第71話 学校祭だもの

「学校祭は、仮装して吹くんですよー」


 練習の合間、湊鍵太郎みなとけんたろうは、同じ楽器の先輩の春日美里かすがみさとにそう言われた。

 吹奏楽部は、十月末の学校祭でコンサートを行う。

 ちょうどハロウィンの時期だ。なので、それっぽい衣装を着るらしい。


「簡単なものでいいんですよ。お面とか、なにか被るだけでいいんです」

「オレンジとか黒の帽子とかでもいいんですか?」

「いいですよー」

「家に、なんかあったかな?」


 家の物置を思い出しながら、鍵太郎は首をひねった。とりあえず、帰ったら探してみることにする。


「なければ百円ショップでもなんでも、それらしいものを探してくれば大丈夫です。学校祭当日は、吹奏楽部以外にもそんな恰好の人が結構いますし。そのままお店とか回ってもいい感じです」

「へー」


 一年生の鍵太郎にとって、学校祭は初めての行事だ。どんな感じなのかは想像しかできないが、そんな恰好の人たちがたくさんいるというなら、結構なお祭り騒ぎなのだろう。


「あ、でも。これなんかどうですか?」


 美里が携帯の画像をこちらに向けてきた。見ればその画面では、とんがり帽子でひらひらミニスカートのモデルがポーズをとっている。

 なかなかかわいい。美里が着るのだろうか。だとしたらだいぶ気合いが入ってるなと思う。


「似合うんじゃないですか」


 じっと画面を見つめて、鍵太郎は言った。脳内で美里がこの衣装を着ている様を想像する。

 うん。いい。

 ぜひ見てみたいが、そうすると美里は学校祭で二着の衣装を着ることになる。

 コンサートの後に、クラスのカフェでメイドさんの恰好をする予定の先輩に、鍵太郎は尋ねた。


「そうすると先輩、大変ですね。これ着て演奏して、クラスのカフェでメイドさんでしょ?」

「え?」

「え? って、え?」


 意外そうな美里の声を聞いて、鍵太郎は首をかしげた。まさか先輩、メイド服を着ることをすっかり忘れていたのだろうか。それはそれで、とても期待していたのに。

 数瞬の沈黙の後、美里は「――ああ!」となにかに気づいたようにぽんと手を打った。


「そうではないんです。この魔女っ子衣装を着るのは、わたしではありません」

「あ。そうなんですか」


 なんだ。期待して損した。

 まあ確かにダブルヘッダーは大変だろうし、しょうがないか。

 そう思った鍵太郎は、美里の視線に気づいた。


「……あれ?」


 なにかがおかしい。

 携帯を片手に自分を見つめる先輩がいる。

 まさか。『その想像』にたどりついて固まった鍵太郎へと、にっこり笑って美里は言う。


「どうですか? 湊くん」

「俺ですかああぁぁぁぁぁっ!?」


 鳥肌をたてる鍵太郎に、美里は携帯の画面を向けた。

 黒いトンガリ帽子。ひらひらのミニスカート。

 その画面の横で得体の知れない笑みを浮かべる先輩は、とてもとても楽しそうにこちらに言ってくる。


「湊くんは小さいし足も細いし、きっと似合うと――」

「やめて!? 想像しないで!?」


 さっきまで自分がしていたことを棚に上げて、鍵太郎は叫んだ。精一杯抵抗する。


「おかしいですから!? それはいわゆるひとつの男の娘ですから!? みんな引きますよ、というか俺が引きますよ自分自身に!?」


 学校祭だからって、そこまで逸脱したらおかしいだろう。

 しかし鍵太郎に対して、美里は表情を変えないままにこにこと言う。


「大丈夫ですよー。みんなかわいがってくれますよー」

「おかしい!? 学校祭色々おかしい!?」

「この恰好で『トリックオアトリート』って言ったら、みんな食べきれないほどのお菓子をくれますよ」

「失ってはいけない何か大切なものと引き換えですよね、それ!?」

「新天地が開けますよー」

「開けたくない扉が迫ってきている!」

「ほうら。怖くない怖くない」

「笑顔のままの先輩がマジ怖ええぇぇぇっ!?」


 笑顔を張り付かせたまま近づいてくる先輩は、今まで一緒に過ごしてきた中で一番怖かった。



###



「まあ、学校祭だからねえ」


 それはこの時期限定の、魔法の言葉のようだった。

 衣装のことはさて置いて、音楽室では吹奏楽部の練習が行われている。来週に迫った本番に向けて、演奏に熱が入ってきていた。

 そろそろ本番通りの演出を合奏中もするようになっている。アンコールの『宝島』は、トランペットとトロンボーンが主役の場面があるが、そこは目立つように立って吹く、ということだった。

 しかし、それだけでは足りない、という声が上がる。


「いやいや。ここは前に出ようよー」


 そう言ったのはトランペットの三年生、豊浦奏恵とようらかなえだ。

 この人、これ以上派手にやるつもりなのか。鍵太郎が先輩を見ると、奏恵は「学校祭だもん!」とあっけらかんと笑う。


「この部分全部覚えて、舞台の前に出て吹く! 宝島っていったら、やっぱこれでしょー」

「一番後ろから一番前に出るんですか?」

「モチ!」


 トランペットとトロンボーンは、合奏の配置上、一番奥の席になる。

 お客さんの目の前まで歩いてくる時間はあるのだろうか、と思ったが、その直前は打楽器だけの長いソロだ。なので、時間的にその演出は可能だろう。


「ねー。りくちょんもそれでいいでしょ?」

「問題ない」


 奏恵に応えたのはトロンボーンの三年生、永田陸ながたりくだ。この両パートの長がいいと言えば、後輩たちもやらざるを得ない。

 楽譜覚えるの大変じゃないのかな、と鍵太郎は思うのだが、あと一週間もあればなんとかなるのだろう。特に陸は暗譜が得意だ。「三回くらい吹けば覚えるだろう?」と言われたとき、鍵太郎は絶句したものだった。

 いやあ、すごいなあメロディー楽器の人たちは。そんな風に主に伴奏担当の鍵太郎が他人事として見ていると、奏恵がこちらを向く。


「みんな遠慮しないでさあ、ソロは立って吹けばいいんだよ! 湊くんも第二組曲のソロは、立って吹けばいいんだよ!」

「なにを言っとるんですか!?」


 鍵太郎は抗議の声を上げた。サンバである『宝島』と違って、『吹奏楽のための第二組曲』は真面目な曲だ。立って吹くような雰囲気ではない。

 そしてこのチューバという楽器も、立って吹くのには向いていない。重さ十キロの金管楽器。それを持ちながらソロを吹くなど、とてもではないがやりたくはない。

 そう反論すると、奏恵は言った。


「でも、学校祭だからねえ」

「それ言えばなんでも解決なんですか!?」


 つらかったコンクールの反動だろうか。特に三年生は最後の舞台ということもあって、張り切りが振り切れてしまっているようだ。無理難題をさらりと言ってくる。


「ほとんどない、チューバの珍しいソロなんだから、目立たなきゃソンだよ! やっちゃいなよ! YOUやっちゃいなよ!」

「嫌なもんは嫌です! その言葉聞くとやっちゃいそうな気になりますけど、騙されませんからね!」

「ちぇー」


 冗談でなくたぶん本気だった。口を尖らせる奏恵を見ると、そう思う。

 しかし実際に立つかどうかはともかくとして、立つくらいの気持ちで吹いたほうがいい、というのはあるかもしれない。

 一緒にソロの部分を吹く、フルートの先輩のことが頭をよぎる。二人で練習することを突っぱねられて以来、まだ一度も彼女とは合わせられていない。

 断られるたびに、鍵太郎はなにが足りないのかと考えてきた。ひょっとしたらそれは、こんな風に立ってソロを吹こうという気概なのではないか。

 「キミはさ。その程度の気持ちでしか、練習してないんでしょ」――そう言われたことを思い出して、鍵太郎は顔をしかめた。本当に立って吹いてやろうか。そのくらいの気持ちでちゃんとやってるんだということは、それで伝わるだろうか。

 ならばと、試しに立って吹いてみることにした。楽器を持って立つと、左右の腕に重さがのしかかる。落とすと大変なのでしっかり持って、吹く。

 何度も練習してるので楽譜自体は覚えている。しかし左右の腕に負荷がかかる分、余計な力が入ってしまっていい音が出ない。


「湊くん、右足も使って支えてください」


 隣で見ていた美里が、アドバイスをくれた。言われた通り右足を少し前に出して、腿の部分で楽器の下部を支えてみる。これでだいぶ安定した。

 この体勢で吹いてみれば、確かに座って吹いているときより音の抜けがだいぶ違う。より鋭く、音が立っている感じがする。

 本番で立って吹きはしない。しかし感覚的にはこんな感じでやればいいのだろう。

 よし――と思って楽器を下ろす。すると、美里がぱちぱちと手を叩いてきた。


「だいぶできるようになりましたね湊くん。すごいです!」

「いやあ……」


 照れる。美里に褒めてもらえるのは、今の鍵太郎にとって大きな喜びだ。それだけこの先輩に近づいているという証だからだ。

 これで本番成功したら、俺は――そう思って美里を見ていたら、彼女は思いもよらないことを言ってくる。


「あとは、もっと楽しそうに吹くといいですよ!」

「え?」


 鍵太郎はきょとんとした。

 楽しそう、というのはどういうことなのだろうか。上手く出来ればいいのではないか。

 よくわからないで目をしばたたかせていると、美里は奏恵と陸を指差した。

 先輩たち二人は、『宝島』の立って吹く部分を二人で合わせている。

 本番通りに立って、背中を預けあいながら――

 楽しそうに。

 その光景に、反射的と言ってもいいくらいの速度で、ああ、いいなあ――と思う。

 自身もそれを見つめながら、美里は言う。


「あんな風に、楽しそうにやったほうがいいですよ。学校祭ですから。お客さんに来てよかったーって思ってもらえるように吹いたほうが、楽しいですよ!」


 学校祭だから。

 楽しそうに、お祭り騒ぎでやったほうがいい。

 そう先輩に言われ、鍵太郎はさきほどの自分を振り返った。

 そうだ。ただ上手く吹くことだけを考えて、顔をしかめて吹いていた。

 これでは確かに、とても楽しそうには見えない。

 そうだよなあと思う。そんな顔して吹いてるのなんて、誰だって見たくないはずだ。

 お祭りの日にそんな思い詰めた顔をしている人間なんか見たら、鍵太郎だって困惑するだろう。

 それに学校祭のコンサートは、友人やクラスの人間が聞きに来る。彼らに楽しんでもらえるよう、こちらも楽しんで吹くことが今回の目的なのだ。

 自分に足りないのは、これだったのだろうか。フルートの先輩は、これを言いたかったのだろうか。


「……それもあるかもしれないけど、なんか違う気がする」


 どうにも腑に落ちず、鍵太郎はつぶやいた。「大事なのは『今度の本番で、いい演奏ができるかどうか』だけ」――あの言葉には、確かに、そういう意味もあったかもしれないが。

 まだなにか、足りない。

 それがなんだかが、わからない。

 横倒しにした楽器にあごをついて考え込んていると、美里が言った。


「ほらほら。また怖い顔です。学校祭ですよー。お祭りなんですよー。ほらほら、笑顔笑顔ー」

「う……」


 そういえばコンクールのときも、指揮者の先生に似たようなことを言われたのだった。まして今回は学校祭だ。あのときのように堅苦しく考えることはないのだろう。

 しかし、考え込んでいても仕方がない。

 なにが足りないのか。それは、音を出しながら探っていくしかないのだ。


「学校祭、ですからね」


 笑顔で。

 鍵太郎は楽器から顔を上げ、一息ついた。

 肩の力は、少し抜けた。

 学校祭だから。

 このセリフは、この時期限定の、魔法の言葉であるようだった。

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