第77話 トリック・オア・トリート
「トリック・オア・トリート!」
学校祭二日目の朝。
十月も末、ちょうどハロウィンの時期だ。
なので吹奏楽部も、部員が様々な仮装をしている。慶は黒い角つきのカチューシャと、先端がハート型になっている黒の長いシッポをつけていた。悪魔のつもりらしい。
そんな先輩にトリックオアトリートと言われた。お菓子をくれないといたずらしちゃうぞ、は本来子どもが大人に言うセリフのはずなのだが。
逆だった。ハロウィンで、先輩にお菓子をねだられた。
鍵太郎は差し出された慶の手を、半眼で見つめる。
「むしろお菓子がほしいのは、俺の方なんですが」
「おい、持ってんだろ、ジャンプしてみろよ」
「カツアゲじゃないですか」
「ホラホラ、どこに隠してるのかなー? ここかなー? ここかなー?」
「ちょ、こら、どこ触ってんですか!?」
ペタペタと触ってくる先輩の手を振り払う。それでも慶は、手をわきわき動かして悪魔のような笑みを浮かべた。
「ぬフフ。お菓子をくれないとイタズラしちゃいマすよー?」
「わかった、わかりましたから!?」
悪魔にイタズラされるとか嫌すぎる。ましてや普段から、人を食ったような言動の多い慶だ。なにをされるかわかったものではない。
鍵太郎はカバンからキャラメルを取り出して、慶に渡した。本当だったらコンサートの宣伝で歩き回っているときに食べようと、家から持ってきたものだ。
それがまさか先輩に強奪されるとは思わなかった。腰から出ているシッポはひょっとしたら、本物なのかもしれない。
鍵太郎がそう思っていると、悪魔は口にキャラメル放り込んでニヤリと笑った。
「そうムクれないでくだサい。ワタシはアナタのためを思ってやっているのですから」
「どこがですが」
自分のお菓子ほしさではないか。そう突っ込むと、先輩はなぜかチッチッチッと指を振る。
「なぜワタシが今こんなことをするのか? それは、きみがイジめられて伸びるタイプだからです!」
「ものすごい侮辱を受けているような気がする……」
「イヤ、冗談でなく本気で思うのですが、きみはイジめられたり現状に不満があると、がんばる子だと思いますネー。ディスられて伸びるタイプと言い換えてもイイ」
「ぐっ……」
言葉に詰まった。確かに自分は不満がある状況や、失敗したことから学んで上達していくことが多いのだ。
きのうのソロで失敗したことがよみがえる。コンクールの本番で失敗したことがよみがえる。
あるいはもっと前、身の振り方を間違えて足を折った記憶がよみがえる。
その度に自分は軌道修正をし、努力を重ねてきた。それ自体は別にいいことだと思うのだが、だったら本番前にできるようになっておけよと自分でも思う。
はっきりと意識していなかったが、人から指摘されるとなるほどなと思ってしまう。現状の不満を打開するために伸びるタイプ。失敗するごとに上達してきたこの半年。
これでは確かに、いじめられてもなどと言われてもしょうがないのかもしれない。
そんな後輩に慶は、演説するように大げさに手を広げて言ってくる。
「きのう上手く吹けなかったコト、さぞかし不満でショウ。今日こそはやってやるゾと思っているきみに、ワタシがさらにブーストをかけた。この一見カツアゲとも思える行為は、つまりそういうことナノですよ!」
「いやそれただ単に、先輩がお菓子食べたかっただけでしょ」
即座に突っ込んだ。そこは騙されなかった。
それとこれとは話が別だ。食べ物の恨みは恐ろしいのである。
鍵太郎が再び半眼になったのを見て、慶は「なヌー」と口を尖らせる。
「なンですか。もっとイジめられたいんですか? あの初々しかった新入生クンも、変態紳士に影響されてだいぶ汚れてしまったというコトですか」
「まあ確かに、あの人の影響はだいぶあるでしょうが……」
打楽器の男の先輩の姿が脳裏をよぎる。汚れてしまったのは否定しない。というより、影響を受けざるを得ないほど、吹奏楽部の面子が濃すぎるのだと思う。
むろん、慶もその一人である。そして悪魔の恰好をした先輩は、後輩をさらなる深淵に引きずり込もうとする。
「しょうがナイですねー。まあ、今日の本番はがんバってほしいですから? ワタクシもひと肌脱いで、さらなる過激なイタズラを……」
「やめてくださいキャラメルあげますから」
降参して追加の貢ぎ物を差し出すと、悪魔様は追撃の手を緩めてくれた。「わかればヨロシイのです」と鷹揚にうなずいて、慶はキャラメルを口に放り込んでむぐむぐする。
おいしそうに後輩から奪い取った品を食べる彼女は、そのまま鍵太郎に言った。
「しっかシ、きみは見てると実際イジめたくなるんですよね。まるでそうサれるのを望んでるみたいです」
「そんなわけないでしょう」
いじめてほしいとか、あの先輩以上の変態じゃないか。
人の印象をどこまで貶めれば気が済むのだこの悪魔。そう思っていると、慶は肩をすくめてくる。
「と、言っているワリにきみは本番に弱いでショウ。もう、イジめてください突っ込んでください言わンばかりです。なんですか? ワタシにはもはや、わざとヤっているようにすら見えるんです」
「そんなことは……」
と否定しかけて、はたと止まる。確かに、自分は本番には非常に弱いのだ。
本番になるとそれまで練習してきたことが全部吹っ飛んでしまって、半分くらいはパニックのまま進んでいることが多い。
緊張のせいだと思ってきたが、ここまで来ると慶の言う通り、なにか原因があるのではないかと思えてくる。
わざと失敗しているなんてことは、ない。
しかしなにかが足りない。ずっと、それは思ってきた。
「早く気付いて」――フルートの先輩には、そう言われていた。
いったい、なにに気づけばいいのだろう。
「サテハテ。トリック・オア・トリート、というところでしょうか。お菓子をくれないとイタズラする幽霊が、きみにとりツイテでもいるんでしょうかネ」
冗談めかして言う先輩は、とても本番に強い人でもある。
この人なら、自分が気づいてないものの正体がわかるだろうか。そう思って鍵太郎は、慶に相談してみることにした。
「……先輩は、すごいですよね。いつも堂々とソロを吹いて」
慶の担当は、アルトサックスだ。
ポップス系の曲ではかなりソロのある、花形楽器のひとつである。
今回演奏する『宝島』も、慶が完全主役の場面がある。きのうの本番で彼女は、独壇場と言っていいくらい全部を持っていってしまっていた。圧巻だった。
自分がソロに失敗した直後の曲だったので、お客さんへの悪い印象を帳消しにしてくれたような気がして実は、結構ありがたかったのだ。なんだかんだ言って、慶には感謝はしている。
いったいどんな気持ちでいれば、あんなに吹けるんだろうか。
鍵太郎は悪魔にでもすがりたい気分で先輩に訊く。
「怖くないんですか? ソロ吹いてて伴奏とリズムが合わなかったり、音が合わなかったりするの」
鍵太郎の楽器は、低音楽器のチューバだ。周りの音を聞きながらリズムを刻んだり、状況に応じて音量を調節することが多い。
だから滅多にない主旋律が回ってくると、慣れていないぶんパニックになりやすい。周りの音を気にして吹いていたのに、いきなり舞台中央に立たされるのだ。なにを基準にしていいかわからなくて、混乱したまま吹くことになってしまう。
すると、慶はあっさり答えてくる。
「イーエ。ワタシ基本的に、他の人の音聞いてないンで」
「は!?」
吹奏楽って、他の人の音と自分の音をつなげて、チームワークで演奏をするのではなかったのか。
今までの常識をくつがえす慶の主張に、鍵太郎は目を丸くした。
しかし慶は相変わらず、人を食ったような笑みを浮かべている。
「ワタシが他の楽器に合わせるんじゃないんです。他の楽器がワタシに合わせればいいんです」
「悪魔というかジャイアンじゃないですか」
「ソロってそんなもんだと思いますよ」
「えー……」
そんなものなのだろうか。基本的に人の後ろで活躍する伴奏楽器と、注目を集める主役楽器の違いなのかもしれないが。
戸惑う鍵太郎に、慶は一応の解説をしてくれる。
「まあ理屈を言うなら、ワタシはソロを堂々と吹いて、みんなの基準になってるわけですネ。だからみんながワタシに合わせてくれる。結果としてアンサンブルできている。それでイイんじゃないですか。そう、基準になる! それがワタシの役割なんですヨ! ナンちって」
「とってつけたように言っても、あんまりフォローになってないですよ」
ふざけているのか真剣なのか、いまいちわからない。
しかし彼女の言い分ににも、一理あるような気はする。彼女を見習って、自分のソロもそんな風に吹いた方がいいだろうか。
周りを気にせず、ただ好き勝手に。
想像してみて、鍵太郎は首を振った。一瞬でわかった。無理だ。
どうしても他の楽器の音を聞いてしまうだろう。これはもう癖のようなもので、一朝一夕でどうにかなるものでもない。
では、どうしたらいいのか。悩んでいる鍵太郎に、慶は「ま、プレイスタイルなんぞ人それぞれですけどね」と苦笑した。
「どっちかっていうと、キミは保険をかけるやり方のほうが向いてると、ワタシは思いますヨ」
「保険?」
「ハイ。本番起こりうる失敗の可能性を予測して、練習でそれを潰していくヤり方です。いわばリスク管理ですネ」
「リスク管理……」
「ワタシもやってますよ。最低限ですが、こんな感じで」
そう言って慶は、制服のポケットから小さなケースを取り出した。中には、人差し指くらいの大きさの、薄い木の板が入っている。
リードだ。サックスやクラリネットなどの木管楽器は、楽器につけたこれを息で振動させて音を出す。
「本番中にリードが割れても大丈夫なよう、スペアのリードをポッケに入れてるんです」
リードが欠けたりするといい音は出ないし、折れればもちろん音自体が出なくなる。
本番中に万が一リードが破損すれば、回復は望めない。新しいものと交換するしかない。
技術でどうにかなるものではない。だからこんなに上手い慶でさえ、替えを持ち歩いている。
「木管楽器奏者にとって、リードが折れることは心が折れることと一緒です。本番中に音が出ないなんてフザけた事態にならないように、そこだけはちゃんとしてオリます」
「なるほどー……」
リスク管理だ。本番起きるかもしれない事態をある程度予測して、対策を取っておく。
なるほど、こちらの方が慶の唯我独尊なやり方より、自分向きかもしれない。
これまでの行動を振り返るに、確かに今まではがむしゃらにがんばってきた記憶しかないのだ。しかし半年も経ちある程度経験を積んで、本番になにが起こるかは、少しずつわかるようになってきている。
ならばこれからは以前のようにひたすらに突っ走るのではなく、もう少し考えて本番に上がった方がいいだろう。
そうすれば、本番での緊張や失敗も減るはずだ。
おお、なんだか大人っぽい。自分で自分の発想に感動してしまった。
先ほどは考えてもよくわからなかったが、それで上手くいくならぜひとも考えるべきだろう。
原因を解明する。それが武器となり、防具となる。
今日がラストチャンスなのだ。本番までに少しでもリスクを減らして、成功確率を上げる。これだ。
さっそく考えてみる。
なぜ、緊張するのか。
なぜ、本番に弱いのか。
なぜ、失敗する原因がわからないのか――
しばらく黙考して、鍵太郎は頭を押さえた。
「……だめだ」
考えれば考えるほど、わからなくなってきた。
頭が重い。思考を回す歯車がギシギシと軋んでいる。今まで手を付けてこなかった分野だ。最初は錆びついてうまく動かないだろう。
そうだ、これをもっと潤滑にするには、甘いものをチャージせねば。そう思った鍵太郎はカバンからキャラメルを取り出し、口に入れた。
するとその様子に、慶が笑う。
「おやおや。マダマダきみはお子ちゃまなんですネー」
「……ほっといてください」
自分はまだまだ、お菓子が必要な子どもだ。それがわかっているからこそ、あがき続けている。
「……不満から伸びるタイプだな。ほんと、そうだ」
キャラメルをなめながら、鍵太郎はそうつぶやいた。
トリック・オア・トリート。本番までにどれほどこれを食べ続けるのか、想像もつかない。
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