第69話 私は私の愛を愛す
放課後になって
「……なにするんですか、それで」
鍵太郎は恐る恐る優に訊いた。彼女はかなり厳しい先輩だ。なので鍵太郎にはその金属片が、メリケンサックばりの凶器に見えたのだ。
優はその金属片を、打楽器のバチで叩きながら答えてくる。
「学校祭でやる『吹奏楽のための第二組曲』の、三楽章で使うんです。あの楽章はブラックスミス――つまり、『鍛冶屋の歌』ですから」
「『鍛冶屋』……」
カンキンカンキン――と、優は一音一音を確認している。
曲中でこの金属片を叩くのだ。つまり鍛冶屋が槌を振るっている様を、この音で表現するということだろう。
優はイメージ通りの音がするいいポジションを見つけたのか、そこを中心に叩き始める。
「打楽器は太鼓やマリンバだけではないんですよ。こういう擬音的な表現も意外とあります。曲の雰囲気を作り上げるのは打楽器の役目ですから――っと」
ギィンッ!! と力強い音を立てて、金属片が震えた。
鍵太郎より小さいこの先輩の、一体どこにそんな音を出す力があるのか。顔を引きつらせていると、優にジロリと睨まれた。
「打楽器はこれでいいとして――チューバも打ち込みの音あるでしょう。そこもがっつりガシガシ、力強くお願いしますよ、いいですね!?」
「は、はいっ」
次期部長からの厳しい檄が飛んだ。二年生随一のタカ派、鬼軍曹様からのお達しだ。背筋が伸びる。
そこに打楽器の三年生、
「貝島! 湊! 聞いてくれ、模試で学年二十番取れたぞおぉぉぉっ!!」
「マジですか! よかったですね!」
「……そのくらい、やってもらわないと困ります」
鍵太郎が喜び、優が唇を尖らせそっぽを向いた。
十月の末にある学校祭。その学校祭のコンサートに三年生が出演するのは、夏休み明けの模試で学年二十番以内を取ることが条件だった。
十月ともなれば、本格的な受験シーズンになる。しかし吹奏楽部は人が足りないし、それ以上に、鍵太郎は三年生とまだ一緒にいたいと思っている。
そして三年生も受験を控えつつ、ぎりぎりまで部活にいたがっていた。その念願かなって、聡司はめでたく出演を勝ち取ったのだ。
「いやあ、二十番ギリギリだったけどな。がんばったオレー。これで千本桜のドラム叩ける!」
「ミクの力は偉大だなあ……」
二次元への愛が、三次元の困難を超越した。
夢を叶えた聡司は、高らかに拳を突き上げる。後輩二人はそんな先輩を、生暖かいまなざしで見守った。
すると隣で優がつぶやくのが、鍵太郎の耳に入ってくる。
「……まったく。嘘でも後輩のためって、言ってくれればよかったのに」
「……」
あれ、先輩ひょっとして、三次元のフラグに気づいてないんじゃないですか……?
自分のことを棚に上げて、鍵太郎はそう思った。
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「しかし、そういや第二組曲のこと調べてなかったなあ」
打楽器運びを終えて、鍵太郎は頭をかいた。
今度の学校祭で演奏する、『吹奏楽のための第二組曲』。
全四楽章で構成されるそれだか、それがなにを表しているかを、鍵太郎は調べていなかった。
コンクールの練習のときに、作曲者がなにを言いたいのか知っておいた方がいいよと言われたのを思い出す。そうすればもっと愛着が湧いて、どんな風に表現すればいいかがわかってくる――そんなことを先生は言っていたはずだ。
優を見習わなければならない。さすが次期部長に選ばれるだけのことはある。
今からでも遅くはないだろう。この曲のことを調べてみようと鍵太郎は携帯を取り出した。
ざっと調べるだけなら、そんなに時間はかからない。曲名を入れて、検索しようとしたそのとき――
「ねえねえ湊、なにしてんの?」
後ろからトロンボーンの同い年、浅沼涼子が携帯を覗き込んできた。
ほとんど耳元で声を出されたので、驚いて思わず身を引く。振り返れば、きょとんとした顔の涼子が目に入ってくる。
「うん? どしたの?」
「近いんだよおまえ。びっくりしたろうが……」
俺の背後に立つなあっ! とやらないだけマシだと思ってもらいたい。
もう自分は男扱いされてないんだなと、女ばかりの吹奏楽部で鍵太郎は悲しい気分になった。まあ、それだけ話しかけやすいやつだと思ってもらえているのかもしれないが。
無理やり納得して、改めて携帯を操作する。
「第二組曲のこと調べようとしてたんだよ。浅沼、おまえも見る?」
「見る見るー。そっかー。えらいな湊は。ちゃんと調べるんだ」
「ま、まあな」
さっきまで調べようとも思ってなかったのだが。無邪気にそう言う涼子に対して、鍵太郎は少し後ろめたさを感じつつ、一緒に画面を見た。
『吹奏楽のための第二組曲』。
作曲者は『木星』や『火星』などの有名な曲の入った組曲、『惑星』を作ったグスターヴ・ホルスト、とあった。
「い、意外に有名どころが出てきたな」
「『木星』って、あれ? ちゃちゃちゃーん、ちゃちゃちゃちゃーちゃちゃーん♪ ってあれ?」
「わかんねえよそれじゃ」
歌詞がつけられて歌われたり、CMで使われたり、それ以外にもかなりの場所で使われている曲だ。
そんな人もこういう曲を作ってるんだな、と少し驚く。
イギリスに生まれたホルストは、祖国の舞曲や民謡を曲に取り入れた。そのうちの一つが、この『吹奏楽のための第二組曲』である。
四つの楽章はそれぞれ一楽章の『マーチ』、二楽章の『無言歌』、三楽章の『鍛冶屋の歌』、四楽章の『ダーガソンによる幻想曲』だ。
三楽章が『鍛冶屋』なのは、さっき優に聞いた。金属を打ち鳴らして、当時の鍛冶の様子を再現しているのだ。
他はどういうことなのか。一楽章は三曲の民謡をつなげて曲にした、とある。そのうちの一曲は鈴をつけて踊る曲だと書かれていた。
明るい曲だし、踊りの感じで吹けばいいのか。なるほど、調べてよかった、と鍵太郎は思う。
二楽章の『無言歌』は"I'll love my love"という副題がつけられてる。
楽譜に書いてあるこの意味がいまいちわからなかったのだが、ここで解説を見てようやくわかった。
『私は私の愛を愛す』――恋人に捨てられたのか、死なれたのか。これは失ったその悲しみで壊れてしまった女が、歌詞もなく口ずさむ旋律、と書いてあった。二楽章はそんな曲だったのだ。
「道理で、音が低いし暗い曲だと思ったよ……」
「途中は明るいところもあるけど」
「そこはきっと、その人の思い出なんだよ」
最後はものすごい低い音で終わるしな。先輩が吹くことになったとんでもなく低い音を思い出しながら、鍵太郎は言った。
楽しかった思い出を振り返りつつ、最後、低音に沈むように終わる、ということは。
結局その女の人は自分の壊れた世界を漂ったまま、終わっていったのかと――そんな風に思って、鍵太郎はやりきれない気持ちになった。
ひとつ深呼吸して、気持ちを切り替える。次、四楽章。鍵太郎のソロのある楽章だ。
ダーガソンによる幻想曲、とある。ダーガソンとはなんぞや、と思いつつも、このページにはその解説はなかった。代わりに、「『グリーンスリーヴス』が対旋律に使われている」とあったので、そちらを調べる。
「『グリーンスリーヴス』って、あれ? んーんんーんんんーんんー♪ ってあれ?」
「だからわかんねえだろそれじゃ」
合ってるだけに注意しづらい。
感性に頼りすぎの涼子はさて置いて、『グリーンスリーヴス』の解説を見る。
作者不詳、起源不詳。
イギリスで歌い継がれてきた、古い古い民謡だ。
歌詞の日本語訳も載っていた。
「私の愛した人はなんて残酷な人」「傍にいられるだけで、幸せでした」――
それを見て、鍵太郎は自分の好きな人のことを連想した。
「……なんだろうな。昔から、人間の考えることって一緒だな」
鍵太郎はボソリと言った。どうしても自分の置かれている状況と関連付けて考えてしまう。
残酷なくらい優しい、大好きな先輩。
傍にいられるだけで、幸せでした――。
これに、壊れてしまった女の姿が重なった。『私は私の愛を愛す』――そうやって現実を受け入れられず、歌にならない旋律を口ずさむ。
そこで、楽器の傍で座り込む自分の姿が――。
「……湊? どしたの?」
「――あ」
涼子に声をかけられて、鍵太郎は我に返った。
「なんでもない」
そう言って、首を振る。
自分で自分の想像に同調しすぎて、恐ろしい未来予想図が浮かんできてしまった。
大丈夫だ。今回のソロはちゃんと練習している。歌にならないなんてことはない。
自分は、この壊れた女とは違う。
ちゃんと前を向いて、進んでいこうとしている。
学校祭まで、あと一か月だ。時間はある。それまでに、できる限りのことをやるのだ。
そして、先輩に自分の気持ちを伝えるのだ。
そうだ。大丈夫だ。
「うむ。よし」
改めて、声に出して言う。それで、自分の中の負のイメージを拭い去る。
大体のことは調べ終わった。携帯をしまいながら、鍵太郎は苦笑した。
「……しかし、思ったより暗い話だったな、この曲の解説」
駆け足で調べたので、こんなことになったのかもしれないが。
隣では涼子が、「勉強になったなあー」と全然そうは見えないことを言っていた。
参考になったのなら、彼女と一緒に見てよかった。そう思っていると、涼子はあっけらかんと言う。
「ま、きれいな曲だし、きれいにやろうか」
「おまえほんとに、今の解説見てたのか!?」
「見てたよー。難しかったけど」
「あのなあ……」
まったく。相変わらず、このアホの子はしょうがない。
そう思ってまた苦笑したそのとき、当の鍵太郎の思い人、
「湊くん! 模試で二十番以内に入りました! これで学校祭出られますよ!」
「ほんとですか!?」
さすが先輩だ。ほぼ確定と言われてはいたが、万が一ということもあった。だから美里の言葉を聞いて、鍵太郎は心底ほっとした。
先輩も相当嬉しいのだろう。涙ぐみながら走ってきて――段差につまずいてひっくり返る。
「ほんとです――へぶっ!?」
「ああ、やっぱり転んだっ!?」
危ないと思ったのだ。駆け寄って、いつも通りに助け起こした。
すると美里は、打った額をさすりながら言ってくる。
「よかったです! これでまだ楽器が吹けます!」
「うん。俺も、先輩とまだ一緒にいられて嬉しいです」
言ってから、自分でも、これは結構きわどいセリフだと思ったのだが。
ここまで言っても、まだ気づいてくれないんだよなあこの人。そう思いながら鍵太郎が返事を待っていると、美里はほぼ予想通りのことを言ってきた。もはや慣れすぎて、先が読めてきてしまっている。
「はい! わたしも、まだ湊くんたちと一緒にいられて嬉しいですよ!」
「……俺『たち』と、ですね。そうですね」
ハハ……はぁ。
乾いて笑ってため息をついて、あと一か月、この先輩とどう過ごすかを考える。
傍にいるだけで、幸せだけれども。
もっとちゃんと、伝えないとな――自分の愛だけを愛す壊れた女は、きっとそれができなかったのだろう。
自分は違う。
一ヶ月先には違う世界が見えているはずだ。そう思いたい。
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