第4幕 他所の学校は、何してる?

第30話 演奏会に行こう!

みなとくん、一緒に演奏会に行きませんか?」


 四月も終わるそんな時期。

 湊鍵太郎みなとけんたろうは、吹奏楽部の先輩である春日美里かすがみさとにそう言われた。

 彼女は同じ楽器の、三年生だ。少し垂れ気味の目をして長い髪を下ろした、優しいお姉さんといった雰囲気の先輩である。

 実際その通りの優しい人で、鍵太郎に音楽について丁寧に教えてくれている。

 若干天然ボケのきらいはあるが、それはご愛嬌というやつだろう。出会い方と入部の仕方に多少のハプニングがあったとはいえ、彼女は全く気にした様子もない。

 そうだ、あのときは俺が悪かった、と、思い出してどきりとする。そのときに間近で嗅いだ美里の匂いまで思い出してしまって、赤くなった顔を隠すために、鍵太郎は差し出されたチラシを覗き込んだ。


「『富士見が丘高校 第38回定期演奏会』……?」

「はい。他の高校の吹奏楽部の、演奏会です」


 さらにチラシを詳しく見る。日付は5/3(日)。午後1時開場、1時半開演と書いてあった。

 場所はこの川連第二高校から電車で何駅か離れた、二つ隣の市だ。


「富士見が丘高校の吹奏楽部さんは、この県でもかなりハイレベルなところです。他の学校の演奏を聴くのは、いい勉強になりますよ」


 部長も務める美里は、もちろん吹奏楽について熱心に勉強している。鍵太郎もCDを何枚か貸してもらって、通学の合間に聞いていた。

 でも、それはあくまでCDだ。生の演奏会は行ったことがない。


「演奏会の招待状が、部に届いたんですよ。これはいい機会ですので、湊くんもぜひ聴きに行くことをお勧めします」

「なるほどー……」


 中学まで野球少年だった鍵太郎にとって、ホールに行ってわざわざ演奏を聴くというのはなんだか、気取っていて恥ずかしいという思いもあるのだが――美里がこんなに熱心に勧めてくるのだ。行って得することはあっても、損することはないだろう。


「先生がどうも都合が悪いそうで、部長のわたしがお付き合いも兼ねて行くことになりました。ぜひ一緒に湊くんも……」

「行きます」


 食い気味に、鍵太郎は答えた。それは、あれでないか。先輩と一緒に出かけられるということではないか。

 学校の外で、私服の美里と、公然と、二人きりで、一緒にいられるということで――

 美里は鍵太郎の胸の内を知らず、「よかった!」と手を合わせた。


「ぜひ行きましょう! で!」

「……みんなで」


 陰鬱に、つぶやく。ええ、薄々そんなオチのような気はしてましたよ。ええ……。

 やさぐれた気持ちでそう思う鍵太郎の隣で、美里は嬉しそうに笑っている。

 川連第二高校吹奏楽部は、今日も平常運転だった。



###



「……おまえ、その格好なに?」


 演奏会当日、待ち合わせ場所に現れた同い年の千渡光莉せんどひかりに、鍵太郎はそう尋ねた。

 光莉はショートパンツにシャツという、ボーイッシュな格好がよく似合っている。それはいいのだが、彼女は謎なサングラスをかけ、謎のニット帽を被っていた。


「へ、変装よ! 変装!」


 光莉が慌てた調子で答えてくる。どこに変装する必要があるのかは分からないが、アイドルの変装だってもう少しなにかあるだろう。

 こんな格好では、逆に目立つのではないか。そう思っていると、彼女は不自然なほど周囲を気にして言ってくる。


「富士見が丘高校の演奏会ともなれば、私がいた中学校の連中も、絶対に何人か聞きに来るわ。そいつらに顔を見られるわけにはいかないの」

「あー……なるほど」


 理由は納得がいった。光莉は中学の頃、本番のソロを失敗して県代表を逃している。そしてそれを未だに、他の部員に許されていないのだという。

 そんな状況でもし元部員と鉢合わせたら、どんなことになるか。彼女はそれを恐れて、こんな格好をしてきたのだ。

 いや、それにしても、これは。


「千渡……せめて、サングラスは外しとけよ。余計目立つぞ……」

「そ、そう?」


 言われて素直にサングラスを外す光莉。帽子だけならまあ、そこまで目立たないだろう。たぶん。

 そんなことをしていると、美里が全員を見渡して言った。


「はーい、そろそろ時間になります。パートで来てない人はいませんか? 確認してください」


 結局、かなりの数の部員がここに集まってきている。パートリーダーがそれぞれ、自分のパートの人数を確認する。


「せんぱーい。永田先輩が来てませーん」


 トロンボーン二年の島田初奈しまだはつなが美里に告げた。それを聞いた三年生たちが渋い顔になる。


「りくちゃん……またですか……」

「あの子本当にマイペースよね……」


 トロンボーン三年の永田陸ながたりくは、鍵太郎が初めて会ったときからかなりマイペースな人だった。集団行動においてもそれは同じらしい。

 美里は慣れた様子で電話をかけ、陸と連絡を取った。すぐに通話が終わる。


「『先に行っててくれ』だ、そうです……。電車の時間もありますので、わたしたちは先に会場へ向かうことにしましょう」

「示しがつかない……」


 三年生の何人かが頭を抱えていた。団体行動が尊重される吹奏楽部において、先輩が遅刻するというのは本来あってはならないことだ。

 比較的そういった雰囲気がゆるい川連第二高校吹奏楽部でも、さすがに歓迎はされない。微妙な空気の中で、「と、とりあえず行きましょうか」と美里が誘導を開始する。

 目的の駅までの切符を買って、電車に乗る。吹奏楽部は女性ばかりなので、電車の中が一気にかしましくなった。

 一年生の女子たちと一緒にいてもよかったのだが、目的地までずっとというのは少々疲れる。なので鍵太郎は自分以外では唯一の男子部員、三年生の滝田聡司たきたさとしのところに向かった。

 聡司も聡司で、少し居心地悪そうに三年女子の近くに立っている。


「おう、湊。やっぱりこっち来たか」

「はい。さすがに、ずっと女子ばっかのところにいるのもちょっと……」

「校外だと余計な。部活内なら、まだいいんだけどよ」


 聡司はぐるりと電車の中を見渡して、声をひそめた。


「こんだけ女子ばっかだと、なにも知らないやつらから変な目で見られるんだよな。ひどいやつなんかは明らかに『リア充死ね!』みたいな殺気を送ってくるし」

「思い知れ……この居心地の悪さを」

「悔しかったら吹奏楽部入ってみろってんだ。オレたちは歓迎するぞ、新たな盟友を!」


 そんな愚痴をひとしきり言い合って、学年を超えた盟友たちはがっしりと握手を交わした。近くで一部の女子部員たちが二人を見てなにやらヒソヒソと囁いているのだが、なぜかは分からない。男子部員同士が仲良くしていて、なにが悪いというのだ。


「……まあ、それはともかく。滝田先輩は、富士見が丘高校の演奏会に行ったことがあるんですか?」


 鍵太郎にはそもそも、演奏会というものがどういうものか想像がつかない。

 最悪二時間ほど座りっぱなしで小難しい曲を聞き続ける、なんて苦行も想定している。

 どうにも堅苦しいイメージがつきまとってしまうのだが、聡司は「去年行った」とうなずいた。


「演奏自体もすげえもんだし、パフォーマンスもすげえな。踊るわ配るわ歌うわ喋るわ。同じ年頃のやつらでもこんなにすげえことができるんだって、正直感動したもんだ」

「へー……」


 聡司の話を聞いてみると、鍵太郎の考えているよりずっと砕けて親しみやすいもののようだ。


「規模がでかすぎて参考にならないところもあるけど、とにかく新鮮だと思う。まあ、湊はこういうの初めてだろうから、とりあえずあれだ――楽しんでこいよ。勉強とかそういうんじゃなくて」


 それでいいらしい。「わかりました」とうなずいて、どんなものなのか、期待に胸を膨らませる。

 部員たちを乗せた電車は着々と、目的地に向かって進んでいった。



###



 駅から少し歩いたところに、会場であるホールはある。


「うわー。もう並んでる」


 開場前だというのに、既に入場口は長蛇の列だった。美里が各楽器のパートリーダーにチケットを配り、みんなで最後尾に並ぶ。

 鍵太郎がチケットを何気なく見ると、そこには前売り券五百円、当日券八百円と書かれていた。


「全然考えてなかったんですけど、これって有料だったんですね」

「このホールを借りるのに、すごいお金がかかりますからねえ」


 チケットを配るのにパート別に集まったため、鍵太郎の前には美里がいる。ロングスカートがよく似合っていて、待ち合わせ場所でぼーっと見とれていたのは彼だけの秘密だ。


「ホール代だけではないですね。演出で使う照明や小道具は別料金ですし、チケットやプログラムの印刷代もかかります。富士見が丘高校さんは公立校ですから、そこまで学校からの援助もないでしょうし……それがそのぶん、チケット代になってくるんでしょう」


 なにやら大変な話だ。なにかをやろうとすると、お金ってかかるんだなあ……と、ついこの間まで中学生だった鍵太郎は思った。


「逆に言えば、チケット代を払ってでも聴く価値があるということです」


 列を見渡せば、鍵太郎たちのような学生だけでなく、大人たちの姿もかなり見える。参考として来るだけでなく、演奏会自体を楽しみに来ている人たちだ。


「ここのホールは、千人以上の人が入ります。高校生が部活でこれだけのお客さんを集めるなんて、すごいと思いませんか?」

「いや、ほんと……すごいですね」


 このあいだ鍵太郎たちが老人ホームで演奏したときは、観客はせいぜい三十人といったところだった。

 比べるものでもないとわかっているのだが、やはり桁が二つも違うと、それそのものが実力差に思えてくる。

 学生だけでここまで人を集める演奏というのは、どういうものなのか。チケットを強く持って、鍵太郎は開場を待った。


「実は、わたしの中学の友達がここの吹奏楽部に入っているんです。それもあって今回は、個人的に楽しみでもあります」

「あ、そうなんですか」


 美里と同い年ということは、三年生だ。これが最後の演奏会だろう。

 かつて一緒に苦労をしたという友人の、華々しい舞台だ。美里はそれを、応援している。


「ちなみに、先輩の友達はどの楽器をやってるんですか?」

「コントラバスです」

「コントラ……?」


 人数の少ない川連第二高校吹奏楽部には、ない楽器だ。鍵太郎は首を傾げると、美里は説明してくれた。「弦バスです。バイオリンの低音楽器版ですね」ということだった。


「弾く人がいないだけで、うちの部にも一台ありますよ。わたしも少しはわかるので、今度遊びで弾いてみましょうか。他の楽器を演奏するのも、いい勉強になりますよ」

「やってみます」


 鍵太郎と美里がやっているのは、金管の低音楽器、チューバだ。コントラバスはその隣で同じく、弦楽器として低音をやっているらしい。


「弦バスがいるといないとでは、チューバの響きはだいぶ変わりますよ。かなり楽にもなりますし、頼れる存在です」

「へえ……」

「なんなんですかね、管楽器には出せない弦の響きというか。合奏でも、『そこは弦バスっぽく』とよく言われます」

「やったことない楽器っぽくと言われても、よくわからないですね」

「そうなんです。なので中学生の頃、実際にその子に教わって弾かせてもらったりしました。懐かしいなあ、その人はかなり上手かったので、ここに入ったんですけど――」


 ふふ、と楽しそうに笑う美里を見ていると、少し心がざわつくものがある。

 何気なさを装って、鍵太郎は美里に訊いてみた。


「……その人、男の人ですか?」

「いえ? 女の子ですよ?」


 中学校の吹奏楽部は、高校より女子の比率が多いですよねえ、とのんびりと先輩は笑った。その返事にほっとして、ひとつ息を吐く。

 そろそろ、会場が開いたようだ。少しずつ進む列の流れに乗って、鍵太郎たちは動き出した。

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