第一話 第一章 蛙に乗った少年

 欧州風の街並みは上品でありながら、繁華街などは夜が深まってもランプの明かりで眠る事を拒み続ける。

 人々が行き交う飲食通りや、少し外れて隠れるような立ち並ぶ風俗寄りな店にも人がうろつき、更に裏通りから海に向かうと、レンガを積み重ねて建てられた倉庫街があった。

 大通りの明かりやニギヤカな空気が感じられる倉庫群は、警備の衛士たちが常駐しているものの、それ故に、暗黒街の面々には安全に闇取引ができる密かな現場でもある。

 黄金龍の鎧をまとった四人組の男たちと、白銀の十時鎧で着飾った四人の男たち。リーダーたちは腰に大型の剣を下げていて、三人の部下たちもそれぞれの武装を下げている。

 龍の一団の肥えたリーダーと、白銀の一団の長身リーダーが、互いに一歩詰め寄って、怪しい取引が始められた。

 肥えた男が差し出した小瓶には、クリアレッドな粘液が揺れている。

 細身の男が静かに目を凝らし、太った男に確認をする。

「ダー、それが噂の……」

「アイね。この液体を、赤ワインにほんの一滴。垂らして飲ませば女は完全な操り人形ね。ウヒヒヒ」

 互いに種族特有な訛りがありながらも、共通語での会話には支障なし。

 それぞれが引き連れる部下たちが、リーダーに顎で呼ばれ、左右に位置する。

 痩せたリーダーの掌に、超えた男の手から、赤い小瓶が乗せられると同時に、銀鎧の一団から金鎧の一団へと、金貨の詰まった袋が三つ、手渡された。

「ダー、取引は円満に終了だ……」

「アイアイね。良い商売はより良い明日を約束するね」

 取引を済ませたリーダー同士が、ガッチリと握手を交わす。

 男たちの密かな会話と、夜の波の音しか聞こえなかったはずの倉庫裏に、やたら豪快な笑い声が木霊した。

「っダ~~~~っハっハっハっハっハアアっ–とくらぁっ!」

 密かな空間を全く無視する少年っぽい笑い声に、八人の男たちは素早く警戒をする。 

「ダーっ、お前…っ!」

「アイヤー! あんた、衛士に付けられてたねっ?」

 互いに相手のドジを責める、闇の男たち。

 部下たち計六人が、腰の得物に手をかけながら盾となり、それぞれのリーダーが守られる。

 人目が届かぬ狭い倉庫裏ゆえ、 笑い声が反響して、主の居場所が特定できない。

 しかし、誰かに付けられていたであろう事だけれは解っている。

「アイヤーっ、どこにいるねっ!?」

「ダーっ、姿を見せろ…っ!」

 周囲と足もとを警戒していると、頭上の上から細長く朱い紐らしき物体が素早く伸びてきて、小瓶と、金貨の詰められた三つの袋を攫っていった。

「あっ!」

 金品を奪われた男たちが、紐の出どころへと視線を追わせる。

 見上げると、倉庫の向こう、繁華街の三階建てな一店舗の屋根の上で、黒い二つの影を確認した。

 一つは、少年らしき小柄な人影。

 もう一つは、ボッテりとした石積みのようなシルエットで、高さは少年と同じくらいか。

 小瓶と金貨を奪った朱い紐は、ボッテリシルエットの方へと吸い込まれていった。

「ダーっ、貴様…っ!」

 痩せた一団の方が素早く反応し、影の立つ店舗裏へと走り寄る。

 肥えた一団が到着するタイミングで、謎の影の正体を問う。

「アイヤっ、お前、何ヤツねっ!?」

 吸い寄せた小瓶を掌でポンポンと弾ませながら、謎の影の少年は、闇の部下たちが唱えた、掌の照明魔法の光によって、下方向から照らされた。

 光指す屋根に照らし出されたのは、平均的な身長の、少年と解る一人の姿と、蛙の形をした大きな物体。

 少年は、東洋の島国を思わせる和装の、荒波や花吹雪の派手な柄の上着を纏っていた。

 帯は金色で、背中には腕くらいの長さなキセルが滞納されている。下履きやグローブやブーツはこの国の平均的な衣服だけど、所々に独自な装飾が施されてもいた。

 頭髪は黒く長くサラサラで、後頭部で纏められて風になびき、島国のチョンマゲを連想させる。

 顔は目元がマスクで覆われていて、マスクは白地に赤や青の派手な隈取で塗られていた。

 隣の大きな蛙は、木造丸出しなカラクリ仕込みで、大きな口からは朱い舌が覗けていて、金貨の袋を保持している。  

 照らされながら、少年が腕組みから見栄を切りつつ、応えた。

「問われて名乗るもおこがましいが、問われ名乗らずは無礼の極みぃ!」

 ポーズを変えて、名乗りを続ける少年。

「東の荒海エイヤっと超えてぇ、辿り着いたはクリスマニアの豊かな大地! 人々が暮らす平和なこの地も、お天道様がちょいと目を離しゃあ薄ら汚ねぇダどもが、我が物顔してうろついてやがらぁ! 臭ぇダニども蹴散らせと、お天道様が名付けた俺の名はっ!」

 再びポーズを変えて、ビシっと決める少年。

「カラクリ怪盗っ、アっ、ジライヤ様だあぁぁあああっ!」

 名乗りが終わると、隣の蛙から甲高い木打ちの音が轟き、拍手喝さいが鳴り響く。

 ジライヤと知った男たちの顔が、驚きながらもギリっと鋭く変容をした。

「ダーッ! キサマが最近噂のジライヤーだとっ!?」

「アイヤーッ! お前たち、あの小僧から金を奪い返すねっ!」

 それぞれの部下たちが、得物を抜いて、店舗の屋根へと駆け上がる。

 ×字鎧の男たちは、裏口から店内へと駆け込んで、客たちを押しのけながら屋根の上へ。

 龍鎧の男たちは、ムカデのように連なって、器用にも壁を這い上がってきた。

 屋根の上に到着すると、どこからか曲刀を取り出した龍鎧の三人と、両手にショートソードを構えた×字鎧の男たち。

 六人の殺人者に囲まれた少年怪盗は、カラクリ蛙の背中に乗ると、取り囲む男たちを警戒する。

 ショートソードを油断なく構える後方の三人に対し、前方の三人は曲刀をリズミカルに揺らめかせ、曲芸みたいに振り回す。

「うひょう、器用なモンだ。悪党なんか廃業して大道芸人になればいい!」

「口の減らない餓鬼アル!」

「ダーッ! 殺してでも奪い返せ!」

 リーダーたちの命令を受けた六人が、それぞれ勝手にジライヤの命を奪いにかかった。

 「ハイイッ!」

 曲刀組が、左右に軸をずらしながら走って接近。タイミングをずらしながら切りかかって、怪盗の首を狙ってくる。

「うわわっと! なんだか怪しい動きだねぇっ!」

 後ずさる蛙の上で身をかわしたジライヤに、背後からのショートソードが迫ってくる。

「ヤーッ!」

「おおっと!」

 余裕の口調で避けるジライヤだけど、靡く髪をわずかに切られ、蛙から飛び退いて屋根へと着地。

「あ~危ねぇ危ねぇ! 油断大敵火がボーボーってのはこんなこった!」

 軽口をたたくものの、こめかみに僅かな冷や汗をかいている。

 背中を見せた怪盗に対し、曲刀の男たちが切りかかってくると、ジライヤは大きなキセルを素早く抜いて、刃をガード。

 のしかかられて、大人の怪力で押し込められると、小柄な少年は身動きが取れなくされてゆく。

「あはは、コイツはヤベーな!」

 追いつめられてゆく怪盗に、リーダーたちは不適な笑み。

「ダー、コソ泥が我らに噛みつくからだ」

「アイアイ、とっとと餓鬼の首を持ってくるアル!」

「俺様の首は安くないぜぇっ!」

 小さな体を更に小さく丸めると、ジライヤは背後へと転がって刃の圧力から脱出。

 姿勢を崩した龍鎧の男たちが慌てて起き上がると、タイミングバッチリで、カラクリ蛙の口からバネ式の拳が飛び出して男たちを打撃。

「アルゥッ!」

 脂肪の顎を強打された龍鎧の男が一人、ノックアウトされて倒れる。

「豚はまかせたぜ。蝦蟇二式(ガマニシキ)!」

 ガマニシキと呼ばれた相棒がゲコっと泣いて、龍鎧の男たちと対峙する。両目を光らせるカラクリ蛙に、豚呼ばわりされた男たちも、用心深く身構えた。 

「ダーッ!」

 ×字鎧の暗殺者によってジライヤ目掛けて振るわれた二振りのソードを、素早いジャンプで交わすと、少年怪盗は屋根ではなく、高い煙突の側面へと着地。

 両脚だけで垂直に立つ奇妙な怪盗に、男たちの判断が一瞬だけ停止する。

「ジライヤ盗術ヤモリ脚ってな! そらよっと!」

 動きが止まった男のソードを黄金のキセルで叩くと、銀色の刀身がバキンとヘシ折れた。

「ダーッ!?」

「殺しゃあしねぇ! おねんねしてなっ!」

 怪盗の流儀を口にすると、ソードを叩き折ったキセルで男の頭を強打して気絶させる。

 怪盗少年の身軽さや、壁に張り付く異様な技に、襲撃者たちは息を呑んだ。

「く…っ!」

 銀×字の男たちと、龍鎧の男たち。それぞれがいまだ二対一の状況にもかかわらず、怪盗を打ち倒す事が叶わない。

 裏通りから見上げるリーダーたちも、イライラを募らせてゆく。

「アンタのとこの部下たち、だらしなさ過ぎるアル!」

「ダーッ!? それはキサマの部下どもだろうがっ!」

 リーダー同士で睨み合い、しかし建設的ではないと気づき、とりあえずの同盟。

「ワタシが殺してやるアル!」

「ダーッ! オレの手を煩わせやがって!」

 自分の得物を引き抜いた二人が、屋根を目指して一歩踏み出すと、怪盗少年は部下たちと戦いながらも忠告をくれた。

「おっちゃんたちよぉ、オイラの事より自分の身ぃでも心配しとけって!」

 ショートソードをかわしながら、ジライヤは背中にネジの付いた小さな蛙を耳に当てている。

「アイヤッ! 口の減らない餓鬼アルネッ!」

「ダーッ! 切り刻んで魚の餌にしてやる!」

 少年の挑発に怒りを隠さない悪党リーダーたちが、建物に突入しようとしたタイミングで、背後から強烈な白い光が投光された。

「「!?」」

 男たちが思わず振り返ると、建物の裏側を完全包囲している一団。

 白い鎧に真っ赤なマントを靡かせたその勇ましき姿は、王国の治安を守る衛士たちだ。

「盗聴してた時間通りだな!」

 衛士隊の姿を確認したジライヤが、子蛙を懐にしまう。

 悪の男たちは六人全員、衛士隊の登場に、動きが止まった。

 二十名ほどの衛士隊はみな壮麗な女性で、五名の魔術使いが強力な照明魔法で、現場を昼のように明るく照らしている。

 一団の中央から、衛士隊の隊長が、優雅に歩み寄ってきた。

 腰まで届くサラサラなストレートの金髪を夜風になびかせ、切れ長なまなざしが正義の決意で凛々しく輝く、一人の女性。

 美しい目鼻立ちは高貴な気配を全く隠せず、一目しただけで王族であると、誰でも確信できてしまうほどの気品と美貌。

 背後からの照明魔法に照らされたそのシルエットすら、並みの悪党であったら見ただけで自首してしまう程の、神々しさを発揮していた。

 艶めく朱い唇が静かに開かれると、美しくも鋭い正義の声が、裏通りを支配する。

「クリスマニア王国衛士隊 第十一 治安維持中隊隊長 アリスフィルド・ガーディアルである! 闇取引があるとの情報を得て参上した! この場にいる者たち、皆、大人しく投降せよ!」

 女性隊長の名乗りを聞いて、悪の男たちが驚愕をする。

「「「アっ、アリスフィルドっ!?」」」

 特にリーダーたちは、部下たちよりも当たり前に情報通だ。

「アイヤッ…アリスフィルドと言えば…っ!」

「ダーッ! 王国の第四姫にして『恐怖も逃げ出す』女衛士隊長…っ!」

 カツ…カツ…と、ハイヒールブーツの靴音を優雅に鳴らし、男たちに歩み寄る、姫衛士隊長。

 六メートル、五メートル、四メートル…。

「ア、アルアルアル…ッ!」

 恐ろしい通り名をよく知る金龍鎧の男が、鋭い眼光で見据え続ける美麗の衛士隊長に追い詰められて、無謀な行動に打って出た。

「こっ、この間抜けアルッ!」

 長い曲刀を強く握ると、痩身の姫君へと駆け寄る。

「お前を人質にして、女騎士どもも、ワタシの奴隷にしてくれるアルネッ! アイヤアアアッ!」

 龍鎧の悪慮に乗って、銀鎧の男も二本の長刀を鋭く構える。

「ダーッ! 良いアイディアだっ!」

 鎧の下に隠された大きな脂肪腹をユサユサと揺さぶりながら、肥えた悪党が襲い掛かる。

 二振りのソードを振り回す細身の男も、ともに並んで襲撃を仕掛けてきた。

 醜い有様の男たちを、姫君は冷静に、冷徹に見据えた。

「愚かな…」

 静かに瞼を閉じた次の瞬間、ハイレベルに集中された意識でまなざしが鋭く輝き、携帯している痩身の剣を素早く引き抜く。

「ィヤアっ!」

 曲刀をかわし長刀を避けて、すれ違いざまの一瞬で決着。

「紅月流剣技…月光の二短調…っ!」

 アリスフィルドが剣を収めると、男たちの鎧が一瞬で崩壊し、長い得物も四散する。

「「ヒ…ヒイイイイッ!」」

 下着姿となった二人のリーダーが、青い顔で膝まづいて、衛士隊の手で取り押さえられる。

 裏通りの捕り物劇を見守るしかなかった屋根の上の男たちも、恐怖に駆られて遁走を試みた。

「やっ、やばいダーッ!」

「ワタシたちも逃げるアルッ!」

 壁や出入り口へと殺到する悪党たちの前に、ジライヤとカラクリ蛙が立ち塞がった。

「おいおいオッチャンたちよぉ。自分らのボスを置いてったらマズくねーか?」

 ニヤける少年の挑発にも、男たちは必死だ。

「黙れ小僧っ、ダーッ!」

 ショートソードや曲刀を振り回す男たちは、スタイルも何もなく無様で、ジライヤでなくともその切っ先をかわすのは容易だろう。

 銀鎧の男たちは身軽な少年怪盗のキセルで頭を叩かれ気絶をして、金鎧の悪党たちは蛙のバネパンチでノックアウト。

 合計六人の部下たちは、蛙の口から延ばされた朱い舌で纏められて、裏通りの姫隊長へと納品された。

「お前たちの言い分は、詰所にてジックリと聞かせて貰おう」

「「「は、はいぃ…っ!」」」

 縛り上げられた八人は、ただ降参するしか出来なかった。

 裏取引の男たちを捕らえると、アリスフィルドはあらためて、屋根の上の怪盗を見上げる。

「私も最近知ったのだが、お前が噂の怪盗、ジライヤか…?」

 問われた少年怪盗は、嬉しそうに答える。

「おぅよっ、お初にお目にかかりましたってねぇっ! 噂の美人な姫隊長さんだろっ? 聞いちゃあいたけど、噂以上に綺麗でおっかないねぇっと!」

 ジライヤは、見栄を切りつつ、アリスフィルドに向けて自己紹介。

「泣く子も黙って悪党も黙るぅっ、天下御免のカラクリ怪盗ジライヤ様たぁっ、アっ、俺が事だあああっ!」

 照明魔法の光を下方から浴びつつ、隣のカラクリ蛙が大口を開けて、ドドンドンっと太鼓の音頭を取る。

 ジライヤの名乗りにも美しい真顔を崩さず、アリスフィルドは問いかけた。

「闇取引の悪党どもを捕らえたとはいえ、その権限はキミにはなく、キミ自身にも危険な行為であり、またキミ自身が近ごろ世間を騒がせている怪盗である事実にも間違いはない。悪いようにはしない、奪った金品を持って、今すぐここに降りてくるのだ」

 美衛士の説得を、ニヤけて返す怪盗少年。

「イヤだと言ったら?」

 アリスフィルドの表情が変わる事もなく。

「我ら衛士隊が引っ捕らえるまでの事」

 冷静に言い放つ姫隊長には、それだけの自信があるのだろう。

 腕を組んで冷静な視線で、しかし有無を言わさぬ美しい迫力があった。

 そしてジライヤは。

「へっへ、お断りっと! 自首なんてしたら、ご先祖様に会わせる顔がね~やってな!」

 両手をヤレヤレ姿勢で、更に言葉を続ける。

「たとい美人の隊長さんがぁ、鎧を脱いで大きなオパイで誘惑してもぉっ、アっ、俺の信念は微塵も揺れたりゃあ、しないんだぜぇ~!」

 恰好をつけて言いながら、ふくらみに合わせて大きく丸く造成された胸鎧の立体造形に、だらしない視線を隠せないジライヤだ。

「ぜぇ~! ハァ、ハァ、でへへへ」

 カラクリ蛙の口から木槌が伸びて、頭をコンっと叩かれる突っ込み。

 少年の挑発を当たり前に流しながら、アリスフィルドの視線が鋭く光った。

「そうか。ならば実力行使と行こう」

 その口調が、ほんのわずかだけ弾んでいたことに、アリスも気付いていない。

 衛士隊長が、切れ長の瞼を一瞬だけ閉じて、静かに呼吸。

 長剣の握りに手をかけると、姫の体から裂帛の気合が放出されて。

「すうぅ…紅月流秘剣、ブール・コールン・ハリコーン 凍てつく白月(びゃくげつ)!」

 裏通りに木霊する透き通った美声と共に、屋根の上の怪盗に向けて、素早く刃が振るわれる。

 ヒャッ…と風を切る音だけが聞こえたかと思ったら、ジライヤの眼前には三メートル程の、三日月型の白い剣圧が急接近していた。

「うわわっ! 魔法攻撃っ!」

 さすがに焦った少年怪盗は、キセルで防ぎながら背後へと転げて避ける。

 ギリギリで身をかわした怪盗は、手の中のキセルが綺麗に切断されている事実を見て、とっさの防御は無意味だったと知った。

「ひゅ~、すんげぇ切れ味」

 キセルの切断面は、まるで鏡面のように艶々で滑らか。

 キセルに意思があれば、切られた事にも気づいてないであろう、達人の技だ。

 隣でボンヤリしていたカラクリ蛙も、その切れ味に顔を青ざめさせていた。

 ビビった本音を隠し、ジライヤはおどけて返して見せる。

「噂通り、恐っそろしい美人な姫隊長さんだぁな!」

「投降しなければ威嚇では済まさぬ」

 冷たい美貌を崩さないアリスフィルドもしかし、怪盗の反射神経に驚かさていた。

 避けるであろうことも予測しながら、その方向と、当たれば衣服越しでの強い衝撃。くらいの威力で技を放っていた。

 なのに、完全によけられた。

 小悪党と呼ぶには腕が立つであろう怪盗に、油断なく第二波を構える。

 逃走するかと予測していた怪盗から、アリスフィルドは思わぬ申し出を受けた。

「ところで美人の姫さんよぅ。コイツぁ俺には用なしだから、初対面の記念に贈答しちゃうってんだ!」

 怪盗少年の手から、赤い小瓶が投げ渡される。

 ジライヤから視線を逸らす事なく片手でキャッチした隊長は、やはり視線を逸らす事なく問いかける。

「なんだこれは?」

「そこのオッチャンたちが闇取引してた怪しい薬さ。なんでも、赤ワインに一滴垂らせばお姉ちゃんたちをオカしくしちまうって代物らしいぜ! くわしい事は、そこの太ったオッチャンがよく知ってるってよぉ!」

「ほほぉ…」

 姫隊長の冷静な視線が、一際と冷たくなって、悪党たちに向けられる。

 剣技だけでなく攻撃魔法も操る美麗の衛士隊長に睨まれ、拘束された男たちも縮み上がる。

「「な、なんのことだかアル~…?」」

 アリスフィルドが、男たちを問い詰めた。

「私も最近知ったのだが、太ったお前は裏薬物商人のヤンだな。痩せたお前は娼館経営組織のハインリッヒ…だな」

「「ヒィッ–ひひひっ、人違いでは~…」」

 女性の人身に関わる薬物事案だったからか、アリスフィルドが怪盗から視線を逸らしてしまっていた事に、ようやく気付く。

「しまったっ–!」

 見上げると、怪盗少年はカラクリ蛙に乗って、金貨の袋を見せつけていた。

「それじゃあ、美人の姫隊長さん! オサラバっ!」

「待て貴様っ–!」

 アリスフィルドが再び剣を構えた時、怪盗の姿は既に消失。

 木霊だけが残された。

「だ~~~っはっはっはぁっ! バイバ~イっとくらぁ!」

 照明魔法だけが輝く裏通りに、静寂が戻る。

 すぐに数名の衛士を表通りに追わせたものの、案の定、怪盗の姿は見当たらなかった。

 アリスフィルドは、美貌を悔し気に曇らせて、明るい月を見上げる。

「ふざけた少年だ。犯罪者拘束の協力者ではあったが…」

 長剣をギュ…と握り、決意の眼差し。

「しかし犯罪者は犯罪者…。必ず捕らえてやるぞっ!」

 姫隊長は踵を返すと、隊に命じて悪党たちを連行した。


 更に深夜–。

 城塞都市の北側、夜風も冷たい貧民街の、打ち捨てられた教会の屋根の上で、カラクリ蛙と共にジライヤの姿があった。

 少年怪盗が袋から金貨を取り出して、ニヤける。

「三百ゴールドたぁ、悪党ってな羽振りがいいねぇ。さてと」

 ジライヤが膝を叩いて立ち上がると、相棒の蛙も後ろ足で立ち上がった。

 木製歯車の軋み音を鳴らしながら、大きな腹部がお尻側を軸にガバっと開かれて、中には手の平ほどの、小さなカラクリ蛙が格納されている。

「ようし小蛙たち。仕事だぁ!」

 少年が命令すると、背中に露出したゼンマイのネジを回転させながら、小さな蛙たちが飛び出した。

 金貨を二枚ずつ咥えると、ケロケロと鳴きながら怪盗を見上げる。

「この辺りの地図は頭に入ってるな? それぞれ一軒ずつ、金貨を置いてくるんだぞ。ほれ行けっ!」

 ジライヤの命令で、小蛙たちが一斉に飛び跳ねて出発。

 闇夜の貧民街をピョンピョンと跳躍しながら、蛙たちはそれぞれ、目的の家で金貨を落とす。

 貧民街の家々は、家とも呼べない、寄せ集め材の囲いにも等しい造りがほとんどだ。住人たちも、親のない子供たちから体の不自由な老人たち、種族も人類から亜人種まで、様々。

 窓とも材料なしともつかない隙間から、月光を反射させつつ、金貨がチャリンと落とされる。

 金属の音に、それぞれの家で目を覚ます人たち。

「おぉ…こんなところに金貨が…!」

「神様のお恵みじゃ…ありがたや…!」

 お年寄りたちだけでなく、子供たちも。

「見て、お兄ちゃん! 天国のパパが、くれたのよ」

「お、お母さん…!」

 亡き親を思い出して涙する子供たちの姿は、人類もケモ耳も共通だろう。

 金貨を落とした小蛙たちが戻ってくると、ジライヤは一つ一つのネジを巻いて、カラクリ蛙のお腹に収納をしてゆく。

「ほいご苦労さんっと!」

 全ての小蛙をお腹に収めると、カラクリ蛙がお腹を閉じて四つん這いになり、ゲコっと合図。

「よし、全部戻ったな。俺たちも寝ぐらに帰るとすっか!」

 怪盗少年がカラクリ蛙にまたがると、蛙は廃教会の裏庭に降りて、地下水路へと潜って姿を消した。

 そして翌朝–。


 ~第一話 第一章 終わり

 第一話 第二章に続く~

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