほう」と優はそれを聞いて満足そうに笑った。
このあいだの無邪気な幼稚園児スマイルではない。部長としての、好戦的な笑みだ。
「なかなか――変わりましたね湊くん。この間までは春日先輩の後ろをヒヨコみたいにくっついていくだけだったのに」
「自覚があるだけにグサグサきますね……」
「いいですよ、教えてあげます。やる気のある子は私、大好きなんです」
優はちょこちょこと楽器の前に移動した。それは数ある打楽器のひとつ、
スティックを持って手首を回しながら、優は言う。
「私が得意な楽器のひとつがこれです。正確なリズムに安定したテンポ。基礎訓練が如実に出ますからね」
「確かに先輩、人間メトロノームって言っていいくらいですもんね」
合奏中に幾度も、その正確さに助けられててきた。疲れてくると、どうしてもテンポが遅くなってくる。
そんなときに優のように狂わないテンポの持ち主がいると、非常に助かるのだ。
「楽器を鳴らすコツは、力ではありません。楽器が一番よく鳴るポイントを知ることです」
そう言って優は、スティックを太鼓に振り下ろした。スパン! といつも先輩の出す、大きな音がする。
叩いた瞬間に空気の震えが線となって、楽器の上下に伸びて消えた。他の人間が叩いても、決してそんなものは見えなかったのにだ。
鳴っている、とはこういうことか。
「テニスのラケットと一緒ですよ。スイートスポットってあるでしょう。そこにボールを当てれば、他のところに当てるより球がよく飛んでいく。あれです」
「野球でいうジャストミートですか」
タイミングが合った瞬間にバットにボールをぶつければ、それほど力を入れなくても球は飛んでいく。
大リーグで日本人選手が通用するのは、これがあるからだ。鍵太郎の前歴を思い出したのか、優はうなずく。
「ああそういえば、あなた昔、野球をやってたんでしたっけ」
「もうすっかり、吹奏楽部の一員ですけどね」
もう野球をやっていたのが、はるか遠くに思えるほどだ。
初心者から初めて一生懸命走ってきて、気が付けばこの部にどっぷり浸かっていて――
「……あれ?」
なにか重要なことが抜けている気がして、鍵太郎は首をかしげた。
なんだったろうか。思い出せない。
思い出せないから大したことではない……のだろうか。
「そうですね。もうすっかりなじんで、いっぱしに先輩に質問なんてしてくるようになりました」
優の発言に、鍵太郎は現実に戻った。
そうだ、今は優と会話しているのだ。忘れていることは後で思い出そう。
うんうんとうなずいている先輩を見て、気持ちを切り替える。
「安心しました。あの双子にも見習ってほしいくらいです。あの子たち、なにを考えているのかサッパリわからなくて困ってます」
「まあ、気持ちはわかりますよ……」
苦笑する。鍵太郎にだって、あの二人がなにを考えているかなんてサッパリわからないのだ。
同じく苦労している鍵太郎になら話してもいいと感じたのか、優の口調はだんだん愚痴っぽくなってくる。
「三年生がいなくなってからというもの、どうしてもみんな消極的になりがちで……。あなたのように積極的に動く子が出てきて、部長としては嬉しい限りです」
「確かにあの人たちの存在は、すごい大きいものでした」
前部長の春日美里に限らず、あの学年はどのパートでも中心となって、後輩たちを引っ張っていたのだ。
それがなくなって、みなどうしていいかわからないのだろう。そんな中、優は部長としてやっていこうとしている。
春日美里の代わりとして。いや――
「私は春日先輩のようにはできないし、やれるとも思えない。ならば私は私のやり方で、これからやっていくつもりです」
優は新部長として、鍵太郎に宣言した。
芯を外さず、正確なテンポで、メトロノームのように刻み続ける。
それが
「……うーん」
「なにか文句ありますか?」
「い、いや、ただ……」
優にギロリと睨まれて、鍵太郎は慌てた。しかし、内心では先輩の意見に思うところはあった。
思い出すのは『シンコペイテッド・クロック』。正確に、でもユーモラスに狂った時計。
あの曲は『そりすべり』と同様、遊び心に溢れていて、それが魅力になっている。優のように正確なだけではたぶん、この先やっていけないような――そんな気がするのだ。
頼りにはなるのかもしれない。
しかし、それで他のみながついていくかといえば、疑問は残る。
そう。真面目すぎる。彼女には遊び心が足りないのだ。
この前みたいに嬉しさのあまりぶっ壊れた状態の方が、部員たちから親しまれるだろうに。
越戸姉妹と足して三で割ればちょうどいい。それこそ正確さに狂った感を足して――
「――あ」
双子の言っていたことを思い出して、鍵太郎は思わず声をあげた。怪訝な顔をする優に向かって、言う。
「先輩、デートしましょう」
「はあ!?」
「間違えました。四人でデートしましょう」
「どっちにしろおかしいでしょう!?」
しまった、姉妹のセリフにつられて言い方がおかしくなってしまった。ドン引きしている小動物に向かって、怖くないよーとするように手を動かす。
「ええと。違うんです。先輩、みんなで太鼓の達人やりにいきませんか」
「え?」
「なんか先輩、部長のプレッシャーで固くなってるみたいだし。遊びに行けばいいんじゃないかなって思って。越戸姉妹もたぶん先輩のことあんまり知らなくて怖いから、質問に来ないんだと思うんです」
「む……」
優が警戒するように姿勢を低くした。真面目な部長は、遊びという単語がお気に召さないだろうか。だったら――
「『もっと積極的に交流したほうがいい』ですよ、先輩」
「こ……後輩のくせに先輩に指図するとは生意気なのです!」
「ありゃ」
怒らせてしまった。美里と話すようにはいかないか。
優はぷいっと鍵太郎に背を向けた。腕を組んで「ま、まあ、でも」と言ってくる。
なんだろうと思っていると、彼女はちらりと顔だけを向けてきた。
「……考えておきます」
鍵太郎は噴き出しそうになって、あわてて抑えた。笑ったら優は、ますますへそを曲げるだろう。
正確無比に目標のど真ん中を叩き続ける、それがずっと続けられるとは思えない。
だからたまにはこんな風に、多少外してもらえると助かる。そう思って笑いを堪えていたら、優に「……なに変な顔してるんですか」と睨まれた。
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