第5話 どんな楽器をやろうかな

 打楽器担当の貝島優かいじまゆうは、ちょこちょこした動きでこちらに歩いてきた。

 なんとなく小動物を連想させる動きだ。手にはタンバリンと、なんだかよくわからない細長い金色の金属棒を、たくさん釣り下げたものを持っている。

 新入生の前まで来たところでよくわからない楽器を下ろし、彼女はタンバリンを持って一礼した。


「では、改めてパーカッションパートの紹介をします。二年の貝島優です、よろしくお願いします」 


 その仕草は先ほどまでの怒った調子ではなく、真剣そのものといった様子だった。

 他の楽器の先輩の暴挙がなければ、彼女も彼女で普通に出てきただろう。そう思って湊鍵太郎みなとけんたろうたち新入生は、優の言葉に耳を傾けることにした。

 先輩は楽器の紹介を続ける。


「えーと。打楽器、とひとくちに言っても、扱う楽器は多彩です。馴染みがあるところだと、このようにタンバリンとかですね。あとはドラムセット、カスタネット、トライアングル、マラカスなど色々あります。叩いて音を出す楽器の総称が『打楽器』です。たくさんあるので飽きませんよ」


 そして優はタンバリンを構えた。円形の木の枠と張られた皮。鈴のように鳴る金属片。お馴染みの楽器だ。

 左手で縦に持ち、右手の指先で叩く。乾いた音と、シャンシャンという音がする。


「普通はこうしますけど、場合によってはこういう叩き方もします」


 優はそう言って、はーっと右手の親指に息を吐きかけた。指先を湿らせているようだ。

 そしてその指をタンバリンの縁に沿って、円を描くように押し付け動かす。

 シャララララララララララン! と長く、華やかな音が出てきた。知っている楽器から出た思いもよらない音に、密かに「タンバリンとか(笑)」と思っていた新入生たちが絶句する。


「ふふふ。いいですよその顔。私が中学生のときにタンバリンを馬鹿にしてきやがった男子にこれをやったら、同じ顔してました」

『……』


 やったのか。

 小さくてかわいらしい外見で、思わず頭を撫でたくなるが――うかつにそんなことをしたら噛み付かれそうではある。

 優はタンバリンを置き、今度は持ってきたもう一つの楽器の前に立った。細長い金属棒を、長さ順に吊り下げた楽器。


「ウインドチャイムです。ポップスとかでもたまに使われていますよ。キラキラした音が特徴的な楽器です」


 そう言うと、彼女は短い金属の方からゆっくりと、指を動かしていく。それに沿って金属が揺れ、隣のものとぶつかり合い――流れ星が落ちるように、キラキラした音が奏でられる。

 きれい、と誰かが呟いた。それに満足げに微笑み、優が言う。


「そうそう。そんな風にリズムと曲の雰囲気を作り上げるのが、打楽器の仕事です。曲中では他にもいろんな楽器を使うので、それをパート内で合わせていく形になります。クラリネットとはまた別のチームワークが必要ですね。でも楽しいですよ。アメ食べながらやっても気付かれませんし」


 最後の一言は、冗談だったのか。

 真面目で厳しい先輩かと思いきや、意外とそんなところもあるらしい。では、これで紹介を終わりますと優が言い、楽器を片付け始めた。

 すると、音楽室の扉が空いて男子生徒が一人出てくる。メガネにツンツン頭の、歓迎演奏ではドラムを叩いていた先輩だ。

 座っている場面ばかりで気づかなかったが、いざこうして見ると、ひょろりと背が高い。小柄な優と並ぶと余計に際立つ。

 その男子生徒は、なにやら優と押し問答を始めた。


「先輩、これくらい自分で持ちますからいいです! 子ども扱いしないでください!」

「いや、なんか楽器紹介全部、おまえにやらせちゃったから気が引けて」

「中途半端!? 最後に楽器持つだけとか、どんだけ中途半端な優しさなんですか!? だったら一緒にマリンバ連弾してくれたほうがよかったですよ!」

「鍵盤は苦手なんだよ……」


 ぎゃんぎゃん言う優と、慣れた様子で応対する男子生徒。彼は新入生の視線に気付き、楽器を持ちながら名乗る。


「パーカッションのリーダー、三年の滝田聡司たきたさとしだ。よろしくな」


 そこで聡司は鍵太郎と黒羽祐太くろばねゆうたを見て、なにか言いたそうな顔をした。

 この女所帯で唯一の男子部員だ。二人を見て、なにか思うところがあるのかもしれない。

 言葉を選んでいるのか沈黙している聡司に、優が唇を尖らせて言う。


「まったく、先輩が紹介してくれればよかったのに……人に任せるとか、リーダー失格ですよ?」


 それで結局、聡司は鍵太郎たちには声をかけず――苦笑しながら、彼は優に手を差し出した。


「わーったわーった、だから全部持ってやるから。ほれ、タンバリンもよこせ」


 ぶーぶー言いながら優はタンバリンを聡司に渡す。言葉はきついがなんとなく、優が聡司に甘えているような雰囲気だ。

 男女のチームワークとはこういうものかと鍵太郎が思っていると、隣で祐太がニヤニヤしていた。


「どうしたんだよ?」

「いや、やっぱモテんじゃないかと思って」

「あれ、モテてるって言うのかな……?」


 微妙なところだと思うが。さらに聡司がこちらに言いたかったことも、あまりいい話ではないような気がするのだ。あれほど言葉を選んでいたのだから。

 しかしまあ、これで全部の楽器紹介が終わったわけだ。さてどうしようかと改めて考える。

 トランペットは奏恵かなえがいれば楽しそうだし、パーカッションも聡司がいれば男子的に心強い。リコーダーはそこまで苦手ではないので、サックスもありかもしれない。

 悩むなあ、と思っていると、ひょっこりと部長の春日美里かすがみさとが顔を出した。

 ああ、そういえば美里のやっているチューバもある。楽器はアレだが彼女は優しそうだし、ちゃんと教えてもくれるだろう。

 美里は小脇に抱えていたプリントを見学者全員に配った。そこには練習は何時までかや、楽器は基本的に学校のものを使うので購入の心配はないこと、ひと月分の部費はいくらなど、事務的なことが書かれている。


「お父さんお母さんと話すのに、これを渡してあげてください。吹奏楽部となると楽器を買わなきゃいけないんじゃないかって心配する親御さんが結構いるんですが、決してそんなことはありません」


 なるほど、高校生になりたての新入生は、やりたいというだけで部活に入ろうとする。親にしてみれば心配することだらけだろうから、こんな風に紙にして渡せばわかりやすくていいのだろう。


「では今日は初めてですし、これで終わりますね。入部届は二枚目に、ホチキスでとめてありますので。入部希望の方はそれを書いて持ってきてください」


 言われてぺらりと一枚目をめくると、一番上にでっかく『入部届』と書かれた紙があった。その下には学年や名前、住所などを書く欄がある。

 なんとなく絶対逃がさねえぞという迫力を感じて、鍵太郎は口を引きつらせた。まあ、どこも少子化で部員確保は大変だろう。

 おつかれさまでしたー、と新入生たちが音楽室を出て行く。先に行く女子連中はきゃっきゃっとはしゃぎながら、どの楽器やる? としゃべっていた。聞こえてくるにどうも、フルートやサックスなどといった華やかな楽器が人気のようだ。

 三階から昇降口に向けて階段を下りながら、鍵太郎は祐太に訊いた。


「なあ、祐太どれやりたい?」

「んー?」


 言われて友人は考えるように、視線を宙に向けた。ややあって、口を開く。


「どうかなあ。トランペットとか吹けたらかっこいいかな。わかんねえけど」

「そっか。俺はどうしようかなー」

「おまえはさ。どっちかっていうと影で活躍するタイプじゃん。だからえーっとなんだっけ。ホルンだっけ? チューバだっけ? それがいいんじゃねえの?」

「やっぱその辺かな」

「そのあたりが向いてる気がするな。どっちにしても年上のお姉さんが、手取り足取り優しく教えてくれるぞ」

「どのパート入ってもそうだろ……」


 相変わらずの軽口だ。ホルンならメガネでかっこいいお姉さんの海道由貴かいどうゆき、チューバなら部長で優しい、けどどこかドジっ子のお姉さん、春日美里が教えてくれる。


「……あれ?」


 そして美里のことを考えたときに、引っかかるものがあった。

 なにかを忘れている気がする。

 春日美里。部長。

 出会い。昼休み。紙ふぶきの中の彼女。

 ぶつかって、涙目になりながらしりもちをついている。その周りには紙切れが舞っていて――楽譜。

 楽譜!


「あーっ!?」


 思い出して、鍵太郎は叫んだ。隣で祐太が驚いてびくりとする。


「祐太、忘れてた! 昼休みに拾った楽譜返してない!」

「あ、そうだな、忘れてた」

「俺返してくるから、先帰ってて!」

「え、ちょっと、おい!?」


 来た道を戻るため、友人の驚く声もそこそこに鍵太郎は階段を駆け上がった。

 野球部でならしたその俊足を、祐太は久しぶりに見る。


「あー……やっぱりあいつ、走れねえわけじゃねえんだな……」


 その姿を見送ってから、彼はため息をついてつぶやいた。

 怪我はとっくに治っている。あとはたぶん――心の問題なのだ。


「……音楽療法って、効くのかなあ」


 音楽室の方へ行ってしまった友人のことを、もう一度考えて――


「……」


 そして黒羽祐太は無言で、その場を後にした。

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