第46話 価値に気づく
「最近さー。うちのゆみちょんが元気ないんだよねー」
彼女が話しかけているのは、鍵太郎の隣にいる先輩だ。
しかしこの距離だとさすがに聞こえてしまうもので、鍵太郎は先輩の声をなんとはなしに聞いていた。
「理由を聞いても、なんでもないって言うしさー。けど相変わらず元気ないしさー。なんなんだろうね? 言いたいことあるならはっきり言ってくれた方がいいのに」
奏恵が言っているのは、トランペットの二年生、
黒縁メガネに色白な肌。これでおさげでもしていれば図書委員といった外見の先輩で、吹奏楽の花形といわれるあの楽器を吹いているにしては、ものすごい地味な人だった。
初めてトランペットを吹いている場面を見たときは、ギャップがありすぎて驚いたものだ。
すると鍵太郎と同じ楽器の先輩、
「ゆみちゃんは、かなちゃんとは正反対のタイプですからね。相談はしづらいんじゃないでしょうか」
「そうかなー」
あっけらかんとした奏恵は、確かにあまり相談相手といった感じではない。彼女はテンションの高さで周りを鼓舞することは得意でも、こういった繊細な作業は苦手なようだ。
「よかったらわたし、代わりにゆみちゃんに訊いてみましょうか? なにか悩んでることがあるのかって」
美里が奏恵に提案する。さすが先輩、困っている人がいれば迷わず手を差し伸べる。そんなあなたの優しさが大好きです! と鍵太郎は心の中だけで叫んだ。そして願わくば、そんな優しさがもっと自分だけに向いてくれないかなあ、とも思ったりする。
胸中でそんな葛藤をしている後輩をよそに、奏恵はうなずいた。
「うん。お願いできるかな? あの子が元気なくてセカンドの音がちっちゃいと、あたしも困るんだ」
奏恵はトランペットの一番、ファーストを担当している。
花形の楽器に相応しく、メロディーやソロも多い、とても目立つポジションだ。
派手で華やかで、それだけでいいんじゃないかと鍵太郎が口を挟むと――奏恵は首を横に振った。
「湊くん。それは違うよ。セカンドはねえ、ゆみちょんのためにあるようなものなんだよ」
###
駅のホームの端っこに、弓枝の姿が見える。
鍵太郎はその様子を、物陰から伺っていた。実は鍵太郎、あの先輩と同じ路線で通学しているのだ。
普段彼女は電車の中で黙々と本を読んでいるため、今まで話しかけたことはない。
けれども、今日は話してみる必要があった。
よし、と両拳を握って、気合いを入れる。
「先輩の手を煩わせる前に、俺がこの問題を解決するのだ」
美里が弓枝に悩みを聞いたときは、もう問題は解決している。
そんな状況を作れたら、かっこいいではないかと思ったのだ。
『ゆみちゃんゆみちゃん、最近元気ないですが、なにか悩みでもあるんですか?』
『ああ、もう大丈夫ですよ先輩。悩みなら湊くんが解決してくれました』
『えっ、ほんとですか!? 湊くんすごい! 大好き!』
とか、まあそこまで都合よくいくとは思ってないけれども――話を聞いた以上は放っておけないという気持ちもある。
何はともあれ、まずは弓枝と話してみなければ始まらない。鍵太郎は物陰から出て、先輩に近づいた。
弓枝の制服のスカートは長く、黒縁メガネ。体格は華奢で、ホームの隅で本を読んでいる様は完全に文学少女だ。
「あの、先輩」
話しかけると彼女はぴくりと反応して、本から顔を上げる。
「湊くん……おつかれさま」
「ええと。おつかれさまです」
「なにか用? さっきからわたしのこと見てたみたいだけど」
「え?」
結構遠くから見ていたはずなのに、なんでわかったのか。
しかも彼女は、ずっと本に目を落としていたのに。
「わたし、周りを常に索敵して、変な人がいないかどうか確認してるんだよ」
「あんたシマウマですか」
サバンナを生きる草食動物みたいな技能に、鍵太郎は思わず突っ込んだ。異様に視野が広い。
しかし、今回は別に取って食おうというわけではないのだ。敵意がないことを証明するため、弓枝に言う。
「いや、今日の合奏で先輩が元気なかったから、どうしたのかなーと思って」
嘘は言っていない。弓枝が元気がないのは間違いがない。それを奏恵に聞いたとは言っていないだけで。
「……」
そこで弓枝はぱたんと本を閉じて、自分のバックにしまった。ちょうど電車も来たので、二人で乗り込む。
空いている席があったので、並んで座る。
しばらくガタゴトと揺られた。
どう切り込もうかと悩んでいると、弓枝が先に口を開く。
「ねえ、湊くん」
「はい」
「わたしが派手にイメージチェンジしたら、どう思う?」
「は?」
「今までと真逆に」
「ええと……」
言われて鍵太郎は考えた。
つまり今の、図書委員ルックの逆ということか。
「……ギャルとか?」
派手にケバケバしく化粧とか盛って?
スカートは短くて、携帯のストラップをじゃらじゃらさせて?
「ちーっす。マジたるいんすけどー」とか言って音楽室に入ってくる、そんな弓枝?
隣の黒縁メガネの真面目そうな先輩を見て、鍵太郎はぶんぶんと首を振った。自分で想像しておいて、ものすごい拒否反応が出た。
「いやいやいや。ダメでしょそれ。先輩のその格好、もはや女子高生としては絶滅危惧種レベルですよ。というか似合わない。絶対に似合わない。物静かで清楚というのは全男子にとって憧れの的――」
「電車内ではお静かに」
ぺちこんと本で頭を叩かれて、鍵太郎は正気に戻った。
「はっ……俺は、なにを?」
「愚にもつかない戯言を壊れたように垂れ流してた」
「意外とキツいこと言いますね……」
「戯言ついでにひとつ」
弓枝はためらうように一拍置いて、続ける。
「この地味はわたしの個性で、そのままでいいっていうのは、どうなんだろう」
「え?」
「わたし自身は、自分をそんな風に評価していない。普通の人は、自分のことをそうは思わない。例えば湊くんは、自分が小柄でかわいいって言われて、嬉しい?」
「……いや」
もう少し身長は欲しかった。どうしても周りと比べてしまう。
他の人から見たら気にすることでもないのに、自分だけがすごく嫌がっている。
弓枝の地味な部分も、そういうものだ。
そして奏恵のようなのが隣にいたら、どうしても自分の脇役加減を思い知らされてしまう。
「地味で目立たない自分を変えたくて、花形のトランペットやり始めた。けど、駄目だった。変わらなかった」
「先輩……」
「地味なわたしは音も地味で、先輩みたいな『らしい』音も出ない。
奏恵という、トランペットの派手さを体現したような人物に、弓枝の悩みは理解できない。
なら、相談しないのも当然だ。
そして鍵太郎と同じ一年生の光莉は、吹奏楽の強豪中学出身である。
飛びぬけて上手い。個人の技量だけで言えば先輩の弓枝よりも、上かもしれない。
らしくもなく、後輩にも抜かれ。
弓枝は自分の存在意義を見失ってしまった。
でも。
鍵太郎は彼女の知らないことを教えてもらった。
奏恵と美里。二人の先輩に。
「……豊浦先輩、言ってましたよ。先輩は、すごいセカンド吹きだって」
花形だ王様だと言われているトランペットだって、パート全員がそうだったら崩壊してしまう。
王様は、一人で十分なのだと。
傲慢でもなんでもなく――向いていることを、やっているだけだと。
「セカンドは、トランペットをチームとしたときの要だって。音量と和音を決めるのは
シマウマのような視野の広さ。
隣に合わせられる冷静さ。
それは、決して目立つような能力ではないかもしれないけれど――派手な人間が集まりがちなトランペットの中で、彼女の存在は貴重で。
あの子がいなきゃやっていけないとまで、王様に言わせる。
華々しいのは王様だけれども、それを支えているのは有能な大臣。
「セカンドは去年自分もやってたけど、先輩みたいにうまくはできなかったって。すごいうらやましいって、豊浦先輩言ってました」
「……あの人、そんなこと言ってたんだ」
結局人間、ないものねだり。
どこかが欠けてて、うらやましくて。
それでもなにかやりたくて、不完全を持ち寄り。
仲間を作る。
「そう、なんだ……」
嫌で嫌で、正直他の人に代わってもらいたいくらいなのに。
でも結局残った武器は、自分の中の、変えられないもの。
「自分の持ってるものを否定しないでください」
望んでいないものだったとしても、それは自分の一部だ。
どんなに嫌いでも、疎ましくても――結局、捨てることはできない。
「自分の価値に気づいてくださいよ。それは先輩しか持っていない、大切なものなんですから」
かつて自分が美里に言われたことを、鍵太郎は無意識にそこで口にしていた。
自分が決めた枠から外れたら向いてないなんて、勝手に決め付けて捨ててしまうには。
あまりに弓枝は、価値がありすぎた。
黒縁メガネの地味な先輩は――そんな後輩の言葉に、ふっと笑う。
「それは、湊くんが小柄なことにも、価値があるってことだと思うよ」
「む」
そう来るか。反論できない鍵太郎に、さらに弓枝は追い討ちをかける。
「自分のことを棚に上げて先輩相手にお説教とは、きみも偉くなったものだね」
「先輩、結構毒舌ですよね……」
「なるほど、これがギャップ萌えというやつか」
「違う……こんな外見の人が、そんな尖ったナイフ持ってたら困る……」
「嘘だよ。愚にもつかない戯言に、戯言で返しただけだよ」
「そうだったらいいんですが」
弓枝は、鍵太郎の頭を叩いた本で顔を隠した。
「でも、そうだね」
人に目に付かないところにこそ、その真価を発揮するセカンド吹きは。
口元だけで、笑っていた。
「こんなわたしにも価値があると言ってもらえるのは――嬉しいことだね」
それを見て、鍵太郎も微笑んだ。
美里の好感度を上げるためなんてこととは関係なく――弓枝の悩みが解決して、よかったと思う。
「さて、降りなきゃ」
降りる駅が近いらしい。先輩は本をカバンにしまって、立ち上がる。
「ありがとう。湊くん。少し楽になった」
「いえいえ」
これで美里の手を煩わせることはないだろう。先輩はどんな反応をしてくれるかなあと、鍵太郎が暢気に考えていると――
弓枝がぽつりと言う。
「でも、じゃあ――きみの価値はなに?」
「え?」
「きみはまだ見習いでしかない。きみは、春日先輩の後継者候補?」
「後継者……候補」
今の楽器を任されたとき、顧問の先生にもそう言われた。「春日美里の後継者になれ」と。
「だったらその意味と価値を、きみはもっと、知ったほうがいい」
「――え?」
「じゃあね。おつかれさま」
そう言って、先輩は電車を降りていく。
扉が、重い音を立てて閉まった。
「なん……なんだ」
呆然とそうつぶやく鍵太郎を乗せて、電車は再び動き出していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます