第68話 思い出の角度

 コンクールで撮った写真が届いた。

 湊鍵太郎みなとけんたろうは、音楽準備室に貼り出されたその写真の一覧を見ていた。まず大きくて目につくのが、演奏後に全員で撮った集合写真だ。

 それは記念に一枚買おうと思っている。本番直後で汗をかいたときに撮ったものだ。みんなおでこがテカテカだが、それも思い出の一つだろう。

 問題は、演奏中の部員を撮った写真の方だった。

 鍵太郎は、自分が楽器を吹いているはずの写真を見る。


「湊、全然顔写ってないねえ」

「写ってねえなあ」


 同い年のトロンボーン吹き、浅沼涼子が言ったセリフに、鍵太郎はそうとしか言えなかった。

 鍵太郎の吹くチューバという楽器は、とにかくサイズが大きいのだ。

 楽器の陰に隠れて、顔はほとんど写っていない。隣で吹いていた同じ楽器の先輩も同様だ。

 楽器に足が生えているようにすら見える。角度的な問題だと思うのだが、もうちょっとこう、カメラマンの工夫はなかったものか。

 面白いから記念に一枚、と最初は思ったが、後で絶対に後悔すると思ってやめた。この足生え写真、三百五十円もするのだ。

 涼子が「これとこれと、これとー。やばい、すごい金額になっちゃった!」と叫んでいるが、彼女の後先考えない行動はいつものことなので、放っておくことにする。

 すると鍵太郎を挟んで涼子とは反対側にいる、こちらも同い年の千渡光莉せんどひかりがつぶやくのが聞こえてくる。


「豊浦先輩、パンツ見えそうなんだけど」

「……」


 鍵太郎はそれに関してのコメントは差し控えさせていただいた。言ったら言ったで、光莉に殴られそうな気がしたからだ。

 確かに、ひな壇の一番上で楽器を吹いている豊浦奏恵とようらかなえのスカート丈は短い。少し足を開いて座っているので、かなりギリギリまで写ってしまっている。

 これも角度的な問題だ。来年のコンクールはぜひ、最上段に上がる楽器の方々は角度に気を遣って……いや、気を付けてほしいと思う。

 単純にスカート丈を長くすれば済む気もするのだが。

 もうちょっとこう……カメラマンの工夫がね。うん。

 鍵太郎は自分やらその他諸々やら、肝心なものが写ってない写真は買わないことにした。写っていたら買ったのか、というのは訊くだけ野暮だ。

 集合写真一枚、と申込用紙に書き、所定の金額を入れて顧問の先生のところに持っていく。

 それを顧問の本町瑞枝ほんまちみずえに渡すときに、鍵太郎は言った。


「先生。楽器持ち帰らせてください」

「……は?」


 本町は一瞬沈黙し、驚いたように聞き返した。



###



 鍵太郎の担当するチューバという楽器は、重さが十キロある。

 それをケースに入れると、さらに全体の重量が数キロ増す。その黒くて人間が入りそうな大きさのケースは『黒い棺桶』とも揶揄される、そんな楽器だ。

 今までその重さや大きさを理由に、楽器を持って帰るのを鍵太郎は拒否し続けてきたのだが――先日、先輩から「その程度の気持ちでしか練習してないのか」と言われ、あまりに頭にきたので持って帰って練習することにしたのである。

 今度また、テスト前の部活休止期間がある。また二週間近く楽器が吹けないのは避けたい。鍵太郎はそう思って、本町に楽器の校外持ち出しを申し出たのだ。

 先生はそれを聞いて、どうしたものかなという顔をした。


「気持ちはわかったが……どこで練習するつもりだ? カラオケボックスかどっか借りるのか」

「……アテはあります」

「宝木さんちに練習場があるんだよ、せんせー」

「浅沼、おまえ……っ」


 ぼかして言ったのを涼子にあっさり暴露され、鍵太郎は彼女に非難のまなざしを向けた。

 宝木咲耶たからぎさくやの家の練習場のことは、鍵太郎としてはなるべく口外したくなかった。

 咲耶に気を遣わせるのが申し訳なかったのもある。しかしそれ以上に、あの秘密基地のような場所のことを、これ以上他の誰かに知られたくなかった。

 子どもじみた気持ちなのはわかってはいるが、それだけあの場所は、鍵太郎にとって大切なものだからだ。

 しかし涼子の方は、なぜ睨まれているのかわからないといった様子で、首をかしげている。


「だってさ。変に隠すより、言っちゃったほうがよくない?」

「そうかもしれないけど、そこはおまえ、風情ってもんがあるだろ」

「風情……湊は相変わらず、難しいことを言う」

「おまえが空気読んでないだけだろうが……」


 ともあれ、言ってしまったものはしょうがない。

 今回は涼子の言うように、隠さず言ってしまった方が本町の協力を取り付けやすいだろう。

 彼女も一応教師だ。生徒が妙なところで練習していないか、監督する義務がある。

 説明を受けた本町は、軽く何度かうなずいた。


「なるほど。防音もされてるし金もかからないし、学生にはもってこいの場所だな。そこはわかった。……で、おまえはそこまで、電車で行くんだよな?」

「電車で行きます」


 咲耶の家は、学校の近くだ。鍵太郎は電車通学なので、家から宝木家までは電車で行くしかない。

 電車内では相当目立つだろうし、自動改札は確実に通れないのもわかっている。

 しかしそれでも、持って帰る――そう主張すると、先生は降参した。


「わーった、わーったよ。おまえの心意気はわかった。ちゃんとテスト勉強するのを条件に、校外持ち出しは許してやる」

「やった!」

「せんせー、あたしも持ち帰りたーい!」

「うわあ。この生徒ども、ドカドカ自分の主張をしてきやがる」


 ドサクサまぎれに涼子も、楽器の持ち出しを許可してもらっていた。

 さっそく楽器ケースを持とうとする二人を、本町が制す。


「待て待て。練習日はいつだ」

「今度の土曜日です」


 咲耶の許可は取ってある。全員の都合もいい。

 なぜそんなことを訊くのかと思っていると、本町が肩をすくめた。


「アタシは土曜日ここにいるから、練習前にここに来て楽器持ってけ。で、終わったら返しに来い」

「え、いいんですか!?」


 それなら、大変な思いをして電車で移動しなくて済む。願ってもない申し入れに、鍵太郎は目を輝かせた。

 本町は肩を揉みながら、「ついでだよ、ついで」と言った。


「仕事溜まってんだよ。土曜日ならここに一日いるから、大丈夫だ。ただ、ここで音出しはするなよ。仮にもテスト期間なんだからな」

「ありがとう先生! 大好きです!」

「はっはっは。ほんとにおまえジゴロの才能あるんじゃねえか」

「年上は好きですが、先生くらい歳が離れるともはや犯罪の匂いがします!」

「死ね」

「ぎゃーッ!?」


 わりと本気のヤクザ蹴りを食らった。女性に歳の話は禁物だった。



###



 土曜日。鍵太郎はその黒い棺桶を引きずっていた。


「……大丈夫? 湊くん」


 咲耶が自転車を押しながら鍵太郎に訊いてきた。ケースを引きずりながら、「大丈夫」と答える。

 楽器ケースにはキャスターがついているため、重さはほとんど気にならない。

 ただし、重心が安定せず移動がしにくい。あっちへ曲がりこっちへ曲がりするケースに振り回されながら、鍵太郎はみなと歩いていた。

 駅から咲耶の家までの道はわかっているのだが、学校からの道はそういえば知らなかった。

 なのでここまで、咲耶は迎えに来てくれた。光莉もそれについてきている。

 「は、運ぶの手伝おうかと思ったのよ、悪い!?」と光莉は言っていたが、楽器の持ち手部分はひとつしかない。

 それでも彼女は手伝おうとしてくれていたのだが、かえって邪魔なので鍵太郎は気持ちだけありがたく受け取ることにした。結局光莉は運搬を手伝わず、不満げに隣を歩くだけになっている。


「もしさあ。コンクールで金賞取って県代表になってたら、どうなったのかなあ」


 先ほど楽器を持ち出すときに、コンクールの写真を見たからだろう。涼子はそう言った。


「いつだったんだろ、東関東大会って。もう終わってるのかな?」

「どうだろうな」


 鍵太郎は言った。今は秋の彼岸も過ぎた九月の末。だいぶ日差しは落ち着いてきている。風が吹けば涼しさも感じるくらいだ。

 確か先輩は、東関東大会は九月の下旬と言っていた。もう大会は終わっているのかもしれない。


「……終わってるよ、こないだの日曜日に」


 光莉が小さく、そう言った。

 あまりコンクールにいい思い出のない彼女だが、そのあたりはしっかりチェックしているらしい。


「東関東A部門は、宮園高校が銀賞。富士見ヶ丘高校も銀賞だったわ」

「ざまあみろだ」


 鍵太郎は鼻で笑って、吐き捨てた。

 自分たちの学校をさんざん馬鹿にした、宮園高校の顧問の姿が浮かぶ。

 光莉に心無い言葉を浴びせた、宮園高校の部員たちの姿が浮かぶ。

 結果がすべてと言ったあいつらは、自分の理論を自分で証明できなかった。

 なにが、全国一になるだ。

 おまえらみたいなやつが、全国一になってたまるか。

 彼らには永遠にわからないだろう。自分たちがなぜ銀賞だったのか。自分たちのなにがいけなかったのか。

 ひとつの価値観しか認められないあいつらには、永遠に――。

 そう思っていると、咲耶が言った。


「……湊くん。私、今の湊くんの笑い方、嫌いだな」

「ん……」


 実家が寺で、モラルの高い咲耶だ。

 その彼女にそう言われて、鍵太郎は自分の中の暗く燻った熱に、水をかけられたような気持ちになった。

 自転車を押しながら、咲耶は続ける。


「さすがに私も、あのときあんなに馬鹿にされたのはムカッときたよ。でも後から考えてみれば、あの人たちだって、あの人たちのやり方でがんばってたんだって思う」


 傍から見て、それがどんなにおかしなやり方でも。

 彼らは彼らで、その中でがんばってきたことに、変わりはないのだと――咲耶は言う。


「だから、そんな風に言わないでほしいな。がんばったことを嗤わないであげてほしいな。なんだか人の不幸を喜んでるみたいで――気分が悪いよ」


 普段、彼女はここまで踏み込んだことを言ってこない。

 いつも柔和な笑みを浮かべていて、人の話を聞いていることが多い。

 その咲耶がここまで言ってくるということは――その言葉のとおり、相当気分が悪くなったのだろう。

 宮園高校の彼らに謝るわけではない。

 ただ咲耶にこうまで言わせてしまったのは、確かに自分が悪いだろう。そう思って鍵太郎は「……ごめん」と小さくつぶやいた。

 それを聞いて、咲耶はいつもの笑顔に戻る。


「うん。わかってくれたならいいんだ。憎むものに会うことは、お釈迦様も苦しいことだって言ってるからね」


 私は、湊くんにそんな無明の苦しみを味わってほしくないんだよ――彼女らしい独特の言い方で、咲耶は自分の話を終えた。


「難しいことはよくわかんないけどさあ。要は来年、あたしたちもがんばって金賞取ればいいんでしょ?」


 涼子があっけらかんと言う。いつだって彼女はシンプルで、力強い。

 全員を見渡して、涼子は楽しそうに笑う。


「じゃあまず、今度の学校祭をがんばろうよ! お客さんも来るし、きっと楽しいことになるよ!」


 その真っ直ぐな姿勢に、鍵太郎は苦笑するしかなかった。


「おまえはいいよなあ。そんな単純に考えられて」

「やっほう! 褒められた!」

「褒めては、ないんだけどね……」


 いつものやり取りを経て、平常運転に戻る。

 さて、咲耶の家が見えてきた。せっかく楽器を持ち出せたのだ。

 涼子の言うとおり、がんばって練習するとしよう。あっちへ曲がりこっちへ曲がり、いまいち安定しない自分の楽器を引きずりつつも、鍵太郎はそう思った。

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