第9話 彼と彼女の事情
「で、入部しちまったわけだ」
先輩と、太鼓の達人で遊んだ翌日。
鍵太郎はきのう彼と別れてからなにがあったかを、ひととおり説明していた。
拾った楽譜を返すために戻ったものの――そこで不慮の事故があり、そのまま強制入部となったということ。
「入部しちゃったんだよ」
「早えなー」
半分呆れたように、もう半分はおかしそうに、祐太は言った。
見学して即日の入部である。あの事故については彼には詳しくは説明していないため、そう言われるのも無理はない。
だって、仕方がなかったのだ。
あんな恥ずかしい事件、昔からの友人にも話したくはない。なのでその辺りは「まあ、なりゆきで」と曖昧に説明しておいた。嘘はついていないからいいだろう。
「すげえなー。そしてあんなに慌てて走ってったのに、肝心の楽譜を返し忘れてるってのもまた、すげえなー」
「言わないでくれ……」
鍵太郎は額を押さえた。楽譜のことはあの騒動のせいで、すっかり忘れてしまっていた。
返し忘れたそれは、今も鞄の中に拾ったときのまま入っている。今日の放課後に正式に入部届を出しに行くときに、一緒に返すつもりだ。
「で、打楽器のあの男の先輩と一緒に、太鼓の達人で遊んできたと。なんだ。楽しそうなことしてんじゃねえか。おれも行けばよかったな」
「うん。楽しかった」
鍵太郎を除けば唯一の吹奏楽部の男子、打楽器担当の
そして、全力を出すことの楽しさも。
「それから帰って、おやっさんおっかさんから入部の許可も得たと。突然吹奏楽部に入りたいって言って、驚かなかったか?」
「いや、特に」
昨日の夜、帰宅した鍵太郎は両親に吹奏楽部に入りたいと申し出た。月数千円とはいえ部費が発生するので、そこは言っておかねばならない。
両親はあまり驚かず、ただ楽器を買わなければいけないのかということは心配なようだった。その必要はないとわかると、二人ともすぐに入部を許可してくれた。
足を怪我して野球を辞めて以来、どこか暗い顔をしていた息子が、久しぶりになにかやりたいと言ってきたのだ。親としては嬉しかったのだろう。姉はまあ――大爆笑してたけど。
「そっか。よかったな」
祐太はそう言って笑う。彼もまた、鍵太郎が足を壊したところを間近で見ている。それからの、塞ぎ込んでいた頃のことも。
だからこそ、友人が祝福してくれたことが鍵太郎は嬉しかった。
しかし――続いて祐太が言ってきた言葉に、鍵太郎は凍りつく。
「ていうかさ。成り行きでって言ってたけど、なんかあったのか? いくらなんでも一人で音楽室行って、そのまま入部することにはならないと思うんだけど」
「……あ、あははははは」
――言えない。
冷や汗をダラダラと流しながら思う。
いくら長い付き合いの友人とはいえ――音楽室の前で転びそうになったところを、顔面が部長の
そしてその場面をさらに先輩の
しかし乾いた笑いをあげる鍵太郎になにかを感じたのか、祐太は「んんー?」と不審そうに顔を近づけてくる。
「なーんか、怪しいなあ。なに隠してんだ?」
「いい、いやあ、なにも?」
「そうかー?」
まずい。完全に怪しまれている。
あんなギャルゲーみたいなことがあったなんて、言った途端に笑いものだ。かたくなに目を逸らし続ける鍵太郎をさらに追求しようと、祐太が口を開きかけると――
「あ、湊くん。きのうの吹奏楽部の見学、どうだった?」
横から、同じクラスの女子生徒に話しかけられた。ベリーショートの黒髪。
「楽しかったよ! それはもう、すっごく楽しかったよ!?」
渡りに船とばかりに、鍵太郎は光莉の問いかけに飛びついた。
鬼気迫る勢いで言われ、彼女は顔を引きつらせる。
「え、えっと……そう、そんなに楽しかったの?」
「そりゃあもう!? あんなステキな先輩たちと一緒に楽器を吹けるなんて、考えただけで楽しくて、俺はもう昨日のうちに入部しちゃったんだよ!?」
「あ、そうなんだ……。よ、よかったわね……」
あまりの剣幕に、光莉がドン引きしていた。
深呼吸をして落ち着いてから、鍵太郎は改めて光莉に言う。
「いや、まあ俺のことはともかく――千渡さんも、楽器やってたなら吹奏楽部入ればいいんじゃないかな。きのう行った感じじゃ、ほんとに楽しんでやってる感じだったし。経験者の千渡さんなら、もっと楽しくできると思うよ」
「……」
それを聞いた光莉は口ごもり、なにか考える仕草をした。
中学のときはトランペットを吹いていたという彼女だが、きのうの時点では吹奏楽部に入ろうかどうか、迷っていると言っていた。
なにか理由があるのか、それとも単に別のことがやりたくなったのかはわからないが――味方は多いほうがいい。
さらに勧誘を続けようとすると、彼女は考えるのをやめ、こちらに言ってくる。
「いや。まだちょっと考えるわ。じゃあね」
それだけ言うと、光莉はさっさと立ち去ってしまった。
なんだったんだろうと首を傾げると、それまで黙っていた祐太が訊いてくる。
「なんだ? 千渡さんて、楽器やってたのか?」
「やってたんだって。トランペット」
「へー……」
驚いたように、祐太が光莉の去った方を見る。光莉はクラスの自己紹介のときは、楽器をやっていたなんて一言も言ってなかったのだ。
「きのう、吹奏楽部がどんな感じか見学に行ったら教えてほしいって言われたんだ」
「なんだそりゃ? 自分で見学に行けばいいじゃん」
「まあ、高校では違うことやろうかどうか、迷ってるって言ってたから。きのうは他の部活に見学に行ったんじゃないか?」
鍵太郎がそう言うと、「……どうだかな」と祐太はぽつりとつぶやいた。
なにか自分とは違うことに気が付いたのだろうか。訊こうとすると、祐太はニヤリと笑ってこちらに向き直ってくる。
「って、誤魔化そうったってそうはいかねーぞ? おまえが珍しくあんなに焦るってことは、きのう絶対なんかあったろ?」
「ぎくっ」
話を戻された。せっかく話題を変えられたと思ったのに、今日の祐太は妙に手ごわい。
「なんだよー。なにがあったんだよー。ほらほら、言っちまえようりうりうりー」
「やめろよ!? 頬をつねんな痛い痛い痛い!」
「おまえがほんとのこと言うまでやめねえよー」
結局、数時間後に鍵太郎は全てを白状し、予想通り祐太は大爆笑した。
「おま、おまえっ、マジでそんなことやったの!? うわー、ありえねえわー。ハーレムものの主人公だわー。で、どうだったんだよ先輩の胸の感触は?」と訊かれ――
鍵太郎はとりあえず、その場で友人をぶん殴った。
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