第72話 カーニバルの始まり
十月末の土曜日。
学校祭一日目の朝。
川連第二高校の学校祭は、十月末の土日に行われる。
ハロウィンの時期だ。既になにかしらの仮装をしている人がちらほらいる。鍵太郎も、本番ではお化けのフード付きケープを被る予定だ。魔女っ子衣装は、先輩に泣きながらお願いして勘弁してもらった。
雨が降っている。なので、今日は寒い。被り物をすればちょうどいいくらいだろう。
体育館では、パイプイスを並べる部員たちがいた。何脚並べるつもりなのか。二百は超えていそうだ。
今日は土曜日だ。学校祭には校外からの客も来るが、そんなに並べて大丈夫なのだろうか。
この席は、どのくらい埋まるのか。
クラスの友達には声をかけてある。校内の友達が聞いてくれるのは初めてだ。一体どういう反応をしてくれるのだろうか。
不安と期待が入り混じる中、コンサートに向けての準備が進む。
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「さ、寒い」
リハーサルが終わって、クラリネットの三年生、
体育館には暖房がない。十月末で雨が降っているともなると、日が出ているときとは打って変わって冷え込むことになる。
穂波は寒さで指が思ったように動かないらしい。早くて細かい動きが、リハーサルではもつれ気味だった。彼女はドラムを叩いていた同学年の
「ねえ滝田、千本桜のドラムちょっと早いんだけど。クラリネット、寒くて指回らない……」
それを聞いた聡司は、「あ?」と彼にしては珍しく強気に出た。
「なに言ってんだオイ。それじゃ原曲っぽくならねーじゃねーか」
「そりゃそうだけど、あんたから溢れ出るミクへの愛に、わたしたちついていけそうにないのよ」
「甘えるんじゃねえ! そんなことでお客さんにこの思いが伝わるのか!? 『なんか違う……』って思われてもいいのか!?」
「妥協を許さない姿勢は立派だけど、やっぱキモいわあんた」
「なんでだっ!?」
聡司が悲鳴をあげた。本当になぜだかわからないのだろうか。
その光景に苦笑していた指揮者の
「ポップス系の曲だと、ドラムは指揮者より立場が上になるからねえ。こればっかりは彼についていくしかないよ」
「ほれみろ!」
先生の後押しを受けて、聡司は目をギラリを輝かせて、言い放った。
「誰がなんと言おうが、これだけは譲れん! みんな、オレのドラムについてこい!」
「えー」
「キモい」
「キモいわー」
「なんでだっ!?」
穂波だけでなく他の部員からもブーイングを受け、聡司はドラムのスティックを握りしめて叫んだ。
まったく、この先輩は最後の最後まで。一連のやり取りを見て、鍵太郎は苦笑した。
本当に三年生は、これが最後のステージなのだ。やりたいようにやらせてあげればいい。
そのためには、確かに妥協は許したくない。鍵太郎は歩いて、聡司と同じ打楽器担当の越戸みのりのところに向かった。
彼女は『宝島』というサンバの曲で、サンバホイッスルを吹いている。ブラジルのカーニバルでよく聞くあれだ。
それがどうも、テンションが低い。いや、彼女も彼女で思い切り吹いているつもりなのだろうが。
金管最大の低音楽器であるチューバ、つまり肺活量の鬼としては、打楽器奏者のサンバホイッスルはどうにも物足りなく感じてしまうのだ。もっと気合い入れて吹かんかい! と言いたくなってしまう。
みのりは相変わらず、双子の姉のゆかりと一緒だった。構わず話しかける。
「なあ、越戸妹」
「なに?」
「なんか用?」
二人同時に振り向かれた。顔が同じなので、本気でどっちがどっちだかわからなくなる。
双子ペアリングをされていると、話しづらいことこの上ない。ステレオ再生をやめさせるため、鍵太郎はある手段に打って出た。連携を切り崩す。
「えーっと。結局『ディープパープル・メドレー』の最後の曲だけは滝田先輩が叩くのか、越戸姉」
「うっ……」
「姉をいじめるな!」
痛いところを突かれて、姉のゆかりが胸を押さえた。それをかばうように、みのりが前に出る。
この二人は本当、面倒くさいな。ため息をつきながら鍵太郎は続けた。
「いじめてねえよ。単なる確認だ」
学校祭のコンサート、一発目の曲である『ディープパープル・メドレー』は、ハードロックバンド、ディープパープルの名曲を三曲メドレーにしたものである。
『バーン』、『ハイウェイ・スター』、そして『スモークオンザウォーター』の順に演奏していくのだが、このうちの最後、『スモークオンザウォーター』だけ、ゆかりは叩くことができなかった。
理由は単に、上手く叩けなかったからである。
聡司から任された以上、できるところまでやるとゆかりは言っていた。そしてその『できるところ』は、そこまでだった。
本番直前の判断で、最後の曲だけは聡司が叩くことになった。ゆかりは肩を落としながら、言う。
「前の二曲はノリでなんとかなるんだけど、『スモークオンザウォーター』だけはちょっと……ノリでは押し切れなくて」
「うん。それならそれで、別にいいんだ。責めてるわけじゃない」
実際、初心者で入ってきた彼女としてはよくやった方なのだろう。ゆかりの練習風景思い出しながら、鍵太郎は言った。
なのでこれは本当に、単なる確認だ。
ポップスにおいて、ドラムは指揮者より立場が上、とまで先生は言った。曲の軸となるこの楽器が安定しなければ、そのしわ寄せは他の楽器にやってくる。
その筆頭が、鍵太郎の担当である低音楽器だ。ゆかりが叩くのと聡司が叩くのとでは、曲中の体力消費幅がまるで違う。それだけは計算に入れておきたかった。
コンサートの最後で演奏する、『吹奏楽のための第二組曲』では、鍵太郎にソロがある。それを吹ける体力は確実に残しておきたい。そこは絶対、外せないのだ。
冷たいと言われるかもしれないが、これもあのソロを成功させるためだ。
少しだけ余裕ができたかな。ゆかりを慰めながら、しかし心の片隅で冷静に鍵太郎はそう思っていた。
「ま、いいじゃん。おまえがんばったんだから。悔しかったらこれからがんばればいいよ」
「うう。私はだめだったけど、湊はソロがんばってね……」
「……ああ」
素直に応援してくれる彼女を見ると、少しだけ心が痛むが。だからこそ、外すことはできない。
姉のしょぼくれた様子に、妹のみのりが声を上げる。
「ぬがーっ! うちの姉といちゃつくなと言っているだろうに!」
「いちゃついてねえよ」
鍵太郎は即座に突っ込んだ。今のどこがそう見えるのか。
相変わらずこの姉妹は、どこかべったりしている。前よりはよくなったものの、なにが原因でそうなっているのか、外から見てもやっぱりわからない。
それはさておき、鍵太郎はここに来た本来の目的を思い出した。本当は自分は、みのりに用があったのだ。
「越戸妹。『宝島』のサンバホイッスルは、もうちょっと息入らないか?」
みのりはサンバホイッスルを首にかけていた。体育の授業などで使われるホイッスルに、左右の出っ張りがついたような楽器だ。金色なので十字架のようにも見える。
その左右の出っ張りの先には穴が開いており、それを開閉することで音程を変えることができる。
みのりはサンバホイッスルをつまんで、「もうちょっとって……こんな感じ?」とひと吹きした。
ピィィィ! と明るい音が体育館内に響く。さっきのリハーサルよりはいいのだが。
うん。やっぱりなんだか、物足りない。「貸して」と言って、鍵太郎はみのりからサンバホイッスルを受け取った。たぶん自分だったら、みのりより大きな音が出るはずだ。
ちょっと吹いてみたかった、というのもある。もう間接キスなんて気にもしなくなっている鍵太郎は、ためらいなくサンバホイッスルをくわえた。吹く。
ルピリイイィィィィィッッ!!
「うお!?」
想像以上の音量が出て、鍵太郎は思わず口から楽器を離した。
体育館内にいた部員たちが、驚いてこちらを見ている。別に悪いことはしていないのだが、注目を集めてしまったこと自体に焦りを感じて、鍵太郎は慌ててみのりにサンバホイッスルを返した。
「ま、まあこのくらいやってくれよ。学校祭なんだし、お祭りっぽくやったほうがいいだろ?」
「むー……」
みのりは手の中のサンバホイッスルを見つめて、不満げにうなった。悔しく思ったのだったら、もっと吹いてほしいなと鍵太郎が思うと、みのりは再びサンバホイッスルを差し出してくる。
「じゃあ本番、湊が吹いてよ」
「なんでだっ!?」
思わず聡司と同じ突っ込みをしてしまった。
だがこちらは、至極まっとうな疑問だと思う。譜面上は打楽器に書いてあるのだ。任されたものは全うしてほしい。
そう言うと、みのりはあっさりと、「湊のが吹けるんだったら、湊がやったほうがいいじゃん」と言ってきた。
「そこ、休みでしょ? だったらいいじゃん」
「おまえら姉妹はどうしてそう、できないことを代わりの人間にやらせようとするかなあ!?」
こそこそ姉妹同士で身代りにならないだけ、まだマシになったとは思うのだが。
まだまだ彼女たちは自立心が足りない。学校祭が終わって先輩たちがいなくなってもこれでは、安定しない打楽器群に低音楽器の鍵太郎が苦しめられることになる。なのでそこは、あえて厳しく断る。
「だめなの! そこはちゃんと、自分でやるの!」
「湊、きびしいー」
「湊、こわーい」
「くそ、双子ペアリングが復活しやがった……」
こうなってしまうと、個別に会話するにはもう一回なにかの手段で連携を切らないといけない。
双子姉妹は、お互いの両手を合わせてきゃあきゃあ騒いでいる。それを見ていると、個別に話すのが本当に面倒くさくなってきた。
なので鍵太郎は、だいぶ前に彼女たちから言われた通り、二人いっぺんに相手にすることにする。
それは彼女たちのどちらか一方ではなく、二人に言っておきたいことだったからだ。
楽器をああ叩けこう吹けとは言わない。
ただ、その裏にある思いだけは伝えておく。
「あのな、滝田先輩は今日と明日で引退なんだぞ。その辺だけは考えてやれよな」
「……うん」
「……わかってるよ」
それはここ最近、自分がずっと思ってきたことだった。
それに姉妹は両手を組んだまま、少しうつむく。今はおちゃらけて騒いでいても、これがわかっていれば本番は、ちゃんとやってくれるはずだ。
それがわかったので、鍵太郎はもうそれ以上うるさく言わないことにした。
「俺が言いたいのはもう、それだけだよ。じゃあな。本番期待してる」
「プレッシャーかけないでよー」
「湊だって同じだぞー」
「……だな」
自分とこの双子は同じ立場だ。重要な部分を任され、今日までがんばってきた。
彼女たちはあと一歩というところだったが――さて。
「ま、本番に向けて、なんか食べてくるかな……」
これから本番まで、少し時間がある。コンサートの宣伝がてら、なにか腹に入れてこよう。
このずらりと並んだパイプイスを、全部人で埋めてしまおう。先輩たちの最後のコンサートだ。派手にやりたい。
鍵太郎は本番用のケープを羽織り、宣伝用の看板で肩を叩いた。
サンバホイッスルは吹かないけれど、これからやるのは、カーニバルに等しいお祭り騒ぎだ。
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