第45話 線路は続くよどこまでも

 ドン、と大太鼓バスドラムの音がした。

 それがほんのわずかに、いつもとは違う気がして――湊鍵太郎みなとけんたろうは音がした方を向いた。

 大太鼓の横に立っているのは打楽器の双子の片割れ、越戸ゆかり――だろう、たぶん。

 双子の妹、みのりと見分けがつかないので断定はできない。

 けれども、今やっている曲で大太鼓を任されているのは、ゆかりのはずだった。

 だからおそらく、彼女はゆかりのはずで――でも、音がいつもと違うように感じるのだ。

 ひょっとして。ひょっとしてだが。

 あの二人、入れ替わってるんじゃないかと鍵太郎は思った。



###



 でも、入れ替わっているとしたら――いったい、なんのために?


「ええっと……越戸姉」

「ゆかりだよー」

「越戸妹」

「みのりだよー」

「おまえら、ほんとそっくりだよな」


 外見から喋り方から、本当に同じだ。左右ステレオでくるくる動くため、錯覚を疑いたくなる。


「そっくりだよ! 双子だもん」

「似てるはずだよ! 双子だもん」


 鍵太郎は少し、この二人が苦手だった。

 この二人は、二人だけでしゃべって、二人だけで会話が成立してしまう感がある。

 そんなつもりはないのだろうが、なんだか相手にされていない気がするのだ。

 それなら一人一人は、どういう考えを持っているのか――そこに、入れ替わりの理由がある気がした。

 なんとかこの姉妹、一度切り離せないものか。そう思って鍵太郎は、二人に質問してみることにする。


「もしさ、おまえらがプリンを食べたいけど、それが一個しかなかったとしたら、取り合いになったりするのか」

「しないよー」

「子どもじゃあるまいしー」

「うぐ」


 子どもという単語に少し傷つく。最近好きな人から、子ども扱いされたばかりなのだ。

 やぶへびだった。質問を変える。


「じゃあ例えばさ、もし、もしだよ。二人で同じ人を好きになったら、取り合いになるのか?」

「えー?」

「うーん」


 姉妹は顔を見合わせ、考え込む。よし、ここで少し連携を崩せればと――


「しょうがないから、二人で一緒にかな」

「しょうがないから、3ぴ……」

「わかったお願いだからそれ以上言うな」


 つながりが異様に強固だった。この姉妹の異常な考え方を暴露されただけだった。

 はあ、と一息つく。その中には若干の呆れが混じっている。


「おまえらさ、一人一人でなんか別のことやろうとか思わないの?」

「別にー」

「特にー」


 気のない返事。二人だけで世界が完結している。他の人間など、いなかった。いらなかった。

 それはそれで満たされていて――でも、この二人はそれでいいのかな、とも思う。

 合奏では三十人もの人間が一緒に合わせるのに、この二人だけは独特だ。

 広がっている景色の中で、この二人だけが『閉じて』いる。

 円を描いた二本のレールのように、同じところをずっと回り続けているように見える。

 刻まれるビートが進んでいかないようなその事態は、鍵太郎たち低音楽器にとって、あまり歓迎すべき状態ではなかった。

 打楽器と低音は、同じリズムを刻むときが多いはずなのに。

 これでは、一緒に歩けない。

 そんな自分とは合わないリズムの二人へ、鍵太郎は問いかける。


「今はさ、一人で別のことやってるじゃないか。ゆかりが大太鼓バスドラ、みのりがシンバル?」

「そうだね」

「そうだよ」

「いつも二人でいるのに、叩いてるときは一人で、不安になったりしないのか?」


 例えば、少し前に老人ホームで演奏をやったときだ。

 ゆかりはあのとき、緊張からか練習よりだいぶ早く叩いていた。それが他楽器の暴走を誘発し、あやうく本番で演奏がバラバラになりかけた。

 個々になってしまうと――一本のレールでは、うまく走れない。


「不安……」

「違うよ!」


 初めて、二人の連携に亀裂ができた。

 うつむく片方と、反論した片方。

 これはどっちが――どっちなのか。


「打楽器は、チームワークが大切なんだよ。足りないところを補い合って、みんなで叩くから不安なんてないんだよ!」


 珍しく長いセリフで、これもどちらなのかわからないが――

 でも鍵太郎には、二人に言いたいことがあった。


「だから、やる楽器入れ替わってやってたのか」

「――なんのこと?」

「できないからって入れ替わってできるようになりました、じゃ、本当の解決にはならないって話だよ」


 しゃべっていて段々イライラしながら、鍵太郎はそう言った。

 なぜだろう。この二人を見ていると、イライラする。

 できない理由からわざと目を背けて、できるように練習しない――この間の自分を見せられているようで、苦々しい気持ちにさせられるからだろうか。

 チームワークが大切?

 足りないところを――できないところを、補い合う?

 人に代わってもらって?

 じゃあ、なんで自分は。


「じゃあなんで俺は練習してるんだよ。一番見られたくない人に、ぜんっぜんできてないところを見られて、それでもがんばってるのに」


 同じ楽器の先輩にいいところを見せたかったのに、それはあえなく失敗した。

 できないのを認めて、できるように練習するほうがかっこいいのですよ――と、逆に諭された。

 すごいかっこわるかった。恥ずかしくて死にたくなった。

 けど、それを受け止めてまた、がんばろうと思ったのだ。

 でも、こいつらはどうだ。

 入れ替わる?

 できていればそれでいい?

 なんだよそれ。ふざけんなよ。

 あの恥ずかしいのは、なんだったんだよ――八つ当たり気味に、そう思う。


「代わりなんていねえんだよ。かっこわるくてもできなくても、自分でやるしかねえんだよ。そうじゃなきゃ認めてもらえねんだよ。誰にも、届かねえんだよ」


 そのやり方は、ずるい。

 閉じきって誰にも届かない世界の中だけで、成立するチートだ。

 そんなのは、虚しい。

 鍵太郎は自分の前にいる、双子を見た。

 ひとりは、不安そうにうつむいている。

 ひとりは、それを守るように鍵太郎の前に立ちふさがっている。

 どっちが、どっちなのか。

 はっきりさせたい。

 おまえらにも逃げ場なんてないんだよと、言ってやりたい。

 外の世界で一緒にがんばるしかないんだよと、言ってやりたい。


「なあ、おまえはいったいどっちなんだ? ゆかりなのか? みのりなのか?」

「どっちでもいいでしょ」

「よくねえんだよ」


 楽器を叩くのは、いつだって一人だ。

 一人で、孤独で、だから一緒に刻んでいくのに――この二人は、混ざり合いすぎている。

 ああ、そうか。と、この二人に苛立つ原因を、ようやくここで鍵太郎は理解した。

 全然できていない自分は、今、先輩にそれを補ってもらっている。

 この二人の関係を見ていると、先輩とのその関係を見せられているようで――そしてそれをよしとしている自分を見せつけられているようで、我慢ならないのだ。

 だからこの二人を放っておけなかった。

 余計なおせっかいでも、鍵太郎は口にする。


「おまえら二人は別々のもんだよ。一緒に見えたって、ちょっとずつ音が違う」


 鍵太郎が気づいた、ほんの少しの音の違い。

 どっちがどうなのかはわからないけれど、『なにか』が違った。

 二人だけの世界にある、かすかな違和感が聞こえた。

 幸せな世界の中で軋みをあげる、二人が無視している音が聞こえた。

 違っている。

 けど、それは間違いなんかじゃない。


「それでいいんだよ。違ってていいのに――なんで、おまえらは一緒でいようとするんだよ」

「怖いんだよ」


 うつむいたほうの片割れが言う。


「ずっと、二人でやってきたよ。同じものをやって、同じとこに行って――今さら違うって言われたって、もう、どうしていいかわからないよ」


 ゆかりだ。

 初めて、はっきりと個別に認識できた。

 ようやくわかった。

 この不安そうにうつむいているのは、ゆかりだ。

 どっちに行ったらいいのか、ひとりだけの本番でわからなくて――さ迷って暴走した、姉の方だ。

 ジェットコースターのように制御が利かなくなったあのときの恐怖が、よりいっそう、中にいることを望んでしまった。

 一度外の世界を知って、余計に怖くなったのか――入れ替わった。

 二人でいることを実感したくて、相手と楽器を交換した。

 そして大切なことに気づこうともせず、二人だけで楽しく世界は回る。

 異物はいらない。進化もいらない。

 だってここは、二人だけで十分なのだから。


「違う」


 閉じたレール。

 二人だけの、どこにも行けない世界。

 それは、優しくて、楽しくて。

 そして――歪だ。

 いつか破綻する。脱線する。

 そうなる前に、鍵太郎は線路を切り替える。

 一緒に歩いていくために。


「そんなに怖くない。無様で、かっこわるくて、ゆっくり進んでくしかないのかもしれないけど――一緒に行けば、そんなに怖くなんて、ない」

「……ほんとに?」

「うん」


 打楽器と低音楽器は同属だ。一緒にリズムを刻んで、同じ速度で進んでいける。

 少しやることが違っていたって、重なり合う部分がある。

 違っていたって――一緒にできる。


「俺だって今はできない。けど、がんばってる。だから、大丈夫だ」

「そうかな」

「そうだよ」

「いいのかな……?」


 ゆかりは、不安そうにみのりを見た。

 みのりは唇をかんで、悔しそうに言う。


「……ぬう。なにやら姉がわたし以外の人といちゃついている」

「いちゃついてねえよ」


 自分がいちゃつきたいのは、同じ楽器の先輩の方なのに。

 そのあたりのことになると、たまにタガがはずれそうになって、変なことを考えてしま――ああ、まずいまずい。ちょっと今本音が出そうになった。


「ずるい。ゆかりといちゃいちゃしていいのは、わたしだけなのに」

「だからいちゃいちゃなんてしてねえっつの」

「だったらわたしもそれに加わる」

「は?」

「一緒に面倒見てほしいなあ」


 みのりの目配せに、ゆかりが応じた。


「どっちか片方だけなんて、そんなの、おかしいなあ」

「ちょ、ちょっと待て二人とも」


 連携が復活した。しかも、今までよりなんだか性質が悪くなったように見える。

 別々に、個別に、それぞれ意思を持って――こちらに絡んでくる。

 刻むビート。繰り返されるリズム。

 それらは閉じられた世界を抜けて、確かにこちらに向かってきていた。

 それがわかったので――鍵太郎はそこで、ため息をついてうなずく。


「……わかったよ。打楽器と低音は一蓮托生だ。とことんまで付き合うしかないんだ」

「やった!」

「一緒一緒!」


 なんなんだろう。二人は小躍りして鍵太郎の周りをくるくる回る。

 そんな二人へ、鍵太郎は約束を取り付けようとした。


「だからもう、入れ替わったりしないな?」

「なんのこと?」

「入れ替わったりなんて、してないよ?」

「は!?」


 待て。じゃあ今までの流れはなんだったんだ。

 自分が逆ギレしてこの二人に説教した、ちょっと恥ずかしい出来事は、なんだったんだ。


「気のせいじゃない?」

「錯覚じゃない?」

「嘘だろ、おい……」


 前回に引き続き、今回もすさまじくかっこわるい。

 なんなのだ。一人で熱くなって。こんなの、ただの道化じゃないか。

 赤くなった顔を押さえてうずくまる鍵太郎を囲んで、二人は言う。


「どっちがどっちかなんて、どうでもよくない?」

「わたしたち二人で、一つだよ」


 二人で、一つの方向へ。

 線路は続くよ、どこまでも。

 立ち直れずにいる鍵太郎に、二人は呼びかけた。


「ねえねえ、こっち見て」

「ねえねえ、顔あげて」

「なんだよ……」


 言われて顔を上げれば、同じ二つの顔が、こちらを覗き込んでいた。



『さて、どっちが、どっちでしょう』



「わかるか!」


 全力で突っ込むと、姉妹は笑った。


「はははー。まだまだ私たちに対する理解が浅いなー」

「こうなればとことん、わたしたちに付き合ってもらうしかないなー」

「すげー疲れそう……」


 想像するだけで疲れてくる。そんな鍵太郎へと、二人はさらに畳み掛ける。


「ついてきてもらうよ?」

「いっぺんに相手してもらうよ?」

「勘弁してくれ……」


 二人で織り成す複雑なリズムに、果たして自分はついていけるだろうか。

 今現在、既についていけてないのだが。この先一体どうなってしまうのか、想像もつかない。

 けれど――確実に二人は、外を向いた。

 恐れていた外の世界へ、踏み出してくれた。

 だったら今は、それだけでいいと思う。

 これからどうなるか、わからないけれど――約束したのだ。一緒に歩いていこう。

 閉じた線路は、切り替えられた。

 テンポもリズムもまだ合わないが、それでも一緒に、歩いてく。

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