第3話 見学にいってみよう(逃がしませんよ?)
がやがやと人の集まる、放課後の音楽準備室。
そこでは様々な楽器が棚に収められ、下級生がそれを出しに来ていた。
今日から見学の新入生が来るのだ。張り切っていいところを見せようと、新二年生となった部員はぱたぱたと興奮気味に準備を進めていく。
そんな部屋の一角で。
吹奏楽部顧問、
本町教諭は手を組み、それで口元を押さえている。厳しい目つきと、かすかに見える笑み。完全に悪の秘密結社の首領スタイルだ。
彼女は自分を囲む三年生たちへ、重々しく告げる。
「いいかおまえら――今日から勧誘期間が始まる」
全員が無言でうなずいた。
その動作から彼女たちの戦意を見て取り、本町はより笑みを深くする。そう、これは確認作業だ。みな目的など、とっくに分かっている。
「きのうの我々の演奏にだまされ――心動かされて希望を抱いた純粋な小鳥たちが、これからここにやってくる。彼女らに夢を見せてやろう」
そして、と本町は続ける。その周りに立つ者たちも、続きはわかっている。
なぜなら、彼女たちもそうだったのだから。かつてはこの罠にかかった、純粋無垢な小鳥だったのだから。
しかし今や彼女たちは、鷹の眼差しでもって狩りに臨もうとしている。
それを頼もしく思いつつ、本町は指令を下した。
「そして――逃がすな。ここに引きずり込め。――絶対にだ」
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音楽室に向かう途中でゾクっと寒気がして、
「あれ、どした?」
「わからない。なんか寒気が……」
なんだったんだろうと思いながら、鍵太郎は
音楽室は近い。どんどんと、色々な音が近付いてきている。
それはまったくばらばらで、各々が好き勝手に鳴らし散らしていた。
階段を上り、別校舎の三階の一番端。
全てから追いやられたような学校の辺境に、音楽室はある。
防音のためなのか、音楽室の前にはもう一枚ガラスの扉があった。中には既に、何人かの見学に来た新入生たちの姿がある。用意されたイスに座り、隣の子としゃべったり、落ち着きなく辺りを見回したりしている。
そして、そのガラス扉の外に――
「……あれ?」
「あ、あのときの先輩だ」
背の高い、長い髪の女子生徒。
そこにいたのは昼休み、鍵太郎がぶつかった先輩だ。
向こうも気付いたようで、驚いた顔をした後こちらに手を振ってくる。
「あらら。もしかしてお二人とも、見学希望の方だったんですか?」
「あ、はい」
「そうです」
「そうですか。男の子が来るのは珍しいので、ちょっとびっくりしてしまいました」
ですよね、と内心苦笑いする鍵太郎。先ほど見えた見学の新入生も、女子ばかりだった。
改めまして自己紹介を、と女子生徒は言う。
「わたしは吹奏楽部の部長をやっています、
「え、部長さんだったんですか!?」
「そうなのですよー。さあさあ、どうぞどうぞ」
ぐいぐいと引っ張られて、音楽室に連行される。意外と力が強い。
ガラス扉を開けると二人は、そこから流れてきた音の洪水に包まれた。
名前もわからない楽器たちの音が、渾然一体となって鼓膜を震わせる。
いや、耳だけではない。音に圧力があるということを、鍵太郎は初めて知った。
身体の中まで響いてくるような圧迫感。けれども、決して不快ではない。
不思議な感覚を覚えながら、勧められるままにイスに座る。きのうより間近で見る楽器たちは、きらきらと輝いていた。
隣の音楽準備室に行っていた美里が戻ってくる。音楽室と直接繋がっている扉から、彼女と、先生が出てきた。
少しクセのある黒髪を、肩でばっさり切った女性。彼女は指揮棒と一冊の本――
音楽担当で、吹奏楽部顧問の本町瑞枝だ。
美里はそのまま、自分の楽器の元に向かう。あの人の楽器はなんだろうと思って、なんとなく目で追っていると――彼女はトランペットのお化けみたいな大きさの、金色の塊の隣に着席した。
「……」
「……なんだあれ」
至極もっともな感想を、祐太が漏らす。その金色の塊は重量感たっぷりで、大きさも一メートルを超えているだろうか。
まさに鉄塊。操作のために、正面に細いレバーが申し訳なさそうについている。
長身とはいえ普通の体型をしている美里が、そんな楽器を持ち上げられるのかと鍵太郎は疑問に思った。
「……あれ、どのくらい重いのかな」
「……少なくとも、バットよりは重いと思う」
「確かに……」
「よーしおまえら。始めるぞー」
二人で囁きあっていると、本町教諭が言った。今までが嘘のように、すっとそれまでの音が消える。本町はスコアを指揮台に広げ、部員全員に声をかけた。
「見ての通り、今日から見学の新入生が来てる。きのうの演奏を聴いて来てくれたなら、嬉しい限りだ。アタシ達は、おまえらを歓迎するぜ!」
いえーい、とか、ぅえーいといった歓声が、先輩たちからあがる。併せて唯一の男子生徒である部員が、ドラムセットを叩いて場を盛り上げた。なんだか、異様にノリがいい。
シャァン、と最後のクラッシュシンバルの響きが止まったのを聞いてから、本町は続ける。
「だからもう一曲、ここに来てくれた礼に演奏したいと思う。今度はきのうのと違ってクラシック寄りの曲になるが、実はみんなが知ってるある場所でも演奏されることがある曲だ。
答えが分かったら音楽の成績に関わらず、通信簿に5点満点をくれてやるぞ!」
いいのかオイ、と鍵太郎は心の中で突っ込んだ。けどまあ、このノリを邪魔するのも無粋だ。黙っておこう。
「では、『雷神』だ。繰り返しなし。セカンドタイムは一回目から吹け。では――始めるぞ!」
ひゅん、と本町は指揮棒を振り上げた。美里は手品のような速さで楽器を持ち上げる。鍵太郎が目を疑っているうちに、演奏は始まった。
ごっ、と殴りつけるような中低音から始まったそれは、運動会でよく流れる行進曲だった。ピッコロ、クラリネット、トランペットの華麗なメロディーに、張りのあるトロンボーンが絡んでくる。入場行進で聞いた気もするが、それは本町の言う『みんなも知ってるある場所』ではないだろう。
なんだろうと記憶を辿っていくうちに、なにやらゆったりした感じに雰囲気が変わった。テンポは変わらないものの、曲調が穏やかに流れていく。
え、なんだこれ、俺の知ってる運動会の行進曲と違う、と思っていると、また変化が起こる。穏やかな表情を上塗りしていくように波のある連譜がテンションを上げていき、楔を打ち込むようにガッガッ! と音を打ち込んだところで、サビに突入した。
本日一番の音が、各楽器から放たれる。高音が舞い、中音が貫き、低音が穿つ。それにただただ圧倒されているうちに、あっという間に演奏は終わってしまった。
ポカーンとしている新入生たちに、本町が声をかける。
「どうだ、答えわかったか?」
「夢の国の海のほうだー」
『!?』
あっさりと言われた答えに、今度は在校生が目をむいた。
見学の新入生の席で、一番端に座っている女の子。
今言葉を発したのは彼女らしい。にこにこと楽しそうに言う。
「あそこの船の前で、兵隊さんの格好した人がやってたやつだったねー」
「ねー。こないだ行ったばっかりだったから、わかっちゃったねー」
いえーい。とその隣の女の子と手を叩く。そっくりな外見からして、彼女たちは双子らしい。
きゃっきゃっとはしゃぐ双子の姉妹と、それを呆然と見つめる先輩たち。
その場で一番早く立ち直ったのは、やはり大人というか、本町だった。
「マジか。まさか当てるやつがいるとはな。参ったな。正解だ」
「やったー!」
「5点だー!」
「いや、二人で分けて2.5点だ」
『ええーっ!?』
衝撃の返答に、二人だけでなく在校生からも驚きの声があがる。本町はにやにやしながら続けた。
「二人の正解だからなあ。先生も約束は守りたいけど、しょうがないよなー」
「棒読みだー!」
「ひきょうだぞー!」
汚い。さすが大人汚い。姉妹からあがる抗議の声を、先生は涼しい顔で受け流す。
「さーてと。じゃあ予定通り各楽器の紹介に移ろうか。
初心者もいるだろ? 何の楽器やりたいか、先輩たちの音を聞いて選んでみてくれ」
強引に押し切られて、双子が同時に、がっくりとうなだれた。苦笑いしながら美里がこちらに来て、フォローを入れる。
「ごめんなさい、冗談のつもりだったんですけど、まさかほんとに分かる子がいるとは思わなかったので……。ああ見えて、本町先生は生徒思いのいい人ですよ。部長のわたしが保証します」
そう言われて、姉妹はしぶしぶ納得したようだった。さて、と新入生全員を見渡して、美里が言う。
「ここだとうるさいので、いったん外に出ましょう。音楽室とガラス扉の間の部屋で、楽器紹介をします。ちょっと狭いですけど、少しだけ我慢してくださいね」
促されて、ぞろぞろと音楽室を出る。鍵太郎は祐太に言った。
「俺さ」
「ん?」
「運動会でかかってる曲なんて、意識したこともなかったんだ」
祐太がよくわからないといった風に首をかしげるのを見て、言葉を付け足す。
「コンビニ行っても遊園地に行っても、音楽なんてかかってるけどさ――俺、全然聞いてなかったんだな。ちょっと反省した」
「そんなもんだろ。あの双子がすげえだけだよ」
そんなもんかな、と呟く。
さっき行進曲を聞いているときには、『知っているはずなのに、聞いたことがない』という感覚があった。遠目では同じだと思っていたリンゴが、実は赤いリンゴと青リンゴだったような。
見ているようで、実はまったく見ていなかったのだと。そう思わされてしまった。
「しょうがねえさ、今まで縁のない世界だったんだ。それに気付いただけ、ここに来てよかったんじゃねーか?」
「そうかなあ」
「そうだよ」
祐太がへらりと笑う。つられてこっちも笑ってしまった。
気持ちを切り替えるために、鍵太郎はことさら明るく言う。
「さて、楽器紹介って言ってたな。なにやるんだろ?」
「なんだろな?」
音楽室への扉を見る。そちらで先輩たちが準備をしているのだろう。
他の新入生たちもつられてそちらを見る。すると。
――ドガアァン!!!!
『!?』
音をたてて、音楽室の扉が吹き飛んだように見えた。実際はそんなことはなく、ただ爆発的な力でもって開いただけなのだが。
そこから、一人の女子生徒が楽器を持って出てくる。
「ぃいやっほーう!! 新入生のみんな、こんにちは! これから楽器紹介をはっじめっるよー!!」
やたらテンションの高い先輩が、新入生たちに向けてそう叫んできた。
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