第78話 閉じた世界をこじ開けろ
学校祭の二日目。日曜日。
今日はきのうと違って快晴だ。それもあってか学校祭に遊びに来ている一般客は、きのうよりだいぶ多い。
その人ごみに向かって、
手にはビラを持っている。吹奏楽部のコンサート、その宣伝だ。体育館で行われるコンサートは、一日目はあまり人が集まらなかった。雨だったからというのと、単純に体育館自体が学校の端で行きにくい場所だというのもある。
けれど、ちょっと足を延ばして来てほしいのだ。そのひと手間をかけてもらうため、鍵太郎が行き交う人々にビラを渡そうと近づいていくと――
「……ん?」
黒山の人だかりが目に入った。
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「いやあ、助かったよ」
後ろ頭をかきながらそう言ったのは、吹奏楽部の外部講師にて指揮者、
本番用に整えられた髪に、それ以上に整った容姿。ひん曲がった丸メガネさえかけていなければ、どこかの俳優と言っても通じるくらいの超イケメン。それが城山だ。
ただし、口を開けばとたんにボロが出る。抽象的な表現を乱発するその独特の口調は、「おまえが言ってることはわけがわからない」と周囲から呆れられるほど突き抜けている。鍵太郎もだいぶ慣れたが、それでも合奏中に言われることがわからなくて首をひねることは往々にしてある。
総合すると、音楽の先生って変わってるよね、という世間の印象を体現したかのような人物だ。
城山は学校祭を見て回って、本番まで時間を潰そうとしていたらしい。その途中で女性に囲まれ身動きが取れなくなっていた、ということなのだが。
なんじゃそりゃあ、と鍵太郎は言いたくなった。マンガか、この人。どこからか女性を惹きつけるフェロモンでも出てるんじゃないだろうか。
世の中の一部の男性が聞いたら、別の意味で囲まれそうではある。ちなみにその城山を囲んでいた女性たちについては、コンサートのビラをばらまいて「またこの人見たかったらコンサート来てください! よろしくお願いします! だから道を開けて!?」と言って追い払った。群がるファンを追い返す、まるでアイドルの護衛をするマネージャーのようだった。
窮地を助けてくれた生徒へと、城山は感謝の言葉を述べる。
「ありがとう。困ってたんだ、知らない女の人からたくさん声をかけられて」
「……」
このまま客寄せパンダとして働いてもらってもいいんじゃないだろうか。
そんな打算的なことを、鍵太郎の心の中のちょっと暗い部分がささやいた。
生徒の心情など露知らず、城山はぼやく。
「なんなんだろうね。人は見た目じゃないのに」
「……そうですね」
「中身を見てほしいんだけどね。けど不思議なことに、中身を見てくれる女の人って、僕に話しかけてくれないんだよね」
「……慎み深いんですね」
「ああ、もっとちゃんとモテたいなあ」
「……どうしよう。全部正論なはずなのに、イケメンがこれを言っているともう嫌味にしか聞こえない……!?」
頭を抱える。城山に悪気がないのはわかっている。むしろ嫌味として捉えてしまう自分に悪気がある。それはわかっているのだが。
鎮まれ、自分のダークサイド。内なる衝動と戦っている鍵太郎に、城山は心配そうに声をかけてきた。
「湊くん、大丈夫?」
「だ、大丈夫です……」
こっちは大丈夫だが。心配なのはむしろ、先生のその無防備すぎる本音のほうで――と思っていると、城山はさらに世の男性に殴られそうな本音を言ってくる。
「僕、自分の顔そんなに好きじゃないんだよね」
「うん。先生ちょっと、あのマダムの集団に突っ込んできてもらえますか」
「嫌だよ!?」
大丈夫ではなかった。ついにダークサイドに堕ちた鍵太郎の言葉を、城山は本気で否定した。なにか嫌な思い出でもあるのか、涙目だった。
城山は顔を手で隠すように覆って、ため息をつく。
「だから前はヒゲと髪で顔隠してのに。さすがに本番ではそうもいかないからなあ……」
「だったらずっと体育館に引きこもってればよかったじゃないですか」
「なんかさっきから当たりがキツイよね湊くん!?」
「気のせいです」
「ああもう」
これだから嫌なんだ、本当。そう言って肩を落とす城山を見て、ようやく鍵太郎は正気に戻った。
たとえ妬まれる対象であろうとも、城山が自分ではどうにもならない苦労を抱えているのは事実なのだ。
初めてこの先生と出会ったとき、そういえば先ほども自身が言った通り、彼はヒゲと髪で顔を隠すようにしていた。世間一般からはズレていても、その方が城山にとっては気楽で過ごしやすい状態だったのだろう。
まあ確かに、ちょっとかわいそうだよなあ――そう考えながら辺りを見回していると、鍵太郎はそこであるものを発見した。
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「コーヒーください」
「……」
フランケンシュタインのお面を被って注文してきた客を、店員の女子生徒は呆然と見返した。
言わずもがな、城山匠である。
学校祭で売っていたお面をつけて、彼は校内を闊歩していた。今はハロウィンの時期なので、仮装をしている人間自体は多い。
ただそれは生徒ばかりで、大人でやっている人はそうそういない。
そんなわけで違う意味で注目を集めているのだが、とりあえず人は寄ってこなくなった。これで学校祭を楽しめるよありがとう――そう言って嬉しそうに握手を求めてきたフランケンシュタインが、鍵太郎の記憶に深く刻み込まれている。
目の前の女子生徒も、たぶんそうなのだろう。しばらく固まった後に「こ……コーヒーですね」と言って、彼女は逃げるように去っていった。鍵太郎はりんごジュースを飲みながら、その背中を見送る。
「いやあ、楽しいなあ!」
対する城山は上機嫌で、コーヒーが来るのを待っていた。踊り出しそうなほど楽しそうな、ただの不審人物だった。
ああもう、残念だなあこの人は。自分の先生ながらそう思わざるを得ない。
モーゼのように人が道を開けてくれて、空いている席に二人で座る。先生はお面を少しだけずらして、口だけ出してコーヒーを飲んだ。
「ほんとはビールがいいんだけど――まあいいや。それは本番が終わった後の楽しみに取っておこう!」
「高校の学校祭にアルコール求めんでください」
テンションが子どもの自分より高い。本当に大丈夫なのだろうかこの人は。残念というか駄目な大人だ。
なんとなく、このマイペースさに城山と同じ楽器のあのアホの子のことを思い出した。楽器が同じだと性格も似るのかもしれない。イコール、自分が苦労する。……トロンボーンの連中は、なんでこう自由なんだろう。これは偏見かもしれないが。
そういえば初めて会ったときも、城山はビールが飲みたいなあと言っていた。あれは既に半年前のことだが、自分はあのときから成長しているのだろうかと鍵太郎は思う。
楽器の腕自体は上がっているかもしれない。
だが精神的なこととなると、やり始めたときと大して変わっていないような気がするのだ。
まるで成長を拒否しているかのように、背も伸びない。そんな子どものままで――今、苦労している。
対して城山は会ったときこそ子どもっぽい人だなあと思ったものの、聞いてみるとちゃんと仕事をしている大人だった。
そう。こんなのでも彼は一応大人で、プロの先生なのだ。
城山匠は、無意識におまえらが封じている、そのプレイスタイルをこじ開ける――顧問の先生は、かつてそう言っていた。
だったら、相談してみてもいいのではないか。
他力本番かもしれないが、もう時間はないし、どう考えてもわからないのだ。
だったらもう、人に訊くしかない。
「先生、訊いていいですか?」
「なんだい?」
「俺……なんできのう失敗したんでしょう」
わりと思い切った質問だった。自分がなぜ本番に弱いのか。城山だったら、その原因を教えてくれそうに思ったからだ。
自分とは次元の違うプロ。でもどこか子どもっぽい、この人なら――わかってくれそうな。そんな気がした。
「もう時間がなくて……今日しかないのに。でも、どうすればいいかわからないんです。なにがおかしいのか……わからなくて」
なぜ、肝心なところで詰めが甘くなるのか。
自分は無意識に、なにを封じているのか。
理由ならいくらでも思いつく。きのうはあの時点だともう体力がなくなっていたとか、フルートの先輩があんまり威圧的に吹くものだから、怖くて合わせることができなかったとか。
でもそれらは、どこか的を外したことばかりで――なにかが違うのだ。
もっと違う、見逃している根本的なものが、絶対あるはずなのに。
考えようとすると、どこかで邪魔が入る。うまく頭が回らない。
早く、早く気づかなければ。今日がラストチャンスなのに。
春日美里と一緒に演奏できるのは、今日が最後だというのに――
「やりたいようにやればいいよ」
城山の答えは、鍵太郎が求めていた明確な答えではなかった。
そのやりたいことをするために、邪魔なものの正体を知りたいのに。そんな一般論で片づけてほしくない。
こちらが顔をしかめたのがわかったのだろう。城山は悲しそうな声で「ごめんね。そればっかりは、僕にはわからないんだ」と言ってきた。
「それは、たぶんきみにしかわからないことだと思う」
「……俺にしか、ですか」
「うん。でも、経験則から僕なりの予測なり助言なりはできるよ。一緒に考えてみよう」
「……はい」
鍵太郎はうなずいた。
少し怖いが、自分から口に出したことだ。覚悟を決めよう。
城山は少しだけ考えをまとめるように宙を見上げ、そして視線を鍵太郎に戻す。
「どうしてできないのか。技術的には問題ないなら――それはきみがどこかで、上手く吹くことを拒んでいるからなんだと思う」
「……それ今朝、美原先輩にも言われました」
いじめてください突っ込んでくださいと言わんばかりだ――悪魔の恰好をした先輩は、そう言っていた。
「なんか、わざと失敗してるみたいだって……そんなことないのに」
「無意識に避けていることっていうのは、誰だってあるよ。僕だってたぶん、気づいてないだけできっとある」
まあ、それはさて置いて。先生は荷物をよける仕草をして、続ける。
「なんで気づかないうちに拒絶しているかっていうと――それがたぶん、きみにとって都合の悪いことだからなんだと思う」
「都合が悪い」
上手く吹くことが――都合が悪い。
それは、どういうことだろう。
「大体の場合は、あれかな。怖いからだと思う。全力を出してうまくいかなかったらどうしようって恐怖心が、どこかにあるんだ」
「ああ……」
なんとなくわかった。その理論に当てはめると、自分は美里に振られるのが怖いのだ。
ソロが上手くいって、告白したとして――受け入れられるかどうかはわからない。
その不安が、無意識に上手く吹こうとするのを阻害するのだ。そういうことだ。
……そういうこと、なのだろうか?
微妙な違和感がある。その正体がわからぬまま、話は進んでいく。
「そういう恐怖心を持った子は、本人も気づかないうちに真芯で物事を捉えるのを避けるようになる。よくわからないけど、なんだかうまくいかない、でもそこそこの成果は手に入って、まあ、それでもいいか――って、なる。大抵の子はそこで、突き詰めて考えるのをやめる」
「……でも俺は、その先に行きたいんです」
「うん。いいね。僕そういうの好きだよ」
「……どうも」
なんだか、先生に気に入られた。
応援されるのはいいのだが、肝心な好きな人から好かれないのは本当に、どういうことなんだろう。
そして目の前の先生も、本当に好きな人からは好かれないらしい。そういう意味では、自分と同じかもしれない。
城山がお面を外す。顔が指揮者の表情になっている。エンジンがかかってきたようだ。どうも自分がかけてしまったらしいが。
彼は自身の独特の言い回しでもって、言う。
「結局答えは全部、目をそらしている鏡の中にあると思うんだ」
「鏡?」
「うん。周りの人たち、あるいは、今まで歩いてきた道のりの景色。その中に答えは必ずあると、僕は思う」
「はあ……」
使う単語が城山らしくなってきた。こうなると、ちょっとずつ話を整理しながら進めないと、理解が追い付かなくなってくる。
『言っていることがわけ分からない』ことで定評のある先生は、その独特の口調で続けてきた。
「なんていうかな。さっきみたいなどこか逃げてしまっている子――『世界が閉じている』子は、話を聞いているようで聞いていない。理解しているようで理解していない。なんとなくわかったふりをして、誤魔化しながら傷つかないように生きている、そんな子が多い」
傷つくことが怖い。
成功することが怖い。
だから、情報を制限する。限界を決めてその外に行こうとしなくなる。
『閉じて』いる。
無意識に。
「そんな子たちに共通してるのは、かなりの頻度で周りから『警告』を受けてるってことだ」
「警告?」
新しい単語が出てきて、鍵太郎は首をかしげた。
ここはいったん間を置く場面だ。そうしないと、この先がつらくなる。
『警告』とは、なんなのか。城山は言う。
「そう。なんか、巡り合わせとでも言うのかなあ。ふとした瞬間に、運命的っていうくらいのシグナルがその子の周りで発せられているのが、僕には見えるんだよね。でもそういう子たちって、『閉じている』から気づけないんだ」
「……」
だんだん、難しくなってきたぞ。額を押さえる鍵太郎に配慮してか、城山は例え話を挟んできた。
「例えば、吹く音が小さい子がいたとするよ。その子はテレビを見て思う。『なんでこのタレント、声小さいんだろう。あんまり聞こえないじゃないか』って」
「……自分のこと棚に上げて、ってやつですか」
「それもあるね。あとは、他の子が大きな音を出す練習をしていると、『うるさいなあ』と思ったり。ちょっとした認識の傷。それが『警告』だって気づかずに、通り過ぎるのが『閉じている』子」
「……気づけるか、気づけないか」
フルートの先輩から言われた。「早く気づいて」。
なにに気づくのかは、今まで歩いてきたこの半年の中にある、ということか。
『警告』されてきている。
なにかを見落としている。「それは、きみにしかわからないこと」と城山が言ったのは、つまりそういうことなのだろう。
ヒントが個人の経験の中にしかないというのなら、それは確かに、本人しかわからないはずだ。
思い出す。この半年間、なにがあったのか。
老人ホームでの慰問演奏。
他校の演奏会。
コンクール予選。
そして本選。
それ以外の、ちょっとしたこと。
その中に、答えがある。
『閉じている』
城山は、そんな考え込む生徒を楽しそうに見つめていた。
「それに気づくとね、プレイヤーとして一皮むけることが多いから――僕としては、ぜひ、越えてほしいな。
少しキツいかもしれないけど、そうしたほうが絶対きみのためになるから」
「……わかりました」
都合の悪い『警告』――その先に、自分の望むものがあるというのなら。
少しキツいかもしれないが、越えてみせよう。
傷つくことを恐れるな。
都合の悪いことから目を背けるな。
覚悟を決めろ。腹を据えろ。
全部、あの人のためだと思えば――怖くないだろう?
鍵太郎は城山に頭を下げた。だいぶ方向性ははっきりしてきた。あとは時間との勝負だ。
「先生、ありがとうございました」
「ううん。なんかさっき助けてくれたお礼のつもりだったのに、お説教みたいになっちゃったなあ」
そう言って再びフランケンシュタインのお面を被り、城山は普段の残念イケメンに戻った。
「僕だって人のこと言えたもんじゃないのにさー。気づかなくて、間違いを繰り返して傷つきまくりのくせに」
「……先生でも、失敗とかあるんですか」
「あるよー」
軽く言う調子からは、とてもそんな風には見えないのだが。
「失敗なんてたくさんしてるよ」と先生は、お面の下から言ってくる。
「口に出してはとても言えないようなことや、穴を掘って埋まりたくなるくらいの恥ずかしいこと。それで得たものをつぎはぎに組み合わせて、怪物みたいになって、僕はようやくこの世界を生きてるようなもんだ」
ほんと、フランケンシュタインみたいだねえ。そう言って、城山は被ったそれを撫でた。
死体をつぎはぎして作った、『理想の人間』の――その、失敗作。
あまりに醜く、創造主にすら見放され、いずこかへ姿を消した怪物。
正確には、フランケンシュタイン博士とその怪物の話ではあるが、この二人が混同して話されていることも多い。
切っても切っても切り離せない、そんなことを言うかのように。
鍵太郎からすればもう次元の違う、でもどこか似た先生は、お面の下で笑っているようだった。
楽しくてしょうがない、といった風に。
「でも、それでいいかなって思ってるんだ。どんなに醜くなってもこの姿勢を保ち続ける限り、音楽は僕を見捨てはしないから」
「……なんかよくわからないですけど、先生はもう音楽と結婚したって言っていいんじゃないですかね」
「そうだね! そうか、だから現実ではモテないんだね!」
「もうやだこの人……」
外見が大人なだけに突っ込みが封じられる分、あのアホの子より扱いづらかった。
鍵太郎が力尽きてテーブルに突っ伏すと、フランケンシュタインがなぐさめてくれる。
「大丈夫だよ。僕が大好きな音楽は、きみのことも受け入れてくれるよ。うん、そういうこと」
「はあ……」
どういうことだ。相変わらずの超理論だった。城山の言うことは、やっぱり、よくわからない。
「まあ……ええ。大丈夫です。あがいてみせます……」
「うんうん。いいなあ。若いっていいなあ。学校祭楽しいなあ。湊くん、次どこ行く?」
「お願いですから体育館に帰ってください」
「えー」
大人子どもが駄々をこねている。ある意味つぎはぎだらけのそんな先生も、まさか『警告』の一部なのだろうか。
こうはなるまい、こうは。鍵太郎は起き上がり、苦笑してりんごジュースを飲み干した。
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