第1幕 入部すれば、そこは変人の巣窟

第7話 変態紳士

「じゃあみなとくん。一緒に帰りましょうか」


 楽器の片づけが終わった音楽室で、吹奏楽部の部長、春日美里かすがみさと湊鍵太郎みなとけんたろうにそう言った。

 衝撃の入部から何分か。なんとなく帰りそびれ、座っているだけなのも申し訳なかったのでイスの片づけなどを手伝っていたら――結局、最後まで音楽室に居残ってしまった。

 夕焼けが差し込む音楽室。優しい微笑を浮かべながらそう誘ってくる先輩。

 部長なりの気遣いで、早く部活に慣れさせてあげようということなのだろうが、なんだかそれ以外のなにかを邪推してしまいそうになる。

 決してそんなことはないとわかっているので、思わず緩みそうになる顔を無理矢理修正して変な顔になりながら、鍵太郎は言った。


「そうですね、一緒に――」

「あー。春日、ちょっといいか」


 セリフを遮って言ってきたのは、打楽器担当の三年生、滝田聡司たきたさとしだ。

 鍵太郎を除けば唯一の男子部員で、この女の園に迷い込んでしまった鍵太郎に、同情しているようだった。

 彼はぽりぽりと頬をかきながら、申し訳なさそうに美里に言う。


「ちょっと男と男の相談をしたいんで――今日はオレにその一年、譲ってくれないか?」

「あらら。いいですよ。同性同士でないとできない話もあるでしょうし」


 気を悪くした様子もなく、美里はうなずいた。

 しかし次の瞬間、はっと顔を青ざめて、鍵太郎と聡司を交互に見る。


「ま、まさか聡司くん、女の子にモテないからって――!」

「てめえなに不吉な想像してんだ!? ていうかやっぱりか! やっぱりおまえ腐ってんのか!?」

「わ、わたしそういうの嫌いじゃない、嫌いじゃないですから!」

「なんのフォローにもなってないわ!? やめてオレ普通だから! ノーマルだから! こんなに女子に囲まれてるのに全くモテないのを悲しく思うくらいは普通だから!!」

「聡司くんキモいです」

「オレはどうすればいいんだあああああああっ!?」


 泣き崩れる聡司。それを見下ろす鍵太郎。これは自分の将来の姿かもしれない。

 戦慄したままなにも言えないでいると、美里が聡司の肩に優しく手を置いた。


「聡司くん……湊くんに、変なことしないって約束できますか……?」

「はぃ……大丈夫ですなんにもしません……」

「変なことも教えないですか……?」

「どこからが変なことかよくわかんねーけど、変なこと教えたりしません……」

「そうですか……そこまで言うなら大丈夫でしょう。あなたにこの大事な新入部員――託します」

「ううう。無駄にかっこいいセリフをありがとう……」

「いえいえ。それほどでもないです」


 謎なやり取りをして、話は決着したらしい。

 無意味にいい顔をした美里と、ぐったりと疲労した聡司。この二人に初めて会って、数時間しか経っていないものの――そのキャラの濃さは、今ので十分すぎるほどわかってしまった。

 三人で音楽室を出ていく。部長の美里が鍵をかけた。

 その鍵は職員室に返しに行くらしい。美里は鍵太郎と聡司を振り返ると、笑顔で手を振ってくる。


「じゃあまた明日です、湊くん!」

「あ……はい、ありがとうございました、先輩。また明日」

「はい! じゃあ聡司くん、湊くんをよろしくお願いしますね。貴重な男子部員ですから」

「へいへい。ていうかオレもその貴重な男子部員なんですけどね。なんだこの扱いの差」


 さよならー、とまた手を振って美里と別れる。

 その姿が職員室に消えると――残った二人はふう、と同時に一息ついた。


「なんだ、やっぱおまえも気ィ張ってたか、一年坊」

「さすがに、初日ですから……」

「だよな。それにまあ、女子ばっかだもんなあ」

「ですね……」

『はぁ……』


 きゃぴきゃぴした女子の空間では、やはりどうしても、男子は居心地悪く感じてしまうこともあるわけで。

 お互いの気苦労が滲み出るため息だった。気を取り直して、聡司が言う。


「改めて挨拶するな。パーカッションパート、パートリーダーの滝田聡司だ。この部活は今みたいに疲れることもあるけど、それ以上に楽しいところだ。歓迎する」

「あ、湊鍵太郎です。中学までずっと野球をやってたんですが、高校ではこっちに入ることにしました。楽器はやったことないんですが、よろしくお願いします」

「へー。野球か」


 珍しそうに聡司が言う。ガチガチの運動部からの文化部への転身だ。不自然なところもあるだろうが、聡司は特に、その辺りに触れようとはしなかった。


「ポジションは? どこ? 打順は?」

「一番セカンドでした。俺、小柄なんで……足の速さしか取り柄がなくて」

「いいじゃねえか。その様子じゃ、結構頑張ってたんだろ?

 誰だって役割を果たそうって頑張るやつは、いいやつだ。吹奏楽でも一緒だよ」


 だがら大丈夫だ――と、聡司は言った。照れくさかったのか、言ってすぐに、靴箱に向かって歩き出す。

 きょとんとした鍵太郎だったが、どうやら励まされたらしいとわかった。あ、この人、いい人だ――とわかり、嬉しくなって、小走りに聡司を追う。


「先輩は、なんで吹奏楽部に入ったんですか?」

「んー? なんかさ、中学のときの友達で、バンド始めたやつがいてさ。そいつがドラムやってて、かっこいいなーって思ったのが始まりかな。なんか間違えて軽音じゃなくて吹奏楽部の方に見学に行って、先輩に丸め込まれて――気付いたら二年経ってた。そんな感じ」


 鍵太郎だって似たようなものだ。きっかけなんて些細なもので、気が付いたらここにいる。そんなものなのだろう。

 上履きから靴に履き替え、学校の外に出る。鍵太郎も聡司も電車通学だ。駅まで歩く。


「まああれだ。オレが今日おまえと一緒に帰ろうとしたのは、女子の中で生き延びるための手段を教えるためだ」

「それは聞きたいですね……」

「外からはハーレムだ、女子に囲まれてうらやましいだと言われるが――中に入ってみろ。女子三十人の中で男一人とか、地獄だぞ? 黙示録だぞ? オレの意見なんてまず通らねえし、うっかり思ってること口に出してみろ。全員からフルボッコにされるぞ。キモいだのなんだの――ハーレム王なんて言ったやつ出てこいよ。奴隷王だよ奴隷王。楽器運びは男子だからってだけで重いもの持たされるし、着替えのときは廊下に蹴りだされるし、モテる気配なんていっこもねえし……」

「先輩……」


 聞いてるだけで悲しくなってくる。だいぶ溜まっているのか、話の分かりそうな鍵太郎に会って、愚痴が止まらないらしい。

 生き延びる手段を教えるとかそういうのより、むしろそっちの方が目的だったんじゃないかと思ってしまうくらいの饒舌っぷりだ。


「だから一番いいのはあれだ――女子の意見には逆らわない。それがいい」

「先輩……」


 二年かけて出した結論がそれとは。鍵太郎の未来もおそらく、そうなるのだろう。まあ自分の場合は姉がいるので、ほぼ遺伝子レベルで『女子には逆らわない』ということが染み付いているのだけれど。


「あと、もし部員の誰かで好きな子とかができても、付き合うな――とまでは言わないが、別れて部活辞めるとかはやめろよ。まわりにえらい迷惑がかかるんだ。

 そこだけは確かにハーレムじみてるんだが――全員と仲良くしろ。二番目はそれだな」

「先輩はあれですね――紳士ですね」

「紳士か。そうだな。オンラインゲームで裸に蝶ネクタイ装備で暴れまわるくらいは、紳士だな」

変態紳士オーバージェントル……ッ!?」


 だめだこの人。抑圧されすぎて変な方向に進化しつつある。

 他の女子部員にキモいキモいと言われる原因はこの辺りにありそうな気もするが、それを言ってしまうと聡司が立ち直れなくなりそうな気もしたため、鍵太郎はそっと口をつぐんだ。先輩には気を遣うべきなのだ。

 それに気付かないまま、聡司は続ける。


「だから今日の、おまえと春日の衝突事件な。ぶっちゃけて言うと少しうらやましかった。

 春日、いい感じに胸でかいもんなー。顔を埋めたくなる気持ちもわからんではないが……」

「あれは事故です事故! わざとやったら犯罪ですよ!?」

「事故でもなー。ずるいよなー。あんなギャルゲーみたいな展開」

「本気でうらやましそうにしないでください!? 実際になってみると、あんな恐怖体験二度とやりたくないですよ!?」

「まじかよー」


 そして本気で残念そうな顔をする聡司。実際にそれをやったら、たぶん彼なら通報される。

 おまわりさんこいつです――と、三十人の女性から一斉に指を指されるとか、どれだけ恐ろしい光景だろう。

 男同士ならではの会話はさておくとして、「あー、ゲームかー」と宙を見た聡司は、こちらを向いて言ってきた。


「そうだな、今日は歓迎演奏ばっかりで、ちょっと叩き足りなかったし。久しぶりに太鼓の達人でもやりに行くかな。なあ湊、ゲーセン行こう。入部祝いにおごるから」

「マジですか」


 嬉しい申し出だ。それほど時間も遅くはないし、打楽器奏者としての聡司が太鼓の達人をやる姿も見てみたい。

 そのまま二人は、駅の近くにあるゲームセンターに向かった。

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