第4話 私たちの相棒を紹介します!

 その人物には見覚えがあった。

 きのうの新入生勧誘の演奏のときに周囲を鼓舞して、演奏を盛り上げた女子生徒だ。

 彼女は陽気な笑顔で腰に手を当て、楽器を高く掲げている。

 それは銀色に輝く細長い楽器――吹奏楽の花形、トランペットだ。


「まずは一番手、トランペットパートです! あたしは三年生の豊浦奏恵とようらかなえ。みんな、よろしくね!」

『……ハイ』


 完全に度肝を抜かれている新入生たちは、目を見開いたまま曖昧にうなずくしかなかった。

 奏恵はその辺はまるで気にしていないようで、そのまま続けてくる。


「あたしの持ってるこの楽器が、トランペット! 知らない人はいないと思う、超有名楽器だね! 『天空の城ラピュタ』で、パズーが吹いてたアレだよ!」


 ああ、確かにそうだ。そう言われて、湊鍵太郎みなとけんたろうは鳩が舞うあのシーンを思い出していた。

 一年生たちの反応を待って、奏恵は続ける。


「一番初めだからちゃんと説明すると――この楽器はこの、マウスピースに口を当てて、唇を息で振動させることで音を出すんだ」


 奏恵は言いながら、ベルとは反対にある口を当てる部分、マウスピースをかしゃんと楽器から取り外した。それを口に当て、吹く。

 するとヴー、ともヴィー、ともつかぬ音がした。

 さらに吹いたまま、マウスピースを楽器につける。すると音が、パーン、という聞いたことのあるものに変化した。

 おお、と驚く新入生の前で、さらに奏恵はマウスピースから手を離し、本来構えるべき位置に右手を持っていった。そこには三本のピストンがあり、そこにそっと指を添えて――パラパラパラッ! と残像すら見えそうな速さで動かす。

 ドレミファソラシド!

 よくわからないが、きっとそんな音階だったのだろう。野球の応援ラッパとはまた違う、澄んだ響きだと鍵太郎は思った。

 「ひゃ、いっひょふいっひぇひひょー」と楽器から口を離さず奏恵が言う。たぶん、「じゃ、一曲いってみよー」と言ったのだろう。

 ご丁寧にぱー、と一つ音を出してから――映画そのままに、奏恵はあのシーンの曲を吹き始めた。

 朝の澄んだ空気のように気高く。舞う鳩のように楽しげに。

 『ハトと少年』。鍵太郎はいつの間にか、あの映画のシーンを思い出していた。

 まだ薄暗い空に、光が差し込む。

 まばゆく照らし出される世界に、白く輝く鳥たち。

 それが舞い、羽ばたいて――

 最初のメロディーに戻って、ゆっくり着地するように、曲は終わった。

 パチパチパチパチ――と自然と拍手が起こる。照れくさそうに、でも満足げに笑いながら奏恵が頭をかいた。


「みんな、楽しんでくれたかな!? じゃあ、せっかくだからということで、もう一曲――」

「奏恵~」 


 と、そのとき。

 ふいに音楽室の扉が開き、にゅっと伸びてきた手が彼女の耳を掴んだ。


「じーかーんーだーぞー。わかってんのー?」

「ちょ、いたいいたいいたい! 耳引っ張らないで! わかったわかった! トランペットパート終わりっ。みんな! 一緒にやろーねえぇぇぇぇ……!」


 そんなセリフとともに、最終的に扉に吸い込まれるように、奏恵は消えていった。


『……』


 新入生たちは、戦慄をもってそれを見送る。

 ややあって、沈黙の中扉を開けて出てきたのは、ぐるぐる巻きの楽器を持った先輩だった。

 メガネをかけて、黒くてサラサラした髪を短めにした、知的な雰囲気の女子生徒。

 彼女は何事もなかったかのように扉を閉め、動けない一年生の前に立って自己紹介を始める。


「みなさんはじめまして。ホルンパートのリーダー、三年生の海道由貴かいどうゆきです。これから楽器の紹介を始めたいと思います」

「あ、あの、先輩、さっきの人はどこに行っちゃったんですか……?」


 今のは、一体なんだったのか。

 そんな戸惑いを隠せない一年生に向かって、先輩はぱたぱたと手を振って笑顔で答えた。


「ああ、ごめんごめん。怖がらせちゃったね。楽器は種類が多いから、各楽器の紹介時間は決めてやろうって話になってたのよ。けどもう時間を過ぎてたから、交代に来ただけ」

「そ、それならいいんですけど……」

「まあ、時間を過ぎてたことに関しては、軽く説教しといたけどねー」

『……』


 あっさりと答える由貴に、もう一度新入生たちが沈黙する。なんだろう。笑顔でなにか、怖いことを言われたような気がするが……。

 先ほどの奏恵のテンションと相まって、キャラクターのふり幅の大きさについていけない。

 最初からこれは、この部活濃すぎないだろうか? そんな予感に鍵太郎は、出てくる汗をぬぐいつつ、少し腹を据えて楽器の紹介を聞くことにした。



###



 由貴も最初は怖い人かと思ったが、紹介を始めればそんな雰囲気もなく。

 楽器の上手さもあって、むしろ凛としたかっこよさがある人だなと思えた。ちゃんと練習すれば、いい音が必ずしますと言い切っていた姿が印象的だった。

 その他にもいろんな楽器の先輩たちが、やってきては曲を演奏していく。

 なんだかすごくマイペースな先輩が持っていたのは、トロンボーンという楽器だ。スライドで大きさを伸び縮みさせて、音の高低を変えるという面白いものだった。

 これまでは楽器につき一人だったのに、二人の部員が来たのがクラリネット。聞けば全楽器中、一番パートの人数が多いということだった。仲がよさそうな様子で、演奏は鍵太郎に野球部でダブルプレーの練習をしたことを思い出させていた。

 さらにやってきたフルートの先輩は二年生で、しかも初心者で始めたと言っていた。どうも由貴の言う通り、練習すればたった一年でもあのくらいできるようになるらしい。

 少し時間が経ってきて、緊張も和らいできたのもあるだろう。

 女性陣のおしゃべりが増えてきた。やはり紹介ということで知っている曲を持ってきているせいか、演奏されるのはジブリやディズニー系の曲が多い。

 色々なパートを見て知っている曲を聞いて、あれがやりたいこれがやりたい、という意欲が湧いてきたようだ。

 鍵太郎もその雰囲気に乗って、さて俺はどれがいいかなあ、と考えてみる。矢継ぎ早にいろんな楽器を紹介されて、まだ自分の中でも整理しきれていない。

 まあ、フルートは絵面的にちょっとないとしても、他の楽器は他の楽器で魅力的だった。

 さてどうしようか――と思っていると、また扉が開いて、違う先輩が出てくる。そこでやってきたのは、昼休みに鍵太郎とぶつかった先輩、春日美里かすがみさとだ。

 ああ、そういえば彼女のやっていた楽器もあったな、と思う。

 さっき見た感じ、どうにも馬鹿みたいに大きくて、今の彼女のように後ろ向きに歩いて扉を抜けてくることしかできないようだが――まあ、それでもどんなものなのか、聞いてから判断しても遅くはないだろう。

 そして、その巨大な金属の塊を片手で持ちながら、美里はみなに笑顔を向けてきた。


「お待たせしました。部長の春日美里です。これから私の担当する楽器、チューバを紹介します」

『……』


 軽そうに持っているものの、それでも質量が半端じゃない。

 ほんわかした笑顔の美里が持っていると、強烈な違和感がある。先ほどまであんなに盛り上がっていた女子連中が、若干引いているように見えた。

 それに気付いたのか、「え、えっと!」と美里がテンパリ気味に説明を始める。


「えー、金管楽器の最底辺――違います、最低音、チューバです。お仕事は主にベースラインです。リズムを刻んだり、低音でみんなを支えたりします。縁の下の力持ちです。目立つ存在ではないですが、欠かせない楽器の一つです」


 花形ではないが、地味にコツコツ練習する子に向いているかもしれません、と美里は言った。


「本来はあまりメロディーのない楽器ですけど。今日は楽器紹介なので、わたしも一曲吹きます。聞いてください。『ミッキーマウスマーチ』です」


 その曲名を聞いて、お、と心が遠くに行きかけていた新入生たちが反応する。

 これなら鍵太郎も知っている。低音ということだったが、どうやってあの曲を吹くのだろうか。

 正面で構えられた楽器で、美里の身体が半分見えない。やっぱりこの楽器デカい。

 彼女は大きく息を吸って――思い切り、吹き始めた。


 ぼっぼぼーぼっぼぼー、ぼっぼぼっぼぼー


『……』


 新入生たちが笑顔で固まった。

 なんか違う。低すぎる。

 こんな地響きのようなミッキー、あたし知らない……!?

 そんな風に混乱する新入生たちをよそに、意外と曲は早く終わり――美里は、やりきったいい笑顔で、こちらを向いて言った。


「こんな感じです! なにか質問はありますか?」


 ぱあぁぁぁぁ、と。

 美里から無駄に陽光のようなオーラが降り注いだ。新入生の一人が手を挙げ、質問する。


「あのう……先輩、その楽器、重さってどれくらいあるんですか……?」

「はいっ、10キロちょっとありますっ!」

『……』


 元気よく答える美里。沈黙する新入生。いや、沈黙ではない。鍵太郎には確かに聞こえた。――『あのデケエ楽器をやるのは、おまえら男子の仕事だ』という、女子の心の声が。

 他に質問はないですか? と言う美里に、新入生たちは顔を見合わせて、首を振った。


「そうですか……では、次のパートを呼んできますね!」


 そう言って笑顔で退場する美里を見送って。

 鍵太郎は一緒に見学に来ていた友人の黒羽祐太くろばねゆうたに向けて、ぽつりと言った。


「いい人なんだろうけどな……」

「ああ。いい人なんだろうけどな……」


 はらはらと涙が出てくる。なんだろうか、すごく哀れだった。本人がわかってないだけに余計に。

 上を向こう、涙がこぼれないように。

 そうしているうちに、どうやら次のパートが来たようだった。



###



 扉を開けてきたのは、金色に輝き、あちこちにキーがついている複雑な楽器を首に下げた先輩だった。


「こんちゃー。サックスパートの三年、美原慶みはらけいです。ワタシらの楽器、サクソフォーンを紹介しまッス」


 またやたら、個性の強そうな先輩が出てきた。

 吹奏楽部というのはどの学校もこうなのだろうかと、鍵太郎は首を傾げる。音楽をやっているとみんなこうなってしまうのだろうか。そんな鍵太郎の思いをよそに、慶は楽器の紹介を始める。


「吹奏楽の歴史の中では、ケッコー新しい楽器の、サックスです。かなり考えて作られた楽器なんで、指使いとかはカンタンです。リコーダーと一緒です。機能美と造形美を兼ね備えたスバラシイ楽器、サックス!」

「え、こんなに押すところあるのに簡単なんですか?」

「そうなんですよー♪」


 驚いた様子の新入生の言葉に、慶は笑って答えた。どこを持っていいのか素人目にはわからないが、このゴテゴテとついているいろんなキーは、全部計算の結果らしい。

 慶は楽器をひっくり返して、口をつける部分にある小さな木の板を指差す。


「これも実は『木管楽器』の一種なので、音を出すにはこの『リード』という小さな木の板を息で振るわせます。

 けどサックスは木管と金管の橋渡しっちゅー目的で生まれたんで、いろんな音色が出せますよ。吹奏楽はもちろん、ジャズにおいても主役です。エロい音も出ます。おっとなーな感じの演奏、みなさんもどっかで聞いたことあるでしょ? アレですアレ。バーでかかってるようなやつ」


 言われてみてもどんな音なのか、よくわからない。

 そもそも高校生もバーに行けないと思うのだが、ついこの間まで中学生だった一年生にとって、高校生はやっぱり『大人』だ。

 なので、なんとなく言われたことに納得してしまう。そんな初々しい新入生を前に、慶は楽しげに笑った。

 それはチェシャ猫のようないたずらっぽいものだったが――同時にどこか憎めないような、そんな笑みだった。


「んじゃ、イッてみましょうか。ちょいと大人な、『星に願いを』です」


 はぷ、と先ほどのクラリネットと同じように、慶が楽器を咥える。

 出てきた音は舌足らずな口調に見合わない、それこそ大人の場所で流れているようなものだった。

 甘い低音と、滑らかに伸びる高音。その艶やかな響きは日光の輝きではない。夜にこそ光る輝きだ。

 誰かと夜空を見上げて、なにを願ったと囁きあうように。最後にビブラートを利かせて、慶は演奏を終えた。

 楽器を口から離し、ニヤニヤと笑いながら彼女は言う。


「ふッフン。まいったか、小童どもー。サックスはスバラシイ楽器ですよー。みんな、サックスをやるんだ!」

『……』


 いきなり展開された大人の世界についていけず、鍵太郎たちはぽかんとなっていた。だが「よくわからないが、なんかスゲェ」ということはわかる。

 そんな後輩たちを前に、慶はやっぱり得意げなニヤニヤ笑いを浮かべる。


「ん、んー。声も出ないくらいビックリしましたか? じゃ、これで楽器紹介を終わりま……」

「ちょおっと待ったー!!」

『……!?』


 そこでいきなり割り込んできた声に、全員が音楽室の方を向いた。

 バーン! と音を立てて扉が開かれ――その先では、小柄な女子生徒が肩をいからせてこちらをにらんでいる。


「トリに私らがいるのを忘れてもらっちゃ困りますよ!? なに勝手に紹介を終わらせようとしてんですか!?」

「あー。打楽器忘れてた」

「管楽器の連中はこれだからーッ!?」


 小柄な女子生徒の怒りの波動を、慶は柳に風と受け流していた。ごめんごめーん、と先輩は風船並みに軽く謝っている。

 よく見れば、その小さな女子生徒の隣には、唯一の男子部員が気まずそうに立っている。この騒ぎを止めようかどうしようか、困っているようだった。

 しばらくして一通り怒り尽くしたのか、ちっちゃな女子生徒が叫ぶのを止める。

 はあ、と一つ息をついて気持ちを落ち着けると、彼女は改めて新入生へと宣言した。


「では――打楽器パーカッションパート二年の、貝島優かいじまゆうです。最後になりましたが、これより楽器の紹介を始めます!」

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