第2幕 はじめての本番に向けて
第16話 部員を集めろ、もっと、もっとだ!
新入生が入ってきて、どの楽器をやるかだんだん決まってきたくらいの時期だ。
初心者であったり経験者であったり、経歴は様々なれど――新入部員たちは先輩たちに導かれ、徐々にこの部活に馴染みつつある。
そんな中で、エアポケットのようにぽつりと、誰も入部希望のないパートがあった。
意外なことに――そこはトランペットパートだった。
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「なんで!? どうして!? どうしてうちだけ、誰も希望者がいないのぉぉぉっ!?」
放課後の音楽室。
部員達が楽器を出し始める中で、トランペット担当の三年生、
部長の
トランペットは吹奏楽の花形というべき存在である。普通だったら黙っていても希望者が来るところだ。
奏恵は楽器紹介もちゃんとやったし、テンションは高いが当たりがきついわけでもない。
しかしなぜか、新入部員はそれ以外の楽器に行ってしまい――現在、トランペットの新入部員は、ゼロである。
奏恵でなくても危機的状況と言えた。普通の曲でも、トランペットは最低三人は必要だ。しかし今トランペットは、三年生と二年生が一人ずつ、合計二人しかいない。
「困りましたねえ……。今年は十人と、なかなか豊作の年なのですが、なかなかバランスが」
「クラリネットなんで三人もいるの? 二人でいいじゃん!? 一人わけてよー」
「そうもいかないんですよねー」
新入部員の振り分けは、基本は希望に沿って行われる。
鍵太郎のような初心者は、向いてそうな楽器に振られることになるが、今年はだいたい希望通りになった方だ。
顧問の本町に言われて美里も見たが――クラリネットは三人中二人が経験者で、一人は初心者だが楽器持ちという、動かしがたい布陣だった。これはこれで確定だ。
ちなみにクラリネットの楽器持ちというのは、鍵太郎が初日に会った
なぜ初心者なのに楽器を持っているかというと、「歳の離れた兄の、おさがりなんです」ということだった。兄がやっている姿を見て、咲耶もいつかやってみたいと思っていたらしい。
トロンボーンに入った浅沼涼子も、その長身を生かして楽器を吹き始めていた。トロンボーンで一番手を伸ばさなければならないポジション、通称7ポジに楽に手が届くため、彼女もこれで固定となる。
パーカッションに入った双子の越戸姉妹も、あれはもう二人でセットのようなもので、片割れだけトランペットに移すというのは考えにくい。
他も他で、それぞれ希望の楽器を吹き始めている。
ならばもう少し、誰か来てくれないものかと――美里や本町は頭を悩ませていた。
「じゃああれだよ。美里のとこの湊くん、うちに譲ってよー」
「だ、だめです!!」
奏恵の提案を、美里は全力で拒絶した。隣にいた鍵太郎を、力の限りぎゅうううううっと抱きしめる。
鍵太郎は驚いて美里の腕の中でジタバタしているが、美里はよりいっそう力を込めて離さなかった。
「湊くんは、初めてできたわたしの後輩です! ぜったい、誰にも、渡しません!!」
「先輩、苦しい……」
思いっきり顔が胸に当たっている。
顔を真っ赤にして振りほどこうとするが、吹奏楽部の女子というのは重い楽器を日頃から持ち運んでいるため、やたら力が強い。
鍵太郎の友人でなくとも、もげろと言いたくなるような状況だ。しかし当人にとってみれば恥ずかしい以外の何物でもなく――頬に当たる柔らかい感触から、必死に逃げようとしていた。
「だいたい、ホルンがだめだったから
「ぐはっ!?」
痛いところを美里に突かれて、鍵太郎は叫び声をあげた。ホルンに挫折したという事実は変わらないので、まったくもって反論できない。そして奏恵は「ああ、そっかー」と、納得してほしくないところで納得していた。嘘でもいいから、それでもうちに来いと言ってほしかった。
「そうだよねー。あの音汚かったよねー。ないわー。湊くんは、やっぱりチューバかあ。がんばってねー」
「ええ、がんばりますよ、がんばりますよチクショウめ!?」
初めてホルンで出した音を全否定されて、鍵太郎は泣きたい気持ちで叫ぶ。あれはあれでがんばっていたのだが、人間には、向き不向きというものがあるのだ。
「はいはいおまえら、始める前に連絡があるぞ、座れー」
そんなやり取りをしていると、顧問の
みなが話を聞く姿勢になったのを確認して、本町は説明を始める。
「さて、今月末に、毎年恒例の依頼演奏がある。学校の近くの老人ホームだ。演歌とか、時代劇の曲とか、じいさんばあさんが喜ぶ曲を何曲か、そこで演奏する」
へえ、そんなことも吹奏楽部はやってるんだ――と鍵太郎は先生の話を聞いていた。いわゆるボランティア、慰問演奏というやつだ。
東日本大震災直後はわりと頻繁に行われていたというそれを、まさか自分がやることになるとは。
「本番まで時間がないから、初心者で始めたやつは楽器吹かなくてもいいぞ。楽器運びだけ手伝ってくれれば。初心者がいるパートは、参加不参加の意向を聞いて、アタシのところに言ってくれ。
じゃ、パートリーダーは楽譜配るから、どっちにしろアタシのところまで来い。以上だ。今日も張り切って練習しろよ、おまえら!」
はーい、と素直に返事をする部員たち。本町のこの乱暴な口調にも、だいぶ慣れてきた。
うっし、と腕を組んでうなずいた本町が、音楽準備室へ引っ込む。その後を追うように、三年生のパートリーダーの何人かが準備室へと入っていく。
「湊くん、どうしますか? 正味、あと二週間くらいしか練習期間はありませんので、無理にとは言いませんが……」
美里が訊いてきた。鍵太郎の意思は決まっている。もちろん、参加だ。
「やります。少しでも経験を積んで、うまくなりたいんです」
「そうこなくては!」
美里が嬉しそうに手を合わせ、音楽準備室に向かっていった。
まだちゃんとした音も出ないが、できるところまでがんばろう。
楽器だけ運んで、本番を横から見ているなんて嫌だ。そう、先生の言うとおり、今日も張り切って練習だ。
鍵太郎はマウスピースを吹いて、ウォームアップを始めた。昨日知ったのだが、これはバズィングというらしい。
一日一日、新しいことを覚えていって、とても楽しい。美里は優しいし、少しずつ周りにも溶け込んできた。
相変わらず一年生の男子は一人で、どうもこれで確定のような雰囲気だけど――まあ、なんとかなるだろう。そう思えるだけの日々が、最近は続いていた。
中学生最後のときの、暗い気持ちとは全然違う。
やはり自分は、なにかに打ち込むことが好きなのだな――と思ったとき。
治ったはずの右足が、ずきりと痛んだ。
そう簡単にはいくか――と、鍵太郎の不安を煽るように。
――一生懸命、頑張る?
また同じ過ちを、繰り返すつもりか?
それをやった結果、おまえになにが残った?
傷ついた足と、友人への嫉妬、それから、壊れた――
「――湊くん?」
声をかけられて、鍵太郎ははっと我に返った。
見れば、美里がもう戻ってきている。楽譜らしき紙束を抱えて、彼女はこちらを心配そうに覗き込んでいた。
「どうか、しましたか?」
「あ、いえ……」
無意識に右足を押さえていた。少し汗もかいている。そんな鍵太郎を気遣って、美里は「ほんとに、大丈夫ですか?」と重ねて訊いてきた。
大丈夫ですよ、と言って、鍵太郎は先輩を安心させるために笑ってみせる。足の痛みもいつの間にか消えていた。
「俺、中三のときに足を怪我したって言いましたっけ?」
「あ、はい。それで野球部に入らずに、こちらに来たんですよね?」
「そうです。もう治ってるはずなんだけど、たまに痛いときがあって。今なんか、ちょっとズキッときたんです。それだけです」
「そう、ですか……」
不思議な怪我も、あるものですね、と美里はつぶやいた。一応納得はしてくれたようで、心配そうな顔をしつつもそこでこの話を終わりにしてくれる。
そして彼女は抱えている楽譜を半分に分けて、片方を鍵太郎に差し出してきた。
「はい。これが今度、老人ホームで演奏する曲です」
受け取って見てみると、やはり行く場所が場所だけあって、演歌、童謡、時代劇、と今時の高校生とは縁の薄いもののオンパレードだった。
ただ実は湊鍵太郎、この中の一つだけはよく知っている。
「水戸黄門とか暴れん坊将軍とか、今の高校生にわかるんですかね?」
時代劇メドレー、と書かれた楽譜には、他にも銭形平次が入っている。現在再放送か衛星放送ぐらいしかやっていない番組の曲を、高校生が吹けるものなのだろうか。
「ていうか湊くんも、今時の高校生なんですが……」
美里が困ったように笑って言ってきた。しかし一応、詳しいのには理由がある。鍵太郎はそれを口にした。
「俺、入院してたとき、同じ病室のおじいちゃんとよく時代劇を見てたんですよ」
「あ、なるほど」
「そのときにいろいろ昔の時代劇も教えてくれました。まあその前から好きだったんですけど」
「湊くん……野球やら時代劇やら、若いわりに趣味が渋すぎませんか?」
「いいものは、時代を超えていいんですよ」
「うう、いつもかわいい湊くんが、なんか今すごい怖い顔をしました……」
先輩が泣きそうな顔で後ずさる。まあそれはともかくとして、時代劇は曲がわかるので、自分にとってはとっつきやすいだろう。
童謡のジャンルも、赤とんぼやら、ふるさとやら、昔音楽の授業でやったような曲が並んでいる。
問題はほとんどわからない、演歌だが――まあ、とりあえずやれるだけやってみよう。
「しかし……やはり、トランペットが二人というのは厳しいですね。確か配られた曲の中でも、ソロが何回かあったと思いました」
美里がトランペットパートを見ながらそう言った。そちらでは奏恵と二年生のメガネをかけた女子生徒が、譜面を見ながら話し合っている。
「かなちゃんががんばりすぎて、無理しなければいいのですが……」
美里はさっきから、心配そうな顔ばかりだ。
なんだかこの人は、他人のことに気を遣ってばかりだなあ――と鍵太郎は苦笑した。だからこそ、自分ががんばって心配をかけないようにしなくては、と思うのだが。
しかし――トランペット?
「あ」
そこでふと、鍵太郎の脳裏にある人物の姿がよぎる。
そういえばクラスメイトのあの子は、中学のときにトランペットをやっていたと言っていた。
そう――彼女をこの部活に、引っ張ってくればいいのだ。
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