第一話 第二章 カラクリ怪盗 VS 姫隊長

 街の東に位置する商業地域は、陽も上がりきらないうちから、活気に満ち溢れている。

 南の港とも近く、東西からの陸路で運び込まれる大陸各地の農作物などもあり、特に市場のある東側は、早朝から多くの人出でごった返していた。

 ここから南へ向かうと、南東の区画に繁華街があり、隣接して、昨夜の闇取引の現場となった港の倉庫街へと続いている。

 商業地域は海に近づくほど、いわゆる生鮮市場の色が濃く、宿屋や酒場、レストランなどの料理人が、朝早い客のほとんどだ。

  そんな人込みの間をすり抜ける、元気な荷車が一台あった。

「どいたどいた~! クリスマニア名物ヒノマル宅急便のお通りだ~いっ!」

 よく通る声で人々をかき分けて、荷物がたくさん積まれた荷車を引いて走り回っているのは、一人の少年。

 長い黒髪を、東洋の島国ヒノモト特有なちょんまげっぽいスタイル、クリスマニアで言うポニーテール風に纏め、朝の風に靡かせている。

 身に着けている衣服は、ヒノモトでは一般的な前合わせの衣を帯で止めただけの簡単な恰好だけど、足元はクリスマニアのブーツを履いていた。

 荷車の上には、野菜や魚介類、肉類や調理油の入った壺などが、所狭しと乗せられている。

 小柄な身長に、大きな丸い眼鏡をかけていて、外見からはちょっとイメージしづらい元気な声を発してもいた。

 ガラガラと荷車を引っ張り走って、ヒノモト出身の小柄な少年が、野菜の出店の前に到着。

「ここだここだ~い! おやっさん、おはようさんっ!」

 宅配少年の挨拶に、店主である禿げた初老のオジサンが、ゆっくりと立ち上がる。

「おうライヤー。今日も元気だな」

「当ったり前ぇよ! 宅配業者がしみったれてちゃ、新鮮な野菜もしおれっちまうってなモンよ!」

 ライヤーと呼ばれた少年の明るくて元気な声に、周りの露天商たちも、明るい笑顔だ。

「迅速丁寧 荷運び一番! シロイチ ライヤ(白一 雷也)宅配便! どんな荷物も運んでみせるぜぇっ!」

 注文通りに分けられた野菜を一つずつ確認しながら、ライヤーは荷車へと積み込んでゆく。

「いつも通り、新鮮でいいダイコンだぁ! このトマトなんか丸かじりが一番美味ぇだろうな!」

「ははは 相変わらず目が利くな。ああそれと、近所の娘さんから、手紙の配達も預かってるんだが…」

 頼めるか?  金貨一枚だっけ? とか問われる前に。

「オッケー! こいつは特別サービスっと!」

「え おいおい、いいのか?」

「美味ぇ野菜への 感謝の気持ちさ! それじゃ、出発~っと!」

 預かった手紙を懐へと大切にしまうと、ライヤーは元気に荷車を引いて、市場を後にした。

 間もなくライヤーが到着したのは、市場から少し離れた一軒のレストランだ。

 裏木戸の前に荷車を停めると、元気な声であいさつをする。

「お待たせ~っと! 注文の、ダイコンとキャベツとトマトと卵と鶏肉とオリーブオイル、到着だ~い!」

 少年の声に扉が開けられ、恰幅の良い中年のコックが顔を出した。

「やあご苦労さん。オリーブオイルはすぐに使いたいから、すまんが厨房の–」

「あいよ! いつもの隅に運んどくよ!」

「ハハハ、すまんな」

「なんのなんのっと!」

 ライヤーは荷車の壺を掴むと、ヨイショと持ち上げて、指定された厨房の片隅へと運ぶ。

 いつも仕事熱心で明るい少年に、下ごしらえに忙しい料理長も、関心している。

「しかしライヤー、宅配便だっけ? お前さんも余所の国から来て、面白い商売を考えたモンだなあ」

「へへ、オイラの生まれたヒノモトじゃあ、これでも昔っからある商売なんだぜ。どこの地方に行っても、こういう仕事なら地元のみんなと馴染みになれるしさ。それに–おっと」

「? なんだ?」

「いやー、いい人たちに出会えるってのが、この商売の一番の宝って、昔っからねえ!」

 うっかり別の目的が口を滑りそうになって、慌てたライヤー。

(あっぶねー! 町全体や人々の情報が一番確実に手に入るから、ジライヤとして大助かり–な~んて言えねぇって!)

 ライヤーは、壺に続いて野菜なども、厨房へと運び入れる。

「ほいダイコンとキャベツ、トマトが三箱っと! 今日の注文はこれだけだよね!」

「ああ、ご苦労さん。明日の注文だけど–」

「あいよ! また夕方ごろ、顔を出すよ! それじゃあ~っと!」

 少年は、今朝の注文票に受け取りのサインを貰うと、元気に店を後にする。

 それから数店の配達をしながら、預かった手紙なども届ける。

 ライヤーの宅配業は、こうして毎日、午前中のほとんどを使って終わるのだ。

 お昼が近づく頃、商店街に近い宿屋の裏庭に、配達を終えたライヤーが帰ってくる。

「ただいま~っと! オッチャン、いつもの昼食、まだあるかい?」

 裏庭の一角に荷車を停めながら、宿屋との主人に声をかける。

 ライヤーは、この宿屋の裏庭、今は誰も使っていない空き倉庫を、寝食の場として借りていた。

 少年の元気な声に、店主でもあり料理長でもありライヤーの宿主でもある、中年とは呼べない若手男性が、顔を出す。

「オッチャンじゃねって! 俺の名前はオウ・ジャーンだって、何度言えばわかるんだって! って言うか、飯はとってあるぜ。って言うか、お前に客が来てるぞ、ライヤー」

 言いながら、ライヤーの分の食事をトレーで渡してくれる、通称オッチャン。

 昼食のメニューは、焼いた肉を挟んだ厚切りのパンと、豆のスープ、スライスされたリンゴのサラダ。

「客? オイラにかい?」

 トレーに乗せられた食事を受け取りながら、少年は尋ねる。

「ああ、ドえらい客だって! ちょっと羨ましくもあるが、どっちかっつーと恐ろしいって言うか。お前、何かしでかしたのかって話?」

 ニヤニヤしながら茶化しているオッチャン。

 とにかく部屋に戻らねばと、ライヤーは食事を持って裏庭へと小走り。

 宿屋の裏には、狭い敷地と手入れをされた庭、更に現在は使われていない倉庫が三棟と、今でも使える古い井戸があった。

 雑草が生えまくっていた庭が綺麗に手入れされているのも、倉庫を借りたライヤーが草刈りをしたからだ。

 三棟と立ち並んだ倉庫の、向かって一番左が少年の部屋であり、扉の前には一人の客人が立っていた。

 その人物は。

「あれ? アリスフィルドさんじゃないっすか!」

 ライヤーに気づいた姫隊長が、親し気な笑顔で挨拶をくれた。

「お邪魔している」

「うはは~、アリスさん~!」

 温かい日差しをキラキラと纏う、17歳の美しい姫隊長に、少年の顔がだらしなく、赤く染まる。

 姫隊長は職務として来訪したらしく、純白の鎧にマントを靡かせ、腰には長剣が収められていた。

「仕事を終えたところか。ラ、ラ、ライヤー…くん。今日はキミの、昨夜のアリバイを尋ねにやってきた。…すまんな、我らクリスマニアの人間にとっては総体的に、キミたちヒノモト人の名前は、発音が難しくてな…」

 完璧美人のアリスフィルドが、発音について申し訳なさそうに、そして恥ずかしそうに、美顔を曇らせている。

 そんな表情も、なんだか弱々しくて庇護欲を刺激されてしまう、14歳のライヤー少年だ。

「いえいえ~。そんな事、全く全然、気にしないでくださいよ~! 発音が難しいのはお互い様ってね。オイラだって、宿屋のおっちゃんの事オッチャンって呼んじまってるし!」

 ライヤーの元気な声は、オッチャンにも聞こえていたらしい。

『こらライヤー! やっぱ俺の名前、ちゃんとわかってるんじゃねーかって!』

「やべ、バレた!」

 そんな会話も、治安を守る姫隊長には、楽しいらしい。

「ふふ…仲が良いのだな」

 その微笑みは陽光よりも暖かくて輝いていて、この声は小鳥のように愛らしい。

 飾りのない微笑みも上品で美しいアリスフィルドに、少年はドキドキも高まっていた。

「えっと…き、昨日のアリバイ、でしたっけ?」

 扉を開けて、来訪者を室内に招き入れるライヤー。

 部屋として利用している小屋は、小屋を部屋として使用しているだけの、実に簡素な造りだ。

 一間しかない狭い空間に、一人用のベッドと小さな丸いテーブルと、椅子が二脚。後から設置されたような棚には、お皿やコップなどの食器類が、僅かに乗せてあるだけ。

 クローゼットとはとても呼べない小さなタンスには、引き出しが二つだけで、少年の少ない衣服が収められていた。

 お客さんが来たので、ライヤーはテーブルクロスを出して、ちょっとおしゃれに室内を飾る。

 ベッド側の壁には、クリスマニアの城内都市の地図が貼り付けてあり、赤い墨で何度か配達ルートが書き加えられたのが見てとれた。

 油のランプが一つだけあるが、テーブルなどと同じくこの物置に残っていた物だったのだろう。ガラスには落ちきらなかった汚れがこびりついている。

 窓に填められたガラスは、主人が部屋として貸す為に取り付けた、最低限のサービスっぽい。

 そんな部屋で、海外からたった一人で渡ってきた少年が、生活をしていた。

「つまり昨日、怪盗が出たって事ですか?」

 食事のトレーをテーブルに置いた少年は、食事の前に、今度は働いてくれた荷車を洗浄する。

 そんなライヤーを眺めるともなく見ているアリスフィルドは、軽い溜息交じりで、美顔を曇らせていた。

「うむ。もっとも私自身が怪盗を目撃したのは、昨夜が初めてだったがな」

 仕事の相棒を綺麗にする少年の、心意気にも、手際の良さにも、アリスフィルドは感心と敬意を抱いている。

「毎度の事だが、キミを疑っているわけではないのだ。怪盗に関する手掛かりらしい事といえば、ジライヤというその名や、捕らえた犯罪者らの証言による服装などの外見から察するに–」

「怪盗はヒノモトの出身者らしい。だから怪盗が出た翌日には、オイラたちヒノモト出身者たちに聞き込みをする事も、捜査の一環なのだ。ですよね」

 荷車の洗浄を終えたライヤーが、衛士隊長の言葉を続けた。

「ん…まあな」

 おなじみとなった捜査の言葉を言われて、アリスは冷静を装いながら、ちょっと恥ずかしそうに、コホンと咳払い。

 そんな、仕事場では絶対に見せないであろう仕草も、少年には愛おしくて堪らなかった。

「アリバイって言っても、いつも通りですよ。アリスフィルドさんも知っての通り、オイラは独り身だし、アリバイなんて…あ、腰かけてください。お茶でも飲みます? ヒノモトから新茶を取り寄せたんですよ」

 言いながら、テーブルの椅子を引いて、淑女に促す。

 レディーファーストと相まって、アリスの表情がホワっと華やぐ。

「シンチャとは…ま、まあ、そうだな。少し早いが、せっかくのティーのご招待だ。遠慮なく、呼ばれるとしよう…」

 悪党たちに、恐怖も逃げ出すと恐れられる姫隊長は、密かに無類のお茶好きであった。

 お湯とトイレだけは好きなだけ利用可能らしく、ライヤーは鉄器を手に走り、オッチャンのキッチンでお湯を貰って、庭先で起こした焚火の火にかける。

「ちょっとだけ待っててくださいね。すぐに最適な温度になりますんで」

 言いながら、ヒノモトから持参した湯飲みを二つ用意。その間に、昨夜の状況を話した。

「あ、で…昨日のアリバイですよね。っても、いつもと同じです。昨日の配達分とか今日の配達とか注文とかを纏めて、今日の配達ルートを確認して、そんなうちに夜になったから母屋で夕食を食べて、ベッドでグッスリでした」

「だろうな…君が夕食を食べた事も、先ほど証言が取れているよ」

 ジライヤとして裏取引の現場へと向かう前に、ライヤーは夕食を済ませていた。

 鉄器の湯が沸騰して、少年は急須を取り出すと、まずは湯飲みに湯を入れる。

 急須に茶葉を少しだけ入れて蒸してから、あらためて湯を入れて、同じ濃さになるように、二つの湯飲みへと交互に注いだ。

 その様子を、興味深く見守るアリスフィルドだ。

「さ、お茶が入りました。どぞ」

「ありがとう。これがシンチャか」

 出されたお茶は温かい湯気を立てていて、新鮮で香ばしい青葉の香りが、鼻腔をくすぐる。

「ん~…なんと良い香りだろう…それに、この色のなんと深い事か…」

 クリアな緑色の液体は深い色合いを見せていて、細い茶葉が立って揺れていた。

「あ、これは知っているぞ。チャバシーラという、ラッキーのお告げなのだろう?」

「よく知ってますね。縁起物ってやつですよ」

 ライヤーの湯飲みにも、同じく茶柱が立っていた。

「それでは、頂こう…」

 熱い緑茶を一口すすると、姫隊長はほんのりと頬を赤らめて、現場では決して見せない、完全に隙だらけな安堵の表情になる。

「はぁ~…なんと香ばしいティーなのだ…」

 美しく高貴なアリスフィルド第四姫の美貌が、幼く無垢な少女みたいに、可愛らしくくずれる。

 こんな表情も、衛士隊長であり齢十七となった今では、ライヤーにしか見せない顔。

 そして、そんな事情とか当たり前に知らない十四歳の少年も、アリスフィルドのこういう表情に、なんだかとても惹かれてしまう。

(アリス姫…やっぱり、素敵だなぁ…)

 思わず見つめていると、視線に気づいた姫隊長が、思わず恥じ入る。

「ああ…変な顔だったか。すまないが、誰にも言わないでくれ」

 などと慌てる顔も、思わず抱きしめたくなるほど、キュンとさせられるライヤーだ。

「へ、変な顔だなんて…っ! あ、お茶、熱いっすか?」

 ドキドキが恥ずかしくて、慌てて話題を逸らす少年。

「いや…しかし良い香りだし、とても美味だし…暖かくておいしいよ。グリーンティーが美味しいと最近知ったのは、キミのおかげだ。今までヒノモトの客人から頂いたグリーンティーは…悪いが正直、ニガいだけで美味しいとは感じられなかったからな」

「緑茶を美味しく煎れるのって、ちょっとコツがいるんですよ。まあ、覚えちまうと簡単ですけどね」

「そうか…今度、城のシェフたちにも教えてやってほしいモノだ」

「あはは。御用とあらばどこにでもってね!」

 二人の会話に、笑いが温かさを増してゆく。

「ああ、すまない。私を気にせず、食事を摂ってくれ」

「それじゃ遠慮なく、頂きま~すっと!」

 年下の少年が元気にガツガツと食べる姿は、見ていてなんだか心地よい。

 アリスフィルドも、そんなライヤーを眺めながら、フと思い出す。

「それにしても…あのジライヤと名乗る怪盗め。この私に、悪党の逃走などという屈辱を与えるとは…!」

 姫隊長の視線が、怒りで鋭くなる。

(アリスさん…怒り顔も綺麗だな~…って! このまま話が続くのも、ヤバいぞ!)

「あ、お茶請けもあったんだっけ! 雷起こし、食べます?」

 少年は、棚の竹製荷箱から、紙包みを取りだす。

「カミナリ、オコシ…? 初めて聞く名だ。それは食べ物なのか?」

 アリスは話題に食いついた。


 数日後の昼前。宅配少年ライヤーの姿が、富豪たちの暮らす南側にあった。

 立ち並ぶ豪邸の中の一軒。

 貿易において一定の評価とそれなりの影響力を持つ交易商人ゴルトンの邸宅。

 広い敷地を悪趣味な高い壁で囲み、四階建ての屋敷は壁が金色という、色彩センスの無さ。

 屋敷の裏門の近くで荷車を停めて一休みしているライヤーは、竹製の水筒から水を飲みながら、手ぬぐいで汗をぬぐうフリをしつつ、隠した盗聴用のカラクリ小蛙で、屋敷内を盗聴していた。

「さてと…盟主の皮を被った下衆野郎の計画、教えてもらうぜ…!」

 ライヤーは昨夜、悪党どもの闇売買の噂を聞いて、夜の港へと再び潜入。

 そこで、商人ゴルトンの隠された一面を知る事になった。

 ゴルトンの会社が所有する倉庫の中で、ゴルトンと執事、遠い外国の商人らしき男たちが、怪しい商談をしていた。

 長身だけど肥えて禿げたゴルトンは、脂肪も垂るみ、物欲まみれが顔だけでなく姿もに現れている。

 男性の執事は初老で細く、しかし邪な本性が視線によく表れていた。

 取引相手の外国人たちも、普通人っぽい顔つきをしながら、笑顔は悪人を隠せていない。

「あいつがゴルトンだ。施設への寄付だかで見た事あるぞ。執事のオッサンも一緒か…」

 盗聴蛙を侵入させて聞き耳を立てたら、ゴルトンの犯罪を耳にした。

「…屋敷に隔離している女の子たちを、週末にも引き渡す…?」

 配達中に聞いた噂話と、合致する。

「そいや、貧民街で最近…親のない女の子が姿を消してるって話があったな…。一丁ゴルトンの屋敷を調べてみるか…!」

 そして今朝、少年は屋敷を調べにかかっていたのだ。

 盗聴の結果。

「今夜かよ…時間がないな…!」

 少年は、一休みの芝居を背伸びして終えると、戻ってきた集音蛙を懐に入れて、配達の続きだ。

「さ~ってと! 急いで配達だ~いっ!」

 走りながら、ライヤーの瞳が怒りで燃える。

「親のない娘を人身売買…盟主とやらが聞いて呆れるぜ…っ!」


 その日の夕刻。

 大富豪ゴルトンが、脂ぎった禿げ頭を艶めかせて、目の前に並べられた夕食によだれを垂らす。

「ウッホホホ! 今夜もワシの大好物なペーキンダックを頂こうかな~」

 大きな皿を覆う黄金色な金属カバーを開けたら、脂ぎった香りの湯気の中から、鶏肉と一緒に、一枚の固い紙製のカードが姿を見せる。

「んん? なんじゃこりゃ…何ぃっ!? …………っやばいっ、おおいっ、レードラはおるかっ!」

 カードの一文を読ん詰だゴルトンは、慌てて、痩せた執事長を呼んだ。


 そんな様子を、屋敷の裏手の木の上に隠れて伺っているのは、ライヤー少年。

 盗聴用の小蛙を耳に当てながら、大富豪の反応にニヤニヤが止まらない。

「へへっ、慌ててやがらぁ!」

 盗聴を済ませると、集音の小蛙と一緒に、ひときわ目玉の大きなカラクリ小蛙が戻ってくる。

 背中に「像」と書かれているカラクリ小蛙の頭を押すと、両目が輝いて、見てきた映像を目の前の樹皮へと投射。

 その中には、誘拐されて後ろ手に縛られている少女たちが六人、執事たちによって地下室から別の部屋へと移送されてゆく姿が捉えられていた。

「悪党どもが、悪あがきを始めてらぁ!」

 少年は立ち上がると、ゴルトンの屋敷を鋭く見据え、夕焼け空に輝き始めた星を見上げる。

「…涅槃のお爺ちゃん、安心してくれ。おふくろが受け継がなくて絶たれていた大怪盗ジライヤの名前は、孫のオイラがシッカリと受け継いでみせるぜっ!」

 ライヤーは身軽に、物音ひとつ立てずに、樹上から姿を消した–。


 夜の十時三十分。

 ゴルトン屋敷の周囲は、第十一衛士隊によって固く警護されている。

 正面や裏の門にはそれぞれ四名の女性衛士が油断なく立ち、整備された芝や飾られた庭園、屋敷の入り口や各階のテラスも、衛士たちによって固められていた。

 そんな警備の隙間を縫って、一体のカラクリ小蛙が、屋敷の壁に張り付いている。


 屋敷の大広間は、趣味の悪い派手なだけのカーペットが敷き詰められていて、中央にはまるで独裁者が好みそうな、金ぴかの玉座がしつらえてあった。

 そこに大股を広げてふんぞり返るゴルトンは、ワインレッドの艶々しい、やはり趣味の悪いガウンを着こんで、ブランデーを煽っている。

 大富豪の周りには、六名の女性衛士と、隊長であるアリスフィルドが警護にあたっていた。

 衛士隊に守られるゴルトンは、醜男な顔を更に苦々しく歪めている。

 怪盗から予告状が届いたものの、出来るだけ内密に、部下たちを使って闇から闇へ葬ってやろうと考えていたゴルトン。

 しかし怪盗は、ゴルトンへの予告状を出した事を衛士隊にも伝えていたらしく、ゴルトンが否定する暇もなく、衛士隊が警備をする事になってしまったからだ。

「まったく…コソ泥風情が…っ!」

 小さく毒づく大富豪だ。

 金細工で品も無く飾られた大きな柱時計は、十時半を少し過ぎたあたりを指している。

 警備隊長のアリスは、ノッポな執事長であるレードラから手渡された予告状を注視。

「これが、ジライヤからの予告状ですか」

 アリスフィルドは冷静に視線を動かし、予告状を声に出して読んだ。

『今夜 午後十一時 ゴルトン屋敷の秘宝「黄金の女神たち」を頂戴すべく参上いたします。なお、厳重な警備は無駄に終わるとご注進いたしますが、ご理解のうえならご自由に~っと! 怪盗ジライヤ』

 朗読を聞き終えると、ゴルトンはわずかな冷や汗を隠して、ブランデーを煽る。

「アタシもその、ジー・ライアン? ですか? 近頃よく聞きますが、いったい何者なんですかな?」

 ゴルトンが太い葉巻を咥えると、執事長が燐寸をすって火をつけて、大きく吸った大富豪がブハーっと煙を吐き出す。

 アリスフィルドは、ゴルトンのわずかな動揺を見逃さず、白いハンカチで口元を隠しつつ、素知らぬ美顔で応えた。

「私も最近 知ったのですが、マフィアや悪徳業者を狙って盗みを繰り返し、盗んだ金品を貧しい人々に配って歩く、酔狂な盗人です」

 ゴルトンは、「悪徳業者」とか「貧しい人々」という言葉に、動揺が表情にまで滲み出る。

「なんと。ではなぜアタシに予告状が? もしや相手を間違えたのではないですかな? ゲッハハハッ!」

 余裕ぶって笑うゴルトンに、アリスは冷ややかな視線を寄越した。

「私も最近 知ったのですが、街の盟主たるゴルトン氏について、なかなか香ばしい評判がありますね。それはそうと最近、貧民街の少女たちが行方不明となる事件が頻発してます。ところで、この予告状にある『黄金の女神たち』たちとは、なんでしょう?」

 矢継ぎ早に質問をしてくる騎士隊長に、ゴルトンは詰まって焦りだす。

「あぅ…び、貧乏人の評判なんてアタシは知らんよ! 貧民街のガキどもなんてワシは興味もないし、そもそも黄金の女神像なんて、ウチには無いわい!」

「ほほぉ」

 語調に余裕が無くなってゆく様子を、アリスフィルドは聞き逃さない。

 騎士隊長は窓から、夜空に輝く月光を眺めつつ、ゴルトンを注視する。

 そんな姫隊長の様子に気づくことなく、ゴルトンは執事長をアゴで呼んだ。

 頭を垂れて耳を寄せるレードラに、小声で確認。

「娘たちの移動は完了したな?」

 執事長が、邪心を隠さない笑顔で報告をする。

「はい。仰せの通り、別室の更に隠し部屋へと移動させ、地下室は既にも抜けのカラ。ご命令通り、娘たちに代わってサソリの大群を放ってございます」

 光もなく人の姿も無く、やや広い地下室には、爪が小さい、つまり毒性の強いサソリたちがウヨウヨと蠢いていた。

「そうかそうか、ニィッヒッヒッヒッヒッ!」

 悪徳の二人が、似たような気質の邪笑みでニヤニヤする。

 そんな二人の様子を、やはりアリスフィルドは見逃してなどいなかった。

 秘密を知った怪盗を葬る勝利を確信して、邪悪な二人が笑い出す。

「「ヒッヒッヒッ、ゲァアッハッハッハッハッ!」」

 下品な男たちの下品な笑い声をかき消すように、力強い意思の堂々としてた笑い声が、屋敷に轟いた。

「だ~っはっはっはっはっはああっ!」

「ななっ、何だ何だ誰がワシを笑っておるのだっ!?」

 突然の聞き知らぬ笑い声に、大富豪は驚きイラついて、思わず立ち上がる。

 その瞬間には既に、衛士隊長は隊員たちへの命令を発令していた。

「十一時だっ! 全隊っ、周囲を警戒!」

 隊長の命令で、全ての警備隊員が、油断なく周囲を探る。

 アリスと同じ四階フロアで、テラスを警備していた女性隊員が、いち早く報告を上げた。

「いますっ! 屋根の上、中央!」

 報告を受けて隊長自身がテラスへと駆け出し、見上げると、屋根の上には大きな木製蛙の背に立つ、怪盗ジライヤの姿があった。

 衛士隊が設置した梯子を、素早く駆け上がるアリスフィルド。

 屋根の上にて少年怪盗と対峙すると、油断なくソードを抜いて構えた。

「現れたな。怪盗ジライヤ…!」

 眼光鋭い姫隊長に、ジライヤはシレっと挨拶を寄越す。

「ぃよう、美人の姫隊長さん。遠目で見た時も綺麗だなって思ったけど、目の前で見ると月明りよりも眩しいや!」

 姫として耳にタコができるほど頂いている褒め言葉を、アリスフィルドは隊長として、冷徹に切って捨てる。

「君が犯罪者である以上、どのような言葉も唾棄すべき戯言だな」

 衛士隊も六名が隊長に続き、ソードを抜いて、遠巻きで怪盗を包囲する。

 おっとり刀でテラスへと走り出てきた悪徳富豪は、月光を背に立つ怪盗と、立つ屋根のその場所に、怒りと焦りの感情を隠さなかった。

「おっおっ、お前がコソ泥の、ジー・ライアンかっ!」

「いよう、大富豪のゴルトンさん。予告状の通り、アンタが大切にしてる女神像を頂きに参上したぜっ!」

 物怖じしない少年の言い草に、中年のゴルトンが怒りで醜顔を赤くする。

「あぁっといけねぇ。アンタにとっちゃあ黄金の女神像じゃあなくって、黄金に化ける少女たち。だっけなぁっ!」

 大声で事実を広報する怪盗に、大富豪は大きく慌てた。

「なっ–何を言うかっ! コソ泥風情がっ! お前のようなコソ泥の言葉などっ、どこの誰も聞きゃあせんわいっ!」

 語句の貧相なゴルトンの言葉と動揺する姿を、衛士隊長は逃したりしない。同時に、目の前に捉える怪盗の姿も、逃したりなどしなかった。

 悪事を知る怪盗を一秒でも早く無力化したくて、ゴルトンは怒りと焦りで上気した醜顔を更に崩壊させて、衛士たちを激昂する。

「ぇえいっ! 衛士隊たちは何をしとるか! とっととっ、そのコソ泥を捕らえなさいよっ!」

 地団太を踏み始めた悪徳富豪だけでなく、衛士隊たちにも聞こえるように、ジライヤは目の前の美しい姫隊長に言葉を向けた。

「アリスフィルド衛士隊長殿は、ご存じですかぁっ? このお屋敷の地下一階っ、書庫の一番奥の本棚をぉっ、チョイとずらせば更なる地下空間への、隠された入り口がございってねぇ!」

「な…っ!」

 怪盗の告白に、ゴルトンと執事の顔が驚きに染まる。

「貧民街のぉ、行方不明になった少女たちがぁっ、外国に売りさばかれるまでのぉっ、秘密の牢獄ときたモンだあぁっ!」

 アリスはジライヤを視界に捉えたまま、中年男の二人組を注視する。

「ななっ、なせそれをっ–あっいやっ–ななな何を言っているのだこのコソ泥風情があっ!」

 貧しい語句で必死にとぼけるゴルトンに、少年怪盗は更に告白。

「地下牢はぁっ、扉が一つで窓もなくぅっ、アリの入れる隙間も無しぃっ! なのに今夜ぁっ、サソリの大群がウジャウジャ這いずりっ、間抜けな泥棒を殺してやろうと罠を張ったと来たモンだああっ!」

 罠までバレて、ゴルトンは冷や汗を隠せない。しかも怪盗の言葉を聞いている護衛部隊は、護衛の意味も含めて、今すぐにでもゴルトンを確保できる位置だ。

「しっしっ知るかっ–っていうか、我が屋敷に地下室なんぞっ、無いわいっ!」

 アワアワする悪徳富豪の姿にニヤけながら、ジライヤは懐から、黄金のカギを取り出して、アリスに見せつける。

「アリスフィルドさん。この地下牢のカギ、良かったらご贈答いたしますぜっ!」

「ひえっ! そそその鍵をなぜ貴様がっ–あわわっ!」

 ゴルトンの動揺を、アリスフィルドは見逃さず、怪盗少年は楽しそうにニヤけた。

「な~んてなっ! この鍵は真っ赤な偽物なんだけどなっ! だ~っはっはっはっはっはぁっ!」

「な、なんて性悪なコソ泥めが…ハっ!」

 ゴルトンが焦ったのは、今さらながら衛士隊長の鋭い眼光に、気づいたからだ。

「なるほど…それで、ゴルトン氏は地下室のカギとやらを、ご存じなので?」

 悪を許さぬ衛士隊長の鋭い眼光が、月よりも冷たく輝く。

「しししっ、知らんってばっ! だだだだいいち、アレだっ! 攫われた娘とやらはっ、どこにいるっ!? ななななんんらっ、地下室を調べてみてもっ、構わんぞっ!」

「あわわ、旦那様っ!」

 口を滑らせまくる肥えた主に、執事長の細い顔が、更に細く青く変わる。

 と、ジライヤは、包囲する衛士隊の脚間を潜って戻ってきた、カラクリ小蛙を片手でキャッチ。

「おう、ご苦労だったな!」

 背中に「耳」と書かれた蛙を自分の耳に当てながら、ジライヤは大仰に頷いて見せた。

「ふむふむ、な~るほどなっと! 女の子たちは地下室からぁ、既に移動された後だと! 地下室にはサソリ以外の何も無しっと! で、女の子たちが今、隠されている秘密の場所はぁ…」

「あわわわ!」

 少年怪盗の言葉に、ゴルトンは慌てふためき、護衛の衛士隊は対象に視線を向ける。

 木製蛙の背なかで、ジライヤが大きく片手をあげる。

「ここだあああああぁぁっ!」

 振り上げた手で大きく指さしたのは、足元の屋根。

 その真下の室内。

 四階物置部屋の天井に張り付いていた小蛙が、ビカっと両目を輝かせると、窓ガラスの外にまでハッキリと明かりが照らし出された。

「この部屋ぁ、あ天井裏からぁ、潜め怯えた少女の声がぁ、ハッキリと漏れ聞こえてるんだぜえええっ!」

 怪盗の言葉に、アリスが素早く反応をする。

「三番隊っ、該当の部屋を緊急捜査! 隅々まで探せ!」

「「ィエスっ、マムっ!」」

 整然とした美しい応答で、隊の女性衛士たちが、物置部屋へと雪崩れ込んだ。

「わわっ、や、やめろ見るなあぁっ!」

 慌てるゴルトンと執事長が、護衛の衛士隊に押しとどめられる。

 十数秒と待たぬ後。

「捕らわれたと思しき少女六名と、見張りと思しき男三名を、確保っ!」

 窓から押し出された男たちは、執事服を纏っているものの、顔立ちはみな悪党面で、衛士隊によって後ろ手に縛り上げられている。

「ゴ、ゴルトン様~」

 更に、人間やエルフやケモ耳など、六名の少女たちの姿も確認されると、ゴルトンの犯罪は衛士隊に隠せない事実となった。

「ぐくく…っ!」

「護衛隊っ、少女誘拐及び人身売買の容疑で、ゴルトンを確保っ!」

「「「イエスっ、マムっ!」」」

「「ひえぇ~!」」

 震えて涙しながら抱き合うゴルトンと執事長が、衛士隊に捉えられて、連行されてゆく。

 アリスフィルドは、誘拐及び少女売買の重要容疑者が連れられるのを確認すると、再び怪盗と対峙をする。

「攫われた少女たちは無事に救出…ゴルトンたちも逮捕し、これまでの悪事も暴かれるであろう。そして怪盗ジライヤ…君は大人しく投降しろ…!」

 自首を勧告する衛士隊長の瞳には、いかな犯罪も許さないという強い決意と、それでも少年を救いたいという、優しい心が表れていた。

 美しい姫の優しい申し出に、怪盗少年は数メートルの距離を取ったまま、ニヤりと笑って応える。

「残念だけどお断りっと! 俺ぁまだまたぜ半人前。こんなところで取っ捕まったとあっちゃあ、ご先祖様に向ける顔もねぇや!」

 飄々と言いながらも、姫隊長の気合に密かな冷や汗も流していた。

 アリスフィルドは、それでも少年の説得を続ける。

「キミが予告状など出したのは、我ら衛士隊を呼び出す為であろう? キミのフロッグを以てしても、少女たち六人を一度に救出できるとも思えない」

 ニヤニヤを隠さないジライヤと、救出されて保護される少女たちをチラと見るアリスフィルド。

「奪った金貨を、キミが貧しい人々に配って歩いているのも知っている。義賊気取りも結構だが、それで刹那的に人々を救っても根本の解決にはならないし、義賊などで社会の仕組みは変えられない…。義賊など、所詮は犯罪者に過ぎないのだ」

 アリスは、厳しくも優しいまなざしで、告げる。

「ジライヤ、キミが人を救いたいと願うなら、大人しく投降をしろ。そしてこれまでの罪を償い、追われない立場となって、そのフロッグを始めとした素晴らしい技術力を、真っ当に使うのだ!」

 アリスは説得を続けながら、少年の投降理由づけのように、刀を鋭く向けた。

 その優しさは、少年にも伝わっている。

 しかし、ジライヤは木製蛙を一歩、退かせながら。

「で、従わなければ斬るって話かい?」

「……残念だがな…!」

 姫隊長の眼差しは、美しくも厳しさを増していた。

 周囲を取り囲む衛士たちが更に増えて、二重で取り囲まれる怪盗少年。外周の魔法衛士たちは、攻撃用の炎の呪文を素早く完成させている。

 絶対包囲の中で、ジライヤはアリスに答えを告げる。

「アリスフィルドさん。予告状を出した理由は、アンタの推測通りってヤツさ。だけどねぇ、二つだけ、間違ってるぜぇ!」

 言いながら、二本指を立てた掌を、姫隊長へと突き出した。

 この怪盗の言い分にも、アリスは衛士としてだけでなく、一人の人間として、興味があった。

「……聞かせて貰おうか」

 取り囲む衛士隊も、怪盗の動きを注視していた。

 密かな冷や汗を滲ませながら、怪盗は人差し指だけを立てる。

「まず第一に、オレは義賊を語るつもりなんざ、ねえ…! 俺は盗賊である事そのものに誇りを持ってるんでね。犯罪者上等だぁ!」

 僅かだけど厳しくなる、アリスフィルドの眼差し。

 ジライヤが中指も立てた。

 話しながら、少年の十指が、密かに怪しく蠢いている。

「第二に、オレは盗賊稼業で人々を救おうなんて、これっぽっちも考えちゃあいねえさ! 金貨を配るのは金が目的じゃあないからでぇ、オレの目的は怪盗しての成果だけ! なんでねぇ…!」

 衛士隊長の瞳が、無念の曇りを帯びる。

「とどのつまりは愉快犯を自認する…か。正直、残念だよ。だが逃がしはしない!」

 姫隊長が、白刃をキラりと輝かせつつ、静かに告げる。

「怪盗ジライヤ! 先の金貨窃盗の罪により、貴様を捕らえる!」

 隊長の言葉に、衛士隊の女性たちが、油断なく包囲を狭める。

 追いつめられるジライヤは、冷や汗を流しつつ、しかし更に大きく、ニヤりと笑った。

「遅いよ遅いよ、アリスフィルドさん! それに衛士隊のお姉さんたちもさ! 自分の背中に、気づかなかっただろ?」

「何…ハっ!」

 アリスたちの背中、それぞれの赤いマントに一体ずつ、小さなカラクリ蛙が張り付いていた。

 蛙の口にはごく細い糸が咥えられていて、その糸は怪盗の立つ木製蛙の口へと繋がっている。

 アリスだけでなく、衛士隊全員に緊張が走る。

 魔法攻撃を準備していた衛士たちも、仲間たちの安全を考えると、苦々しくも術式中断をせざるを得ない。

 相手の背中に張り付かせる意図は、身体にダメージを与える為だと、アリスフィルドは考察した。

「…話している間に仕掛けたな! これはなんだっ!?」

 少年怪盗が、人差し指をかぎ型に丸めて示す。

「なぁに、オレの指先技で、ちょいちょいっとね!」

 アリスたちは、身動きが取れなくされていた。

 勝ち誇ったように話すジライヤ。

「ああそれで、ついでにもう一仕事、させて貰ったぜっ! そぅれっ、出てきやがれえええっ!」

 少年怪盗の掛け声で、屋敷から大量の小蛙が飛び出してきた。

 ゼンマイ仕掛けの蛙たちはみな、口いっぱいに金貨を咥え込んでいる。

 驚愕するアリス。

「金庫破り…! 貴様っ、その金貨も目的だったかっ!」

「だ~~~っはっはっはあぁっ! どうせ人身売買で貯め込んだ汚ったねぇ金だぁっ! ジライヤ様が頂いてやらあっ!」

 金貨を咥えた小蛙たちが、カラクリ蛙のお腹の中へと次々に回収されてゆく。

「…ぉのれ…っ!」

 目の前で金塊強盗が行われている。

 しかし衛士隊の女性たちは、背中に何かを仕掛けられていて、動く事すら出来ない。

 隊長のアリスはしかし、悲壮なる決意を固めつつあった。

「悪党めっ–このままおめおめと、逃がすと思うか–」

 一歩踏み出そうとした姫隊長に向かって、小蛙を回収し終えたジライヤが、勝ち誇って告げる。

「じぇんとーまん? なオレ様からの忠告だぁ! お姉様方みんなっ、あと五分はその場から動かない方が、身の為だぜぇっ! それじゃあ、オサラバっと!」

 完全包囲から悠々と脱出を図る少年怪盗を、姫隊長は自身のプライドにかけても、逃すつもりなど無かった。

「命に代えても、二度は逃がさぬ!」

 アリスは、背中の蛙がたとえ魔法の炎だとしても、怪盗を見逃さない決意で、強く一歩を踏みしめる。

 小さな蛙から何かの攻撃魔法が発動し隊員たちがダメージを受けたとしても、仕掛けられていない部隊の衛士たちが、素早く対応するだろう。

 たとえ、アリスフィルド自身が著しいダメージを受けたとしても、悪党を二度も逃す事など、出来ない。

 裂帛の姫隊長に、少年怪盗は逆に慌てた。

「うわっ! だっ、だから動いちゃダメだってばっ!」

「ムっ…! その様子っ、背中のフロッグに危険はなしと見たっ!」

 あまりの慌てっぷりに、アリスはそう考察。

「ほんとにダメだってっ! みみみ見えちゃうからっ!」

「怪盗ジライヤっ、覚悟っ!」

 赤くなってアワアワしている少年怪盗へと、剣を輝かせて駆け足で接近するアリス。

 十分な射程に捉えたと同時に、姫隊長が剣を振り上げた。

「命までは奪わぬっ! ただ抵抗できぬよう–ああっ!」

「「「ええぇっ!?」」」

 その瞬間、隊長を含めた、その場の女性衛士たち全てが、自身の異変に気が付いた。

 鎧の留め金がカチっと外れ、マントが落ちて、全ての金属パーツがガシャガシャっと落下。

 同時に、アンダースーツの縫い目から糸が抜かれ、手足や胴体だけでなく、更にブラジャーやショーツの縫い糸もスルんと抜けて、女性衛士たちから大きな悲鳴が上がった。

「「「きゃあああああっ!」」」

 背中に張り付いていた小蛙の口から伸びている糸は、屋根の上の全ての女性衛士たちの衣服にも、繋がっていたのだ。

「よ、鎧がっ!」

「いやぁあっ、な、なんでぇっ!?」

 月光が射す屋根の上で、女性衛士たちはみな、一糸纏わぬ全裸姿にされていた。

 慌てふためき、裸を隠そうとする女性たちは、手にしたソードをカシャンと落とす。

 そして、アリスフィルドも。

「な、なに! ああ…っ!」

 突然ヌードにされてしまい、冷静な美貌の姫隊長も、驚愕の表情で赤面をする。

 片膝をついて両手で裸身を隠すものの、しかしソードを手放していないあたり、さすがは剣士だ。

 そんなアリスフィルドの姿に、少年怪盗は逃げるのも忘れて視線を奪われ、強い興奮と喜びで、マスクの下では破顔していた。

「うひゃあ~っ! アリスフィルドさんの裸だ裸~っ! 綺麗でやらしくて溜まらないいいいぃぃぃいいいっ!」

 ジライヤはカラクリ蛙の背中から大きく身を乗り出し涎を垂らし、今にも飛びつかんばかりの興奮っぷり。

 相棒のカラクリ蛙が口から木槌を伸ばし、怪盗の頭をゴツんと叩く。

 アリスフィルドが、赤面しながら推察をする。

「そ、そうか! 話している間に…っ!」

 周りの女性衛士たちの裸も、男子の本能として急いだ感じで全員見たものの、やはりアリスフィルドの裸は、格別だった。

「アっアっアっアっアリスさんっ! はぁっはぁっはぁっはぁっはぁっ!」

 姫隊長の頭が、ゴォっと怒りと羞恥で燃える。

 ただでさえ、逃走を許して一敗地にまみれた相手なのに、更に、裸に剥かれてしまった。

「ぉのれ…このっ、怪盗めぇっ!」

 怒髪天を突くアリスフィルドは、羞恥を超える怒りで我を忘れ、全裸のまま立ち上がりソードを構える。

「うわわっ、アリスさん全部見えちゃうっ–っ!」

 思わず目を覆って指の隙間から裸身を鑑賞してしまう少年怪盗は、生まれて初めてレベルな命の危機を、体感する。

「狙いは金貨ではなく、我々の裸体だったのかっ! この卑劣漢めっ、貴様だけは絶対に許さぬっ! ハァァァァアアアアアアアっ!」 

 目尻に羞恥の涙が光るアリスの冷徹な美貌が、必殺の気合で輝く。

「やっ、やべぇっ!」

 殺される–。

 そう直感した少年怪盗は、大慌てで木製蛙を逃走させた。

 その瞬間。

「逃さんっ! 紅月流秘剣っ、凍てつく白月っ!」

 走りながら繰り出された魔法の断絶攻撃が、女性衛士隊の頭上を越える全力でジャンプをした木製蛙の胴体を掠め、左の後ろ足をスバっと切断。

「うわわっ、蝦蟇二式!」

 ダメージを負ったカラクリ蛙は、大きくバランスを崩したものの、屋根の端っこに何とか着地。

「大丈夫か? 帰ったらすぐに直してやるから–うわっ、また来るっ!」

 相棒を気遣う怪盗に、第二の刃が飛んでくる。

「今すぐ斬って捨ててやるっ! 凍てつく白月っ、白月っ、白月ーーーっ!」

「うわうわうわ死ぬ死ぬ死ぬうっ!」

 怒りで連射される魔法の刃を、木製蛙と怪盗少年は死にたくない一心で避け続けると、ようやくお屋敷から撤退が出来た。

「ふえぇ…やっぱおっかねぇ…」

「白月ーーーっ!」

 庭の大樹の上で一息ついたら、間髪入れずに攻撃をされて、大樹そのものがバッサリと断絶されて倒壊。

 倒れ往く樹上から、怪盗少年が冷や汗交じりで勝利宣言を残す。

「おっととっ! と、とにかくオサラバだからっ! それじゃっ、姫様っと!」

 ジライヤは、バランスを崩すカラクリ蛙に乗って、ゴルトンの屋敷から街中へと、完全に撤退をした。

「はあ、はぁ…おのれ、またしても…取り逃がしただけでなく…っ!」

 振り返ると、部下の女性たちがみな、自分と同じく裸にされて、恥ずかしそうにうずくまって身動きもとれない。

 女性衛士たちを裸に剥いたカラクリの小蛙たちも、いつの間にか姿を消していた。

「……してやられた…!」

 屋根に上がってきた女性衛士たちが、みなにマントを掛けて裸体を隠す。

「隊長殿…!」

「ああ、助かった…」

 剣を持つ姫隊長にもマントが掛けられて、ようやく裸身が隠される。

 月明りに照らされるアリスフィルドの美貌は、屈辱と羞恥で上気して、切れ長の眼差しにも、恥ずかしの涙が光る。

「ジライヤめ…こうなったら必ず、貴様を捕らえてみせるぞ…っ!」

 怪盗が逃走した夜の街に向かって、裸マントのアリスフィルドは強く誓っていた。


 翌日。仕事を終えて昼過ぎの宿屋で、ライヤーは荷車の洗浄をしていた。

 思い出すのは昨夜見た、アリスフィルドのヌード姿ばかり。

「アリスさんの裸…あの美しさと恥じらいの表情…怒った顔も堪らなく可愛かったなぁ…おっぱいも大きくて、月明りで艶めいてて…はあぁ~」

 頭の中を姫隊長の裸がグルグルと回っていて、荷車の同じ場所ばかりを磨き続けていた。

 後ろ足にダメージを負った蝦蟇二式は、昨夜のうちにライヤー自身が修理をして、現在は物置の床下の隠し部屋で眠っている。

「はあぁ…アリスさん…」

「ライヤーくん、帰っていたか」

「うわっ!」

 背後から小鳥のような、しかし意思強い美声で呼ばれて、ドキっと心臓が跳ねた。

「ア、アリスさん…! どぅも…でへへへ…」

 陽光をキラキラと纏う姫隊長を、少年は歓迎しながら、昨夜の裸を思い出してニヤけてしまい、慌てて姿勢を正す。

「ああっと…アリスさんが来たって事は、昨日も怪盗が出たんですか?」

「あぁ…まあ、いつも通りの質問を繰り返してすまないが…」

「いいえ! アリスさんの為なら何でもござれですよ! それより…」

 ドキドキを抑えて拝顔すると、アリスフィルドの美顔はやや憂いを帯びている。

 ハッキリと顔に出ているのではなく、憂鬱を隠そうとしているけと、毎日のようによく見ているライヤーには、すぐに分かったのだ。

「アリスさん、何か気になる事でも?」

 ライヤーは、本気で心配になる。

「あ、いや…なぜ…?」

「アリスさん、なんか元気ないですよ?」

 真っ直ぐ見つめる少年の視線に、アリスはなんだか、少し安心感を覚えてまった。

「あぁ…よくわかったな。ライヤーくんに、隠し事は通じないようだ」

 言いながら、姫隊長がテーブルに歩いて近づくと、少年は椅子を引いて、席を用意。

「ありがとう…君はいつも、紳士だな」

「いやぁ…あ、いまお茶を淹れますね」

「ありがたい…キミのグリーンティが飲みたかったのだ…」

 ホゥ…とため息を吐くアンニュイなアリスフィルドは、長い金髪をサラサラと風に流し、まるで太陽神に守られてるようだ。

 ライヤーは緑茶を淹れて、故郷から今朝、新しく届いた和菓子をお茶請けに出した。

「これ、今朝 故郷から届いた芋羊羹です。どうぞ」

「イモ・ヨーカン…? なんだか黒々として艶々で不思議な感じだが…失礼だが、その…食べ物、なのだろう…?」

 初めて見た物体に対する不安感と、それでもライヤーの出した食べ物ならきっと美味しいだろうという興味とで、まるで少女のような、きょとん顔。

(ア、アリスさん…可愛いいいいいい~~っ!)

 思わず目がハート型になる少年だ。

「いい香りで、甘~いですよ~。お茶の渋みとピッタリって言いますか」

「ほほぅ…」

 ライヤーの薦めに、アリスの頬が上気して、フォークを手に取った。

「では、頂きます…あむ…」

 一口食べたら、豊かな小豆の甘みと柔らかい食感、栗の甘さと歯ごたえが、口の中を幸せなハーモニーでいっぱいにする。

「んんん…なんと、美味な…」

 生まれて初めて羊羹を食べる姫様は、やはり少女のように、幸せな笑顔を愛らしく隙だらけに蕩けさせていた。

 美味しい和菓子と優しい苦みの緑茶を頂き、衛士隊長は、ほぅ…と幸福な息をこぼす。

「いかがですか?」

「ああ…やはりキミの勧めるティーは極上だな」

「アリスさんが元気になれれば、オイラにはそれが何よりでさぁ!」

 少年の素直な言葉に、アリスフィルドは優しい笑み。

 そんな年上女性を、ライヤーは黙って受け入れて、温かいお茶をすする。

(アリスさん…一息吐けたみたいだな)

 椅子に腰かけてお茶を楽しむアリスの鎧姿が、昨夜見た裸と重なって、ついドキドキしてしまう少年。

「んん…」

 そんなライヤーの心情を、当たり前に気づかないアリスフィルド。

 安心感に対して、意地を張るのを諦めた、みたいな吐息をこぼし、少年に憂いを告白した。

「実はな…」

「はい」

「不覚にも昨夜、怪盗に裸を見られてしまってな…」

「ぶふっ!」

 ライヤーは思わずお茶を噴き出す。

 憂いの原因は怪盗を逃した事だろうか。と考えていたライヤー。

 しかも裸にされたなんて話を、他人である自分にしてくるなんて、想像もしてなかった。

「ごほっごほっ…!」

 少年の驚きに、それでもアリスフィルドの告白は止まらない様子。

「私も体験して初めて知ったのだが…例の怪盗は相当に手先が素早く器用だという事だ。よもやこの私が、ああもアッサリ裸に剥かれるなど、想像すらしていなかったよ…」

 シュンと落ち込む姫隊長は、しかし話しながら、少しずつ強い意思を取り戻してゆく。

「二度も続けて逃走を許しただけでなく、城の従者や同姓の衛士隊員たち以外で裸を見られてしまったなど、初めての事だ。なんたる屈辱か!」

「そ、そうなんですか…ごほっ! また大変な目に…っていうか、そんな事、オイラに話しちゃっていいんです…か…」

 言ってから、ハっと思う。

(そ、そんな恥ずかしい秘密を共有できるって事は…もしかして、アリスさん…オイラの事を…!?)

 ライヤーの頭の中で、アリスフィルドの花嫁姿が思い浮かぶ。

 クリスマニアに来てから知った、うぇでぃんぐどれす、という姿ではなく、文欽高島田で。

 美しい着物姿に金髪がミスマッチで、なんとも不思議な美しさを魅せている。

 隣にいるのは、もちろん。

(アリスさんと、オイラが…うひゃあ~!)

 勝手に想像して勝手に照れて頬染める少年に、アリスは気づいている様子なしだけど、そんな姫様の様子に少年も気付いていない。

「うへへ…ごほん!」

(こ、こうなったら…オイラが責任を…!)

 想いを寄せる相手が想ってくれていると分かったなら、引っ張るのが男だと、お爺ちゃんも言っていた。

「ア、アリスさんに何があってもっ、オっオっ、オイラの想いは…でへへ」

 モジモジする少年に気づく事なく、アリスは正直に話す。

「私も最近知ったのだが、町の人々の話によると、キミは相当に口が堅いらしいな。つまらぬ愚痴ですまないと思たのだが…どうしても、衛士隊の仲間以外の誰かに、聞いてもらいたくてな…」

「いえいえっ、そんなっ…そこまでオイラの事を–ハっ!」

 ニヤニヤ恥ずかしがっていたライヤーが、気づく。

(まてよ…そもそも異性として意識してる相手に、そんな話をするだろうか…)

 配達業として街を走り回っていて、女性たちの話題などを耳にするに、こういう類の話をできる男性は、二種類。

①男女としてのパートナーと呼べる親しい男性。

②異性として意識していない男性。

 アリスがライヤーに赤面したりモジモジしたりしたことは、ただの一度もない。

 つまり。

(……アリスさんにとって、オイラは…恋愛対象じゃなくて…いわば弟的な…?)

 真実に気づいたライヤーは、ガックリと肩を落とす。

「? どうかしたのか、ライヤーくん」

「い、いええ、別に…あはは」

 心配げな「?」顔も、やっぱり優しくて美しいなぁと、ライヤーはまた直に惚れ直す。

「も、もちろん、誰にも言いませんよ、オイラ…」

「ありがとう。キミに聞いてもらえて良かったよ」

「え、えへへ…」

 優しい木漏れ日の庭先では、小鳥たちがさえずり、あたたかな風が流れる。

 二人の午後のお茶会は、いつもと変わらず、穏やか。


                          ~第一話 終わり~

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カラクリ怪盗 少年ジライヤ 八乃前 陣 @lacoon

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