第66話 伸び悩む

 夏休みが終わって、二学期が始まった。

 部活で毎日のように音楽室に行っていたものの、それ以外の教室には入っていない。だから湊鍵太郎みなとけんたろうは、久しぶりに自分のクラスへと足を踏み入れていた。


「おー。湊、久しぶりー」


 すると同じクラスの友人である黒羽祐太くろばねゆうたがこちらに手を振ってくる。「久しぶり」と言って鍵太郎は彼のほうへと向かった。

 その途中で、ん? と違和感を覚える。

 野球部に入っている祐太は、夏休み中の練習で真っ黒に日焼けしている。

 その印象が強くて遠目ではよくわからなかったが――近付くにつれて、一学期と今の友人のわずかな違いが、鍵太郎にはわかってきた。


「……祐太、背、伸びた?」


 友人は、少しだけ身長が伸びた気がする。

 野球の練習で太陽に当たって成長したのだろうか。音楽室にこもっていた自分にはできない成長法だな、と思っていると、祐太は「ん? そうか?」と自分の手を頭の上に乗せた。

 自分では分からないものらしい。しばらくぶりに会ったからこそ、変化に気づくのだろう。

 そんな友人を前にして、なんで自分は身長が伸びないのかと鍵太郎はため息をついた。高校一年生になっても小柄なままだ。もうずっと伸びないのかと思うとさすがに憂鬱になる。

 かつては身体の小ささを武器にして戦ってきたこともあった。だがそれでもやはり、もう少しほしいなあという気持ちはあるのだ。

 特に今は、好きな人よりも背が低いという現実がある。

 同じ楽器の先輩、春日美里かすがみさとは身長170センチ。女性としてはかなり長身だ。

 だからこそあの大きな楽器をやっているということもあるのだが――それにしたって、並んで歩くのに抵抗がないわけではない。せめて同じくらいの身長はほしいとは密かに思っていた。

 肩を落としていると、祐太が言ってくる。


「まあ、まだ可能性はあるよ」

「……よく俺の考えてることがわかったな」

「長いつきあいだからなー」


 小学校からの友人である。このくらいはわかってしまうらしい。

 なので鍵太郎は遠慮なく、本音を言うことにした。


「可能性って言ったって、もうそろそろキツイんじゃないかな。いい加減そう思ってきた」

「そんなことねえよ。イチローだって高校で身長伸びたっていうじゃん」

「マジで!?」


 海外では「ジャパニーズ・ニンジャ!」とまで実況者に言わせた大野球選手である。そんな人でも小柄な時代があったのかと思うと、消えかけた希望が甦ってきた気がする。

 いったいどんな方法で身長を伸ばしたのか。その方法はなんとしても知りたい。勢い込んで祐太に訊く。


「どうやって!? どうやって身長伸ばしたんだ!?」

「食いつき方半端ねえなオイ。なんでそんな必死なんだ……。ええと、あれだ。牛乳飲んだんだと。野菜嫌いで偏食家らしいけど、身体に必要な食べ物しか食べないから伸びたとか、なんとか」

「……普通、『偏食を直してこんなに背が伸びました!』って展開じゃないのか、それ」

「普通はな。それを期待してドキュメンタリー番組みたいなのも作ったらしいんだけど、あまりの偏食っぷりに抗議が来て、あんまり放送できなかったとか。まあ、それ見て子どもが真似したら困るもんなあ、親としては」

「ていうか、自分の身体に必要な栄養素なんて、普通は自分では分からないだろう……」


 だから天才と言われるのかもしれないが。それはあまり真似できそうな方法ではない。

 自分のような普通の人間は、おとなしくちゃんとバランスの取れた食事をして、わずかな望みを繋ぐしかないのだろうか。鍵太郎は再度ため息をついて、自分の頭に手を乗せた。

 あ、でも牛乳は飲もうかな。

 購買の自動販売機にあったはずだ。そう思って鍵太郎は小銭を握る。

 おれもなんか飲むか、と祐太も立ち上がった。二人で廊下を歩いていると、祐太が言う。


「さっき教室で聞いたんだけど、今度クラスで、学校祭なにやるか決めるんだとよ」

「一年生って、なんかぱっとしない展示をやるんだっけ」

「そう。なんかぱっとしない展示」


 飲食物を扱えるのは三年生。お化け屋敷など定番ができるのは二年生。

 一年生はクラスのなにかの研究結果を貼りだしたりするような、そんなぱっとしない展示をするというのが暗黙のルールということだった。

 下級生は客側として上級生の出し物に行ってこい、という話なのだろうか。どちらにしても自分は部活のコンサートに出るので、あまりクラスのことは手伝えないだろう。

 そう祐太に言うと、「ああ、そっか」と彼はうなずいた。


「吹奏楽部はコンサートやるのか。なにやんの?」

「えーと。あまちゃんのオープニングとか。千本桜とか」

「へー。そういうのもやるんだ」


 いきなり「『吹奏楽のための第二組曲』やるから来て!」とか言っても、「お、おう……」と微妙な顔をされるのはわかりきっていたので、鍵太郎はやる曲の中でも一般的に有名なものを挙げた。

 知らない曲よりも知ってる曲。そう思って言ったのは、当たりだったようだ。

 かつて鍵太郎も、他の高校の演奏会に行くときに堅苦しく考えていたことがあった。だが今は決してそんなことはないとわかっているので、遠慮なく友人を誘える。


「真面目なのもやるけどね。見に来てよ」

「行く行くー。展示だけならクラスも暇だろうしなー」


 そんな話をしているうちに、購買部に到着した。

 自動販売機に硬貨を入れ、商品を選ぶ。


「学校祭でさ。俺ソロやるんだ」

「マジかよ。すげーな」

「ほんとは先輩にやってもらいたかったんだけど、なぜか俺に任された」

「へー。期待されてんじゃん。がんばれよ」

「うん……」


 商品がガコンと音を立てて落ちてきた。ストローを挿して、飲む。

 それを見た祐太が半眼になった。


「……オイ。おまえなに買ってんだよ」

「いちご牛乳」


 見れば分かるだろう。

 ピンク色のパックに入った飲み物が、いちご牛乳じゃなくてなんだというのだ。そう言うと、祐太は顔を引きつらせて笑い、そしてため息をついた。


「おまえ、そんなんだから背、伸びないんだよ……」

「なんだって!?」


 これじゃだめなのか。だって牛乳は入っているだろう。

 本気で驚いていると、祐太は「うん……まあ、がんばれ」と言い、肩を叩いてきた。



###



 放課後になって音楽室に行けば、こちらは見慣れた顔たちに遭遇する。

 夏休み中ずっと顔を合わせていた吹奏楽部の部員たち。彼女たちは今日も変わらず元気だった。


「あーもう、国立文系クラスはシャーペンカリカリする音しかしないっ! 吠えろ、私のホルン!」


 三年生の先輩、海道由貴かいどうゆきが受験勉強のストレス発散のため、今日も象の吠えるような音を出している。

 先輩がやっているのは学校祭でやる曲のひとつ、『アフリカン・シンフォニー』だ。

 とにかくホルンが主役の曲。学校祭の曲決めのとき、由貴がぜひにと推してきたものだった。

 この人は相変わらず、楽器を吹くことでストレス発散している。

 そのくらいできるようになりたまえよ――と彼女に言われたことが思い出された。少しは吹けるようになったとはいえ、自分はまだまだその境地まで達していない。

 自分のソロのことを考えて、鍵太郎はため息をつく。うまくやれば美里に褒めてもらえる、などと思って練習をしてきたものの、イメージ通りにできなくて最近は少し焦ってきた。

 そこだけ抜き出してやればできるようになってきたのだが、本来ならこれは十二分間吹き続けて、最後の最後にあるソロだ。通しで吹いたときに、体力と集中力がそこまでもたない。

 やる気は十分あるのだが、むしろやる気がある分成果が追いついていなくて、焦って空回りしているような印象すらある。

 いかんいかん。こんなことを考えているから余計ストレスが溜まるのだ。

 鍵太郎はそれを断ち切るため、練習を始めた。今はとにかく曲に慣れて、体力の消耗をなるべく少なくしなくては。

 そんな風にして音を出していると、たどたどしいドラムの音が聞こえてくる。

 誰だろうと思って目をやると、その音の主は打楽器の一年生、越戸ゆかりだった。

 動きは拙いが、曲はわかる。これも学校祭でやる、『ディープパープル・メドレー』だ。

 てっきり三年生の滝田聡司たきたさとしが叩くだろうと思っていた曲なので、彼女が叩くのは少々意外である。その聡司は、ゆかりの隣で叩き方を教えていた。

 学校祭が終われば、三年生は引退だ。後輩を育てるためにも、この曲は彼女に譲ったということか。

 できなくて悲しそうな顔をしているゆかりが目に入る。ドラムだって、始終ソロのようなものだ。

 がんばれー、と自分と同じような境遇にいる同い年に、鍵太郎は心の中でエールを送った。

 そんなゆかりに、聡司は声をかけている。


「まあ、やれなくてもできるとこまでやってみろよ。どーしてもダメだったら、そこだけオレが叩くから」

「うう……がんばります」

「姉、なんならわたしが……ぐわああああ!?」

「なに言ってるんですか。あなたはあなたで自分のパートの練習するんですよ!!」


 ゆかりの双子の妹、みのりが身代わりに叩こうとして、二年生の貝島優かいじまゆうに引っ張っていかれていた。

 あの双子姉妹も、なんとか個別にがんばれるようになったらしい。

 少し前はどうなることかと思ったくらいベタベタだった二人だが、いい方に向かっているようで安心した。

 さらに前方からは同じく『ディープパープル・メドレー』でソロがある、バリトンサックスの三年生、室町都むろまちみやこが練習する音が聞こえてくる。

 吹奏楽とはいえ、これはロックの曲だ。コンクールできれいに吹いていたのとは打って変わって、先輩の音はガリガリとしたいかついものだった。

 「でも、今度のテストがだめだったら学校祭出られないんだよね。湊くん、あたしが出られなかったらこのソロもお願いしていい?」――と、この曲の楽譜が配られたとき都はそう言って、こちらをからかったものだ。

 三年生は、今度の模試で学年上位にならなければ学校祭に出られない。

 こちらは冗談ではなく、本気でそうなのだ。そうでなければ十月末なんていうそんな遅くまで、受験生が楽器を吹いていられるはずがない。

 もし、海道由貴が。滝田聡司が。室町都が。

 春日美里が――いなかったら。

 学校祭で自分や他パートにかかる負担は、計り知れないくらい増えることになるだろう。


「あの……先輩」

「はい?」


 急に不安になって、鍵太郎は隣にいる美里に話しかけた。

 美里はきょとんとした様子でこちらを見ている。瞬間的な恐怖に突き動かされてつい話しかけてしまったことを少しだけ後悔して、鍵太郎は少しためらってから、思ったことを口にした。


「今度の模試……がんばって、ください」

「ああ。はい、がんばりますよ。大丈夫です」


 前にも美里は言っていた。三年生は全員学年上位に入るので、心配しなくても大丈夫だと。

 もう一度その言葉を聞けて、安心した。

 これで自分の練習ができる。鍵太郎は今度こそ本当に、練習を再開した。

 みんなそれぞれ、がんばっている。自分は自分の任されたことを、がんばればいい。そう思った。

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