第74話 水上には煙、空には炎

 一時半になって、体育館にお客さんの姿がチラホラ見えるようになってきた。

 学校祭、第一日目の土曜日。

 川連第二高校の吹奏楽部は、二時から体育館でコンサートを行う。

 十月末のハロウィンの時期だ。湊鍵太郎みなとけんたろうは白いお化けのケープを被って、自分の席に座っていた。

 周りの部員も、思い思いの仮装をしている。雨が降っているので体育館の中はかなり寒い。ケープのフードを頭に被り、開演時間を待つ。

 演奏者側から離れたところから、席が埋まっていく。そんなに遠慮しなくてもいいのになあ、と思う。この距離感はいったいなんなのだろう。

 そんなことを思っていたら、体育館の入り口からクラスの友人たちが数人顔を出した。手を振ってきたので小さく振り返す。


「お友達ですか?」


 隣にいた同じ楽器の先輩、春日美里かすがみさとが訊いてきた。それに鍵太郎は「はい」とうなずく。


「たぶん、こういうのは初めてでしょうけど。楽しんでくれればいいなと思います」


 そう自分で言っておきながら、なんだか不思議な気分になる。普段からつきあいのある人の前で演奏するのは、これが初めてだ。

 野球応援はちょっと違う気がするのでカウント外として、老人ホームやコンクールの会場で演奏したときは、全く面識のない人たち相手だった。

 だから知っている人の前で楽器を吹くというのは、なんとなくこそばゆい。

 普段の自分と、楽器を持っているときの自分は違っていて、同じものだ。知っている人間相手だとその境目に立たざるを得ないので、座りが悪い。なんだか落ち着かない。

 途端にソワソワしだした鍵太郎を見て、美里は笑う。


「大丈夫ですよ。湊くんが一生懸命やれば、きっとみんなよかったって言ってくれますから」

「……ですね」


 結局、そういうことなのだろう。

 下手くそでも一生懸命やれば、なにかしら伝わるものがあると、ここ半年で教わった。

 初心者で初めて、半年経って、その間にいろんなものを見てきた。

 気がついたらここにいる。好きな人を追いかけて一生懸命やって、いつの間にかこんなことになっている。半年前は予想もしていなかった。

 人に聞いてもらってよかったと言ってもらえれるのが、嬉しかった。それでよかった。

 けれど――


「……先輩は」

「ん?」


 一生懸命やったら、結果がどうであれ、認めてくれるでしょうか。

 たとえ、成功しても、失敗しても。


「……いえ、なにも」


 鍵太郎は言葉を飲み込んだ。そこは、プライドの問題だ。どっちにしても、じゃない。

 成功させて、言うのが本道だ。気合いを入れていこう。

 緊張して、口が固まってきた。笑顔。笑顔。鍵太郎は頬を揉んだ。けれど揉んだ先から、顔がこわばってきてしまった。きっと寒いせいだ。そう思いたい。



###



 二時になった。ざわめく中に、指揮者の城山匠しろやまたくみが入ってくる。

 しゃべるとボロが出るとはいえ、見てくれは非常に整っている彼だ。観客側が一瞬ざわつき、そして静かになる。時折、ささやき交わす声がする。

 一種異様な空気だが、それでも城山はプロだ。微笑を浮かべて一礼し、部員たちに向き直った。

 コンクールのときとは違って、少しお茶目な表情をしているように見える。部員全員の表情を確認して、彼は指揮棒を構えた。

 振る。

 とたん、爆発するような音が、体育館内に響き渡った。一曲目はロックナンバー、『ディープパープル・メドレー』だ。バンドの曲を三曲、メドレーにしたもの。

 オープニング曲、『バーン』。トランペットとサックスのきらびやかな音の合間に、ドラムの打音が入る。それが微妙に遅れているのがわかって、鍵太郎は少し焦った。

 ドラムの越戸ゆかりも、ひとつひとつの動きはできている。ただ、緊張があるのとロックということで大きな音を出そうとしていることが災いしてか、全部の打音が重い。

 それが本番のテンションで巻き気味のメロディー楽器と微妙なズレを生じ、低音楽器のリズム感に負担をかけていた。

 お願いだ、これはお前がある意味おまえが主役なんだからがんばれ越戸姉、と心の中で念を飛ばす。管楽器隊もそうだ。おまえらリハーサルと全然違う音量じゃないか。支えるこっちの身にもなってみろ。

 負けじと音量を上げて吹いたら、首筋のあたりがものすごい熱くなってきた。さっきまであんなに寒かったのに、本気で吹いた途端これだ。

 汗をかいてくる。フードが邪魔だ。はねのけたい。けどそんな暇はない。

 体力が既にゴリゴリ削られているのがわかって、ペース配分の計算を放棄する。そんなみみっちいことをしていたら、このノリにブレーキをかけてしまう。

 最初の曲なんだ。これでお客さんの心をつかむためには行くしかない。後のことは後で考えればいい。今はこの混沌と爆走するエネルギーに乗って、進んでいくのが正しい。

 行ってしまえ。ロックだ。『ハイウェイ・スター』! 突っ走れ!

 ゆかりのドラムが乗ってきた。トランペットたちがかっ飛ばしていく中を追いかけていく。普通逆だろ、と思うのだが、彼女も必死のはずだ。気持ちはわかる。だからがんばれ。もうちょっとだ。

 前に座っていたバリトンサックスの室町都むろまちみやこが立ち上がった。これから彼女のソロがある。その場で立って吹くだけではない。前に出て、マイクを使って吹くのだ。

 本来ならエレキギターのソロ部分だ。それを管楽器でやろうというのだから、マイクだって必要になってくる。学校祭最初のソロだ。派手にぶちかましてほしい。

 コンクールのときとは打って変わって、都の演奏は荒々しかった。ビリビリとリードが震える雑音も入っていて、でもそれが凄みになっている。

 さすが三年生だ。こんなにスピードを出しているのに、自分のメロディーをものにして出し切っている。こんな風にできるようになりたいなあ、とそれを聞いていると思う。

 彼女の一番目立つ部分は、初っ端のここで終了だ。ちらりと目立つところはあっても、あとは基本的には鍵太郎と一緒で低音として吹くことになる。

 明日も同じ曲をやる。けれど、今のは今しかできないソロだった。先輩、おつかれさまでした。客席に向かって頭を下げる都に対して、心中で敬礼する。

 遠慮がちに拍手が聞こえる。曲が続いている以上、拍手をするのに遠慮があるのだろう。そんなことはない、どうか、この先輩にもっと拍手を送ってやってほしい。

 明日の本番ではそんなことがないように、拍手していいところなんだと友人たちに言っておこう。強要するつもりはないが、すごいと思ったら素直に出してくれればいい。そんな壁なんて取っ払いたい。奏者だってそれを望んでいる。

 ハイウェイを駆け抜けた後は、最後の『スモークオンザウォーター』に入る。ここからはドラムが一年生のゆかりから、三年生の滝田聡司たきたさとしに切り替わる。わずかな無音の隙間を挟んで、ハイハットの金属音が聞こえてきた。

 オープンとクローズを巧みに使い分けて、ピンと張ったビートが刻まれる。急に身体が軽くなった。リズムの運び方が段違いにスムーズになったおかげで、のしかかっていた負担が一気に取り除かれる。

 驚いて、こちらもさすが三年生だと思った。キモいキモいと罵倒されても、聡司の実力は本物だ。テンポが落ち、ドラムが安定したことで、他の全員のリズムがそろい始める。音も据わってきた。

 吹きやすい。全然違うバンドになった。ドラムが変われば全部が変わる。先生が言っていた「指揮者よりドラムの方が上」という言葉を実感した瞬間だった。

 なにが違うんだろう、と思う。単なるひと叩きの連続が、こうまで明暗を分けている。経験の差なのか、才能の差なのか、それとも――

 負担が激減したことで、考える余裕ができる。よぎるのはやはり、自分のソロのことだ。上手くできるだろうか。

 先ほどのドラムのバトンタッチもそれに影響を与えた。もし自分があのソロを吹けなくて、代わりに美里がやることになったなら。このゆかりと聡司のようなことを、自分も思われたのだろうか。

 やっぱり先輩に任せた方がよかったよね。と。

 言葉には出さなくとも、そんな風に。

 だからこの交代劇を結果は結果として受け止めつつも、ゆかりにはもっとがんばってほしかったと、個人的に鍵太郎は思うのだ。

 聡司に負けないくらい、彼女も彼女でよかったよという結末になってほしかった。

 ゆかりはそこまで行けなかった。けど自分はそうじゃない。自分に任せてよかったと、誰もが思うようにやりきってみせる。

 先輩に認めてもらえるように。

 できる、はずだ。

 曲の最後の部分に差し掛かる。一曲目からみな張り切りすぎだ。こんなんでもつのだろうか。

 いや、違う。もつかもたないかの問題ではない。

 もたせる、のだ。トランペットのハイトーンが、閃光のように頭上を駆け抜けていった。

 城山がにっこり笑って振り返り、客席に向かって一礼した。拍手が起こる。

 鍵太郎は一息ついた。一曲目から濃い内容になった。友人たちは満足してくれただろうか。

 顧問の先生が出てきて、司会の挨拶を始める。どのくらいしゃべるのかはわからないが、動悸を治めるくらいの時間はほしい。

 最優先で、口とマウスピースを拭く。そして、楽譜をめくる。

 次の曲は『あまちゃんオープニングテーマ』だ。コンサートの宣伝で声をかけた中年女性のことを思い出す。あの人は、聞きに来てくれているだろうか。

 準備が終わって、客席に目を向ける。しかし探しているうちに司会の語りは終わってしまった。まだ鼓動は落ち着いていない。

 きっと、本番が終わるまで治まることはないのだろう。そこはもう、あきらめる。

 状況も雰囲気も音楽も、悠長に待っていてはくれない。

 『なにか』を伝えるために、全部を巻き込んで突き進んでいく。

 忘れていた。被っていたフードをはねのける。このせいで、暑苦しさが抜けないのだ。

 ひやりとした空気が首に当たるが、寒いとは思わなかった。

 演奏の余熱が体育館を漂っている。それを冷まさないまま、二曲目が始まった。

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