第73話 パンプキンカレー
学校祭一日目。
吹奏楽部の今日の本番は、午後の二時からだ。
リハーサルは終了。これから本番前まで、部員たちは各々昼食を取りながら、看板を持って歩いたりチラシを配ったりなどの宣伝をする。
雨が降っていて寒いので、鍵太郎は既に本番で着るためのお化けのケープを羽織っていた。今は十月末、ハロウィンの時期だ。コンサートでは部員がなにかしらの恰好をして演奏することになっている。
すると、同い年のトロンボーン担当である浅沼涼子が話しかけてくる。
「ねえねえ湊。楽器の先にカボチャの飾りつけたらおもしろいかなあ」
「スライドの先に?」
彼女は握りこぶしくらいのサイズの、ハロウィンカボチャの飾りを持っていた。鍵太郎もやっているように、これも仮装のひとつだろう。
足を止め、想像してみる。伸び縮みするトロンボーンのスライドの先に、ジャックオーランタンの飾りが揺れる様子。
その光景をしばらく頭の中で吟味して、鍵太郎は言った。
「……うざくね?」
そして邪魔じゃね? おもしろいかもしれないけど。
そんなこちらの懸念など聞いていない様子で、涼子は小さなカボチャの飾りを楽器に括り付けた。こいつ、訊いといて人の話聞かないのな、と苦笑する。言っても聞かないやつなのだ。だったら好きなようにやらせてやればいい。そう思って鍵太郎は涼子を見守った。
「よし、できた」
長いスライドの先に、ジャックオーランタンが揺れている。不気味に笑う魔除けのカボチャ。
試しに吹いてみようということになり、涼子は楽器を構えた。演奏するのは『宝島』の立って吹く部分、彼女が身体で覚えた箇所だ。
スライドをボクシングのジャブのように素早く動かすと――
プラプラプラッ!
「予想以上にうざっ!?」
カボチャが飛び回る様子を見て、鍵太郎は思わず叫んだ。動きが本当にお化けカボチャである。ぽんぽん跳ねるジャックオーランタンは、ケタケタ笑っているようにも見える。
この動きは涼子も予想外だったらしい。スライドを動かすのをぴたりと止めた。
「なんか、指揮じゃなくてカボチャの動きのが気になりそう」
「気が散ってしょうがないだろ、それ……」
「おもしろいアイデアだと思ったんだけどなー」
涼子はあきらめて、飾りを楽器から外して首に下げた。これでカボチャが暴れることはないだろう。たぶん。
まあこいつ自体が、予想外に動くこのカボチャみたいなもんだけどな。普段の見切り発車な涼子の行動を思い出し、鍵太郎はそう思った。
「で、湊。どっか行くつもりだったの?」
「呼び止めておいて今さら言うか、おまえ……」
行動が自由すぎて、まったくの制御不能だ。
それが彼女のいいところでもあり、悪いところでもある。おかげでさっきから苦笑いしっぱなしだ。鍵太郎はコンサートの宣伝の看板を掲げた。
「宣伝がてら、なんか食ってこようと思ってさ。本番まで時間あるし」
「あたしも行くー」
「ん……まあ、いいか」
涼子が言ってくるのに、鍵太郎はうなずいた。止めても聞かないだろうし、こいつひとりで行かせるのも不安だ。いっそ二人で回ったほうがいいだろう。
涼子が楽器を置いて駆け寄ってきた。その首には、相変わらずジャックオーランタンが下がっている。
たぶん、ただ単に外すのを忘れているのだ。まあいいかと思って、鍵太郎は涼子と体育館を出た。
###
初めての学校祭でテンションが上がっているのか、涼子の動きはいつにも増して激しかった。
「ねえ、湊! あれあれ! 『ハロウィンかぼちゃ麻婆丼』ってどんなのかな!?」
「それネタだと思うから、絶対やめといたほうがいいぞ!?」
走っていこうとする涼子を必死になって止めつつ、二人で校内を歩く。
やってきたのは三年生の教室。飲食店が林立する通りだ。
お昼時である。今ここは、校内で一番人がいるところだろう。
鍵太郎はそれを狙って宣伝に来たのだ。しかし土曜日ということや朝から降っている雨のせいもあってか、期待していたほど人はいない。
なるべく多くの客を引っ張ってきたかった身としては、少し残念な気持ちになる。ただそれでも宣伝の仕事はせねばなるまい。
周囲を観察する。制服姿で学校祭をのんびり見て回っている生徒たち。小さな子どもを連れた親子連れ。他校の生徒だろうか、自分と同じくらいの歳の私服姿二人。
大人数で回ってる人たちいないかな。いないか。鍵太郎が誰に声をかけるか迷っていると、涼子がスタスタと手近なテーブルに歩いていった。
そこには、ひとりでたこ焼きをつつく中年の女性がいる。
その女性に涼子は、いつもの調子で声をかける。
「おばちゃん! こんにちは!」
「……あのバカ」
鍵太郎は額を押さえた。なんでよりによって、ひとりで来ている人間に話しかけるのだ。
それにおばちゃんはあるまい。お姉さんと呼んでやれ、仮にも客引きなんだから。
今度からそのくらいのリップサービスはするように言っておこう。鍵太郎はそう思いながら、自身も中年女性の下へと歩み寄った。
涼子の方を向いた女性は、冴えない表情をしている。学校祭にひとりで来てひとりで座って食べているということからしても、なにか事情がありそうだということはわかる。よくこの人に話しかける気になったな、と思ったくらいだ。
女性は突然話しかけてきた涼子を見上げていた。知らない生徒からいきなり話しかけられて、ぽかんとしている。
しかし涼子は、そんなことは毛ほども気にしていない様子だった。
「あたしたち、吹奏楽部です! コンサートいかがですか! 楽しいですよ!」
「あああ。このアホの子は相変わらずストレートすぎる……」
戸惑う女性に、鍵太郎はコンサートのチラシを手渡した。「体育館で、二時からです。よかったらどうぞ」と一言添える。
涼子の勢いに押されてチラシを見た女性は、演目に目を留めた。
「あら、あまちゃんやるのね」
「はい」
朝の連続テレビドラマのオープニングテーマだ。中年女性にはなじみ深いだろう。
知っている曲を見たおかげか、物憂げだった女性の目が開いてきた。興味は持ってくれたようだ。それにほっと一安心する。
「他にもいろいろやるので、聞きに来てください」
「来てください!」
冷静な口調の鍵太郎と、元気一辺倒の涼子の二人にきょとんとした女性は、やがてくすりと笑った。
「そうね。楽しそうね。行ってみるわ」
「ありがとうございます!」
鍵太郎はそう言って頭を下げた。さて、次だ。なるべく多くの人に宣伝をしなければ。
そう思って、鍵太郎は涼子を引っ張って行こうとした。すると涼子が去り際に、中年女性に向けて言う。
「じゃあね、おばちゃん! 聞いて元気出してね!」
「……浅沼」
おひとりさまに声をかけた理由は、それか。
彼女と一緒に来てよかったのかもしれない。自分は正直、集客数しか頭になかった。自分だけだったらあの女性には話しかけなかっただろう。
入学当初、初めて吹奏楽部の演奏を聞いたことを思い出す。あのときは、なんかすげえなって思って――つらいことをひと時忘れて、楽しい気分になったものだ。
今回のコンサートだって、そうだ。なんだか楽しい気分になってくれればいいのだから、暗い顔をしている人にだって、積極的に話しかければいい。
このアホの子、それがわかってるのか。いや、絶対に理解はしていないだろうが、理屈ではなく直感でわかっているのだろう。
相変わらず予想の斜め上を行く涼子に、苦笑が漏れる。
「浅沼、おまえのことちょっと見直したわ」
「やっほう! なんか知らないけどほめられたよ!」
「うん、今回は本当に、ほめてるぞ」
「やっほう!」
行き先を照らすランタンは、涼子が歩くのに合わせて嬉しそうに胸の中でぽんぽん跳ねている。
そんな彼女と一緒に、鍵太郎は次に目に付いた老夫婦へと話しかけた。
###
「おなかすいたー」
涼子がそう言いだしたので、宣伝をいったん休憩し、昼食を取ることにする。
あれから何人もの人たちに話しかけた。いい反応をしてくれた人もいれば、特に興味を示さなかった人もいた。お化けの恰好をしている鍵太郎に、飴をくれた人もいた。
その飴をなめつつ、昼食を買うための列に並ぶ。
「湊はさー。ほんとに、甘いもの好きだよね」
前にいる涼子が、振り返って言ってきた。
それに鍵太郎は目をそらす。気づかれていたか。あえて公言してはいなかったものの、確かにあれだけ食べていればわかってしまうのだろう。
男だって甘いもの食べたっていいじゃないか別に、と思うのだが。
しかしさすがに、開き直って大好きですとまでは言えない鍵太郎であった。涼子は鍵太郎のその態度も、特に気にかけていない調子で続ける。
「湊はいっつもさー。難しいこと考えてるじゃん? それで頭使うから、甘いものほしくなるのかなーって思ったんだ」
「おまえがなんにも考えてないだけだろ……」
鍵太郎はぐったりとうめいた。あれから好き勝手に動き回る涼子に、どれだけ手を焼いたことか。
聞けばこのアホの子、何時にコンサートが始まるかも覚えていなかった。チラシも持ってきていない。こいつひとりで行かせないでよかったと、本当に思う。
「おまえがそんなんだから、俺がしっかりしなきゃって思うんだよ……」
「いつもありがとう、湊!」
「諸悪の権化に感謝された!」
せっかく。せっかく見直したのに。それ以上に苦労させられている。
疲れた。頭が重い。ああ、もう本当、脳みそに甘いものを入れたい――!
「パンプキンモンブランひとつ!」
「パンプキンカレーくーださーい!」
勢いで注文をして、ちょっと後悔した。もっとちゃんとしたものを頼めばよかった。
目の前でカレーのいい匂いがする。大口を開けてそれを食べる涼子を見て、鍵太郎は心底そう思った。
ま、いいもんね。俺は甘いもの食べたかったんだもんね、へっ。
やさぐれながらモンブランを食べていると、涼子が言う。
「あのおばちゃん、来てくれるかな?」
最初に話しかけた、中年女性のことだろう。鍵太郎は彼女が最後に見せた笑顔を思い出して、「来るさ。たぶん」と言った。
来てもらって、楽しかったと思ってもらおう。宣伝した以上はそこまでやらないといけない。
そんなことを考えていたら、正面から涼子がじっとこちらを見ていることに気づいた。
「……なんだ?」
「いや、また湊は難しいことを考えてるんだろうなって思って」
「ああ、うん」
難しいこと、なのだろうか。確かに、こういうことになると気負ってしまう癖が自分にはあるとは思う。
いっそ涼子のように、なにも考えないで行動してみればとも思うのだが。
けどたぶん、それは無理だということも、なんとなくわかる。
自分にはできない。間違いを警戒して考えて、どこかでブレーキをかけてしまう。
このアホの子はそれがない。でも、肝心なところは間違えない。
だからこそ、ある意味天才で――すげえやつだな、と鍵太郎は思うのだ。
だからこんなに一緒にいて苦労しても、どこか楽しい。今度はなにをやらかしてくれるんだ、と苦笑いしながらも後ろ姿を見守っているのは、そのためだ。
鍵太郎はひとつ息をついて、涼子に言った。
「いいな、って思って。おまえのそれが」
「?」
「わからないだろうけど、いいよ別に」
わかってしまったら、それはもう、浅沼涼子ではないのだろう。
自分には絶対ない輝きを胸に下げた、アホで天才なトロンボーン吹き。それが涼子だ。
鍵太郎の言葉を聞いた涼子はカレーのスプーンをくわえたまま首をかしげて――なにかに気づいたように、はっとした。
「あ! なんだ、それなら早く言ってよ湊!」
「……あ?」
なんだ? このアホの子なにを思い付いた? 相変わらず読めない彼女の行動に、鍵太郎は目をぱちくりさせた。
涼子はスプーンでカレーをすくって――鍵太郎の前に差し出す。
「カレー、食べたかったんだね! いいよ! 一口あげる!」
「ちょ、違……」
おまえのそれがいいな、は決してそんな意味ではない。
確かに目の前でいい匂いがするので、カレーもいいなとは思ったが。
間接キスはもう気にしなくても、さすがにこれは抵抗がある。まして学校祭のど真ん中だ。こんな光景、誰かに、ましてや同じ楽器の先輩に見られたら――
しかしこのアホの子は、そんなものはまったく気にしていない。思わず身を引く鍵太郎に、涼子はスプーンを差し出したまま、少し身を乗り出してきた。
「はい、あーん」
笑顔でそう言ってくる彼女に押されて、思わず口を開きかけたそのとき――
べちゃ。
なにかが、液状のなにかに着地する音がした。
音のした方向を見れば――涼子が首から下げていたカボチャの飾りが、カレーの中に思い切り突っ込んでいた。
「うわああああああ!?」
「……うん。まあ。ちょっと考えればわかったよな」
慌ててカボチャを救出する涼子に、言う。
危ないところだった。まさかこのアホの子、こっちに突撃してくるとは思わなかった。
相変わらず行動が読めすぎなくてハラハラさせられる。不覚にも、ちょっと動揺してしまったではないか。
カレーまみれになったカボチャをつまんで、涼子は「あー……」と悲しそうな声をあげた。その光景に、いつものように苦笑が漏れる。
しょうがねえなあ。こいつはほんとに。
テーブルにあった紙ナプキンを手に取る。だからこいつは、一緒にいて飽きないのだ。
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