第50話 刺繍



 文緒は子どものころから手先が器用で、男なのに手芸が得意だった。プラモデルなども作るが、保存するのにかさばらない刺繍がことに好きだ。


 男らしい趣味とは言えないので他人には言わないのだが、大学に入ったとき、たまたま手芸サークルの女の子と親しくなった。サークルをのぞくうちに、いつのまにか文緒の特技も部員の女の子たちに知られるようになった。


「わあっ、辻浦くん。上手。教えて、教えて。ここ、どうしたらいい?」

「わたしも、わたしも」

「これ、人形の服なんだけど、ここに刺繍してくれる?」


 そんなふうに女子たちがワイワイ寄ってくる。手芸のできる男が珍しかったのか、けっこうモテた。


 最初に文緒と親しくなったA子は、どうもそれがおもしろくなかったようだ。


「文緒くんって八方美人だよね」

「そんなことないよ」

「ウソばっかり。誰にでも調子いいこと言うじゃない」


 それからというもの、文緒がほかの部員と話していると、A子は怒りをむきだしにし、部員同士で口論になった。はてには文緒がA子とつきあってることになっていて、怖くなった文緒は手芸サークルに近寄らなくなった。


 すると、そのあとだ。

 夜になると、どうも誰かに見られているようで落ちつかない。寝入ると何かが首や手足にまとわりついてくる。

 息苦しくて夜中に何度も目がさめる。

 そんなことが続いた。


 ある日、文緒が刺繍したカバーをかけたソファーでうたたねした。夜間にあまり寝られないので、疲れて寝入ってしまっていたのだが、しばらくすると、ふふふ、ふふふと耳元で笑い声が聞こえた。


 ハッとしてとびおきると、体が動かない。全身がソファーのカバーでくるみこまれている。そして細い紐のようなものが体のあちこちにからみついていた。首、腕、足、胴体。指など一本ずつに巻きついている。


 よく見ると、カバーの布地と刺繍糸のすきまから黒いものが伸びていた。蛇のようにウネウネとうごめいている。


「わあッ!」


 文緒は必死になって、刺繍のカバーをふりはらった。カバーはしつこくまといついていくる。両手の自由をとりもどすために、力いっぱいひっぱると、ブチブチとからんだものが切れた。

 ギャッと短い悲鳴をあげて、何者かの気配は去った。


 文緒はカバーをほうりなげ、電気をつけると、あらためて見なおした。

 キレイに刺繍した裏地に、ビッシリと黒い髪が縫いこまれていた。

 もちろん、自分ではそんなことした覚えはいっさいない。


 文緒は家にある手芸品をすべてすてた。

 以来、刺繍はいっさいしていない。

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