第40話 光る原石

「……ん?」


 湊鍵太郎みなとけんたろうが学校の廊下を歩いていると、見かけない人物が校外を歩いているのが見えた。

 あの方角なら、駅から歩いてきたのだろうか。

 少し背の高い男性が細長いなにかを背負って、てくてくと歩いている。

 まだ遠くにいるその姿を、しかしどこかで見かけたような気がして――それは、どこだったけと鍵太郎は記憶を探った。

 男性は三十代前半といったところで、白いシャツに黒いズボンを履いている。そのままネクタイをして上着を着れば、外回り中の営業マンとい言ってもいいだろう。

 だが男性の纏う雰囲気は、サラリーマンと言うには妙に緩やかだ。

 こんな平日の昼間から、のんびりと散歩を楽しむかのように歩いているというのも少々おかしい。

 そして男性が背負う荷物。右肩に掛けている、通勤バックにしては大きい、長方形の箱。

 布製のカバーがかけられていて、大きさは――こういう言い方は誤解を招きそうだが、分解されたライフル銃でも入っていそうだった。

 少し世間から浮いた雰囲気。

 中身のわからない荷物。

 誰だったか。その姿がだんだん近付いてきて、男性のかけている丸メガネが、少し曲がっているのが見えた。

 それに鍵太郎の記憶が閃く。「え?」と思わず声が漏れた。

 だってそうだ。あのときとは、まるで格好が違っている。

 テスト前にファミリーレストランで会ったとき、あの人はボサボサの髪に無精ヒゲ、ヨレヨレのシャツで鍵太郎の前に現れた。

 顧問の先生に、今度はちゃんとした格好で来いと怒られていた。

 ちゃんとしてきた結果が、これだと?


「ええぇぇぇー?」


 鍵太郎は驚きの声をあげた。確かにあのとき、ちゃんとすればかっこいい人なんだろうなあとは思ったが――まさか、これほど変わるとは思わなかった。

 あれはもう、別人だ。

 そして今日から自分の先生になるその男性は、そのまま学校の正面玄関に入っていく。鍵太郎もそちらへ向った。

 あれは、城山匠しろやまたくみだ。

 サラリーマンでも、ライフルを持った不審者でもない。

 子どもみたいな心を残して大人になった――音楽の先生だ。

 鍵太郎が正面玄関に着くと、城山は受付で質問を受けていた。

 彼が学校に来るのは、今日が初めてだ。最近は学校も不審者には気をつけている。ノーチェックというわけにはいかない。

「その荷物、なんですか?」という事務員のおばちゃんの質問に、城山は答える。


「楽器です。中をお見せしたほうがいいですか?」

「一応ね」


 城山が背負っている荷物を下ろして、蓋を開けた。中には金色に輝く細長い楽器、トロンボーンが収まっている。

 物珍しげにそれを見て、受付のおばちゃんはうなずいた。そして、城山に紙を差し出す。


「はい、じゃあこれに名前と、学校に来た目的を書いて」

「わかりました」

「ところであんた、いい男だね」

「きょ、恐縮です……」

「連絡先を書く欄もあるからね。忘れないで書いておくれよ」

「は、はは……」


 なにやら先生が熟女に絡まれている。乾いた笑いを浮かべて受付用紙に書き込みをする城山へと、鍵太郎は話しかけた。


「城山先生、ですよね?」

「ん?」


 城山は鍵太郎の方を向き、「ああ、きみはこの間の」と言った。やはりそうだ。


「今日から僕が、きみたちのお手伝いをするよ。よろしくね」

「はい。よろしくお願いします」


 城山が書き込みを終えて、受付に用紙を出す。彼との会話が途切れたことで、受付のおばちゃんににらまれたように感じたのは気のせいだと思いたい。


「えーと、音楽室はどこだろう?」

「案内します」


 もとより、そのつもりで鍵太郎は城山のところにやって来たのだ。二人で歩き出す。

 きょろきょろと校舎内を見回しながら、城山は言う。


「吹奏楽部はどう? 楽しい?」

「楽しいです」


 そこは、文句なく即答できる。鍵太郎は三階の音楽室へと階段を上りながら、続けた。


「俺、高校入ってから楽器吹き始めたんです。今まで知らなかったいろんなことが知れて、いろんな人に会えて、楽しいです」


 好きな人もできたので、とはさすがに言えなかったけれども――鍵太郎の返事に、城山はうんうんとうなずいていた。


「いいねえ。学生って感じだなあ。羨ましいよ」

「……先生みたいなプロの人でも、そういうこと言うんですね」


 羨ましい、とまで言われるのは意外だった。プロからしたら吹けていない学生なんて、蔑むことはあっても羨むことはないと思うのだが。

 城山は苦笑して、鍵太郎に言う。


「確かに僕はプロだけどさ。だからこそ、きみたちみたいな音はもう出せないんだ。純粋で一途で、無防備なくらい輝いている――きみたちの歳でしか出せない音だよ。大切にするといい」

「……はい」


 いまいちピンこなかったが、うなずいておく。まだまだ全然なのに、そんな風に言われるのが恥ずかしかった。

 というか、城山はまだ、ここの吹奏楽部の指揮をしたことはないはずだ。なのになぜ、そんなことが言えるのか。

 そう訊いてみると、城山は「わかるさ、きみを見ていれば」と言った。


「音っていうのは、その人そのものだからね。音を聞けばその人が、どんな人か想像がつくように、人を見ればその人が、どんな音を出すのかも想像がつく」

「……なんか恥ずかしいですね、それ」


 全部垂れ流しているようなものではないか。

 そう言うと、城山は首をかしげた。


「いいんじゃないかなあ、全部垂れ流しで」


 なにをそんなに隠す必要があるのかなあ、と先生が不思議そうに言う。その言動があまりに子どもっぽくて、どっちが年上だかわからなくなりそうだった。


「先生は、あれですね。仙人みたいな人ですね」

「おまえが言ってることは意味がわからないって、人からよく言われる」


 むしろ純粋なのはこの先生の方ではないかと、鍵太郎は思った。

 本音でしか生きていなくて、それが逆に他人から見れば訳のわからない言動に映る。

 この先生がどんな指揮を振って、どんな音を出すのか。

 今日からまた楽しみが一つ増えたと思ったときに、ちょうど音楽室に到着した。



###



「誰ですかッ!?」


 吹奏楽部部長の春日美里かすがみさとは、音楽準備室に入って城山を見るなりそう叫んだ。

 それを見て、額を押さえながら顧問の本町瑞枝ほんまちみずえがフォローする。


「あー。信じられないかもしれんが、この残念イケメンは城山匠だ」

「誰が残念イケメンですか」


 自覚のない城山が抗議する。それに冷たい眼差しを向けて、本町は言い放つ。


「てめーだよボケ」

「僕だって、好きでこんな顔に生まれたんじゃないのに」

「それをうちの男子生徒の前で言ってみろ。三階の音楽室ここから投げ落とされるぞ」


 音大の先輩後輩だという二人は、漫才のような会話を繰り広げている。あまりのショックに本町と城山の顔を交互に見ていた美里は、しばらくしてはっと我に返った。


「あ、ええと。今日からご指導のほど、よろしくお願い致します」

「こちらこそ。指導なんて偉そうなもんじゃないけど、きみたちと一緒にできるのは嬉しいな」

「はあ」


 戸惑いの声をあげる美里に、本町が言う。


「音楽やってるやつなんて、大なり小なり変なやつだ。こいつは極大の変なやつだが、だんだん慣れてくるから安心していい」

「人のことを、なんて形容してるんですか……」

「はあ。わかりました」

「部長さんにまで納得されたよ!?」


 泣き崩れる城山をよそに、顧問と部長の連絡は続いた。


「じゃあ準備ができたら呼びに来てくれ。こっちはこっちで打ち合わせをしとく」

「わかりました」


 退出する美里を見送って、本町は改めて城山に言う。


「たく……いや、城山先生よ。うちの生徒たちを、よろしく頼む」

「せんぱ……いや、本町先生。頼まれました」


 けど、と城山は言う。


「あくまで主体は生徒さんですよ。僕は指揮者として前に立ちますが、それだけです。最初にお話をいただいたように、そういう教え方でいいんですよね?」

「ああ。それでいい」

「眩しいなあ」


 音楽室から部員たちの音が聞こえる。それを聞きながら、城山が言った。

 ふと油断すると出てくる、彼独特の言い回し。

 それを苦笑しながら、本町は聞いていた。


「みんなダイヤの原石みたいだ。僕が磨くなんてとんでもない。それは自分自身で、好きなように磨けばいいんです」


 若いんだよなあ、と大人たちは笑う。


「石が割れてしまってもいい。不恰好になってもいい。それは自分で気づいて、自分で磨くべきなんだ」


 あれやこれやと教えるより、かえって厳しいその指導方法を、大人たちは選択した。

 隣の部屋から飛んでくる眩しい輝きに、城山は目を細める。



###



「城山先生の言ってたのって、先輩の言う『たからもの』と同じですよね」


 鍵太郎は、隣で同じ楽器を吹く美里にそう言った。

 先輩は「そうですね」と笑う。


「音はその人そのもの、ですか。同じような考えを持っている方がプロにもいらっしゃって、嬉しいです」

「そのときに先生にも言ったんですけど、今から考えるとちょっと恥ずかしいですよね、これって」


 全部垂れ流し、だ。

 自分がどういう性格で、どういうものが好きで。そういったものが、全部丸見えになっている。

 そこまで細かく読み取れるのは、彼がプロだからというのもあるだろうけど――でも、それだって。

 それは口に出してないだけで、他人の目の前で、絶叫しているようなものではないか。

 自分は隣にいるこの先輩が好きですと、音の聞こえる範囲全員に吹聴しているようなものではないか。

 するとその当の先輩は、言う。


「恥ずかしいことはないのですよ」

「……」


 本人にそう言われて、鍵太郎は複雑な気持ちになった。

 そんな後輩の気持ちには気づかないまま、「城山先生の言いたいことは、なんとなくわかります」と、美里は言う。


「下手に隠して繕って吹くよりも、純粋な気持ちを込めて吹いたほうが、人には伝わる、ということでしょう。お客さんや自分以外の他人には、そうでもしないと伝わらないものです」

「……伝わらない」


 下手に隠すより。

 気持ちを込めたほうが伝わる。


「……伝わる」


 肝心なこの思いだけが伝わらないのは。

 まだ自分が、全然吹けていないからなのか。

 はっきり言わなければ――伝わらないというのか。


「……やっぱり、恥ずかしいです」

「シャイですねえ」


 うふふ、と美里が笑う。なんだろう、この二重に恥ずかしい感じは。

 なにをそんなに隠す必要があるのかなあ、という先ほどの城山の言葉が甦る。いや、だって、言えないでしょうこれ。と心の中で言い訳をする。

 こんなヘタクソが言ったところで。

 いつもみたいに、弟扱いされて終わりです。


「でも、がんばります」


 認めてもらいたかったから。恥ずかしくても、そう宣言するしかない。


「はい、まずは城山先生の初合奏、がんばりましょう!」

「はい」


 あの先生には、今日の合奏でばれてしまうのだろうか。それが少し不安だ。

 どうしても音に自分が出てしまうというならば、音は出しつつも、本音はこっそり忍ばせるくらいにしておこう。


「……好きですよ」


 誰にも聞こえないようにそう言って、鍵太郎は音出しを再開した。

 純粋で、一途で、無防備なくらい輝いている――眩しい原石を抱えていると、自分は気づかないままに。


 その石は割れるのか、輝くのか。

 大人たちは厳しいことに、それを自分の手で磨かせようとしている。

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