第89話 気の早いクリスマスプレゼント

 音楽準備室に、ぬりかべがいた。


「……なんだこれ」


 湊鍵太郎みなとけんたろうはその、えんじ色のビニールシートがかかっている物体を見上げた。

 ドアくらいの大きさの、四角い壁。ビニールシートの下からはなにかのペダルと、移動のための車輪が覗いている。

 ここにあるということは、楽器の一種なのだろうか。きのうまではこんなものはなかった。

 疑問符を浮かべていると、吹奏楽部顧問の本町瑞枝ほんまちみずえが言う。


「それな、鈴買うときについでに買ったんだよ」


 今度のクリスマスコンサートでは、鈴を使う曲がある。なのでちゃんとした楽器としての鈴を買うという話にはなっていたが。

 その鈴は、ぬりかべの隣にちょこんと置いてあった。ダンボールに入った、牛乳パックよりちょっと大きいくらいの箱だ。

 どう見ても、鈴のついでにぬりかべという感じではない。大きさ的にはむしろ逆だ。


「知り合いの楽器屋に鈴安くしろって言ったら、じゃあ他にもなんか買えって言われてな。めんどくせえからそれも買ったんだよ」

「どう見ても、ついでに買ったほうのが金額張ってる気がするんですが」

「だな。いくらくらいって言うと、車一台買えるくらいだ」

「うげーっ!?」


 鍵太郎はぎょっとしてぬりかべから後ずさった。鈴がどうのこうのという話を、完全に超越してしまっている。まさかこれが、そんなに高いものとは思わなかった。

 うっかり手を付けないでよかった。高級品ぬりかべと本町を交互に見ながら、鍵太郎は訊く。


「で、でも確か、うちって部費カツカツだったんじゃないですか?」

「うん。だからとりあえずアタシのポケットマネーから出した」

「先生ってそんなにお金もらえる仕事なんですか!?」

「んなわけねえよ。これからしばらく、もやしで生活だ」

「先生がもやし食べてるとこ、想像できないな……」


 言いつつ、こちらは気軽な値段であろう鈴を手に取った。ダンボールを開けてみる。

 出てきた鈴は、鍵太郎の予想とは少し違っていた。一本の棒に、それこそ鈴なりに銀色の鈴が取り付けられている。

 ええと、確かこんな花あったな。ヒヤシンス?

 一本の茎に花がたくさんついているようなその形状を見て、鍵太郎は幼稚園で育てさせられた花のことを思い出した。振るってみると、シャン、と鈴たちが音を出す。初詣の神社で聞くような音だ。それよりもう少し、音程が高めではある。

 さすがに小学校のおもちゃの鈴とは全然違う。たくさんのちゃんとした鈴が少しずつタイミングをずらして鳴ってくるので、深みと残響が比べ物にならない。

 なるほど。指揮者の先生がちゃんとした鈴を希望したのも納得だ。これを知っていたら、おもちゃの鈴を使うなんて考えられなかっただろう。

 そんな風にやっていたら、先生にたしなめられた。


「あんまり遊んでるなよ。貝島が来る前にその鈴しまっとけ」

「貝島先輩……」


 新部長の名前を聞いて、鍵太郎の心に冷や汗が流れた。打楽器担当の貝島優かいじまゆうは厳しい先輩だ。後輩からは鬼軍曹とすら呼ばれている。

 確かに新品の楽器を勝手に出して先に使っていたとあっては、なにを言われるかわからない。鍵太郎は慌てて、鈴を箱にしまおうとした。

 そのときだ。


「……なにやってるんですか」

「うっ……」


 時すでに遅し。

 音楽準備室の扉を開けて現れたのは、ちびっこ鬼軍曹、優だった。

 彼女は小さな身体に不釣り合いな威圧感をまとって、ずんずんと鍵太郎に近づいてくる。


「ずるいです。本職の打楽器である私を差し置いて、あなたが新品の鈴を先に使うなんて。積もった雪にわくわくして外に出たら、先に足跡つけられてたみたいな気分です」

「例えはなんか、見た目相応の小学生みたいな感じなんですね……」

「なんか言いましたか!?」

「いえっ、なにも!!」


 ギラリと睨まれて、鍵太郎は直立不動の姿勢を取った。まさに軍曹といったところだ。一年坊の自分には逆らえない。


「だいたい、遊んでる場合ですか!? 春日先輩がいなくなってチューバ一人になった以上、あなたには打楽器の相棒の低音楽器として――あれ?」


 鍵太郎の目の前まで来て、優は立ち止まった。その視線の先には、さきほどの高級ぬりかべがある。

 彼女はそれをしばらく見つめていたが、やがて目を見開いた。


「ち――チャイムじゃないですか……!?」

「チャイム?」


 鍵太郎は首をかしげた。このぬりかべの正体は、そういう名前の楽器なのか。

 金額まで知っているのか定かではないが、優は臆せずそのチャイムに寄っていってシートをはがした。

 そこまでいけば、鍵太郎も目にしたことがある。

 それはのど自慢の採点などで使われる、金属の長い管が何本も壁のように並んでいる楽器だ。

 コンサートチャイム。ハンマーで管を叩いて鐘のような音を出す、打楽器の一種である。


「ど、どうしたんですかこれ……!?」


 目を輝かせ涎を垂らさんばかりの勢いで、優が本町に訊いていた。その様子は完全に、欲しいものを買ってもらえた子どもだ。

 完全に小学生化している。部長の意外な一面を見て、鍵太郎は反応に困った。むしろちょっと引いた。


「クリスマスプレゼントだ」


 そんな優相手だからか、本町もそんな風に返してきた。まだクリスマスには一か月ほど早い。相当あわてん坊のサンタクロースである。


「いつもがんばってるチビッコどもに、アタシからのクリスマスプレゼントだぜ!」

「今後もやし生活のサンタさんですけどね」


 本町がサンタだとしたら、なんだかマシンガンとか持っていそうなイメージだった。タバコをくわえて笑いながら、「メリー・クリスマスッ!!」とか言って弾丸を吐き散らしそうではある。

 完全に不良サンタだが、それでも優は嬉しかったらしい。はわわわわわと口を動かし目を見開いて、喜びを全身で表している。


「た、叩いていいですか……!?」

「どうぞ」


 言われるが早いか、優は備え付けのハンマーを取ってチャイムを叩こうとした。叩くのは金属管の一番上、高い部分だ。

 つまり――背の低い優には届かない。


「うーっ、うーっ! 届かない! 踏み台、踏み台はないですか!?」

「……」


 一生懸命背伸びして叶わず、踏み台を探し始める優を、鍵太郎は生暖かい眼差しでもって見守った。

 踏み台にできるものを探すが、ここにはない。それでも彼女はあきらめきれず、もう一度足をぷるぷるさせて、思い切りそのちっちゃい身体を伸ばしている。


「このっ、このっ、もうちょっとなんです、もうちょっとで手が届くんです……っ!」

「……なんだろう。意外に萌えるなこの人」


 その光景を、いつまでもずっと眺めていたくなった。普段のキツイ言動からは考えられない景色が、目の前に広がっている。

 そうか、この人本当はこういう人だったのか。今まで怖いイメージしかなかったのが、百八十度変わってしまった。

「にゃーっ! にゃーっ!」とじたばたしていた優は、やがて振り返って助けを求めてきた。


「湊くん! 高い高いをしてください!」

「部長のプライドをかなぐり捨てた!」


 しかしロリ少女に涙目でお願いされたとあっては、断るわけにはいかない。

 鍵太郎は優の後ろから、脇腹を押さえて持ち上げる。


「わぁい! 高い高い!」

「俺たちの部長がどんどん崩れていくんですが、その点についてどうお考えですか先生」

「この方がかわいくていいよなあ」

「ですよねー」


 キャッキャッと楽しそうにチャイムで遊ぶ優を、二人でのんびりと見守る。

 なんだろう、うん、父親ってこういう気分なのかな、と鍵太郎は先日引退した打楽器の男の先輩のことを思い出した。きっとあの人も、こんな気持ちだったに違いない。


「さ・い・たー♪ さ・い・たー♪ ちゅー・りっ・ぷーの・は・な・がー♪」

「鍵盤ハーモニカ吹く幼稚園生みたいになっちゃった……」


 喜びのあまり崩壊しすぎだった。

 歌に合わせてチャイムを叩く部長は、普段の厳しい雰囲気がかけらもなかった。そのわりに新品のチャイムから出るのは、鐘のような荘厳な音なのだが。

 そういえば、と手のひらから伝わる感触で鍵太郎は思い出す。前部長の脇腹も触ったなあ。あのときとは全然違う感触だけど。

 そうなのだ、春日美里と貝島優は、同じ部長といっても全然違う人なのだ。

 やり方だって違っていて当然のはずだ。同じことを違う人に求めちゃいけないよなあ、ということを、鍵太郎は脇腹で学んだ。しかしこちらとしては、もちろん前部長の脇腹の方が好みではあったのだが。

 それでもこんな風に、優が素直に感情を表してこれからの部活を引っ張っていくのなら、それに従うことはできそうな気がしてきた。

 きのうまでは、こんなキツイ人が部長で本当に大丈夫だろうかと思っていたのだ。しかしその不安は、これでだいぶ払拭されていた。こんなかわいい小動物、温かい目で見守らなくてどうするのだ。


「き・ら・き・ら・ひ・か・るー♪ お・そ・ら・の・ほ・し・よー♪」


 ドドソソララソ。ファファミミレレド。

 これでもちゃんと試奏のつもりらしく、先ほどのチューリップと同じく音が順番に並ぶ曲を優はやっているようだ。

 そのうちかえるの歌とかやりだすんじゃないだろうか。しかしさすがにちょっと、腕が疲れてきた。


「先輩、そろそろ……」

「えー? あー。うん。しょうがないですねえ」


 デレデレとした相好でもって、部長は鍵太郎の願いを聞き入れてくれた。

 てっきり「まだやるのー!」と駄々をこねられると思ったのだが、超上機嫌な先輩は、鷹揚に許してくれた。


「今度やる『クリスマス・フェスティバル』は、チャイム使うからな。それまでには踏み台用意しとけよ」

「はーい!」

「いい子にしてたらプレゼントもらえるんだなあ……」


 いいなあ、と音楽室へスキップしていく優の後ろ姿を見て思う。いいなあ。自分も結構がんばっているんだが。

 別になにかがほしいわけではない。引退した先輩が、クリスマスコンサートを聞きに来てくれるだけだっていいのだ。

 そりゃあなにかあればとても嬉しいけれど、でも先輩だって受験だから、きっとそれどころじゃなくて――


「湊、おまえにもあるんだ。クリスマスプレゼント」

「……って、え!?」


 と、思いふけっていたところにそう言われて、鍵太郎は驚いて先生を見た。本町は足元に置いてあったらしい、大きな黒い布袋のようなものを出してくる。

 ベルトやポケットがあちこちについていて、チャックで開け閉めできるようになっているものだ。ただの布ではなく、布地の中に綿が入れてある。

 そして、この大きさには覚えがある気がする。「なんですか、これ?」と鍵太郎が訊くと、先生は答えてくる。


「チューバのソフトケース」

「ソフ……え?」

「今までおまえが使ってたのは、ハードケースなんだよな」


 鍵太郎はすぐそこにある自分の楽器を見た。キャスター付きだが、重心が安定しなくて持ち運びには不便なそれ。

 幾度となくそれに悩まされ、本町もそれは知っている。

 そういえばこの前、先生は「もっと運びやすいケースのがいいんじゃないか」と言っていた。それがこれだというのか。


「ソフトケースはハードケースに比べて圧倒的に軽い。耐久性には劣るけど、ベルトを肩にひっかけて運べば普通に歩く速度で楽器を運べる。こないだみたいに学外に楽器を持ちだして練習したいってときは、これを使え」

「うわあ!? うわあ!? ありがとうございます!!」

「どういたしまして」


 嬉しすぎてそんな単純なお礼の言葉しか出てこなかった。今まで亀の歩みで、他の楽器の人に申し訳なかった楽器運び。

 それから解放されるというのなら、こんなありがたいことはない。

 望んでいたものとは少し違うものだったが、それでも十分いいものをもらった。

 目を輝かせて喜ぶ姿は、さきほどの優と完全に一致していたのだが――もやしサンタは、それを温かい目で見守っていた。

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