第63話 少年少女戦国無双
学校祭でなにを演奏するかが決まった。
『シンフォニア・ノビリッシマ』
『あまちゃんオープニングテーマ』
『宝島』
『ディープパープル・メドレー』
『アフリカン・シンフォニー』
『吹奏楽のための第二組曲』
『千本桜』
――などなど。
ほとんど知らない曲だ。学校祭は三年生の最後の舞台でもあるため、やはり三年生のやりたい曲が優先された。
鍵太郎としてもそれでいいと思うし、彼の担当のチューバという低音楽器は、大体なにをやってもベースラインだ。こだわりはない。
先輩たちがやりたいというならいい曲だろう。そう思って、後輩たちは特になんの考えもなく賛成していた。
「ていうか、本気で千本桜やるんだ……」
「たりめーよー!」
曲名を見て半眼でつぶやく鍵太郎に、打楽器の三年生、
「ドラム叩くの! 絶対この曲オレ、ドラム叩くの!」
「あーはいはい、意外とみんな賛成してくれてよかったですね先輩」
「なんか後輩が冷たいけど、今はとにかくこの喜びを優先しよう!」
多数決の際に散々キモいと罵倒されながら、なんだかんだでみんなは票を入れてくれた。
毛嫌いされているのか慕われているのか、よくわからない聡司である。
「これでがんばれる! 休み明けテスト、学年二十位目指して! やるぞオレ、全てはミクのために!」
「そこは嘘でも、みんなのためにって言っときましょうよ」
喜びのあまり、先輩が本能のままの叫びをあげていた。
学校祭が行われるのは十月の末だ。本来なら三年生はとっくに引退している時期なのだが、吹奏楽部にだけは特例があった。
それが『夏休み明けの模試で学年二十番以上の場合、学校祭への出演を認める』というものである。
だいたいの三年生はこの条件を満たしているということだったが、それでも安穏とはしていられない。
聡司は自分自身に発破をかけるように、「やるぞー!」とガッツポーズしていた。
原動力はともかく、聡司がドラムとして参加するのとしないのとでは、戦力に大きな違いがある。若干キモいことに目をつぶれば、この先輩の実力は確かなのである。
はしゃぐ先輩に生暖かい笑みを浮かべて、鍵太郎は今度は黒板の違う面へと目を向けた。
そこには、次の部長と副部長を決める選挙の、結果が記してある。
新部長
・貝島優 15票――◎
・高久広美 10票
・今泉智恵 4票
新副部長
・関掘まやか 13票――◎
・平ヶ崎弓枝 10表
・島田初奈 6票
部員の多数決によって、来期の部長は
正式に就任するのは学校祭以降になるが、引継ぎやらもある。少しずつ新役員が表に出てくることになるだろう。
しかし鍵太郎はこの結果に、少し疑問を感じていた。
理由は、現役員と新役員のあまりの雰囲気の違いだ。現部長の
対して新部長の貝島優は、『攻撃的な小動物』とあだ名がつけられるほどの武闘派である。
今まで美里中心にのほほんとやってきたのが、次は正反対とも言うべき優にバトンタッチするのだ。それは果たしていかがなものかと思うのだが。
鍵太郎の脳裏に、惜しくも部長就任を逃した高久広美のコメントが甦る。
「部長? あー、別にやりたいわけじゃないし。特に悔しくは思ってないけど」
「うん、先輩らしいスーダラサラリーマンみたいなコメント、ありがとうございます」
「やってらんないよねー。あたしは目立たず騒がず、日陰でアイスコーヒーをすすっていたい人間なのにさ」
「高校二年にして退廃的すぎます、先輩」
「ふふふ、まあ冗談はともかくとして、かなり攻撃的な布陣になったね。うちの学年のタカ派の二大巨頭がワンツーとは。コンクールの銀賞が、みんなよっぽど悔しかったんだね」
「タカ派……?」
そこで鍵太郎は首をかしげた。優がそうなのはわかるのだが、フルートのまやかはその楽器の通り、繊細で清楚な雰囲気の先輩である。
あまり話したことはないが、その姿はタカ派というイメージからはほど遠い。
「女子の見た目に騙されるなんて、まだまだ湊っちは子どもだなあ――おっと、怒らない怒らない。ええと、まやかはね、というかフルート女子はね、見た目はああでも中身は相当強いもんなんだよ」
「はあ……そんなもんですか」
「そんなもんだよ。初心者で入部してあそこまで腕を上げてるだけでも、相当な努力家であることはわかると思うけど――その努力は、彼女の怒り……なのかな、その辺がバネになってるだろうからね。あたしとしては、優の理解者兼ストッパーとして、まやかの活躍を期待する」
「怒り……?」
「まあ、色々あったんだよ。フルートに三年生がいないのは、そのせいでね――まあ、これはいずれ話してあげようか。じゃーねー湊っち、またお盆明けにー。あたしはスタバの夏の限定コーヒーで一杯やるのだー」
――と、そんな会話を交わしているだけに、なにかが起こりそうな気がするのだ。
フルートパートに以前なにがあったのかは、気になる。しかし広美はああ言っていたことだし、そのうち話してくれるだろう。
出世に興味のないカフェイン中毒の先輩は、コンクールの個人的打ち上げと称して、高校生にはちょっとお高めのコーヒーを飲みに行ってしまった。
そんな人だからこそ、鍵太郎も実は広美に一票を投じたのだが――大勢は、優に傾いた。
次のコンクールこそは、金賞を取ってやる。
そんな部員たちの悔しさが、厳しい二人を役員に押し上げたのだ。
まあ、多数決でこうなってしまった以上、一年生としてはうなずかざるを得ない。鍵太郎は結果を見上げ、首をかしげながらも斜めにうなずいた。
明日から、吹奏楽部はお盆休みだ。
今日決めた学校祭の曲の楽譜は、これからの手配になる。練習したくても楽譜がない。
「おまえらそろそろ宿題やれ」と顧問の先生が言ったのもあって、朝から晩まで楽器を吹いていた日々はいったんお休みになり、再開は盆明けの八月下旬になる。
「練習……したいなあ」
鍵太郎はぽつりとつぶやいた。
吹奏楽部では『一日練習をサボると三日後れをとる』という話がまことしやかに囁かれている。
それをまるっきり信じているわけでもないが、これだけ休みが長いと、いざ練習が再開したときに下手になっていそうな気がするのだ。
そしてこれからこの部がタカ派に傾くというのであれば、なおさら練習はしておきたい。優の鬼軍曹っぷりは他の楽器の人間にも知れ渡っている。
すると鍵太郎のそのつぶやきを聞きつけ、聡司が言った。
「おまえ、あのデカい楽器持って帰る気かよ」
「うん。それを言われると学校から駅に行く途中で、行き倒れそうな気がしてきました」
鍵太郎の担当するチューバという楽器は、本体だけで重さ十キロ、ケースを含めるとさらに何キロか加算される重量級楽器だ。
この真夏の炎天下でそれを運ぶのは、足に鉄球を括りつけられて砂漠を歩くに等しい。
「気持ちはわかるけどなー。楽譜もないんだから、練習ったって基礎練だけだろ? たぶんすぐ飽きるぞ。死にそうな思いして楽器持って帰ってそれじゃ、いくらなんでも割に合わないだろ。おとなしく今は休んどけよ」
「うーん……そうなんですけどねー」
「だろ? 家で一人じゃ張り合いもないだろうし」
「それも大きいですよねー……」
今回はテスト前のときのように、
咲耶の家は、寺だ。盆の前後は来客も多くて騒がしくするわけにもいかないということで、今回は本当に申し訳ないが、と言われてしまった。
そんなわけで、今回は楽器を吹き始めて初めての長期休みになる。
不承不承うなずく鍵太郎を見て、聡司は苦笑した。
「練習できない分、ネットとかで決まった曲とか聞いとけよ。いざ楽譜配られてから、だいぶ違うぞ」
「ですね。そうします」
原曲を聞く聞かないでだいぶ違うのは、老人ホームでの演奏のときによくわかった。
せめてそのくらいはしておこうと、鍵太郎は携帯で決まった曲を撮る。
「じゃあな湊、また盆明けに」
「はい、先輩も勉強がんばってください」
「うむ。断頭台を飛び降りるか」
「光線銃で打ち抜いていいですか?」
いつものように軽いやり取りをして、聡司と別れた。
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「……暇だな」
自室にて、鍵太郎はつぶやいた。
ここ最近は大勢に囲まれていることが多かったので、こうもいきなり一人になると、なにか淡い寂寥感を覚える。
静か過ぎる。
音が欲しい。
耳を震わせるものが欲しくて、鍵太郎はインターネットで曲を探すことにした。聡司に言われたように、今回の曲の参考音源を探す。
「『吹奏楽のための第二組曲』……あった」
自分と同じ楽器の先輩、美里がやりたいと言っていた曲が見つかった。再生ボタンを押す。
「……ん?」
なんだか、いきなり低音から始まった。
一瞬だけ戸惑ったが、そこからは普通に真面目な感じの曲になる。
どうやら楽章がいくつかに分かれているらしい。ああ、組曲って言ってるもんねそうだよね、と今さら気づきながら、鍵太郎はぼんやりと聞き進めた。
音楽室で聞き慣れた音の重なりが、落ち着く。
うん、先輩が好きな曲っていうのもわかるな、と思う。
穏やかさと美しさと、暗さと明るさを感じる。
美里らしい優しさを感じる。楽譜ももらってないので自分の楽器がなにをやっているのか、なんとなくしかわからないが――
「あ、ほんとだ。低音の旋律がある」
結構細かい動きだ。美里は確かに、自分たちにもメロディーがあると言っていた。
へー、と思っていると、ぐっと楽器の本数が減る。
「……なんだこれ。フルートと……チューバは、一人でやってんのか、二人でやってんのか……」
最高音と最低音だけが戯れるようにして進んでいき、最後は全員で音を出して終わった。
「先輩は、これがやりたいのかな?」
最後の部分はひょっとしたら、ソロかもしれない。
三年生の美里の、最後の舞台だ。先輩もやり切りたいのだろう。
チューバのソロかあ、ほんとにあるんだなあ、と鍵太郎は暢気にそう考えた。
実は先輩は、このソロを後輩にやらせようとしているのだが――鍵太郎はまだ、そのことを知らない。
断頭台に知らず知らずのうちに上がっているのは自分であると自覚しないまま、鍵太郎は他の曲を検索し始めた。
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