第7幕 残されて、託されて
第85話 クリスマスイブの予定
「おまえら、十二月二十四日は暇か?」
『……』
顧問の
十二月二十四日。クリスマスイブ。
暇じゃありませんと言うのも周りの反感を買いそうだし、暇ですと正直に言うのもなんだか惨めだ。
そんな部員たちの様々な思惑は物言わぬ空気となって、音楽室に淀んだ雰囲気を作り出している。
その中で、たぶん自分は周りよりいっそう濃い瘴気を出しているだろうと
クリスマスイブ。街にはキラキラしたイルミネーション。その中を歩く幸せそうな恋人たち。
爆発しろ。
鍵太郎は心の中で起爆スイッチを押した。好きな人に告白しつつも、それが告白だと気づいてすらもらえなかったのはつい先日のことだ。
クリスマスイブという単語は、そんな未だ癒えない傷をえぐるナイフのようなものだった。戦場でメリークリスマス。
鍵太郎を筆頭とした暗い雰囲気に引きつった笑みを浮かべつつ、本町はなぜそんなことを訊いたのかを説明する。
「実はその日、クリスマスコンサートやってくれって頼まれたんだ」
「いいですねえ」
笑顔でうなずいたのは、吹奏楽部の外部講師、
彼は本町の音大の後輩で、プロの音楽家でもある。そういったイベントにはなじみがあるのだろう。「イブにコンサートですか。ステキです」と言う。
「……何年か前に、振られるかもーってクリスマスコンサート嫌がってた奴のセリフとは思えないな」
「いいんですよ。イブの日にひとりでさみしくない。これ重要です」
「その発言自体が恐ろしくさみしいんだが、それはどう」
「ちなみにやるとしたら、なんの曲をやるつもりですか?」
みなまで言わせないようにセリフを被せてきた後輩に、本町は呆れた眼差しを向けた。しかしそれには突っ込まず、質問に答えてくれる。
「『そりすべり』に、『シンコペイテッド・クロック』。あとはアンダーソンつながりで、『クリスマス・フェスティバル』とかもいいかなと思ってる。クリスマスのチャリティーバザーの、余興というか、BGMみたいな感じでやってほしいんだとさ」
「ああ、いいですねえいいですねえ」
なにやら、先生たちが盛り上がっていた。このままだと参加する流れになりそうだが、相変わらず部員からの反応は様々だ。
本町はそんな生徒たちを見渡し腰に手を当てて、「できれば参加したいんだよ」と言ってくる。
「なんかあるんですか?」
「校長からの依頼なんだよ」
部員からの問いに、顧問の先生は答えた。なんだ、大人の都合か、と落胆したような雰囲気になる。
しかしそれは、本町の次のセリフで一変した。
「校長な、学校祭の演奏を聞いて、いいなって思ってくれたみたいなんだわ」
ざわり、とみなが反応した。今まで吹奏楽部は、職員室側から圧力は受けても称賛の言葉は受けたことがなかったからだ。
それが今回、初めて肯定的な評価を得た。
長い冷戦の時代に、ようやく終止符が打たれるのだろうか。いやしかし、いいように使われるだけという可能性も――と音楽室がざわつく。
そんな混沌とした雰囲気になる生徒たちに、先生はさらなる言葉をかけた。
「おい、相手は校長だぞ。ひょっとしたらクリスマスプレゼントがもらえるかもしれねえ」
「クリスマスプレゼント?」
「音楽室に冷房入れてくれるかもしれねえ」
『やりましょう!!』
唱和した。全員の心が一気にひとつになった。
この音楽室には冷房がない。夏のコンクール前に汗だくになって練習した思い出がよみがえる。
校長がサンタクロースに見えた。いい子にしてればプレゼントをもらえるかもしれないのだ。プライドもへったくれもない。全力で校長に媚びる所存である。
俄然やる気を出した生徒たちへ、楽譜が配られる。既に用意はしてあったらしい。『そりすべり』と書かれた楽譜に、鍵太郎はざっと目を通す。
「……四分音符と四分休符ばっかりだな」
学校祭ではもっと難しそうな楽譜ばかりだったので、そう思う。本町が「クリスマスなんだ、楽しそうに吹けよ」と言っているが、これは果たして楽しい楽譜なのだろうか。譜面が単純すぎてそんな気はあまりしなかった。そのうち、先生の指示が具体的になる。
「クリスマスっぽい楽しい雰囲気を出して、聞いてるやつらを楽しい気分にさせられたらいいんだ。想像してみろ、クリスマスツリーがあって、暖炉があって、テーブルにはチキンやらケーキやらがあって」
なるほど、と思って鍵太郎は『クリスマスっぽいもの』を連想した。
店にはカップル街にはリア充。
キャッキャウフフとちちくりあって――
「な!? どこもかしこも楽しそうだろ!?」
「どこがですか!?」
ひとっつも楽しくねえよ!? と、うっかり傷口に塩を塗りこんでしまって、鍵太郎は叫んだ。自爆にも程がある。こんな調子で楽しくなど、本当にできるのだろうか。
「ま、とりあえずやってみましょうか」
城山が
「……ちょっと待ってください」
止める。彼の視線は打楽器の
よほど信じられなかったようで、城山はもう一度言ってくる。
「……ちょっと待ってください。なんですかあれ」
「教育用鈴だ」
顔から一筋の汗を垂らして、本町が答えた。優が持っていたのは、小学校の音楽の授業で使われるような、おもちゃのような鈴だ。
ちゃりちゃりと安っぽい音の、持ち手が輪っかになったもの。
小柄な優が持つと本当に小学生みたいに見える。新部長の威厳がゼロだった。
優の申し訳なさそうな顔を見て、城山は微笑んで、本町の方を向く。
「……本町先生?」
「わかった、わかったよ、ちゃんとしたの買うから、今日はそれで我慢しろよ!?」
珍しく城山が怒りのオーラを出している。なにやら鈴は、この曲において重要な役割を占めるらしい。
鈴はなにを表すのか――鍵太郎が答えに辿り着くよりも早く、今度はちゃんと指揮棒が構えられた。そうだ。確かに考えるよりやったほうが早い。
「初見だからね。間違いとか気にしないで、思いっきりやってね」
元気に楽しく! さきほど本町も言ったセリフを繰り返して、城山は棒を振り下ろした。
ちゃりちゃりちゃりちゃり――という鈴の音とともに、どこかで聞いたことのあるメロディーが聞こえてくる。どこだっけ、と記憶を探るも、思い出せない。
けれど、どこかで聞いたことはある。クリスマス前になるとよく聞く。
これを聞くと、ああそんな時期だなって思ったような記憶だけがある。積もった雪の上を子どもがスキップするみたいに、なんとなく弾んだ気持ちになった気がする。
寒いのに出かけたくなって、雪まみれになって笑うような、そんな感じに。
鍵太郎はその中で単純なビートを刻んでいった。楽しいか楽しくないかと訊かれれば――楽しい。
簡単でなんの変哲もないはずなのに、たまに驚かせるようにリズムが変わる。意地悪でもなんでもなく、無邪気に「おどろいた?」と笑って訊いてくるような。
そしてなんでもなかったように元の歩みに戻って、でもそこは同じところではなく、誰か加わってきたり、イルミネーションが一気に輝いたり――ひとつとして同じ場面がない。
それこそ弾んで歩くように変わっていく。ただの四分音符の繰り返しが、なぜかわからないがすごく楽しい。譜面を見たときはこんなになるとは思わなかった。
さっきまでの暗い気持ちが嘘のようだった。合奏というか遊んでいるような感覚すらある。
全員を先導する鈴の音が、おもちゃみたいな軽い音を立てている。結局これはなんなんだろう。なにを表しているんだろう――そう思ったとき、馬の鳴くような音が聞こえた。
なにそれ、と音のした方を見ると、なんとトランペットからそんな音が出たらしい。どうやってやったんだろうと驚きながら、最後の音を出す。
終わってしまった。楽しい時間はあっという間だ。
楽器から口を離して、さきほどの不思議な音のことを考える。
馬――馬車?
いや、『そりすべり』だから、そりか。
そりだったら引くのは馬じゃなくてトナカイ――サンタのそり。
「あ。鈴ってトナカイの首についてる鈴なんだ」
ぱつんとイメージがはまって、思わず声に出た。それを聞いた城山が「その通り!」と嬉しそうに笑う。
「この曲は鈴が主役って言ってもいいくらいだよ。だから本番までには、もうちょっといい音するやつをよろしくお願いします」
「あいよ」
もうちょっとマシな鈴つけてやんねーとな。そう言って、本町は頭をかいた。鍵太郎の想像の中のトナカイは赤い首輪に大きな金色の鈴をつけているのだが、あんなのを用意するのだろうか。
なんにせよ、予想以上に楽しい曲だった。こんな風にやっていけば、チューバひとりでもなんとかなるかもしれない。
先輩がいなくなって不安だった鍵太郎の心に、小さな希望の光が灯る。
その光の中から、もっと楽しそうに吹くといいですよ――という、あの人の声がしたような気がした。
あ、と思う。
そうだ、忘れてた。
ここに来てようやく、あの人がいなくなってから、自分がまったく笑っていなかったことに気づいた。苦笑いなどはしていた記憶はあるが、心から笑っていた覚えがひとつもない。
しかしそれが、ここにきて変わっていた。
「……これで、いいんですね。先輩」
自分が進んだ方向は、間違ってなさそうだ。
今までなんとなく、がむしゃらに先輩を追いかけて、真面目にやらなきゃと思っていたけれど――考えてみれば、あの人がそんなことを望んでいるわけがない。
楽しそうに吹いて、お客さんに楽しんでもらえればいいんですよ、と。
あの人はそう言っていたんだった。
「じゃ、そんなわけで――決まりだな。みんな、イブの日は押さえといてくれよ」
本町がみなに言う。それで、クリスマスイブの予定が決まった。
幸せだらけのイベントは、今の自分にとって地獄みたいなもので、とても笑ってなんかいられないかもしれないけれど――それでもこれくらい楽しければ、そんな戦場も悪くないのではないか。そう思うことはできた。
そりは、滑り出したのだ。
まだあの人みたいにはできないけれど、背中を追いかけていけばおもちゃみたいな鈴だって、いつか本物の『たからもの』に変わるだろう。
そう、楽しそうに笑ってれば、いつか。
「……いつか、プレゼントくれませんかねえ、先輩」
未練がましく、そうつぶやいてみたが――もちろん隣から返事はなく、聞こえてきたのはおもちゃの鈴がちゃりっと鳴った音だけだった。
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