第70話 ずっとこのまま
「先輩のクラスは、学校祭でなにをやるんですか?」
そういえば、と
美里は三年生だ。三年生は全クラス、飲食物のお店をやることになっている。
カレーだったり、たこ焼きだったり。定番のそんな食べ物かなと考えていると、美里が答える。
「カフェをやります。お茶とか、ケーキとかですね」
「おー。いいですねえ」
学校祭はハロウィンの時期だ。トリック・オア・トリート。甘いものの一つでも食べたくなるというものだ。
「わたしも部活のコンサートが終わり次第、クラスのお店に参加する予定です。ちょっと忙しいですけど、最後の学校祭なのでがんばろうと思います」
「大変ですね」
鍵太郎たち吹奏楽部は、学校祭でコンサートをやる。
初心者で楽器を始めた鍵太郎にとって、初めての学校祭であり、学内コンサートだ。時間的なことはよくわからないが、彼女が自分のクラスを手伝う余裕があるのなら、そこに遊びに行くくらいのことはできるだろう。
そう言うと、先輩は嬉しそうに笑った。
「はい。ぜひぜひ、来てくださいね! たくさんサービスしちゃいますよ!」
「マジですか。生クリーム増量とかしてくれますか」
まあ、手作りケーキとは限らないし、ひょっとしたら既製品なのかもしれないが。
でも、先輩が出してくれるならパウンドケーキでもいいのだ。自分はどこぞのちびっこのように、これはケーキじゃないとがっかりしたりはしない。
美里はぐっと拳を握って、やる気十分で言う。
「メイドさんの恰好するのは初めてです! 張り切ってやりますね!」
「生クリーム増量よろしくお願いしまあぁぁぁぁす!!」
鍵太郎は力いっぱい叫んで、頭を下げた。たくさんのサービスを想像するだけでもう、胸がいっぱいだった。
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中間テストが終わって、校内は一気に学校祭に向けて動き出す。
展示物の用意。教室の飾りつけ。いつもは放課後になれば静かになる教室に、人が残って作業している。
薄く引き伸ばされた高揚感が、学校全体に漂っていた。その中を通って、鍵太郎は音楽室に入る。
すると、三年生の
「湊。湊。ちょっと手伝え」
「なんですか?」
近くによってみれば、聡司は軍手をはめていた。もう一双の軍手も、こちらに投げてくる。
「打楽器倉庫の奥に、学校祭のコンサートの看板があるんだ。ちょっと大きいやつだから、出すの手伝ってほしい」
「あ、なるほど」
鍵太郎は納得した。そういえば打楽器倉庫の奥のほうに、ブルーシートに包まれた細長いものがあった覚えがある。
あれは看板だったのか。軍手をつけて、鍵太郎は聡司と倉庫へ向かった。
一年分のホコリを被ったブルーシートを外し、二人で看板を音楽室へと運び出す。
ニメートルはあるだろう。ベニヤ板で作られた立看板は黒のペンキで塗られ、金銀の文字で『川連二高 吹奏楽部コンサート』と書かれている。その周りには虹の絵が描かれていたり、音符がちりばめられたりしていた。
「毎年使ってんだ、これ。いつからあるのかオレも知らねえ」
これを補修して、会場の前に置くんだよ。音楽室の隅にそれを置いて、聡司はそう言った。
だいぶ昔の先輩たちが作ったのだろう。ベニヤ板は古ぼけて、裏面は日焼けた茶色になってはいるが、頑丈な作りでまだまだ使えそうだ。
鍵太郎は看板を見上げて、言う。
「そうですよね、演奏だけじゃなくて、こういう宣伝も自分でするんですよね」
「まあな。あと当日は小さめの看板持って歩いたり、ビラ配ったりする」
「それ、誰が作るんですか?」
「誰か絵の得意なやつが書くこともあるし、先生がパソコンで適当に作った年もあったな。プログラムは確か先生が作ってた……ような気がする」
「しっかりしてください、副部長」
まあ、副部長の仕事などあまりないらしいが。それに聡司は事務系ではなく、こういった楽器運搬などの力仕事を任されていることが多かった。
聡司が学校祭後に引退したら、楽器運搬の仕事は自分に回ってくることになる。鍵太郎は自分の軍手をした手を見て、そう思った。そうだ。聡司が引退したら、この部の男子部員はもう鍵太郎だけになるのだ。
やだなあ。
ずっとこのままでいたいなあ。
そんなことはできないとわかっていつつも、そう思わずにはいられなかった。
美里がいて、聡司がいて。
それが当たり前になっていた。
なにもわからないまま初心者で入った吹奏楽部に、ここまで馴染めたのは三年の先輩たちの存在が大きかったからだ。
その人たちがいなくなるなんてことは、やっぱりまだ、想像がつかないのだ。
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それから自分の楽器を出しに音楽準備室に行くと、そこでは吹奏楽部顧問の
裏を見たり表を見たり。なんの気なしにその紙を見ると、それはどうやら学校祭コンサートのプログラム原稿のようだった。
曲名が連ねてある。曲順が知りたかったので、鍵太郎は先生の手にあるその原稿を覗き込んだ。
自分のソロのある『吹奏楽のための第二組曲』は、一体何番目の演奏なのか。
鍵太郎が確かめたかったのは、それだ。この曲は最後の最後に、フルートの先輩と鍵太郎だけで吹く部分がある。体力と集中力の都合上、できれば早めにこの曲はやってしまいたい。
曲名を上から順番に見ていく。
ない。
視線を下げていく。
ない。
「……ちょ、ちょっと待ってください」
ようやくその曲名を見つけて、鍵太郎はうめいた。
よりにもよって、一番下。演奏順の一番最後に、『吹奏楽のための第二組曲』と書いてある。
「正確にはアンコールの『宝島』があるから、最後から二番目だな」
「えー……」
鍵太郎は不満の声を上げた。それでは本当に、残り体力を厳密に計算して本番を進めなければならないということではないか。
本番になるとみんなテンションが上がって早くなったり、音が大きくなったりする。それについてきながら残り体力も気にするというのは、正直かなり難しい作業だ。
嫌そうにプログラム原稿を見る鍵太郎に、本町は言う。
「えー、じゃねえよ。しゃあねえだろ。演奏時間のボリュームとしても曲の雰囲気としても、それがコンサートのシメになる曲なんだよ」
「まあ、そうですけど……」
「文句言ってる暇があったら、練習してちょっとでも慣れとけ。ほらほら」
「うー」
本町に音楽準備室を追い出される。これは実は本当に、危機的状況だ。
なるべく通しで吹く練習をして、慣れておいた方がいい。
そう思って音楽室に戻ると、たどたどしいドラムの音が聞こえてきた。
叩いているのは、越戸ゆかりだ。
左右の腕と足を全部別に動かす、という運きはやってみると結構難しいもので――彼女が叩くドラムは、まだまだちぐはぐで、安定しないものだった。
「ていうか、どうやって手足を全部別に動かすんだ?」
「……なんとなく?」
鍵太郎が訊くと、ゆかりはそう言って首をかしげた。
そうなのか。言われてみればもう自分も音符を見れば、楽器のどのキーを押せばいいか、身体にしみこんでいるが。それと同じなのだろうかと鍵太郎も首をかしげる。
今ゆかりが練習していたのは、今回の学校祭でゆかりがドラムを担当する曲、『ディープパープル・メドレー』だ。
しかし彼女は今、ドラムセットに埋もれるようにして、自信なさそうに座り込んでいた。
「うう。難しいんだよディープパープル……滝田先輩がやればいいのに」
「おまえまだ、そんなこと言ってんのかよ」
以前ゆかりは、双子の妹のみのりに、自分の楽器を代わりに叩いてもらっていたことがあった。
鍵太郎が怒って以来、それはやらなくなったようだが――双子ペアリングが切れると、ゆかりは途端に萎縮する傾向がある。今のセリフも、そこから出たのだろう。
今の鍵太郎の立場からすれば、実はゆかりではなく聡司にドラムを叩いてもらった方が良い。
ドラムはもちろん、演奏において重要な役割を務める楽器だ。それがゆかりのようにぎこちないと、そのフォローのために鍵太郎たち低音楽器は、リズムをより明確にキープしなければならなくなる。
余計な仕事が増え、結果、体力を消耗する。
極力それを避けたい鍵太郎にとって、本当ならば三年生の聡司にドラムを叩いてもらった方が、事は有利に運ぶのだ。
もしここで、聡司に代わってもらったら。
体力の消耗は抑えられ、自分のソロの成功確率は上がる。
でも、それでいいじゃないか――とは、鍵太郎には思えなかった。
それはきっと、聡司の望むところではない。
ゆかりにとっても、きっといいことではない。
彼女も本当はわかっているはずだ。だからこうして、愚痴りながらも練習をしている。
そう、先輩は引退して、いなくなる。それは、もうどうしようもない確定事項だ。
学校祭が終わったら聡司はいなくなって、結局、できないままのゆかりが残るのだ。
次の本番で彼女は同じ壁にぶち当たって、でもそのとき助けてくれる存在はいない。
だから聡司は、ゆかりにドラムを任せたのだ。
ずっと一緒にいられるなんて、そんなことはありえない。
ずっとこのままでいたいけど、ずっとこのままではいられない。
だったら今。ここで乗り越えてしまったほうがいい。
自分の体力は削られるが――それはゆかりにがんばってもらって、その削られ幅を、なるべく少なくしてもらおう。
その方がいい。
気は進まない。鍵太郎だって、それを受け入れたくはない。
けれど、不利を承知でゆかりの背中を押すことにした。
単なる意地の問題だ。
その分、自分もやればいいだけの話だ。
一緒に歩く、とゆかりと約束した以上、ここで愚痴っている彼女の手を取らないわけにはいかなかった。
肩を落としているゆかりに、言う。
「自分の代わりに誰かがやってくれる、なんて、もう通用しないことわかってんだろ?」
「うん……でもね。滝田先輩、言ってたんだ。『できなかったらそこだけは、オレが叩くから』って」
「中途半端な優しさ発揮しやがって、あの先輩……」
突き放すなら突き放すで、もっとちゃんとやらないか。鍵太郎は額を押さえつつも、続ける。
「それはほんとに、がんばってもがんばってもできなかったときは、だと思うぞ」
最初から助け狙いでやっていたら、意味がないではないか。鍵太郎は自分のソロを思い出す。
自分だって、最初は美里にやってもらいたかった。けれど、今は自力でなんとかなるよう、がんばっている。
「俺だってソロ、がんばってるんだから。おまえもがんばれよ。な?」
「……うん。……うん。そうだね」
湊、がんばってるもんね。
できるだけ、先輩に頼らないよう、がんばってみる。みのりのその言葉を聞いて、鍵太郎は苦笑した。
まるっきり前向きになったわけではないけれど、そう言うようになっただけ、一歩前進だろう。
さて、人の心配ばかりはしていられない。この負担が増えた分、自分もまだまだやらなくてはいけない。
さっきより激しく叩かれるドラムの音を背に、鍵太郎は自分のいつもの練習場所へと向かった。
美里の隣。
ずっとこのままでいたいけど、ずっとこのままではいられない。
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